親戚からの電話
「ねぇねぇ、今日あのお店にパフェ食べに行こうって相談してたんだけど」
「祈莉も行かない?」
放課後、友人グループからのお誘いを受けて祈莉は財布の中身を計算しはじめた。
――だめだ、足りない。
「あのお店って確か……」
「そ、季節のフルーツを使ったパフェの美味しい店。こっから二駅」
この間グループの誰かが話題に出していた人気のお店で、フルーツをはじめとして素材にこだわっているだけあって相応に高いはず。多分、貨幣で足りずにお札を支払う事になるようなお値段。しかも交通費までかかる。最近何かと出費が激しかった祈莉には無理だ。
「ごめん、その……今日は親戚の用事があって……!」
「あー。大変だねぇ」
「それじゃ、明日にでもパフェのレポをお届けするよ。楽しみにしてて」
「うん、お願い」
断るためとはいえ、とっさに嘘をついてしまったことに多少後ろめたさを覚えながら、自分の学生かばんを手に取る。
「皆、楽しんできてね」
「おう」
「祈莉もがんばれー」
教室を後にする。
ぱたぱたと階段を降りると、特に長くも短くも無い中途半端な長さの髪がふわふわふわっと後方に流れていく。
気持ちの良い風。ほどよく気持ちの良い空気。さわやかな五月の天候。
だけど、祈莉の心はさわやかとは言えなかった。
本当はああいう誘いは、受けておきたかった。……自分のいないところでどんな事を言われているかわかったものじゃないのだし。
「お小遣い……かぁ」
『必要な物は充分買い与えるが、欲しいものは自分でどうにかする』
それが、母の実家である後桜川家の家訓らしい。
母は有名タレントで、父はその芸能事務所社長。いわゆるセレブになるのだろうが、子供である自分は、自身で稼いだお金ではないということで、お小遣い自体はそんなに潤沢には貰っていない。
必要な物――たとえば、祖父母の家に行くときやきちんとした場所に食事に行くときの綺麗な服や、使いやすい文房具や、連絡用のスマホやら勉強用にノートパソコンは買ってもらえる。
だけど個人的に使えるお金――友達とパフェを食べたり、友達とおそろいのアクセサリーを買ったりするような、そういうためのお金は、微々たる額しかないのだ。
祈莉は一人で学校を出て、住宅街の中を歩く。
それなりに大きな敷地を持つ家が多いエリアで、古めかしい雰囲気のお屋敷もちらほらある。
庭師さんたちが働いているのだろうか。塀の向こうで庭木を切り整えているようで、新鮮な緑の匂いがとても濃い。
そんな道を十分ちょっとも歩けば、後桜川家に帰り着く。
このエリアでは珍しいかなり新しめの一軒家で、世間で言うと『芸能人の豪邸!!』ってところなのだろう。
とはいえ、母の実家のように目立ちすぎる大きなお屋敷ではないので、まだマシかな、と思っている。
「お帰りなさい、祈莉お嬢さん」
「ただいま」
出迎えてくれたのは、玄関のフラワーアレンジメントを整えていたお手伝いさん。
後桜川家では三、四人ぐらいのお手伝いさんが交代で来ている。祈莉がものごころつかないような小さい頃は、住み込みで働いてもらっていたこともあったらしい。
――ま、お姫様は自分で育児なんてしないしね。
「今日は、もう旦那さんと奥さんも帰ってきておりますよ」
「あれ、聞いてたよりも早いね」
「ロケが順調だったとかで」
「そっか」
「今日のお夕飯はご家族揃ってになりますから、奥さんの好きな和食の予定です」
「そっか、うん、楽しみにしてるね」
……学校の友達は、家族じゃない人から自宅のお夕飯メニューを聞いたりはしない、らしい。
ママ――後桜川誓子はめったにキッチンに立たない。
お肌が繊細だからすぐに手が荒れてしまうということもあり、ママが自分で料理をするのはテレビの企画だとか、パパが何かリクエストをしたときとか、そのぐらい。
お姫様は、厨房に立たない。仕方がない。祈莉も母の手料理が食べたいと特別思うようなこともない。そんなものだ。
なんだか少しだけ重たい足取りで、祈莉は自室へ向かう。
小学校高学年ぐらいの時につけてもらった鍵を開けて、中に入るとこれでもかとシンプル&モノトーンに決めたスタイリッシュな部屋が目の前に広がる。
白と黒だけにまとめた空間はいまいち落ち着かないが、このぐらいが大人というものなのだから慣れるしかない。
祈莉だってもうふりふりのレースカーテンや薄ピンクのベッドカバーとピローケース、それに綺麗な花模様のふっかふか絨毯に喜ぶような子供ではないのだ。
制服から部屋着に着替えて、宿題にでも取りかかるかと思っていたら扉が敲かれる音。
「はーい」
「祈莉、今大丈夫かしら?」
ママの綺麗な声が扉の向こうから小さく響く。
「
……親戚の用事があるからって嘘ついて断ったら、本当に親戚の用事ができてしまった。
そんなことを考えつつ扉を開けて、ママから電話の子機を受け取る。
その時、かすかに触れた手指はしっとりとしてなめらかで、それだけでも祈莉の劣等感がざわざわと刺激されてしまう。
「……はい。お電話代わりました、祈莉です」
「正月の本家での集まり以来だな、元気していたか?」
「まぁ、そうですね。元気ですよ。高校生活も順調です。徒歩十分程度の通学はそりゃもう楽で快適ですよ」
「お。ほんとに元気で順調か? 財布が五月病になってたりしないか?」
電話の向こうの伯父はいかにもおかしそうに大笑いしている。
「多分『必要なもの』はちゃんと揃えてもらってるだろうけど、『欲しいもの』となるとなかなか親には気づいてもらえなかったりするからな。――祈莉、そろそろ小遣い足りなくなってきてるだろう」
はぁ。と祈莉は大きくため息をついてみせる。
「そうですね……母には言えませんけど、今日は友人の誘いを断ってまっすぐ下校しました」
「だろうなぁ」
「母には言えませんけどね。願生伯父さんも今のは内緒にしててくださいね」
「そりゃまぁ構わんよ。で、だ、祈莉」
伯父は呼吸二つ分ほど置いてから、祈莉にこう切り出した。
「アルバイトしてみないか? うちの会社の、商品モニターってやつだ」
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