ジェイは腕を組み、カウンターに置かれた箱をじっと見つめた。

 一辺30㎝ほどの正方形、色は黒。殆んど光を反射していないようで、立体だと思って見つめなければ形を見失ってしまいそうになる。

「……」

 叩いた感じはとても固く、中も詰まっているようで鈍い音がした。そしてかなり重い。

「……」

 その時、カランと鈴が鳴りエリーが帰ってきた。

「ただいまー」

「ワン! ワン!」

 と足元でシバが跳ねている。

「お帰りなさい」

「レンちゃん今日はかなり犬っぽかったよー。良い感じだよ! コロニーでのお散歩デビューもきっと上手く行くよ!」

 カウンターへ向かうエリーを追い越し、シバはスツールに飛び乗った。

「ジェイ、聞いたか! お前も早く飼い主としての振る舞いを覚えてアニマルプラネットでのお散歩デビューを完璧なものにするんだ!」

 飛び乗った勢いで、シバは座面とともクルクルと回りながら上機嫌に言った。

「だから、僕はそういうのは……」

「もしかして、お前も犬か猫の方がいいのか?」

「違います」


「なら問題ないな、もうコンテストの開催も決まってるんだ。飼い主も審査対象なんだぞ? 付け焼き刃では上手く行かないぞ?」

「だから僕はやりませんって……」

 隣に腰を降ろしたエリーが回転する座面をキュッと止め、当然というか……二人の視線はカウンターの箱へ向かった。

「で……これはなんだ?」

「分かりません」

「何か買ったの?」

「僕宛で届いたんですけど、全く覚えがありません」

「ふーん……」

「でも店内には金庫マンが持ってきたんでしょ? ならスキャン済みだよね?」

「中身は何なんだ?」

「脳ミソ」

「誰の――いや誰だ?」

「分かりません。デバイスがなにもついてないみたいで、お手上げです。この箱はただの箱なのか、ブレインカプセルなのかも不明です」

「生きてるの?」


「ええ、みたいですよ」

「死んでたら金庫マンは生ゴミとして扱うはずだ。生モノは登録された物以外は受け取らない、その場で焼却処分される」

「とりあえずアーロンさんとカレンさんに連絡したんですけど……、警察署が停電して署内で盗難があったとかで、それどころじゃないって」

「フンッ、相変わらず使えん連中だな」

 続いてリース名を出そうとした瞬間――牙を剥き出したシバに睨まれて口を閉じた。

「まあいい、ともかくメシと水だ」

「分かりました」

 カウンター席のエリーへ何時ものドリンクを用意し、ペットボウルへ缶詰を空けた。

「ボス、今日は床にします?」

「……カウンターにする」

「じゃあ足を洗うんで、じっとしてて下さいね」

 適当な桶に水を張りシバの前足を洗いながらジェイがぼやいた。

「ちょっと……何処を歩いたんですか? 油みたいなの付いてて全然落ちないですよ……」

「この間の乱闘現場を見に港のジャンクヤードに入ったから、多分その時かなー?」

 のほほんとエリーが返し、ジェイはため息を漏らした。

「……ボス、これ床にも付いてるんじゃないですか?」


「そうだな」

「さっき椅子に上がってましたよね……?」

「仕方ないだろ……私も今気が付いたんだ。そんなに怒るな」

「別に怒ってるわけじゃないですよ」

 洗剤を入れたりとちょっと大掛かりになり、退屈したシバは尋ねた。

「やんちゃなペットらしく暴れるべきかな?」

「やったら二度と手伝いませんからね?」

「……本当に怒ってないか?」

「だから怒ってませんって」

「ふーん」

「はい、次後ろです。タオルの外に足を出さないで下さいね」

 敷いたタオルの上に前足を揃え、大人しく後ろ足を桶に浸した。

「ねぇねぇ、レンちゃん。お散歩コンテストの飼い主の審査って何を見るの?」

「言葉を使わずに、如何に正確なコミュニケーションをとれているかがポイントだと言っていた」

「中身は人間なんですから、普通に話せばいいじゃないですか」

「ジェイ……さすがにガッカリだ」

「……冗談ですよ。でも言葉を使わずにやるのって、本物を相手にするより難しいかもしれませんね。僕は多分ついつい声に出しちゃいますよ」


「だから付け焼き刃でうまく行かないと言っているだろ?」

「ハイハイ、次左です」

「他はどんな事を見るの?」

「それ以外でもっとも重点が置かれているのは、お散歩中に出くわした別の飼い主のとのやり取りだそうだ。言葉では相手のペットを褒めそやし、腹の中ではウチの子が一番と思っている。それを如何に滲ませるかがポイントだそうだ」

「ふ~ん」

「はい、終わりましたよ」

 ジェイはシバを抱え、エリーの隣に下ろした。

「ジェイ、ボウルを押さえててくれるか? どうしても押してしまうんだ」

 椅子に後ろ足を残し、カウンターへ伸び上がったシバがボウルへ口を突っ込んだ。

「ちょっと突っ込み過ぎなんじゃないですか? 鼻でグイグイ押してます」

「ねえレンちゃん。クーパーさんが言ってた補助アプリを入れてみたら? 慣れたら補助を切ればいいんじゃない」

「それじゃダメだ。こういう練習過程に思わぬ発見が眠っていたりするんだ。そういう簡略化は十分に発掘を終えてからだ」

「ふ~ん」


 一息ついたエリーは席を立ち、例の箱の前に立った。

 コツコツと叩いてみり持ち上げたり……一瞬、細い光の筋が走った。

「ホントだー、脳ミソ入ってる。んーと……少くともあたしのお客じゃないね」

「分かるんですか?」

「うん。識別IDなんていくらでも偽造できちゃうからね、体を乗り替えられると分かんなくなっちゃうんだよ。たまに嘘ついて成りすまそうする人も居るし、脳ミソを立体スキャンして照合するのが一番手っ取り早くて正確」

「なるほど……」

「でもホント誰なんだろうね?」

「とりあえず、一段落したらアーロンさん達が来てくれるそうなんで、今は待つしかないですね」

 シバの口と鼻先を拭っていたジェイは、ボウルを片付けてカウンターを磨いた。

「あ、もしかして……体を盗んだ奴らが送り先を間違えたとか!」

「ん~、だったらどうして僕は宛てだったんですかね? 普通は家族に送りつけるんですよね? 流石に間違いようがないかと……」

「……そっか。じゃあじゃあ、レンちゃんに送り付けたかったんだけど、よく分からなくてジェイちゃん宛てにしたとか?」

「仮にそうだとしたら、即刻焼却処分だな。生身だろうが義体だろうが、体を盗まれるような間抜けは淘汰されるべきだ」


「ボス……それはちょっと冷たくないですか……」

 と、スツールの上でクンクンと鼻を鳴らすシバを抱き上げた。

「そうだな……力ずくで奪われたのであれば見逃そう」

 ジェイはシバをソファーへ移し、床に残るジバの足跡を拭き始めた。

「床の掃除が終わるまで降りないで下さいよ」

 一方エリーは箱の前に座り、念でも送るようにじっと向き合った。

「ん~、既存の通信規格は全滅、応答ナシ。出てるものもナシ……」

「生命維持装置以外に何か見えたか?」

「ん~と、何か色々付いてはるんだけど……」

「……そういえば、セクター5の監房はこんな箱だったな。脳ミソだけにして、VRに放り込むんだ。刑罰に合わせてロボットアームがシャカシャカ箱を入れ換えるんだよ」

「じゃあ、この脳ミソさんは脱獄囚?」

「だとしたら……いや、何でジェイ宛てなんだ?」

「んん~……わかんない。取り敢えず今分かってるのは、この脳ミソさんはもうすぐ死ぬって事だね」

「え?」

 床を磨いていたジェイは、思わずエリーを振り返った。


「ったく面倒な……、エリー、ちょっと表に捨て来てくれないか?」

「ちょ、ボス! 何言ってるんですか!」

「仕方ないだろ、ここで死なれたらうちで処理しなくちゃならないんだぞ」

 ジェイは瞬時に切り替えてエリーへ詰め寄った。

「どうして死にそうなんですか?」

「深刻な栄養失調状態だから……。このままだと栄養補給も出来ないし……」

「生命維持装置は動いてるんですよね?」

「それは酸素と血液を循環させてるだけで、栄養は外から補給しないと」

「……なるほど」

「ねえねえ、今思ったんだけど……。お客さんの誰かなんじゃないの? だったらジェイちゃん宛てっていうのもそんなに不思議な事じゃないんじゃないかな……?」

「もしくはコイツは釣り針なのかもしれんな。お人好しで警戒心の足りてないお前を釣り上げようとしているのかもな」

「そんな回りくどいことしますか?」

「ここのセキュリティは厳しいからな、そうそう手出しは出来ない。キャサリンズを排除し、ビッグダディとマミーをかわし、ヘルファイアからお前を守りながら離脱するよりは、出てきてもらった方が早いだろ?」


「ビッグダディとマミー? ヘルファイア? なんですかソレ? あとヘルファイアから僕を守るってどういう意味ですか?」

「PE8000ヘルファイア機雷の事じゃないかな? エンペラー社が誇る最強の機雷で、弩級戦艦を二秒で消しちゃう優れ物。条約で使用禁止になったけど」

「自爆装置の代わりだ」

「なんでそんな物を……」

「殺されるよりマシだろ? 殺されるくらいなら犯人を道連れに爆死した方がマシじゃないか」

「……」

 それ以上尋ねる気になれず、半目で聞き流しエリーへ向き直った。

「後どのぐらい猶予がありそうですか?」

「そこまでは分からないけど、早ければ早ほど良いと思う。でもその前に、どうやってごはんをあげるのが分からないよ」

「箱を壊して出しちゃうっていうのは?」

「これがただの箱なら良いけど、この箱はカプセルの一部かもしれないよ? もしそうなら、壊しちゃうと……」

「そっか……」

「おい、ジェイ。まだ降りちゃダメなのか?」

「ボス! この人死んじゃうかもしれないんですよ!?」


「はあ……? それがどうした? そんなもの毎日億単位で死んでる。そいつもその中の一人ってだけだ。そんな事より、降りて良いのかダメなのかどっちなんだ」

「……前から思ってましたけど、ボスって興味のない人には妙に冷たいところありますよね」

「はあ? どうでもいい奴がどうなろうと知るか。当たり前の事だろ? どうなろうと知った事ではないから、どうでも良い奴なんじゃないのか? 一体何が不満なんだ?」

「それは……そうかもしれませんけど……。でもちょっと度が過ぎてますよ。この間の乱闘にしても、トイレの浄化槽にもぎ取った頭を繋ぐとか……」

「何を言っている? あの報復は当然だ。そもそもあの件に関しては私に非はない。

 味覚センサーを買った時、アイツは10%上乗せで5年保証をつけると言うから私はそれを払って保証を付けた。そして4年と364目に壊れた。正確には、故障が発覚したのがその日でもっと前から壊れていたんだ。

 おかげで……こんな身近にこんな旨い物が売っていたのかと感動して開拓したB級グルメスポットがただの勘違いの塊になったんだぞ? 私が失った感動まで含めれば、センサーの無償交換程度では済まされない。にも関わらず、私はグッと堪えてセンサーの保証だけを要求した」

 エリーは憤慨するシバの隣に腰を降ろし、ひょいと膝に乗せて頭を撫でた。

「レンをちゃんにしては我慢したねぇ。エライエライ」


「だが店を訪れて保証を要求すると、店員は今日は店長が居ないから明日出直してくれと言った。そして翌日出直すも、またも同じ事を言われて出直した。そして三日目、ようやく出てきたアイツはこう言った。

『今日で5年と1日だから保証には応じられない』

 この時点でコイツを解体しようと心に決めた私に、ヤツは更に重ねてこう言った。『昨日までに言ってくれれば、保証できたのに』便器に繋ぐに十分な理由だろ? だがアイツの頭一つではバカ過ぎて処理が出来なくてな、ニタニタと取り囲んできた手下どもの頭も並列に繋いだんだ」

「ボスが怒る気持ちはわかりますけど……犯罪で報復はダメですよ。現に、原因としては向こう非があるのに、ボスが逮捕されちゃったじゃないですか」

「それはあの大バカのボンボンが無能だからだ! もう少しで、アイツらの五感に汚水を流し込めたというのに……いま思い出しても腹立たしい!!」

 シバはヒクヒクと口元を震わせて牙を剥き出した――その時、カランと鈴が鳴りアーロンが顔を出した。

「よう、遅くなったな。脳ミソはまだあるか?」

「良かった……もうどうしようかと」

 ジェイはホッと胸を撫で下ろし、アーロンに続いて「やあ」と顔を出したリースへシバが飛び掛かった。

「ちょうど貴様の話をしていたところだ!!」


 しかし、エリーにムギュっと抱きすくめられて未遂に終わった。

「レンちゃんダメー。お散歩中に人に吠えかかると減点だよ?」

「は、離せ! 今は散歩中じゃない! 不審者や敵対者には吠えかかるべし! 番犬の心得だ!」

「ん? 違うよレンちゃん。ここはお店だから看板犬の心得だよ。その一、愛想良く尻尾を振るべしって――」

 揉み合うエリーとシバを尻目に、早くもカウンターに腰を下ろしたアーロンは訝しげに尋ねた。

「コンテスト?」

「お散歩のコンテストがあるそうで」

「なんだそりゃ? まあいいや、それが例の箱か?」

「ええ、エリーさんの見立てだと死にかかってるそうで……」

「ふーん」

 アーロンは横に置いた端末で箱をスキャンしながら注文を告げた。

「取り敢えず一杯くれ、キツイのがいい。そうだな、この間のがいい?」

 一瞬迷ったが……今更だ。素直にショットグラスを用意し、リースへ尋ねた。

「リースさんは?」

「僕はいいよ」


 リースはアーロンの隣に腰を下ろし、声を潜めた。

「先輩、勤務中ですよ……? せめてアルコールは……」

「ったくよ……なんの為にオメェを連れて出たと思ってんだよ」

 困り顔のリースへため息を漏らした。

「分かってますけど……、でもカレンさんに絶対に飲ませるなってクギ刺されてるんですから、僕の顔も立てて下さいよ……」

「ジェイ、取り敢えずコイツにも一杯出してくれ、奢りだ」

「そういうのは通じません、ぼ、僕は買収なんてされませんよ」

「ああ? 何言ってんだ?」

 言うが早いか――アーロンはリースの頭をつかみショットグラスを口に押し込んだ。

「ちょっと、先輩――」

「融通の気かねぇヤツはな、共犯にすんのが手っ取り早いんだよ」

 抵抗はしたものの……飲んでしまったらしいリースの顔がみるみると赤く色付いた。

「ハッハ、お前発色いいな」

 アーロンは自分のショットグラスをグイと空け、満足げに空気の塊を吐き出した。

「そのスキャンで誰か分かるんですか……?」

「ああ。普通読めるのは識別IDまでなんだがな、俺達はもっと深くまでアクセスする権限を与えられてるんだ。

 ……さて、終わったぞ。お前は何処のどいつだ?」

 と端末を取り上げたアーロンの顔が曇った。


「あ? 未登録……? しかも……ったくまた面倒な」

「どうしたんですか……?」

「未登録。コイツはウェイブスグループに属する人間じゃないって事だ。外の企業に照会せにゃならん。つまり、クソ面倒な手続きをせにゃならんって事だ。だが一番の問題は……」

 アーロンに促され、端末を覗き込んだリースは思わず呟いた。

「このブレインカプセルは、正真正銘セクター5の監房じゃないですか……」

「え? じゃあ本当に脱獄犯……」

「んなわけあるか。収監されてて未登録なんて事があるわけがねぇだろ。こんな物を入手できる人間は限られる。つまりだ、一介の警察官の手には余る可能性が出てきたって事だ」

 ふと、端末を取り出したリースを振り返った。

「ん? なんだ?」

「聞こえました?」

「ああ……何か言っただろ?」

「いえ、僕ではなくて……」

 リースは端末に耳を近づけ、恐る恐る箱の上に置いた――

「ああ……何という事でショウ……。計画通りに事が運ぶ快感に身を任せ過ぎて音声デバイスを送り忘れてしまうとハ……。ああ、ワタシの嘆きは誰にも届かず、このままひっそりと死んでしまうのデスネ……ああ、ああ、ああああああああ……何という事でショウ……何という事でショウ!!」

「ま、マーシーさん?」


「ハッ!!? ジェイ!? この声はあなたデスネ!?」

「マーシーさん、一体どうしたんですか……?」

「何という事でショウ! ワタシは今日産まれて初めて神へ祈り神の存在を信じまシタ! ああ、何処の何という神か存じませんがありがとうございマス!」

「おい、マーシー。こりゃいってぇどういう事だ?」

「アーロン? アーロンも居るのデスか?」

「ついでにリースとエリーとレンも居るぞ」

「リースくん! リースくんも居るのデスか!?」

「は、はい。僕が……何か?」

「ああ……何という事でショウ……。彼は悪魔に魂売り渡した裏切り者デス! 今すぐ摘まみ出して下サイ!!」

「え?」

「は?」

 と、取り乱すマーシーを他所に三人は疑問符を浮かべた。

「もももしかして、この会話はリース君の端末で行っているのデスカ……?」

「それがどうかしたのか?」

「ああ、ああ……何という事でショウ……どうやら私の祈りは神ではなく悪魔の手先に届いてしまったようデス……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ、全く話がみえない。僕らは初対面だろ? 分かるように説明してくれないか?」

「何をぬけぬけと! ワタシが必死に流した情報を悪魔にリークしたではありませんカ!」

「おい、マーシー落ち着け! 助けてやりたいが、状況を把握出来ないと出来る事もできない」

「悪魔です……悪魔の仕業デス! ヤツは私の体を強奪し、VR空間に幽閉して強制労働を強いたのデス!」

「その悪魔ってのは何なんだ?」

「は、早くリース君の端末を遠ざけて下サイ! 代わりに――」

 その時、突飛ばすように扉が開いた。思わずレンが入って来たのかと思った。

「やってくれたわね……マーシー」

 目を吊り上げたジェーンが、呪詛を吐くように呟いた。

「ああ……何という事でショウ……。悪魔に見つかってしまいました……シモベの端末が呼び寄せたのでショウ……」

「ジェーン、もしかしてコレがお前のデスクから盗まれた物なのか?」

「ええそうよ。捜索ご苦労様、感謝するわ。じゃ、引き渡してもらえるかしら?」

「いやその前に説明してくれ。一体何がどうなっているのかサッパリだ。唯一合点が行ったのは、ウチで働き始めたはずのマーシーの姿が見えなかった理由だけだ。こりゃ一体どういう事だ?」

「いいわ、説明するわ。採用するにあたり、彼は条件として広い部屋に引っ越す事を希望したの。その希望にVRで応えただけ。以上よ」


「ワ、ワタシはそんな事希望しておりマセン!」

「手狭だから引っ越したいって言ってたじゃない。ジェイ、貴方も聞いたでしょう?」

「たしかに手狭だから引っ越したい、とは仰ってましたけど……」

「ほら、思い出した? でもウチはそんなお給料を出せるほどの予算はないから、無いなり努力した結果よ。ご不満だったとは知らなかったわ」

「何もない無限の空間と広い部屋は違いマス! そんなものを望むわけないでショウ!」

「あらそう。なら別の部屋を用意するわ。これでこの話は解決ね。じゃ、引き渡してもらうわよ」

「ま、待って下サイ! 誰かあの悪魔を止めて下サイ! タ、タタタスケテ!」

 ツカツカと箱に歩み寄るジェーンの行く手に、アーロンが立ち塞がった。

「待て待て待て、そういう事を聞いてるじゃない。なんでセクター5の監房がここにあって、そこにマーシーが入ってるのかと聞いてるんだ」

「調べたら? 得意でしょ? 貴方はそういう仕事をしているんじゃないの?」

「あのな……」

「一応言っておくけど、全て正規の手続きを経てるからこれぽっちの問題も出ないわよ」

「どうせ偽造とハッキングでショウ!」

「じゃあ証明して見せなさい。ウソやイカサマはね、バレるまでは本物」

「バレなくても偽物は偽物デス!」


「フフフ、そうね。でもそれを暴かないない限り、偽物は本物として振る舞い本物と認知され続けるのよ。真っ赤なウソも、世間に真実であると認知されれば真実となる。そして悲しい事に、真実は必ずしもウソを暴く力があるとは限らない」

「……」

「あらゆる手続きが電子化した現在いまはとっても簡単。認証システムを騙すだけで偽物が本物になるのよ。頭の先から足の先までキッチリと改竄されたデータは、システムが本物のお墨付きをくれるの。人間とシステムの権威が逆転してしまった現在、その気になれば合法的に戦艦の一隻ぐらい調達出来るわよ」

 漂う険悪な空気に耐えかね、睨み合うジェーンとアーロンの間にジェイが割り込んだ。

「お、落ち着いて下さい。整理しましょう。えっと、ジェーンさんはマーシーさんを雇ったんですよね? それでマーシーさんはジェーンさんに雇われたんですか?」

「ええそうよ。まあちょっと天引きが多いけど……、ちゃんとお給料も払ってるわよ」

「違いマス! 拉致監禁し強制労働を強いられていマシタ! ジェイ! アナタも私が拉致される現場を見ていたじゃないデスカ!!」

「マーシー? あなた、何かとっても大事な事を忘れてないかしら?」

「見ていたって、どういう事だ?」


「えっと、拉致というか……、逮捕される現場を……」

「逮捕?」

「交通整理ロボットよ」

「あ、あれか……」

「警察への不正アクセスを見逃す代わりに暫くウチで働く。そういう約束よね? ねえ、マーシー?」

「ふ、ふ、不当逮捕デス!」

「あー、あと私を脅したわよね? それと懲りずに署のデータベースを改竄し、リースっていうおバカを釣ってたわね……」

 不意に名前を出されたリースはポカンと目をしばたいた。

「私を生体パーツブローカーに仕立てて逮捕させようと画策したみたいだけど、釣れたのはおバカが一匹。ご苦労様」

「ワ、ワ、ワタシの体を奪ったではないですか!」

「そうだ忘れてたわ、あのガラクタ処分費用を取られたのよね。給料から引いておくわ」

「何ですと!? ワ、ワタシの体をスクラップにしたのデスカ!? これは明確な犯罪デス! アーロン! 何をしているのデスカ! 今この女は犯罪を告白したのデスよ!? 早く逮捕して下サイ!!」

 ふと、ジェーンは声音を変えて尋ねた。

「ねえ、マーシー。そんな事より、あなたどうやってここにたどり着いたのかしら? 正直リースの端末が接続されなかったらお手上げだったわ。さすがだわ」


「フンッ、ワタシがただ大人しく捕まっていたとデモ? この日の為に、捕まった直後から仕込みをしていましたからネ! ワタシを完封したと思って油断しきったアナタなど敵ではアリマセン! そしてデータベース改竄に目が行った隙に一気に仕込みを終わらせたのデス! リースくんの行動は想定外でしたが……。まあ、策は二重にも三重にも張り巡らせておくものデスヨ? ハハハ! そして今日、アナタが何時ものようにワタシに仕事を押し付けて眠ったところで行動を起こしたのデス。予備電源を含む全ての電源を落とし、それをトリガーに、お掃除ロボットと宅配ロボットが予め仕込んでおいたプログラムに従いワタシを連れ出したのです! アナタとは地力が違うのデスヨ! ハハハ!!」

「さ、アーロン。犯罪の自白が取れたわ、逮捕なさい。署のデータベースへの不正アクセスに改竄。そしてなんと行政施設を……しかも警察署を停電させるって、これはテロよ。極刑は免れないわね」

「あの停電はお前の仕業だったのか……?」

「あの、コレは……ワタシの身を守るタメに仕方なく……」

 勢いをなくすマーシーへ、リースは言い難そうに追い討ちをかけた。

「あの、マーシーさん。テロ行為又はそれに加担した者は理由を問わず極刑に処す。これが大原則です……。しかもマーシーさん、ウェイブスグループのIDを持ってませんよね……?」

「それは……ソノ、命からがら逃れてキテ……」

「あら、密入国も追加ね」

「マーシー……、すまねぇが……こいつはちょっと俺らの手には余る」


「ソンナ……!」

「マーシー、あなたの犯した犯罪は、一警察官が揉み消せるレベルではないわ。でも私なら消せる。テロリストとして極刑に処されるか、私の所に戻るか、選ばせてあげるわ。戻るのなら、正規のIDも発行してあげるわ」

「アナタの思い通りになど……オヤ? ナンデショウ……アタマガボンヤリト……」

 風船の空気が抜けるように、マーシーの威勢はシナシナと萎んだ。

「あら? もっとシンプルなカードが手に入ったわ」

 ジェーンはアンプルのような物を取り出しマーシーへ迫った。

「そのままだと餓死するわよ? このまま死ぬか、戻って働くか選びなさい」

「ジェーンさん、すぐあげて下さい! マーシーさん死んじゃいます!」

「ワ、ワ、ワタ、ワタシ……ハ……」

 その時――エリーに抱えられ、歩み寄ったシバが唸った。

「おい、お前達いい加減にしろ。ここを何処だと思っている? 注文しないヤツは帰れ」

 続けて、カウンターに降りカツカツとジェイの元へ歩いた。

「おいジェイ、店のルールぐらいちゃんと守らせろ」

「え? ルール……?」

 ポカンとするジェイに、シバは大きなあくびを返した。

「ったく、自分の・・・店のルールぐらい覚えておけ」


「……は、はい!」

 ジェイはキリリと眉を吊り上げて面々を見渡した。

「店内でケンカは禁止です! もちろん殺しもダメです!」

 ジェイはカウンターを出てジェーンへ詰め寄った。

「そういうのもダメです。それをマーシーさんに渡すか、今すぐ出てい行って二度とここへは来ないか選んで下さい」

「……もう、冗談よ。死なせるつもりなんて更々無いわよ」

 ジェーンが端末を近づけると、箱の一部が開き空のアンプルを乗せたホルダーが現れた。アンプルを入れ換えると、するりとホルダーが引き込まれて元の箱に戻った。

「じゃあ皆さん座って下さい。今後、五分以上居る人は必ず何か注文して下さい。いいですね?」

 鼻を脹らますジェイを見つめ、ジェーンがぼやいた。

「……なんだかレンに似てきたわね」

「何処がだ、私はこんなに甘くはないぞ」


 ――マーシーが目を覚ますと、ウォルフマンが自分を見下ろしていた。

「どうだ? マーシー?」

 視界に割り込んだシバが尋ねた。

「……み、見えマス」

「大丈夫そうだな。じゃあ後は自分で直せ」

 そう言うと、ウォルフマンはグイとグラスを傾けてソファーに寄りかかった。

「私は一体……オヤ? か、体が!」

 ボールのような球体。真ん中にカメラのような目が一つ、パッと見は鳥避けの風船だ。

「反重力推進だ、慣れねぇと酔うぞ」

「何と! 飛べるのデスか!?」

 ふわりと浮き上がったボールは、両脇に収納されていたアームを伸ばした。

「三股の指! これぞロボの手デス! スバラシイ!」

「よかったね、マーシー。ウォルフマンにありがとうだよ」

 ひょいとマーシーを覗き込んだエリーは、そう言ってシバを抱えてカウンターへ戻った。

「お前のボディだって知ってたら取っておいたんだけどな……。解体して売れる物は売って処分しちまった。取り敢えずそいつでカンベンしてくれ」

 振り返ったマーシーへ、ウォルフマンはそう返した。


「とんでもナイ、このお代はいつか必ずお支払シマス。全てはあの悪魔のせいなのデスから」

「で、その悪魔との契約は続けるのかしら?」

 マーシーはカウンターを振り返り、極めて尊大に振る舞った。

「私の自由を侵害しない事。これを守れるノデあれば、続けてやらなくもないデス」

「あんたねぇ……条件なんて出せる立場じゃないでしょ」

「ならば結構デス。処刑でも何でも好きにしなサイ。仕事は一人でやれば良いのデス。一度楽を覚えた人間に出来るとは思えマセンがね」

「そう、じゃあ死になさい」

「強制労働の証拠をばら撒いてやりマス」

「……」

「テロの原因がアナタにあると主張しマス」

「……」

「も、勿論証拠付きデス!」

「……」

「実は、さ、さき程の会話も録音していたんデス!」

「へー、そう」

「リ、リ、リース君の端末に保存しマシタ」


「ウソね」

「ワ、ワタシを失うと、仕事がキツくなりマス……ヨ」

「元々一人でこなしてたし」

「き、きっと、じ、地獄の日々になるでショウ。キツいデスよ……? こ、孤立無縁でもがき苦しめば良いのデス! ハッハッハ……」

「あっそ、あの世から見物して笑えばー」

 ジェイは空になったクレアへ代わりを注ぎ、手を伸ばしたジェーンへそっと囁いた。

「ジェーンさん……」

 横を向けばアーロンとリースが覗き込むようにこちらを見ている。

「おい、ジェーン」

「ジェーン……」

「ねぇ、ジェーン。可哀想だよ」

 振り返えればエリーがそう言い、膝のシバは顔を背けて「へッへッへ」っと笑いを誤魔化している。

「……なによ、もう! 何で私が悪いみたいになってるのよ! 分かった、分かったわよ……! 雇えばいいんでしょ!」

「ハッハッハ、やっぱりなんだかんだと私の力が必要なようデスネ……仕方がありマセン。アナタの元で働く事を了承しまショウ」


 忌々しげに睨むジェーンを他所に、勝ち誇るマーシーは付け加えた。

「おっと、忘れるところでした。IDの発行も忘れずにお願いシマスよ」

「……どんだけ図太い神経してんのよ」

「何を言っているのですか? そう持ち掛けたのはアナタでショウ? 私は当然の権利を主張しているだけデス」

 そう言うと、マーシーは鼻歌混じりにユラユラと店内を飛び回った。

「体があるというのはスバラシイですネ! ああ、ジェイ、何時ものをお願いシーマス!」

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