ホビー会社のバイト

後桜川祈莉は空気になりたい




 ゴールデンウィーク明けの学校はとにかく賑やかだ。



 後桜川ごさくらかわ祈莉いのりは、朝礼までのこの僅かな時間の喧騒をどうやり過ごそうかと考えを巡らせる。

 机に臥ったり、イヤホンを耳に詰め込んで外界をシャットアウト――したいところなのだが、そんなのは目立ってしまう。祈莉はいい意味でも悪い意味でも注目などされたくないのだ。



 結局、いつものように適度に仲のいい女子グループに混ざっておしゃべりをすることにした。


「休み中、そっちは海外だったんでしょ?」

「そう、ハワイだぜー!」

「こっちはお母さんの趣味で台湾だったよ。お茶いっぱい買ってきちゃってさぁ」

「いいなー、うちは親があんまり連休とれなくてさ、郊外にお出かけぐらい」

「あ。さっき意味ありげに見せたお財布……さては!」

「でへへ、アウトレットのだけどね。買ってもらっちゃったんだよねー」


 海外旅行だのブランド物だのと、不景気知らずの単語が飛び交うのは、この学校は近隣ではそれなりに知れた裕福な私立学校だから。とはいえ、飛び抜けたお嬢様やお坊ちゃまたちが通っているというわけでもない。あくまでも親が中小企業の社長だとか、ちょっとした個人病院の院長だとか、そんなところだ。


「祈莉はどっか遊びに行った?」

「えっと……」

 友人の一人が気を利かせたのか、黙りがちだった祈莉に話を振ってくる。

 ……しまった、もうちょっとちゃんと相槌とか打って愛想笑いでもしておくべきだったか。

「ううん、どこにも行かなかった。うちはなんていうか――休みのときこそ忙しい感じだしね」

 ちょっと残念そうな気配をにじませて、無理にでも笑いながら応える。

「どこにも?」

「うん、どこにも」

「あー、まぁ、祈莉のお母さんは忙しいみたいだもんね。今度は映画だっけ」

「このあいだのドラマも最高だったよね、女刑事役。あの微笑みに落ちない犯人とかありえないでしょ」

「ほんと、うちの母親と取っ替えてほしいよ。あんな綺麗な『永遠のお姫様』が自分のお母さんだなんて、羨ましすぎだよー。なんだようちの母親、お腹だるーんとしちゃってさー、でもおやつのチョコレートはやめられないとか言ってるの」


 ……ほんと、取り替えられるものなら取り替えて欲しい。


 祈莉はそんな気持ちが表に出ないように、曖昧に微笑んで「あはは、チョコレートは魔性だから仕方ないよ」なんて、世にもくだらない相槌を打つ。



 あぁ、空気になりたい。

 そうすれば自然にこの場にいることが出来て、目立つこともなく、誰にも気に留められないのに。




「あ、白都しらと君だ、おはようー」

「よぅ、おはよう」


 グループの一人が、教室に入ってきたすらりと背の高い男子生徒に、ぶんぶん手を振って挨拶をしている。

 他にも教室の何人かが白都君に挨拶をしていて、彼はそれに応えたり笑ったり手を振ったりしていた。


 祈莉はというと特別挨拶するでもなく、あの高身長は目立って大変だろうなぁと、ぼんやり見つめていた。


「あれ、何、祈莉。もしかして」

「……?」

 グループの一人がなぜか、うんうん、とわかったような顔で頷いてみせた。

「まぁ確かに白都君は格好いいけどさぁ。このクラスでも三指には入るTHE・正統派男前だし、優しいし、成績もそこそこ、運動神経だっていい。しかもこの間の家庭科の授業では、ぽんこつミシンをその場で修理してしまうという活躍っぷりで……」

 なにやら勘違いしてくれた様子の友人がぺらぺらと喋るのに「え」「あ」「ちが」「その」と、断片的にしか言葉を挟めない。


「祈莉、頑張るんだよ!」

「……」

 その力強い応援には、とりあえず困った顔をして首を傾げておいた。


 正直、彼に興味はない。

 というか、あんな目立つ人と関わるなんて、頼まれたってごめんだった。

 目立つ人と一緒にいれば、何を言われるかわかったものではない。


 それに。


 ぎゅ。と祈莉は左拳をに力を込める。ちょっと伸びた爪がてのひらに食い込む。


 ……自分は、堂々と『頑張る』という行動をできるような『可愛い』女の子では、ない。







「この問題は……そうだな、白都。黒板で解いてくれ」

「はい」


 休み時間は苦痛極まりないし、朝礼などもあまり好きではないが、授業時間は嫌ではなかった。

 わからない部分があっても、解き方やその背景にあるものがわかればきちんと理解できて、むしろ楽しい。

 やればやっただけ覚えるし成果がでる。


 祈莉の成績は最上位というわけでもないが、かなり優秀だった。


 ……母方の祖父母は、もっと勉強できる進学校に行ってはと勧めていたのだが、それは祈莉自身が断った。

 そんな学校に行きたくはなかった。

 勉強は好きだけど、成績を上げたいわけじゃなかった。

 だから、家から比較的近所にあって徒歩で通えるこの高校を選んだのだ。



 ――あぁ、なんだか今日はうまく生きられないなぁ。


 数学教師の声を聞き流しながら、祈莉は心のなかだけでため息をついた。





 昼休み。

 お手伝いさんの作ってくれたお弁当を手に、祈莉はグループの後ろをついて歩く。

 今日は外で食べようということになった。

 この日差しの強い時期に、とは思うが反対して一人で弁当を食べる羽目になるのはもっと避けたい。


「ここにしよー」

「だね」

 比較的木陰が多い中庭に降りて、石段に座って食べることになった。

 ベンチはあるのだが、既に全てふさがっている。



 一番近いベンチに居るのは、学年がさまざまな女子学生達だった。

 誰か一人を取り巻いて、おしゃべりしているらしい。


「先生、新作はいつ発売されるんですか!」

若葉わかば先生の本、三章のところが特に好きなんですけど、あれは……」

 きゃあきゃあという黄色い声に応えるのは、微笑みが綺麗な女子学生。ネクタイの色から判断するに二年生のようだ。

「ありがとう。でも今のところ新作が出るかはわからないわ。学生の本分は勉強、なのだもの」


 えぇー!! という落胆した女子たちの声。

 彼女は、それをなだめるように優しく声をかけていく。




 あんなに綺麗に笑って、優しい声で話せるなんて素敵な人だな、と祈莉は思った。

 同時に、目立つことが怖くないんだろうか、とも。


「あの二年生って……」

「あぁ。若葉わかば冬萌ともえさんよ。去年、本を出した作家先生ってことで、みーんな大注目なんだって」

「へぇ……」


 もう一度、その若葉冬萌とかいう作家先生な先輩の方を見る。

 長い黒髪は高い位置でポニーテールにして、すっきりした印象。瞳にはきらきらした光が宿っていて、頬はほんのり薔薇色で、楽しそうにほころんだ唇も素敵で。

 ママという可愛いお姫様を見慣れている祈莉ではあるが、綺麗な人だと思った。


「すごいなぁ」

 思わず、ぽつりとつぶやく。


 あんなに目立っていても、堂々としていられるなんて。


 きっと、外見が綺麗なだけじゃなくて、人間としての格とかステージとかそういうのがいろいろ違うのだろう。


 すごいなぁ。


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