理由(わけ)
BARエデンライト。夕刻以外は数人の常連が訪れる程度の小さな店だ。最近、その常連が一人増えた――
「いらっしゃいませ。リースさん」
「やあ、アイスマン」
相変わらず、リースはジェイの事をアイスマンと呼ぶ。
何時ものトニックウォーターを準備するジェイへ、リースが注文を付けた。
「アルコール入りで頼むよ、今日の勤務は終わりなんだ」
「畏まりました」
グラスに口を付け、ホッと息をつくリースへ尋ねた。
「いかがですか?」
「うん、ちょうど良いよ。次回からこれでお願いするよ」
「はい」
「それで……Mr.ウォルフマンは来るかな?」
「ここのところ午前中にいらしてますから、多分」
「そっか」
早くも落ち着きをなくしモゾモゾとするリースへ、ジェイはとても言い難そうに付け加えた。
「あと……この時間帯はほぼ間違いなく――」
っとジェイの言葉を遮り、突き飛ばすように扉が開いた。
黒髪のボブカットに黒を基調としたフリフリのドレス……。
「おはようございます。ボス」
「ジェイ、何をしている? でかいゴキブリが居るぞ早く始末しろ」
「ゴキブリじゃない。僕は客だ」
「おいジェイ、ゴキブリが喋り始めたぞ早く始末しろ。何をしている、二足歩行を始める前に早く始末しろ」
「リースさんはお客様ですよ。それに、逮捕されたのはボスのせいでしょ? 乱闘の映像見ましたよ。あれは乱闘ではなくて戦闘です。いや虐殺です」
「いいんだ、アイスマン。気にしないでくれ」
ツカツカと靴を鳴らし、カウンターへ入ったレンは不機嫌を盛りに盛った顔を突き付けた。
「どうしてお前はコイツの肩ばかりを持つんだ?」
「どうしてボスはリースさんを敵視するんですか?」
「そんなに私が気に入らないか? 見ろ、店だって元通りに直したぞ」
「ボスの事は好きですよ。お店の事も、僕の事も本当に感謝してます」
フンッと鼻を鳴らし、レンは何時ものドリンクを引ったくって仮眠室へ引っ込んだ。
「アイスマン、本当にいいんだ、気にしないでくれ」
ジェイはため息を漏らし、チラと仮眠室を窺い声を落とした。
「あの……元々お知り合いなんですか?」
「ああ、ちょっとね……」
「……付き合ってたとか?」
その時――仮眠室の扉が勢いよく開き、レンはビッとリースを指差した。
「そいつを一歩でもこちらに近づけたら、店もろとも爆破するからな。いいな?」
「はいはい……分かりました。起こすのは何時もの時間でいいんですか?」
その問いには答えず、プイッっと踵を返して荒々しく扉を閉めた。
「なんか拗ねちゃってて……この間からずっとあの調子なんですよ」
それから暫くの間、特に会話はなく……物思いに耽るリースのグラスから、時折涼しげな氷の音色が聞こえた。
「レンと初めて会った時、僕は五歳だった」
ふと、リースが切り出した。
「その時はもう既に全身義体で、男なのか女なのか分からない奴だったよ」
リースは顔を上げ、少し言い難そうに続けた。
「長くなると思うけど……良いかな? 君には話しておいた方が良い気がするんだ。それに、僕は一方的に君の事を見聞きして……それはちょっとズルい気がするんだ」
「そんな気遣いは不要ですよ。でも……、リースさんの事はもっと知りたいですね」
リースはニコリと笑みを浮かべ、強めのドリンクを頼んで口を湿らせた。
「僕の親父はアドラの現CEO。知ってるとは思うけど、アドラはこの銀河を支配するウェイブスの一族とは親戚関係にある。……僕は、所謂金持ちのボンボンだったんだ。『だった』っていうのは、もうアドラの一族とは縁を切ったから……」
そう言って、少し寂しげに微笑んだ。
「親父は見た目は精々三十才といったところだけど、御年百五十の爺さんだ。そして僕はその若作りの爺さんと本当に若い秘書との不倫の末に出来た子供なんだ。
でも親父は本当に可愛がってくれた。他の兄弟を差し置いて自分の後を継がせようともしてくれた。親父だけじゃなく兄弟達も本当に可愛がってくれた。兄弟といっても、親父と同じく見た目は若いが、中身は皆七十八十の爺さんと婆さんの異母兄弟で、実の孫のように扱ってくれたよ。因みに、母は僕が生まれてすぐに手切れ金を貰って蒸発したそうだ」
リースは口の滑りを良くするかのように、矢継ぎ早にグラスを傾けた。
「レンと出会ったのは、五歳の誕生日を迎えたその翌日だった。親父と一緒に現れて、突然紹介された。肩書きや、何者なのかという説明は一切なく『こちらはレン・スメラギさんだ』ただこれだけ。また新しい研究者が来たのかな? ぐらいの認識だった。当時の姿は……白衣が似合いそうなお姉さんだったし。で、僕の頭を撫でて、君が噂のリース君かって」
リースは傾けたグラスを戻し、慌てて付け加えた。
「ああ、そうだった。一つ言い忘れていた。当時の僕はある界隈でちょっとした有名人だったんだ。僕の父は、僕が生まれる数年前まで大部分を機械化したサイボーグで……その、不能というか……無かったんだ。おまけに中身は百五十の老人。でも、生体パーツや再生技術の進歩のおかげで、体をまるまる作って乗り換えたんだ。
僕は再生と人口的に製造した肉体を使って出来た初めての子供なんだ。理論的には可能とは言われていたんだけど、それまで実例は無くってね、医療関係者や生体パーツメーカーなんかが僕を調べたがったんだ」
何か尋ねたそう気配を察し、リースは先回りして答えた。
「僕は全くの健康体だよ。これと言って問題も起こっていない」
リースは一息にグラスを空け、話を続けた。
「結論から言うと、レンは研究者ではなかった。僕が持つ特殊な事情の方には全く興味がない様子で……強いて言えば、僕という人間に興味があったんだと思う。ただ普通に話をしただけだった」
リースは氷だけになったグラスを揺らし、記憶を掘り起こした。
「当時の僕の家は大型の宇宙船で、一度も外へ出た事がなかったんだ。そんな僕に、レンは外の事をたくさん話してくれた。人が住む全ての銀河を巡り、その外にも行った事があると言っていた。
僕は当時からMr.ウォルフマンのファンでね、外の話をもっと聞かせてくれとせがんだんだ。いつかMr.ウォルフマンのようなトレジャーハンターになるんだって、当時は固く信じていたからね」
自嘲気味な笑みと共に、リースは空のグラスを差し出した。
「外の話か……それは僕も聞きたいな。あの人、僕には全然話してくれないんですよね。昔はあちこち飛び回っていたって話は時々聞くんですけど、本人に聞いても全然答えてくれなくて……。
外に出るきっかけや理由付けみたいなものが見つかるかなと期待したんですけどね……」
「そっか……、君はここから一歩も出たことが無いんだったな。でも、僕の場合とは事情が違う。僕は出してもらえなかったというだけで……君の場合は、その……心の問題なんだろ? 心に逆ったり刺激するのは良くないと聞くよ。レンはその辺を気遣ってるんじゃないかな」
代わりを注いだグラスを置き、ジェイは僅かに声を落とした。
「これは……まだ誰にも話してない事なんですけど……。僕は出れないんじゃなくて、出ないだけなんですよ。外に行こうとすると、扉の前で足がすくんだり動悸がしたりとかはたしかにあります。でも、だから出れないのかと問われれば……実は少し違います。
僕の断片が疼くんです。もう少しここに居るべきだと……外へ出る前に思い出さないといけない事がある気がして……」
「断片?」
「失った、かつての僕の
「なるほど……。なあアイスマン、多分レンは知ってるぞ」
「……どういう事ですか?」
「話の中身をって意味じゃない。ひねったりせず普通に考えてみてくれ」
「……?」
「例えばだ、君はごく一般的な家庭に生まれた。親兄弟と暮らし、外には気の置けない友人も多数いる。そして君は体にちょっとトラブルを抱えていて医者の世話になっていたとしよう。この場合、さっきのような話はまず誰にする?」
「お医者さん……ですかね」
「次は?」
「両親や兄弟ですかね……」
「レンは、君にとってどういう位置付けなんだい?」
「……」
「君は……レン以外には、割りとそういう話をしているんじゃないか?」
「……ええ、してますね」
「多分この間の一件は引き金だったというだけで、拗ねた本当の理由はその辺にあるんじゃないかな?」
「たしかに……そうかもしれません。ボスにはなんか言いづらくって……。そう言えば、アーロンさんにも同じ事を言われたんでした……」
「アイツはきっと力になってくれるよ」
「それもアーロンさんに言われました……」
ジェイはバツが悪そうに頬を掻き、誤魔化すように尋ねた。
「なんか変な感じですね。リースさんとボスは仲が悪いのにボスの事を高く買ってて……」
「どうしてだろうな……。僕は本当にレンが憎くてしょうがない筈なのに憎みきれないというか……そうだな、君がMr.ウォルフマンと毎回交わす挨拶があるだろ? 多分あれと同じだよ。ちょっと過激で……本気なだけだよ」
「……なる……ほど?」
リースはグラスを揺らし、カラカラと氷を鳴らした。
「えっと……何処まで話したっけ……」
「すみません、話の腰を折っちゃって……。ボスがリースさんを訪ねて来て、リースさんは幼い頃からMr.ウォルフマンのファンだと」
「そうそう、僕は将来トレジャーハンターになると心に決めていたんだ。それで、将来に備えてリアルな体験談を聞きたかったんだ。そしたら……」
リースはグラスを半分ほど空け、険しい顔で続けた。
「『では、お前の父とその兄弟と親戚、そしてお前の兄弟達がどれほど多くの人を殺し、振り撒いた不幸を金に変えてきたか、その歴史から語らなくてはならない。よく聞け』今でも一言一句覚えている。
当時、僕は五歳だぞ!? よく意味が分からずポカンとしていたが、僕の一族は多くの人を殺し、多くの不幸をばらまいたというその言葉は、呪いのように僕の心に深く刻み付けられた……」
リースは残りを飲み干し、空のグラスを弄びながら話を続けた。
「でも勘違いしないでくれ、僕は当時のレンのやり方は気に入らないが、やった事のそれ自体には感謝している。レンにかけられた呪いが、洗脳に近い教育を受けていた僕にそこから抜け出すチャンスをくれたんだ。もしもレンが現れなかったら、今の僕は居ない。僕は親父や兄弟達と共に綺麗事を並べ、そしてそれを本気で信じていただろう」
「その後もボスはリースさんの元に……?」
「ああ。時々顔を見せては、僕が受けていたアドラとウェイブスどっこいしょの教育を否定し、その度に親父が摘まみ出した。でもある時からパタリと顔を出さなくなって……。
次に現れたのは僕が十五才の時だ。てっきり親父に消されたのかと思っていたから驚いたよ。その歳にもなれば、レンにかけられた呪いのおかげで、親父や兄弟達の裏の顔もそこそこ知っていたからね……。で、十年ぶりの再会した時には、既に今のような感じだった。
『このクソガキはまだこんな所に居るのか? さっさと宝探しに行ったらどうだ?』
というのが再会した第一声だ。僕は普通に再会を歓迎するつもりだったからね、さすがに頭にきて口論になって、結局親父に追い返されたんだ。レンと直に会ったのはそれが最後。でも……」
やや目が座ってきたリースは、思い出したように笑みを浮かべた。
「レンと再会して間もなく、まず教師のアンドロイドがおかしくなった。端々にまるでレンのような嫌みや皮肉を混ぜ、廊下を掃除していたお掃除ロボットが部屋に侵入して寝ている僕を蹴飛ばすんだ、『おい、早く宝探しにいけよ』って。アイツが関わっている事は間違い無かった。
親父は、おかしな言動を取るアンドロイドやロボットを見つけては対処していたんだけど……本当にしつこくてね、こっちを修理すればあっちがおかしくなり、あっちを処分したらまたこっちがおかしくなりで、永遠とイタチごっこが続いよ」
リースはシャックリとゲップを押し戻し、グイとグラスを空けた。
「最初は本当に鬱陶しかったんだけど……僕はだんだん楽しくなってきてね、如何に親父に見つからないように使い続けるかというゲームをやるようになった。僕の身の回りの世話は、基本的にアンドロイドやロボットが担っていて、人との接触は極端に少なかったんだ。もしかしたら……僕はおかしくなったアンドロイドやロボットを通じて、レンという生きた人間との繋がりを維持しようとしていたのかもしれないな……」
リースはグラスに残った僅かな氷と、溶け出したぬるい水を流し込んだ。
「そして……僕はマリアというアンドロイドを約一年近く隠し通した。
彼女はちょっと変化球でね、発言や情報アクセスの制限が一切なくて、社の機密情報にも勝手にアクセスしてペラペラ喋っちゃうんだ。社の事だけでなく、彼女を通して本当に色んな事を知ったよ。
そんなある日、彼女は自我に目覚めている事が分かったんだ。もし親父に知れたら……、普通ならクビだけど、彼女の場合は間違い無く秘密裏に処分される。だから僕は彼女を連れて逃げる事にしたんだ」
リースは目を伏せ、モジモジと続けた。
「実は……僕は彼女の事が好きになっていてね、彼女へ想いを告げて……その、つまり……駆け落ちしたんだ」
「ロマンチックな展開ですね」
差し出されたグラスを受け取ったものの、ジェイはとまどった。
「リースさん、そろそろ止めておいた方が……」
「大丈夫だよ、このぐらい。もっと……もっと強くてもいい」
言葉とは裏腹に、リースの舌はもつれ始めていた。往々にして、酔っ払いは酔っ払った事実を認めないものである。
「これで最後ですよ」
受け取ったグラスをグイと傾け、リースは話を続けた。
「僕らはこっそり貨物船に乗り込んで、アドラの支配域の外まで逃げる事に成功した。でも……その先で事故が起こった。泊まったモーテルでトラブルに見舞われてね……僕は体の一部を失い意識不明。目が覚めたら病院で、マリアは書き置きを残して姿を消してた」
引きつった笑みを浮かべ、グイとグラスを傾けた。
「僕らが逃げ出した後、パパは直ぐに追っ手を放った。僕らは上手くかわして逃げおうせてたんだけど、モーテルの事故で居場所がバレてね……。でも僕は動ける状態じゃない……だからマリアは取引したんだ。自分を差し出す代わりに僕を自由にしろと……。
マリアがうちに来て約一年、今や彼女はアドラの機密の塊と化していた。彼女の頭の中には、アドラを消し去れるほどの機密が詰まっていたからな……。
マリアは親父の元へ戻り、代わりに僕は自由を手に入れ、再生治療で体も元通りに治った」
リースはグイとグラスを空け、自嘲するように鼻を鳴らした。
「僕は愛する人を失い、代わりに自由と……再生治療で生じた借金を手に入れた。莫大な借金を抱え、見知らぬ土地へ身一つで放り出された。まさか親父を頼るわけにも行かず、文字通り地べたを這いずって生活したよ……」
「……大変なご苦労をされたんですね」
ジェイが労るように声をかけた――その時、仮眠室の扉が勢いよく開いた。
「ボス……」
あわてて時計を確認したジェイは、思わず唇を噛んだ。
「すみません、うっかりしてました……」
「それは別にどうでもいい。そんな事より、まさかその与太話を信じたんじゃないだろうな?」
「え?」
「リース、多少の脚色ならばとやかく言うつもりはないが……なんだそのデタラメな創作ストーリーは。そこまで行くともはや妄想だ。
家を飛び出した所まではまあ目を瞑ろう。本当はもっと紆余曲折あったが……決別を宣言し、ちゃんと行動したんだからな。多少の脚色にも目を瞑ろう。だが流石に後半は見逃せん」
「な、なんだと!? 僕が味わった悲しみと苦しみが妄想だと!? いくら僕でも、それは聞き捨てならないぞ!」
リースは立ち上がり、もつれた舌で返した。
対するレンは鼻を鳴らし、何とも邪悪な笑みを浮かべた。
「ぼっちゃま、まずはお仕事を探しましょう」
突如別人の声で喋り出したレンを、ジェイはぎょっと振り返った。
「ちょ、ちょっと……ボス?」
「え? どうして?」
「それはリースさんの声……?」
まるで録音音声を流しているかのように、レンは謎の女とリースの会話を喋り続けた。
「お仕事をして、お金を稼がないと生活が出来ません」
「何を言っているんだ、お金ならあるじゃないか」
「それはお父様のお金です。ぼっちゃまがご自身で稼いだものではありません。それに、それを使うと足が付いてしまいます」
「大丈夫だよ。父さんは自由使って良いと、何時もそう言ってるじゃないか?」
「ぼっちゃまは、マリアと駆け落ちなさったんですよね?」
「うん。愛してるよマリア」
「ぼっちゃまは駆け落ちの意味を本当に分かってらっしゃいますか?」
「もちろん! 愛する人を連れて逃げるんだ! そして、二人は永遠に結ばれるんだ! だからほら、僕らも」
「ぼっちゃま服を着て下さい。わたくしの体はそういう行為には対応しておりません。ボディを交換しませんと……」
「ああ、そっか……。じゃあ早速注文しよう。どれが良いかな?」
「ぼっちゃま。先ずはお仕事を探してお金を稼いで――」
「だからお金ならあるじゃないか。ほら、これなんてどうだい? 君にぴったりだと思うんだけど」
「ぼっちゃま。そのまま決済してしまいますと、お父様に居場所がバレてしまいますよ」
「それが何か問題なのかい? さっきから一体何をそんなに気にしているんだい? よし、6時間後には届くよ。楽しみだね」
「マリアと、ぼっちゃまは、駆け落ちしたのですよね?」
「うん!」
「……」
「愛してるよマリア!」
「……あら? ぼっちゃま股間に糸屑が――」
「うああああああ!! アア゛ア゛ア゛ア゛!!」
リースは雄叫びのごとき悲鳴を上げ、カウンターを激しく打った。
「レン・スメラギ!! 貴様……! も、ものには限度というものがあるだろう!!」
「ハッハッハ! 気が付かない方がどうかしてるぞ? まさか、当時貴様がハマっていたドラマと全く同じ事が現実に起こっていたと本当に信じるなんてな」
「ドラマ……?」
「そうだ。自我に目覚めたアンドロイドと金持ちのボンボンが駆け落ちするというドラマが流行っていてな、コイツも熱心に見ていたんだ。ちなみにヒロイン名前はマリアだ。容姿どころか名前まで同じにしたんだぞ? あれだけ私の影がチラつく中で……よくもまあ、あんなものを信じたものだ。
まあ、かく言う私もお前のバカさ加減にすっかり騙されてしまったぞ。てっきりこの猿芝居に乗っかって家を飛び出すストーリーを演じているのかと思っていたら、まさか本当に信じていたなんてな。呆れを通り越して感心したぞ」
ギリギリと歯を鳴らすリース睨め付け、レンは容赦なく続けた。
「おまけに、一族と縁を切ると宣言しておいて、なぜ今までの生活がそのまま丸っと残ると思ったんだ? いや、理解していなかったな。たとえ己が属する国が滅んでも、住所から国名が消えるだけだと思っていそうな貴様の愚かさに、私は本当に涙が溢れたぞ」
「だ、だからと言って引き千切る事ないだろ!! ショック死していたかもしれないんだぞ!!」
「あれは本当に事故だ。でも原因の九割九分はお前にある、自分の愚かさを呪え。
実は私もあのドラマを見始めたらハマってしまってな、三日間寝ずに見続けて流石に疲れ切っていたところに、貴様とのあの阿呆な問答だ。ついつい居眠りしてコントローラーを落としてしまったんだ。ああ、あと糸屑に見えたのは本当だ。ぷらぷら揺れていた糸屑を引き千切ったら血が吹き出してビックリしたぞ」
「まさか……リースさんが失った体の一部って……」
「お前の股にもぶら下がっているやつだ。ああそうだ、お前のはリースより遥かに立派なものだ、自信を持っていいぞ」
「ちょっと、ボス……」
「私は再生中のお前を見てるんだ。今更恥ずかしがるな」
一方リースは、紅く染まった顔を震わせ、口に泡をためて怒り狂った。
「あの痛みも、苦労も、全部……!! 全部貴様の仕業だったのか!!」
「フンッ、またそれか。己の愚かさを棚に上げ悲劇の主人公を演じるつもりか? おいジェイ、病院を出たこいつが最初に何をしたと思う? もちろん、コイツの身の自由と引き換えに、自身の人生を諦めるという愛する女が残した書き置きを見た後だ」
「い、いきなりあんな状況に追い込まれたら……だ、誰だって」
場に飲まれたままのジェイは、急にトーンダウンするリースと、ペラペラと喋るレンの間に挟まれキョロキョロと首を動かした。
「なぁーにが、『まさか親父を頼るわけにも行かず、文字通り地べたを這いずって生活したよ……』だとぉ? 病院を出たコイツは、口座が凍結されていると分かるや否や、その足を一歩動かすよりも早くパパに電話したんだぞ。言うまでもなく金の無心だ。次に兄弟達。もちろん全てブロックしたがな。しまいにはかつて自分を調べに来た研究者や、私にまで連絡を取ろうとしていたな。
百歩譲って、一先ず自力でどうにかしようと足掻いた後ならまだしも、足一歩を動かすよりも早くパパに金の無心だ。『僕はアドラの一族とは縁を切る! 僕は自力でこの世界を生きて行くんだ!』自分が言った言葉も忘れたか?」
「だから! き、気が動転していたんだよ! 誰だってそうなるに決まってる!」
「動転していた割には、キッチリ確率が高そうな者から順に連絡を取ろうとしたんだな。金の無心は上手く行かず、あっさりと端末を盗まれたお前は、都合よく現れた金貸しに金を借り、そこで偶然にも働き手を探していた仕事を紹介され、VRストリップバーでおしぼりを配りながら一般庶民の常識を学び、違法薬物所持で逮捕され――」
「うああああああ!! アア゛ア゛ア゛ア゛!! 貴様の……!! 貴様!!」
「フンッ、その粗末な糸屑の再生に、あんな大金がかかると思っていたのか?」
カウンターを出たレンはリースへ詰め寄り、突き刺すように胸を突いた。
「忘れているようだから最後に言っておく。私は、約束を守った」
そう言うと、レンはツカツカと店を出た。
「約束……?」
ジェイはレンの背を見送り、顔を戻すとリースの姿が消えて――いや、床に倒れていた。
酔い潰れたのか頭に血が上り過ぎたのか……ぐったりと床に転がっていた。
――リースが目覚めると、ソファーに寝かされていた。少しぼやけた視界に、こちらに向かって来る白いスーツの男を捉えた。
「だ、誰だ……?」
「やっとお目覚めか。特に異常はないよ、安心したまえ」
片目をアイパッチで覆ったその男は、コツコツと小気味良い靴音を響かせてカウンターへ戻った。
入れ替わりに、カウンターを離れたジェイが水を運んできた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
「大丈夫ですか?」
リースは身を起こし、暫くの間ぼんやりと視線を漂わせた。
「……約束」
「え?」
「夢を……いや、思い出したんだ」
リースは水を含み、ゆっくりと飲み下した。
「レンと始めて会った時、様々な惑星の話を聞いたんだ。そして、僕はこう言った『僕も外の世界が見たい』すると、レンはこう返した『展望デッキがあるじゃないか』僕は答えた。
『そうじゃない。レンやMr.ウォルフマンのように、外の世界を旅したい』レンは言った『正直……それは難しいな』
『どうして?』
『君を取り巻く全てが、君の自由を許さない』
『……?』
『君は特別だ。色んな人にそう言われたんじゃないか?』
『うん。でも何が特別なのかよく分からない……』
『自由が無い事だ』
『自由? レンはそれを持ってるの?』
『私は、ここへ来たいと思ってここへ来た。誰かに頼まれたわけじゃない。私がそう思い、それに従うことができる。これが自由だ』
『じゃあ、僕は……レンやMr.ウォルフマンのようにはなれないの?』
『お前がここから出よう思って外に出て、行きたいと思った星へ行く。そうするだけだ。だが、お前にはできない』
『自由が無いから……?』
『そうだ。今はな』
『じゃあ、いつか僕も貰えるの?』
『自由は与えられるものじゃない。自分で掴みに行くんだ。掴めるかどうかはお前次第だ』
『……』
『自由が欲しいか?』
『……うん』
『とっても苦労する事になるぞ? 良いのか?』
『うん』
『私は一切容赦しないぞ? 本当に良いのか?』
『うん』
『分かった。お前が自由を掴めるように手伝おう』
『ホントに? 約束だよ?』
『ああ、約束する。だからお前もやり遂げろよ』
『うん』
『一つ覚えておけ。自由は、しっかりとした意思を持ち、しっかりと捕まえておかないとすぐに逃げてしまう。今は意味を理解しなくてもいい。とにかく覚えておけ』
『分かった』
『では、お前の父とその兄弟と親戚、そしてお前の兄弟達がどれほど多くの人を殺し、振り撒いた不幸を金に変えてきたか、その歴史から語らなくてはならない。よく聞け』」
リースはクスクスと笑い、やがて大口を開けて笑った。
「レンの呪いが強烈過ぎてすっかり忘れていたよ。どうして憎いのに憎めなかったのかがようやく分かったよ」
「いや、流石にやり過ぎでしょ……」
「こういう言い方は
そう言って、リースは再び笑みを浮かべた。
「まあ確かに、方法は最低だけどな。……よくよく考えると、やっぱり腹が立ってきたな」
そう言いつつも、リースは何処か楽しげであった。
「ムカつくヤツだけど、まあ悪い人間じゃないよ。たぶんね……」
ふと、リースは慌てて端末を取り出した。
「しまった……遅刻だ」
急いで精算を済ませ、席を立った。
「僕が言うのもなんだけど……レンと仲直りするんだよ? それじゃ」
リースの背を見送り、揺れていた鈴が止まるとドクターは尋ねた。
「レンと喧嘩しているのかい?」
「ちょっとギクシャクしてまして……でも、大丈夫です」
「……そうか」
その時、再び鈴が鳴った。
「ったく、やっと帰ったのか……」
ツカツカと入ってきたレンの姿を認め、入れ替わるようにドクターは席を立った。
「では、僕もそろそろ失礼するよ」
ジェイは送られた目配せにゆっくりと目礼を返し、レンは訝しげにドクターを振り返った。
「なんだ、もう帰るのか?」
「キミと違って僕は忙しいんだよ」
「ふーん」
レンが席に着くと、ジェイはカウンターの下に手を這わせ青いボタンを押した。
「ん? もう閉めるのか?」
「ええ。ちょっとボスと飲みたくて」
「ふーん」
二つグラスを並べ、隣に腰を下ろした。
「ネモリスの果実で作ったお酒だそうです」
以前、ドミニクに貰った酒をトクトクとグラスに注いだ。
「ふーん。なかなか旨いじゃないか。……で、なんだ?」
「ボスに聞いて欲しい事があって」
「……」
「ちょっと長いんですけど、聞いてもらえますか?」
「ったく、仕方がないな……話してみろ」
「ありがとうございます。えっと、まずは……僕の記憶についてなんですが――」
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