HAPPY BIRTHDAY
H A P P Y B I R T H D A Y
カレンの視線の先に、可愛らしいく飾り付けられた看板と、そこに並ぶ定規で計ったような文字があった。
「ホント、センス無いわ」
会心の出来だと自負していたアーロンの眉間にシワが刻まれた。
「はぁ? 何処がだよ? キレイじゃねぇか」
「可愛くって言ったの。なにこの、ハ・ツ・ピ・イ・バ・ア・ス・デ・イ」
「ハッピィ~、バァ~スデ~ィだよ、アーロン」
そう言うエリーへ、アーロンは口を尖らせた。
「だからそう書いてんじゃねぇか!」
「全然違うよー」
「この看板は、例えるなら女装したアンタ。化粧さえすれば女になれると思ったオッサンよ」
「何が不満なんだよ……。お~いジェイ、何とか言ってやってくれ」
「……たしかに、可愛くないですね」
「おいおいお前もかよ……だいたいなんだよ、字が可愛いとか可愛くないとか意味が分からねぇよ。文字に何を求めてんだ?」
「まあまあ、人ニハ向き不向きというものがあるのデス。そちらは適シタ感性をお持ちの方々に任せてこちらを手伝って下サイ」
早くも三角帽を被り、ノリノリのマーシーがアーロンをテーブル席へ連れて行った。
「これならピッタリでショウ。こうやって丸めて……ハイ、三角帽の出来上がりデス。天辺のボンボンや柄は別でやりマスので、とにかくこのベースを沢山作って下サイ」
「こんなに沢山来ねぇだろ? こんなに作ってどうすんだ?」
「何を言っているのデス、これは気分で次々と取り替えるものデスヨ? 最初から最後マデ同じものを被っているなんて事はしないで下サイヨ? そうデスね……アーロン、アナタは十回取り替える事をノルマとしマス」
「……」
「そんな仏頂面を作るヒマがあったら手を動かして下サイ。仕上げたらジェーンに渡すのデス」
そう言うと、マーシーは花やら星やらハートやらの飾りが盛られたバケツを手に、フワフワと天井へ浮き上がった。
「張り切ってんな……。アイツがこういうのが好きだったとは知らなかったな」
ソファーに座るウォルフマンは、鼻歌混じりに天井を飾り付けるマーシーを眺めた。
「……お前は何してんだ?」
「もちろん酒を飲んでいる。ここは酒を飲む店で、俺は客だからな」
ニカっと笑みを浮かべ、ウォルフマンはグイとグラスを傾けた。
「ウォルフマンさん。飲み終わりました? ちょっとボスの様子を見てきてくれませんか? ちっとも連絡がつかないんですよ」
「やれやれ、飲み終えたらもう客じゃねぇってか……」
「今日は店自体は閉めてんだ、客なんざ居ねぇよ。さっさと行ってこい」
のそのそと店を出るウォルフマンを見送り、ほくそ笑むアーロンへ隣のテーブルからジェーンの声が飛んだ。
「アーロンまだかしら? まだやること一杯あるんだから、早くしてよ」
三角帽子を被ったジェーンが、指先でコツコツとテーブルを打った。
「お前もかよ……」
「わたしこういうの好きなの。悪い?」
「いや別に悪かねぇけど……」
「ねえ、アーロン。あなたの娘の誕生パーティーなのよ? もっと気合い入れなさいよ。こんな事言うのはあれだけど……あなたの結婚生活がどんなものだったか目に浮かぶわ。さぞや奥さんに尻を蹴飛ばされたんでしょうね」
「私もたまに蹴り飛ばすぞ」
割り込んだカレンは、先ほどの看板を手渡した。書き換えられた文字は、位置も角度も大きさ不揃いで、やたら丸く色もバラバラだ。
「ほら、表に掛けて来て」
「……」
「何?」
「ただ読みにくいだけじゃねぇか?」
「もうアンタに理解は求めないから、言われた事さっさとこなしてくれる?」
「へいへい……」
アーロンと入れ替わりに席についたカレンは、作りかけのベースを仕上げてジェーンへ手渡した。
「何か柄のリクエストはあるかしら?」
「そうだな……私は動物がいいな。アニメに出てくるような、デフォルメされたやつ」
戻ってきたアーロンは、動物のイラストを前に何やら盛り上がるカレンとジェーンの脇を抜け、カウンター席に腰を下ろした。
「なんであの年であんなにはしゃげるんだよ……。なあジェイ、何でもいい。何か出してくれ」
ジェイは手早く珈琲を淹れながら、彼の端末をいじくるエリーへ尋ねた。
「どうですか?」
「んー、コレ! っていうのがないなー……」
耳はエリーへ向けたまま、ジェイはアーロンの前に珈琲とメモパッドを置いた。
「お嬢さんが好きな食べ物と、嫌いな物を書き出してもらっても良いですか?」
「エリーは何してんだ?」
「ケーキのプリントデータを見てもらってます。料理の準備もこれからなんで、それお願いしますね。一品ぐらい天然素材のものを出したいですからね」
ジェイはメモパッドを指差し、自室のプリンターが吐き出す食器を数えた。
珈琲に口を付け、ホッと息つくと同時に――チラリと時計を見たエリーが尋ねた。
「ねえアーロン」
「なんだ?」
「そろそろ着替えないとだよ? まさか着替え持ってくるの忘れた訳じゃないよね?」
「そのまさかだが? それがどうした?」
「なんデスと!?」
叫び声と共に、天井を飾り付けていたマーシーが降ってきた。
「アーロン! 本当に着替を持ってきていないのですか!? レンにタキシードを持ってこいと言われていたでショウ!?」
「ああー、悪ぃ。忘れてた」
「あなたには、主賓をお迎えに行くという大役があるのですよ!? ああ、なんという事でショウ……。
ジェイ! 今すぐタキシードをプリントして下さい!」
「おい、マーシー……服装なんてどうでもいいじゃねぇか」
「だまらっシャイ!!」
マーシーはアーロンをスキャンして仮眠室のジェイへ叫んだ。
「端末にサイズデータを送りマシタ。大至急お願いしマス!」
アーロンへ向き直り、諭すように続けた。
「いいですかアーロン、よく聞きなサイ。十四才ですよ? 十四才の誕生日。一生に一度の、最も多感な年頃の誕生日なのデスヨ?」
「いや、だからこそだろ。難しい年頃なんだよ、そういう仰々しいのとか、はしゃぐ大人とかを嫌がる年頃だろ? 普通でいいんだよ、むしろ少し冷めてるぐらいがちょうどいいんだ」
「たしかにその通りデス、難しい年頃デス」
「な? そんなに気張らなくていいんだよ」
やり込めたと思い、珈琲に口を付けたアーロンへ、マーシーがズイと顔を寄せた。
「一人の人間として自立を始め、この先の人生に最も影響を与えるのもこの時期でショウ。そして、人生の節目で最も多く振り返る時期でショウ。
十四才の誕生日は生涯で一度、今日一日限りデス。しかし、今日の記憶ハ永遠に残りマス。そして振り返る度に、今日の事を思い出すのデス。小汚いオッサンが、ダルそうに「誕生日おめでとう」と言うのデス」
「……」
「彼女ハいつか家庭を持ち、生まれた子が十四才にナッタ時、きっとこう思うでショウ。何処かのオッサンのように、あんな最低の記憶を残していけナイ。この子にハ、絶対にあんな惨めな思いはさせナイ。いつか大人ニなりこの日の事を思い出シタ時、微笑んデくれる、そんな日にシヨウと」
「お、大袈裟なんだよ……お前は」
「アーロン! アナタはただ自分が恥ずかしいからとかダルいからとかいう理由デやりたくないだけでショウ! 難しい年頃だのなんだのと尤もらしい事を並べていマスガ、彼女は気が付きますヨ! そしてこう思うのデス『あーもう、嫌なら何もしなきゃいいのに。最ッ!! 低!!』と」
その時、大きな笑い声を響かせ、マーシーの後ろからカレンが顔を出した。
「諦めなさいアーロン」
「そうだよアーロン。パーティーやるって決めたんだから、やるんならちゃんとやらないと」
そう言うエリーに続き、仮眠室から現れたジェイが追い討ちをかけた。
「タキシードできましたよ。靴とネクタイは今プリント中です」
「ほらアーロン、着替えてらっしゃい」
カレンにタキシードを押し付けられ、渋々ジェイと入れ替わりに仮眠室へ入った。
「あとこれがマーシーさんの付け髭と、シルクハットにステッキ。こっちがボスのシルクハットと蝶ネクタイ」
「レンちゃんとマーシーもお迎えに行くの?」
「いえ、お迎えはアーロンとレンに行ってもらいマス。タキシードの紳士とハットに蝶ネクタイのシバ。ファンシーなお迎えにきっとワクワクしてもらえるはずデス。私のは案内役の衣装デス。余興のマジックショウでも使いマス。ああジェイ、早速髭をお願いしマス。ダンディーな位置にお願いしマスよ」
「……こんな感じ……ですか?」
マーシーは体から手鏡を取り出してシルクハットを被った。
「スバラシイ! まさにワタシが求めていた紳士デス!」
鏡に映る体――いや顔を左右に振り、ポーズをキメては満足気に頷いた。
「ねえねえ、ジェイちゃん。ケーキはこれで良いかな?」
エリーが突き出した端末に、可愛らしいデコレーションケーキが表示されていた。
色とりどりの果実が盛られたメルヘンチックなバスケット。包むように巻かれた大きなリボンが目を惹いた。
「いいんじゃないですか。僕は良いと思います」
「どれどれ」
っとカウンター越しにカレンが身を乗り出した。
「へー、最近のプリンターはこんな事出来んだね。このリボンも食えるの?」
「うん。リボンはチョコレートみたいだよ」
「あたしもこんなの貰いたかったなぁ」
ふと時計を見たジェイは、アーロンへ渡したメモパッドを拾い上げた。
「アーロンさん、何も書いてないじゃないですか。間に合わなくなっちゃいますよ……」
「はあ? 時間ならまだあるだろ」
扉越しにアーロンの声が届いた。
「もう結構ギリギリですよ……」
「そうデスよ、着替えは終わりまシタか? 早くして下サイ。あと花束ぐらいハ持ってきたんでショウね?」
「……悪ぃ、忘れた」
扉越しに届く声に、マーシーは大袈裟にため息をついた。
「ジェイ、大至急花束もお願いしマス。私は何度も何度も念を押したんデスよ」
ふと、別の声が割り込んだ。
「なんだ、アーロンのやつ何も準備してなかったのか?」
「ほらな、言っただろ。俺の勝ちだ、一杯おごれ」
振り返ると、カウンター席にウォルフマンとシバが座っていた。
「ジェイ、一杯出してやってくれ」
手早くドリンクを仕上げ、グラスを置くと同時に仮眠室の扉が開いた。
「おい、誰かネクタイを結んでくれないか」
スイーっと近寄ったマーシーが、頭の天辺から足の先までまじまじと見つめた。
「フム、サイズは良さそうデスね。こっちへ来て下サイ」
テーブル席へ移動し、マーシーは蝶ネクタイを結びながら尋ねた。
「確認しマス。これから何をするのか言ってみて下サイ」
「……お出迎え」
「そうデス。何処に迎えに行くのデスか?」
「……」
「アーロン!! アナタ、まさか直接ココへ来るように伝えてないでショウね!?」
「……いや、その方が手っ取り早いだろ? ここまでの道なら大した危険もねぇし……」
「今すぐ連絡しなサイ! 八番クレーターで待ち合わせデス!! もちろん港側ではありマセンよ! いや、今なら港側でも大丈夫デスね、この間レンが大掃除したようデスし」
「マーシー……もういいじゃねぇか。これ着て、扉の所で出迎えれば良いだろ? な?」
「ダマラッシャイ!! 普段小汚い父親が、ビシッとタキシード姿デ現れる、非日常のケハイ。そして蝶ネクタイの喋る犬に誘ワレ町を散策、コレから始まるであろうファンタジックな物語に、胸を踊らせながら表紙を開くのデス!!」
っと、入り口の扉を力強く指差した。
その先に――扉から顔を差し込む女の子の姿があった。年の頃は十四、五才だろうか? あどけなさの残る――くっきりとした顔立ちの可愛らしい女の子だ。クリクリとよく動く瞳が店内を見回し、肩から流れたブロンドには赤いメッシュが入っていた。
「あ……」
彼女を知る者は思わずそう漏らし、他の視線ははアーロンへ注いだ。
「あの……」
不安気に切り出した彼女であったが、カレンを見つけてホッと緊張を解いた。それと同時に、タキシード姿の父を見つけた。
「……パパ?」
大きく上下した眉に、少女の驚きが見てとれた。
「どうしたの? それ……」
「よ、よう、マイラ。早かっ……たな」
「アーロン!! アナタという人ハ……時間まで適当に伝えたのデスか!」
「いや俺はちゃんと――」
「ダマラッシャイ!!」
マーシーはプイと踵を返して少女の元へ向かった。
「申し訳ございマセン。準備致しマスので、一分お待ちいただけマスカ?」
「あの、ごめんなさい……早く来すぎちゃったみたいで……」
「いえいえ、謝るのはワタシの方デス。アナタが謝る事など何一つありマセン」
扉を閉め、クルリとアーロンを振り返った。
「こうなってしまってハ仕方がありマセン……。大変不本意デスが、始めるしかないでショウ」
マーシーはススっとレンの元へ向かい、蝶ネクタイを結びシルクハットを被せた。
「後でアーロンのお尻に噛みついて下サイ」
「まかせろ」
「なんなら食い千切って下サイ」
「まかせろ」
「ジェイ、花束はできていマスか?」
「それが……ちょっと手違いが……。違うのをダウンロードしちゃったみたいで……」
ジェイの手には、虹色に輝く一輪の
「フム……虹色のバラ。これは許容範囲でショウ」
マーシーはそれをアーロンの胸ポケットに差し込み、ネクタイを整えた。
「では、お迎えをお願いしマス。テキトーな事をしたらレンが噛みつきマスので覚悟して下サイ」
ジェイは扉に手をかけたアーロンを呼び止め、掲げたメモパッドを指差した。
「アーロンさん、コレ、コレ」
「ああー、たしか果物は全般大丈夫だったと思う。嫌いなものは……多分オレだ」
肩をすぼめてそう言うと、レンを連れて外へ出た。
「果物ならドクターに言えば手に入るかも。家にね、すっごい温室があって色々栽培してるんだよ。ちょっと聞いてみる」
「本当ですか、お願いします」
「うん。あ、良い物ありそうな感じだよ」
声に出すこと無く複数の会話をマルチタスクでこなしてしまう、端末の機能を取り込んでいるアンドロイドの特徴だ。人間も、特に全身義体の者は、端末の機能を取り込んでいる者は多いが、二つ以上の会話を同時に行える者は少ない。そういった才能が必要だ。
「さあさあ皆さん、出迎えマスよ。帽子ヲ被って、位置に着いて下サイ」
――カラン、と鈴が鳴った。
「ハッピィ~、バァ~スデ~ィ!」
一斉に飛んだ声に、虹色の薔薇を手にした少女ははにかんだ笑顔を浮かべた。
「ありがと」
キャサリンズがポンッとクラッカーを打ち出し、シルクハットを被りステッキを手にしたマーシーがフワリと舞い降りた。
「ようこそおいで下さいマシタ。案内ヲ勤めさせて頂きマス、マーシーと申しマス」
「マイラよ。あなたの事知ってるわ、カレンが面白いヤツがいるって、話してくれた事があるの」
「このようなお美しいお嬢さんの記憶に入れていただけるとは光栄の至り。そして願わくバ、来年、今回の不手際を挽回するチャンスを頂きたく存じマス」
「来年もやってくれるの?」
アーロンは振り返ったマイラから視線を動かし、頷くジェイを視界に収めた。同時に、周囲の視線に押されるように答えた。
「あ、ああ、もちろん」
「友達も呼んでいい?」
「ああ、もちろん。今日は呼んでないのか?」
「だって……どうせまた何処かのカフェかレストランの隅っこでカップケーキを渡されるだけかと思ったから、早く済まそうと思って……」
「アッハッハ、正解よ。でもそれは終わり、来年からは期待していいわよ」
そう言って、ジェーンはマイラとアーロンへ三角帽子を被せ、カレンもしてやったりと頷いて見せた。
「それではお席へドウゾ」
「今日の、この物語の主人公はあなたデス。思うままに、存分にお楽しみ下サイ。何かご入り用のものがございましたら、そこの執事へお申し付け下さい」
そう言ってアーロンを指差した。
――カウンターからマイラの笑顔を見つめ、ジェイはホッと安堵した。喜んでもらえるか……正直不安だった。
「ねえねえ、ジェイちゃんジェイちゃん」
エリーに袖を引かれ、ハッと我に返った。
「ドクターがね、果物を持ってきてくれるって」
「本当ですか? 良かった……。じゃあケーキは果物無しでプリントして、それを乗せましょう」
「うん、そうだね」
「果物の種類は分かりますかね? 色合いによってはケーキの方も少し変えた方が良いかもしれませんし……」
「ケーキの画像も見せてるから、大丈夫だよ。それに、ドクターのセンスは信じられるよ」
とその時、ふと何かに気が付いたエリーは素早く屈み、カウンターに身を隠した。
「?」っと疑問符を浮かべたジェイであったが、すぐにその
「ねえ、あなたがアイスマンで、ジェイよね?」
歩み寄ったマイラが尋ねた。
「はい。どうぞ、お掛けになって下さい。何に致しましょう?」
「えっと、あの……振るヤツ」
「畏まりました」
小さなカクテルグラスへシャーベットを盛り、リズミカルにシェイカーを振った――
僅かに汗をかいたグラスと澄んだ桃色が、珍しく人で溢れた店内に絶妙な涼しさを醸し出し――グラスを掲げたマイラの瞳に光が溢れた。
数種類のフルーツフレーバーは香りにも甘みを持たせ、程よく抜けた炭酸がシャーベットから滲み出すように風味を広げた。
「美味しい」
ぺろりと平らげかけたマイラは、一
「内緒ですよ」
声を潜め、シャーベットへアルコールを垂らした。
目を輝かせ、パクリと食いついたマイラは……眉をハの字に曲げて口を
「んー……台無し」
「それが美味しいと感じるようになったら、是非アーロンさんと一緒にお越し下さい」
「うん。ご馳走様」
ニコリと微笑んだ彼女は、席を立つと同時に身を乗り出してカウンターの中を覗き込んだ。
「エリーさん」
「……は、はい?」
渋々立ち上がったエリーは、居心地が悪そうに目を逸らした。
「エリーさん。私はね、あなたに感謝してるよ」
「……」
「レンさんから聞いたの。自分のせいで私のパパとママが離婚したんじゃないかって、エリーさん気にしてたって」
「……違うの?」
「ううん、たしかに、エリーさんが家へ来たのがトドメだったよ。でもあの時、私はホッとしたの。これでやっと別れてくれるって。
あの頃ね、パパとママの仲は本当に最悪で、私は夕飯の度に『どうか今日は喧嘩をせずに終わって下さい』って何時もそう祈ってた。
……でもダメだった。いっつも喧嘩になって、どちらかがテーブルを叩いて席を立つの。だから、私はあなたに感謝してるの。ありがとう」
そこへ、スルリとマーシーが割り込んだ。
「おや、お取り込み中でしたかな?」
「ううん、大丈夫」
「さあさあ、準備が整いました。こちらへどうぞ」
「じゃ、また後で」
胸元で小さく手を振り、テーブル席へ移動したマイラと入れ替わりにシバがスツールに飛び乗った。
「ジェイ、体を乗り換えるから手伝ってくれ」
「もう着替えるんですか?」
「ああ、今日は私も飲みたいんだ」
仮眠室へ移動し、シバが引っ掻いた保管カプセルを開いた――
女性型の義体、髪は栗色のセミロング、背は自分より少し低い。初めて見るボディだ。白衣が似合いそうな知的な顔立ちをしていた。
「これ初めて見ます」
「ああ、ここ数年使ってなかったからな」
蝉が孵化するようにシバの背が割れ、押し出されたメタリックなブレインカプセルをそっと移した。
大きく開いた後頭部が閉じ、一瞬の間を置きレンが動き出した。
「乗り換えた直後は視界が高くて思わず足を突っ張ってしまうな」
「ねえボス……。ブレインカプセルを――脳を人に預けるのって怖くないですか?」
「だからお前に頼んでいるんじゃないか」
体を解すように手足を動かしていたレンは、事も無げに返した。
「……」
「なんだ?」
「あ……いえ、そのボディの方がボスのイメージに合ってるなと」
「そうか」
レンは微かな笑みを浮かべ、踵を返した。
「それ久しぶりに見るわね。あの黒ゴスは止めたの?」
「あれは今自宅だ」
扉越しにそんなやり取りを聞きながら、ジェイも仮眠室を出た。
「ジェイちゃん、ドリンクは一通り行き渡ったから、お料理のプリント始めよ」
「そうですね」
「……ねね、何か良い事あった? すごく優しいお顔してる」
「そうですか?」
ジェイはにこりと微笑み、プリンターを動かした。
「終わったものものからどんどん運んじゃって下さい」
はぐらかされたエリーは少し不満そうであったが、すぐに気を取り直して皿を手に取った。
――料理やドリンクを運び食器を片付けと、ジェイとエリーは裏方に撤し、思いの外盛り上る面々をカウンターから眺めて満足げに微笑んだ。同時に、料理のプリントや後片付けも一段落してホッと息をついた。
「エリーさん。僕らも一息入れましょう」
ジェイはドミニクに貰った酒瓶を手にカウンター席へ腰を下ろし、並べたグラスを満た。
隣に腰を下ろしたエリーは、グラスを引き寄せてモジモジと呟いた。
「こういうの初めてだね」
「ああ……そうですね。ボス以外の人とこうして飲むのは初めてかもしれません」
そう言うと、グラスを手に取ってエリーを促した。
「お疲れ様です」
合わせたグラスから、チンッ――と澄んだ音色が響いた。
グラス傾け、ホッと息をついたジェイは改めてテーブル席の様子を眺めた。
「最初はどうなるかと思いましたけど……、来年はもう少し余裕を持って準備しないとな」
「そうだね。アーロンのお尻も早めに叩いとかないとだね」
「ところで、エリーさんのお誕生日は何時なんですか?」
「えーと、どっちを知りたいの? 製造年月日と、再起動した日。再起動した日ならもう過ぎちゃったけど……」
「そうですか……じゃあ、来年は何かご用意しておきますね」
「えー、今年のも欲しいな」
「えっと……じゃあ、近い内に何か用意しておきます」
エリーは頬を寄せ、トントンと指差した。
「……?」
「チュー」
「……えっと」
「早くぅー」
暫くの間、ジェイははぐらかそうと目を泳がせていたが……意を決して顔を寄せた――
唇と頬と、互いにたしかな感触を覚えた……その時、二人の肩に手を回し、もたれかかるようにレンが割り込んだ。
「なんだお前ら、そういう仲だったのかぁ~?」
「いいぞ、いい――、わたしは、客と店員だとか、人とアンドロイドだとか――事には
「あー、始まったか……」
呆れ顔で歩み寄ったウォルフマンの胸ぐらを掴み、レンは縺れた舌で捲し立てた。
「おい、愛の偉大さはお前も知っ――るだろ? 言ってやれよ、世界は、人類は、――愛に救われたんだ!」
「飲み過ぎだ」
レンは手を離し、再びジェイとエリーにもたれかかった。
「ウヒヒヒッ、愛だよ、愛!」
レンは上機嫌にニタニタと笑い、不意に微睡み始めた。
「人類は……いに、救われ……だ……よ……」
もたれかかったまま、レンはスヤスヤと寝息を立てた――
「たくよ……」と、ウォルフマンはひょいとレンを抱えて尋ねた。
「おいジェイ、ソファーと仮眠室。どっちだ?」
「僕はソファーを使うので仮眠室へ」
「こうなっちまうからよ、あんま飲ませ過ぎるなよ」
レンを仮眠室へ放り込み、ウォルフマンは席へ戻った――
目覚めると、ソファーに横たわっていた。ジェイは身を起こし、ズキズキと痛む頭を抱えた。あの後――
「ドクターがケーキを持ってきてくれて……」
見本画像通りのケーキをオール天然素材で焼いてきてくれた。そして……。
「みんなでケーキを食べて……」
かなり遅くまで騒いでいた。
「マイラちゃんがウトウトし始めて……アーロンさんがマイラちゃんを送って……」
お開きかと思いきや、酔っ払ったウォルフマンとジェーンに絡まれ、しこたま飲まされた。そこから記憶がない。おぼろげに……カウンターでシェイカーを振るドクターを見た気もする……。今はレンが振っている。
「あれ……あ、ボス。おはようございます」
「おはよう、ジェイ」
レンはシェイカーの中身をグラスに空け、ジェイの元へ運んだ。
「飲んでおけ、二日酔いに効く」
「はい……ありがとうございます」
「それと、今日は休め。臨時休業だ」
レンは上着を羽織り、扉に手をかけた。
「私はリアクターを調整して家へ帰る」
続けてアルコールの分解率がどうのとブツブツと呟いていたが、ハッと我に返り扉を開いた。
「扉のロックはかけておけよ」
「はい」
閉まる扉に返事を滑り込ませ、テーブルに置かれたグラスを掴んだ。
店内は散らかっており、掃除が必要だ。カウンターもなかなかに荒れている。
「一先ず掃除かな……」
ぽつりと呟き、舌と頭に疑問符を浮かべながら謎のカクテルを飲み干した。何が入っているのかは知らないが、水分を欲していた体はすんなりと受け入れた。
ホッと息をつき――、背伸びをしてカウンターに入ったジェイは、床に落ちた手帳を拾い上げた。
「Diary……。誰のだろう?」
カウンターの様子を見る限り、人の出入りは結構あったようだ。
「……」
捲りかけた手を止め……そっと棚に仕舞った。
「さてと……、昨日の続きだ」
ジェイは改めて店内を見渡し、柔らかな笑みを浮かべた――
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