水先案内人(自称)
「ドール世界の……水先……案内人?」
「そう、ドールの世界はまさに大海。あまりにも広くて深すぎる。そんなところに何も知らずに漕ぎ出したら――あっというまに沈んでしまうだろうからな」
巧海くんは本気で心配している表情で、そう説明してくれる。
「それに、
「……あの伯父は」
なんだかんだで願生伯父は過保護だ。いくらなんでも、祈莉にだってお人形で遊ぶことぐらいできる、はずなのに。
「水先案内人って言っても……ドールでの遊びかたなんて自由じゃないの?」
「そりゃそうだけどさ、プリ姫の歴史や知識、それに楽しみ方の例を知ってれば、その『遊びかた』にも幅が出るだろう?」
「……それは、そうだね」
「遊びこそ、本気の全力で遊ばないとな」
彼の真剣な口調とまなざし。思わず祈莉は背筋がぴしっ、と伸びた。
「うん、それはそうだね!」
そして、座ったまま彼にお辞儀をする。
「ドール世界の水先案内、どうぞよろしくお願いします」
「あぁ、任された!」
顔を上げると、水先案内人さんはお願いされたことがよほど嬉しかったのか、ゆるゆるのだらしない笑顔。
……あぁ、学校ではこんな笑いかたはしないから『爽やかで格好いい男子』という扱いなんだな。と、祈莉は心の隅っこで考えていた。
「じゃあまず、祈莉のお迎えしたお姫様――シュゼットのことについて、どのぐらいまで知ってる?」
巧海君は自分のプリ姫の箱から、薄い冊子を取り出しながらそう尋ねた。
「先生、私は今、何も知らないということを知っています。」
「『無知の知』だな。うんうん、まずは知らないというのを自覚するのは大事だ。」
そして、彼の大きな手指は冊子をめくって、そしてあるページを開いて見せてくれる。
そこには、祈莉のシュゼット――と、同じタイプのプリティドール・プリンセスの写真が掲載されている。
「シュゼットは、お店での商品名を『銀雪のお姫様』と言うんだ。今年の二月上旬に売り出されたばかりの限定ドールで、発売後即完売って話を聞いていたから……こんな時期にお迎えできたのは本当に本気で羨ましいぜ……!」
「ねぇ。プリ姫って、すごく高額に思えるけど……なのに、そんなにすぐ売れちゃうものなの?」
素朴な疑問をぽつりと口にすると、水先案内人さんは「あー……」と溜息のようなうめき声のような声をもらし、遠い目をした。
「プリ姫というかドールの世界では、限定生産ってのが当たり前なんだ。ドール本体にしても、ドール関連商品にしてもそう。常時販売されてる定番商品なんてまずありえないことなんだよな……」
――だから、ドール世界の民らは、一期一会の精神を胸に運命のドールやドールドレスに出会うその時を待って、虎視眈々と軍資金を貯めておく。もしくはいつ急な出費があってもいいように覚悟しておく。
……厳かに、彼はそんなドール世界の真実を告げた。
「ひぇえ……」
「幸いなことに、俺の惚れ込んだ『いちごのお姫様』はプリ姫の定番モデルドールだったから、お店に行けばいつでも眺められたし、この通り貯金してお迎えできたけどな」
定番モデルドールは常時お店に展示されていて、いつでもお迎え可能なお姫様達らしい。お値段も限定モデルよりは控えめで、お財布に優しい。
プリ姫初心者はまず定番モデルから、という言葉もあるぐらいだという。
これは、伯父によってとんでもない世界に落とされてしまったかもしれない。
心を落ち着けるために祈莉は、クリームとストロベリーソースの味しかしないコーヒーのような何かを一口。破壊的なまでの甘さを味わって、すぅはぁと深呼吸。
「――もしかして、プリティドール・プリンセスって、お金かかるの?」
ぎゅっと、膝の上に揃えて置いた両手に力がこもる。
せっかく伯父さんの好意でもらえたお姫様なのに、ちゃんと可愛がれなかったら申し訳なさすぎる。
しかし、そんな祈莉の心配を吹き飛ばすように、水先案内人――
「何言ってるんだよ。さっきの自分のセリフも忘れたのか? そう……『ドールでの遊びかたなんて自由』なんだよ」
「あ……」
「そりゃあ、お金がいくらでも使えるなら、豪華なドレスや家具を揃えればいい。でも、お金がないから、楽しめないし愛でられない……っていうならそれは『大間違い』だろうさ。違うかい?」
その言葉に、祈莉は無言でこくこくと何度も頷く。それはその通りだ。
この水先案内人さん――思っていたよりずっと心強い!!
「お金がないならないなりに知恵と技術と愛情でどうにかするのも、また楽しいぜ」
「愛情はともかく……知恵と技術?」
「ちょっと大げさな言い方になっちまったな……例えばだけど、俺の場合は……っと……ちょっと悪い、電話が来たみたいだ」
テーブルの上においていた彼のスマホが、ぶるぶると震えて着信を告げていた。
「……うわ、姉からだ。すまないが、このまま通話していいか」
「あ、うん。どうぞ」
せっかくのお話が中断されてしまったのはちょっと残念だが、身内からの電話となれば仕方ないだろう。
「……あぁ、うん、ちゃんといちごのお姫様のお迎えはできたよ。それでさ……今はコーヒー飲んでるんだけど、ちょっと……うん」
彼が話をしている間、祈莉は残り少なくなった甘い甘いコーヒーを飲む。
「……ってことになってさ。……ん? ……うん、そりゃあ、協力してくれれば力強いけど、マジでいいのかよ。……うん、わかった。じゃあ、駅前のコーヒーショップだから、よろしく」
祈莉が思っていたよりも長い通話が終わって、彼はコーヒーを一口飲んだ。
「本当、ちょうどいいタイミングだった。祈莉、今からドールドレスディーラーをしている姉がこっちに来るから」
「ドールドレスの……ディーラー……?」
思わず、かくんと小首をかしげる。
ディーラーって言うとあれだろうか、なんか車とか宝石とか、そういう高そうなものを仕入れて販売するような……?
でもドールドレスのって……。
ふと、なんとなく祈莉は、深い深い、そして広い水辺のほとりに立っている自分の姿が脳裏によぎった。
……あぁ、これが、これから自分が漕ぎ出していくドールの大海なんだな、と祈莉は直感した。
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