第二の星 7

 どこからか、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

 マルスは、意識を広げて、そこにあるものを探った。

 雪、そして、何かの枝。

 マルスは、その枝を握った。するとそれは炎を放ち、マルスの体を温めていった。

「兄弟とか、友人とか、そんなレベルじゃないよね、君の気持ちは」

 どこからだろう、誰かの声が聞こえる。

「でも、恋人や家族じゃない。いったいこのつながりは何なんだろうね」

 マルスは、それが、自分自身であることを知った。マルスの中にある二つの流れ、火星のシリンとしてのマルスと、一人の人間としてのマルス。今、マルスに問いかけているのは、火星のシリンのほうなんだろう。

「分からない。だが、シリンだからというだけじゃ、話にならない」

「じゃあ、何なんだい? 君たちはいったい?」

 マルスがその問いに答えようとしたその時。

 誰かが、その問いを消し去った。マルスを包み込むように守り続けるそれは、いつしか人の姿を取ってそこにいた。

「これは、僕?」

 もう一人のマルスは、頷いた。

「アースが意識を取り戻すころだ。僕たちへの束縛が弱まっている。さあ、行こう」

 マルスは、マルスの差し伸べた手を握り返した。

 そして、目を覚ました。

 そこは温かい暖炉がある室内で、今の今までいた雪原とはうって変わって、明るく温かみに満ちていた。暖炉の火が木をはぜる音がする。まだ、あたりはぼんやりとしていて、意識が現実とつながらない。

 しかし、次第にはっきりとしてくるそのビジョンは、マルスに、痛烈な現実を叩きつけてきた。

 マルスが寝ていたのはソファーの上で、そこからは、人だかりが見えた。シリウスやカロン、フォーラ達だろう。神父はいない。マルスは、自分の体が異様に軽いのを感じながら、体を起こした。

 すると、視界にはアースの寝ているベッドが入ってきて、その上に横たわる手が映し出された。その手には何重にも包帯が巻かれている。

 凍傷。

 マルスは、ソファーから飛び起きて、人だかりの中にふらふらと向かった。

 なぜ、自分の体には傷一つないのだろう。

 マルスがこの教会の玄関を目指して転移したのは覚えている。しかし、それは失敗だったはずだ。傷を負っているアースの能力をコピーするのは完璧ではなかった。だから、失敗して、教会のすぐ近くにある森に不時着したはずだ。

 その際、アースを背負って少しだけ教会に近づいた。手足に凍傷を負いながら。しかし、マルスの体は何ともない。むしろ、以前より軽くなっている。

 おかしい。

 自分の凍傷は治っているのに、なぜ?

 マルスは、立ち上がるとふらふらと人だかりのほうへ歩いて行った。それに気づいたカロンが道を開ける。

「マルスさん、目が覚めたんですね」

 メティスが、ほっとしたような顔をしてマルスを見た。しかし、メティスはその表情をすぐに驚きに変えなければならなかった。

 マルスは、今にも泣きだしそうな顔で、手を震わせながらこちらにやってきた。立ち上がって歩いてはいるが、足元がおぼつかない。

 そんなマルスに、そこにいたすべての人間が場所を譲った。マルスは、誘われるがまま、アースのもとにたどり着き、凍傷で傷んだ手をそっと持ち上げた。

「どうして君は、こんな」

 マルスは、喉まで上ってきた嗚咽に支配され、声が出せなくなっていた。目の前にいるのはアースだが、話しかけても何の反応もない。ただ苦しそうに、つらそうに息をしているだけで、話しかけても何も答えてはくれなかった。

「マルスさん」

 メティスが、マルスの肩に手を置いた。優しい手だ。

「ごめんなさい。マルスさんにもアースにも、僕らは何もしてあげられなくて」

 メティスの声がくぐもっている。アースを失いかけて不安になっているのはマルスだけではない。しかし、マルスは彼ら以上にアースに対する思いが強かった。それはメティスやシリウスのような友情とも違う。フォーラが抱く恋慕とも違う。レオナや夏美が持つ家族愛とも違っていた。

 マルスは、歯を食いしばった。そして、喉から再び上がってくる嗚咽を抑え込んだ。すると、今度は腹の底から怒りがわいてきた。

 マルスは、いつの間にか、そこにしっかりと立っていた。

 マルスの凍傷を治し、彼の周りの雪を溶かして草原を乾かしたのは、おそらくアースだ。でないとこんなにきれいにマルスは治っていない。だが、それを許せるほどマルスは寛容ではないし、彼にそうさせた自分にも腹が立った。

 しかし、マルスにはもっと、壊してしまいたい相手がいた。

 西レジスタンス。

「あいつらが、アースに何をしたのかは知らないが」

 マルスは、自分の声が震えているのを感じた。

「僕は、奴らを許さない!」

 マルスは、そのまま部屋を去ろうとドアノブに手をかけた。すると、正面にいきなりオルビス医師があらわれて、一歩下がらざるを得なくなった。

「怒る前に、少し立ち止まって、今ここで起きている惨状を見なさい」

 医者は、そう言ってマルスを部屋に誘った。マルスは医者に手を引かれて、アースの前に引き出されてしまった。

「何か知っているのなら、話してほしいんだがね」

 マルスはそう問われたが、マルス自身も何一つ知らない状態では、何も話しようがなかった。ただ、自分の想像で、西レジスタンスだと思い込んでいただけだ。

「何もわかりません。でも、知る方法はあります」

「知る方法が?」

 マルスは、頷いた。

「僕は、キオクビトです。触れた相手の記憶を引き出し、見ることができる。そのうえでその記憶を編集したり、消したり、僕の中にコピーして抜いてしまったり、たくさんのことができます。だから、いまここでアースの記憶に触れ、彼の見ている恐ろしい何かを引きずり出してしまうこともまた、可能です」

「そんなことが」 

 その場が、騒然となった。ただ、地球に籍を置く月と星座のシリンであるフォーラとシリウスだけがそれを知っていたのか、俯いて黙っていた。

「しかし、マルス君、それでは君が嫌な思いをするのではないかね?」

 オルビス医師が聞いてきたので、マルスは首を横に振った。

「僕の痛みなど大したことはない。今、彼が直面しているひどい苦しみが、それで消えるのなら、僕はどうなっても構いません」

 そう言って、マルスは、周囲が見守る中、少しずつ手を伸ばし、アースの額に手を触れた。マルスの冷たい手に、額の熱が伝う。あまりに熱い。マルスはその熱さに、不安を覚えた。そして次の瞬間。

 衝撃が、マルスの脳と体を襲った。

 マルスは、激しい記憶の流れ込みに、言葉を失った。瞳孔が縮み、呼吸が荒くなる。過呼吸になりかけながらも、マルスはその手をアースの額から離すことはなかった。マルスは、自分自身がアースの記憶を消化できるのを待った。あまりの衝撃に、体中が汗まみれになり、目からは大粒の涙があふれ出していた。

 心が静まるのを待って、マルスは、ゆっくりと立ち上がった。アースの額から手を離す。すると、今までのマルスの状態を見ていた皆が、心配そうにこちらを見ているのが分かった。

 マルスは、アースに一言こういって、静かに部屋を後にした。

「今は、全てを忘れて休むといい」

 入れ違いに入ってきたケンとリーアが、レオナに連れられて入ってきた。ケンがマルスを見る。まだ十一のその少年は、部屋に入ると、大きな声を出して、嘆いた。

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