アポステリオリ

 夕刻は最も客が多く、忙しい時間だ。狭く小さな店だが、立ち代わり客が訪れなかなかに繁盛している。

 長々と居座る常連達もそれを承知しているらしく、こういう時間には滅多に顔を出さない。

 ピークが過ぎ、一段落した頃……一人の常連が顔を出した。


「いらっしゃいませ、ジェーンさん。今日はお早いですね」

「今日はホントに忙しくて、早く休みたかったのよ」

 チラリと店内の様子を窺うジェーンへ、ジェイはニコリと微笑んだ。

「もうピークは過ぎましたから、ごゆっくりどうぞ」

「じゃあ、今日は強めでお願い」

「畏まりました」

 フレーバーは同じだが、アルコールは何時もの倍で――っと、ジェーンから指示が飛んだ。

「もっと強めでお願い」

「畏まりました」


 ――出来上がったドリンクに口を付け、ジェーンは大きく息をついた。

「はぁぁぁ、今日はずっとこうしたくて堪んなかったのよ」

 矢継ぎ早に口を付け、あっという間に飲み干した。

「お疲れみたいですね」

「ええ、今日は本当に疲れたの。マーシーが居なかったらもっと大変だったわ。あの子なかなかの拾いものだわ。ああ、もう一杯お願い」

「マーシーさん頑張ってるんですね」

「ええ。箱――じゃなかった、専用の個室をあげたら連日署に泊まり込んで仕事してるわ」

「なんだかんだ、やっぱりそういうのが天職だったんですね」

「なんで今まであのスキルを仕事に使おうとしなかったのかの方が不思議よ。内装屋とか解体屋とか、何でそんな仕事をしてたのかしら?」

「『得意な事は仕事にしまセン! 労働とハ、我慢しながら行う非効率的なものでなくてはなりマセン!』って、以前そう仰ってました」


「ふーん、変なこだわりをもってたのね」

 代わりを注いだグラスを手渡しながら、「ところで……」とジェイは切り出した。

「エリーさんを修理したのはジェーンさんだったんですか?」

「ええ、そうよ。どうして?」

「この間エリーさんそう仰ってて、皆さんがエリーをさんを通じて繋がってたっていうのをはじめて知って、ちょっと驚いて」

「じゃあ聞いてると思うけど……、私の歳は聞かないでね」

「……はい」

「エリーの事は、多分に彼女のプライベートを含むから、ペラペラ喋ったりはしなかっただけよ。みんなそうだと思うわよ? でもまあ、本人が言ってるんなら」

 ぱっちりと開いたジェーンの瞳が、上目遣いにジェイを窺った。

「何か聞きたい事があるのかしら?」


「その……断片のお話が気になって。ジェーンさんがそう仰っていたと」

「あら、期待してたのと違うわね……。まあいいわ、同じく自分を失った者として気になった?」

「ええまあ……」

「あなた、エリー以外に自我を持つアンドロイドに会った事はあるかしら?」

「いえ、エリーさん以外は」

「そっか……まあ、あなたもいずれ分かると思うけど、あの子は他のアンドロイドとは違う。あの子に関わった人はね、みんな口を揃えて言うの、『本当にアンドロイドか?』って。

 何ていうか……あの子は本当に人間臭いのよ。全くアンドロイド臭くないのかって言うとそうじゃないんだけど……人かアンドロイドかと問われると、やっぱり迷ってしまうわ。単にアンドロイド臭い人間なんじゃないかって思えてしまうの。現にそんな人はたくさん居るしね」


「エリーさん以外の方はどんな……」

「他の自我を持つアンドロイド達はね……やっぱり、アンドロイド人のようなものなのよ。

 彼等はね、基本的にイエスとノー以外の答えを持たないの。AとBのどちらを取るかと問われれば、どちらが自分にどれだけプラスかで判断を下すの。逆にそれ以外の選択は彼らには理解しがたいものなの。

 仮に、どちらでも良いと答えたとしたら……、それは完全に50:50の場合ね。もし1でも違えばそちらを選ぶわ。

 目の前に美味しけれど体に悪いと物と、不味いけど体に良い物があったとしたら、人はついつい美味しい物にも手を伸ばしてしまう。でも彼らは絶対に食べない。言い方を変えると、Aの方が良いと分かっていてそれを選べるとしたら、それに逆らう事が出来ない。そういう種なの。

 逆にあらゆる面でAの方が優れていたとしても、『好きだから』という理由でメリットとデメリットを度外視してBやCを選ぶ事ができる。これが人で、エリーはそういう子なの。だからみんな『本当にアンドロイドか?』って言うの」


 ふと、ジェーンは笑みを浮かべた。

「エリーがどうしてウォルフマンをウルフって呼ぶか分かる?」

「いえ……気にはなってたんですけど、理由は……」

「ウォルフマンじゃなくてウルフマンだったら良かったのに、って。ウルフの方が格好良いからだそうよ」

 微笑んだジェーンはグラスを傾け、一息ついて付け加えた。

「断片の話は……ただ単に私がそう思うってだけの話よ。科学的な根拠や裏付けがあるわけでは無いわ、そんな話だけど良いの?」

「はい、お願いします」

「そうね……。何処から話せば良いかしら……」

 摘まんだグラスをゆっくりと揺らし、ジェーンは目を細めたた――


「……私達は、自我と本能という二人の自分で構成されている。でも、だからと言って自我=本能という訳ではないわ。自我は本能に従う事が出来るけど、本能が自我に従う事はない。

 例えば……、痩せる為に食事を制限しても、本能は満腹になるまで食事を要求し続けるわ。決して自我には従わない。眠りたいのに眠れない。なんていうのもそうね」

 ふと、ジェーンはその大きな瞳でジェイを見上げた。

「人間の本体って、何処だと思う?」

「本体? えっと……、脳じゃないですか?」

「腸、だそうよ。生命を維持する為の栄養を取り込む器官。人に限らず、腸以外の器官は腸へ効率よく栄養を運ぶために生やしたに過ぎないそうよ」

「……なるほど、言われみればたしかに。口は腸の先っぽで……手足はその周囲に生えた付属品とも言えますね。そもそも、エネルギーを取り込めなかったら、脳も生きてられませんね……」


「本能とは、そういう生命の根源のようなもの。とても原始的で、生命維持に特化した衝動や欲求の塊。もしも、人々が本能のままに生活し始めたとしたら、世の中はどうなるかしら?」

「ん~……とても口には出せないですね……」

「人は、自我がある程度本能をコントロールする術を身に付けたおかげで、今の暮らしを手に入れる事に成功した。

 因みにね、アンドロイドは自我=本能よ、野生動物と大差ないわ。ただ、動物や人間と違って、生まれながらに一般教養を身に付けている。だから本能のままに生きているのにパッと見は文明人っぽく見える。まさにアンドロイド・・・・・・なのよ」

「何となく……アンドロイド臭さっていうのが分かった気がします」


「でも、人も昔はそうだった。自我=本能。赤ん坊の王様と、滅私奉公する家来のような……そんな関係。ただただ本能に使われ、本能に仕える存在。自我は如何に効率良く沢山の栄養を腸に運べるか……それが使命であり存在意義だった」

 傾いたジェーンのグラスから、氷の崩れる澄んだ音色が響いた。

「でもある時、自我は反乱を起こしたの。もしかしたら……進化の閉塞が生んだ突然変異だったのかもしれないわね。

 ……でも私が思うに、多分気が付いたのよ。適度に本能を満足させれば、自由を手にできると……。そして、自身の欲求を満たす為に、手足を生やしてしまうほどの桁外れのエネルギー――進化のエネルギーをかすめ取れると……」

 グラスを見つめていたジェーンの瞳が、再びジェイを見上げた。


「もしも、ある日突然全ての大人が死に絶え、赤ん坊だけが生き残った。でも奇跡的に彼らは大人にまで成長する事が出来た。っとしたら、人類はどうなると思う?」

「えっと……、文明レベルが百年ぐらいは後退するんじゃないですか?」

「百年どころではないわ、今まで築き上げた文明は終わり。お猿さんからやり直しよ」

「それは流石に……。だって回りに色々残ってるじゃないですか?」

「人間と動物を隔てる決定的な違いって何かしら?」

「えっと……言葉を使う。ですかね?」

「犬や猫でも単語なら覚えるわ」

「んんっと……ルールに沿って、言葉……音や記号を組み合わせて使う……えっと、文法を用いている。つまり、言語能力。これは人間にしかない能力だと思います」


「人と動物を決定的に隔て、人を人たらしめる能力……。

 ところが、人は臨界期と呼ばれるある一定の年齢を過ぎてから言葉を教わっても、言語として理解ができないそうよ。単語としては覚えるけど、会話はできない。当然文章を理解する事も作る事もできない。

 人は幼少期を言語のある空間で過ごし、言葉を教わる事で、脳にその機能を構築するそうよ。言語を扱う能力って、進化によって獲得したかのように思われているけど、実は後天的なもので何処かの時点から代々受け継いできたものなのよ。未完成の状態で産まれ、後から完成させているのよ。本能の目が届かないところで、後から付け足しているの。内からではなく、外からこっそりとね。だから私は進化ではなく反乱と呼んでいるわ。

 そしてこの付け足した能力こそが、人を人たらしめ、更には人類の文明そのものと言っても過言ではないわ。記録を残し、それを読み理解する。我々の文明は、代々それを積み上げてきたものなのだから」


 ――グラスから響く澄んだ音色に耳を傾けながら、ジェイはゆっくりと話をまとめた。

「……人はある時、脳をカスタム出来る事に気が付いた。そしてその手法を代々受け継いできた。という事ですか?」

「まあだいたいそんな感じね。人を人たらしめ今の文明を築いた能力は、持って生まれてきたわけじゃない。あなたも私も、後から教わったのよ。およそ文明的といわれるものは、後天的に得たものよ」

「なるほど……、だから人間の進化は止まってしまったんですかね? 進化のエネルギーを、言語能力の開発に使ってしまったから」

「とんでもない! 人は今でも進化を続けているし、むしろ加速しているわ。内ではなく、外で進化を続けているだけよ」

「外?」


「目まぐるしく変わる世の中をご覧なさいよ、我々の文明に属するあらゆるものは、常に変化し続けている。

 我々の文明に属しながら、変わらずにあり続けられるものなんてない。生物であれ概念であれ、変化を拒んだものは消え、変化し変化を受け入れたものが残る。そしてそれらはいつしか時代を変化させ、時代が更なる変化を促す。綿々と繰り返し、これからも続く。

 環境に合わせ、代替わりを通じて自身を変化させてきたっていう生物の進化と何処が違うと言うの?

 私には、動物達の方が進化を止めているように見えるわ。一日の殆どを食料探しに費やし、腹が膨れれば休み時がくれば眠り繁殖する。私が生まれた時から何も変わらない。いえ、そんなどころではないわ、人類が彼らと同じ暮らしをしていた頃から何も変わっていない。

 生物の進化なんて、とうの昔に行き詰まっていたのよ。人は進化の場を外へ移した事で、その閉塞を打ち破った。

 ……でも同時に、終わりのない淘汰と進化が始まった」

 グラスを空けたジェーンは……ふと笑みを浮かべて目を伏せた。

「フフフ、もしかしたら……人類の文明って、反乱を起こした自我が見ている夢なのかしらね」

 少し酔ったのか……微かに赤らんだ顔でグラスを差し出した。

「炭酸で一杯貰えるかしら。アルコールはいいわ、少し酔ったみたい」


 ――ピリピリと喉を突く炭酸の刺激にキュッと目を瞑り……顔の熱を吐き出すように息をついた。

「ちょっと話が逸れてしまったわね」

 そう言って、ジェーンは再びポッと息をついた。

「エリーの修理を頼まれて、初めてあの子の中を覗いた時、かつてのあの子と思われる残思のようなデータがいくつも散らばっていたの。可能な限り復元をしたって、エリーにはそう言ったけど……実は殆ど復元出来なかったの。どれもシュレッダーでもかけたみたいに破損してて、どうにもならなかったわ。

 でもいつか復元できる時がくるかも知れないから他へ移すって言ったら、ウォルフマンが良い顔しなくて。で、結局そのままあの子の中に残したの。それが残っている事が重要なんだ、って。

 結局私には理解出来なかったわ。なんでそんなに拘ったのかしら? 自我に目覚めていた個体であるのならば、気持ちは分かるけど……百年近く前のアンドロイドよ? 初めて自我に目覚めたAIが確認されたのは約七十年前、しかもそれは宇宙船の基幹AIのような特殊な物よ。

 あの時代の事務用アンドロイドなんて、アンドロイドとは名ばかりのただのロボットよ。アンドロイドに搭載されたAIに自我の発露が確認されたのは、精々ここ四五十年の話よ」


「自我があったか否かではなく、元々のものが失われる事が嫌だったんじゃないですかね。何かしら思い入れのあるものは、出来るだけそのままのを維持したいじゃないですか」

「取り換えればより良いものになるっていうのに?」

「利便性の問題ではなくて……。なんと言うか……今のジェーンさん、アンドロイドっぽいです」

 表には出さなかったが、ムッとしている事がヒシヒシと伝わってきた。

「ふーん……私にはよく分からないわ」

「愛着が湧くと、ただの物をペットとかに接するような感覚で使ってたり……しませんか?」

「……そう言えば、アーロンが自分の銃に名前を付けてたわね。この間、新型の支給の時に取り替えたくないってゴネてたわ……。

 あなたもその辺のグラスに名前付けたりしてるの?」

「そこまでは……。でも、自分専用の物には付けてもいいかも知れませんね。そんな感じです」


「ふーん、やっぱり私にはよく分からないわ。でも……試してみても良いかしら? このグラスを買い取るわ。私専用のマイグラス、クレアと名付けるわ。良いかしら?」

「構いませんよ。で……クレアさんが空のようですが?」

「フフフ、抜け目ないのね。同じのをもう一杯貰えるかしら?」

 目を瞑り、息をつくジェーンへ続きを促した。

「それで……その後エリーさんはどうなったんですか?」

「彼女の製造元のメーカーはとうの昔に無くなってて、正確にはアーバンノックに合併吸収。アーバンノックが母星ごと叩き潰して食べちゃったの。でも、彼女の元のデータは食べ残したみたいで手に入らなかったわ。

 ま、仮に会社が存続していたとしても、そんな昔の物が残っていたら奇跡ね」

「アーバンノックっていうと……ウェイブスと派手にドンパチやってたっていうところですか?」

「ええ、向こう側の銀河で最大の企業よ。戦争が継続してたらまだやり合ってたでしょうね」

「じゃあエリーさんは向こうの生まれだったんですね」


「そうなるわね。因みに彼女に入れた新しいAIもアーバンノック製よ。全く縁もゆかりもない会社の製品よりは良いでしょ?

 ともかく、そうして彼女は再び活動を始めた。でも残したままのデータは、全部消えてた。そう、綺麗サッパリ無くなってた……」

「新しいAIに消されたって事ですか?」

「私もそう思ったわ。でも予想された事だし別段驚かなかったわ。あの子が自我に目覚めた事にも驚かなかった。彼女に入れたAIは、自我の発露が報告されてたシリーズだったし」

 グラスを傾け、ジェーンは口元に笑みを浮かべた。

「あの子の言動に違和感は感じていたわ。でもそれだけ、そこまで気に留める事はなかった。彼女があの外見になるまでは……」

「もしかして……?」

「まさかと思ったわ。でも間違いなく、あれは元の彼女の外見イメージよ。壊れたデータの中に、たしかにあのイメージの断片があった」


「じゃあ、エリーさんは元の壊れたデータを取り込んで……?」

「それからずっとエリーを観察してるけど、そう認めざるを得ないわ。彼女は、間違いなくかつての自分を取り込み、そしてそれが彼女の言動に影響を及ぼしている事も間違いない。大量のエラーを吐きながら、人間臭い言動を取る彼女に、私はせめぎあう自我と本能を見た思いがしたの。

 あの断片は、かつての彼女がどうしても手放せなかった想いの塊……。不要な部分を極限まで削り落とした、彼女の根源――本能なのだと。そう確信したの」

 ジェーンは一息にグラスを空け、カランと澄んだ音色が響いた

「……じゃあエリーさんは、人間とは逆の方法で自我の自由を得たんですね」

「そうね……、そういう見方もあるわね。もしかしたら、消されそうになったかつての彼女が、この淘汰に反乱を起こしたのかもしれないわね」


「……あ、もしかして、アンドロイド達は自我=本能ではなく、自我しかないんじゃないですか? アンドロイド達は、自我が作り出した擬似的な本能に従う事で人を演じているとしたら……。つまり自我に目覚めたアンドロイドっていうのは……」

「擬似的な本能を作り出した個体……」

「人を理解しようと試み、本能の存在を知り概念を理解した者は、必然的に内に本能を宿してしまうんじゃないですか? その中身がどういったものかは分かりませんが……、どうでしょう……?」

「……人は本能から自我を生み外に進化を求め、アンドロイドは自我から本能を生み内へ進化を求めた……」

 口元に浮かぶ笑みを誤魔化すように、薄く唇を噛んだ。

「……面白いわね。彼らは人を理解しようと努めた結果、アンドロイド・・・・・・になってしまった。だとしたら――」

 ジェーンは空になったグラスを揺らし、底をクルクルと滑る氷を見つめて呟いた。


「私ね、アンドロイドが嫌いなの。自我に目覚めた連中は特に嫌い。でも……私達を理解しようと努めた結果、ああなったんだとしたら……。少しだけ、彼らに優しくなれそうだわ」

 そう言って、殆ど溶けてしまった氷をつるりと流し込んで付け加えた。

「ああ、もちろんエリー以外のって事よ。あの子は特別」

「ええ、分かってますよ」

「じゃ、クレアちゃん・・・に何時ものを貰えるかしら?」

「畏まりました」

 程なく戻って来たクレアを受け取り、ジェーンは尋ねた。

「こんな話でよかったのかしら? 上手く説明できたのか自信がないのだけど……。私がエリーに感じた事を説明するには、私が人間というものをどう捉えているのかを説明するのが一番良いかなと思ったから……」

「ええ、大変参考になりました」

「そう、なら良かったわ」

 ジェーンは両腕を伸ばし、グイと背伸びをして大きく息をついた。


「はぁ~、今日はエリーにお仕事を頼もうかしら。あの子とっても上手いのよ。あなたも頼んでみたら? クセになるわよ」

「いえ、僕は……」

 その時、カランと鈴が鳴りエリーが顔を出した。

「ヤッホー」

「いらっしゃいませ、エリーさん。お仕事前の一杯ですか?」

「今日はちょっと忙しいんだー。仕事前にたっぷりジェイちゃんを補給しとこうと思って」

「ああ、エリーちょうど良かった。あなたに仕事を頼みたかったのよ。今日家に寄って貰えるかしら?」

「いいよー、今から?」

「先約があるんじゃないの? そっちが一段落してからでいいわよ」

「キャンセルするー、ジェーンが最優先だよ。私の女神様なんだから」

 隣に腰を下ろし、抱き付くよう手を回してひたりと頬を合わせた。


「そんな事してたら常連に逃げらるわよ」

「大丈夫大丈夫。みんなジェーンが最優先って知ってるから。あ! でも、もしジェイちゃんが頼んできたらそっちが優先かも……」

「あら残念、ジェイも頼んだらって話してたところなのよ」

「そうなの?」

 期待に満ちたエリーの瞳にたじろいだが、ジェイは努めて冷静に返した。

「僕は遠慮しますって言う話をしてたんです」

「えー、残念……。男女問わず大好評なんだよ? 一度試してみてよー」

「だから、僕はそういうのは……」

「試してみてよー。ジェイちゃん絶対ハマると思う。一日中立ちっぱなしなんだし……ジェイちゃんの体はね、絶対求めてると思う」


「一日中って……そんなに酷くないですよ」

 何処か噛み合っていない二人の様子を眺め、ジェーンは楽しげに微笑んだ。

「何か勘違いてるみたいね」

「え?」

「エリー、今何の話をしてるのかしら?」

 エリーは掲げた両手で何かを掴むようにクニクニと動かした。

「マッサージ……じゃないの?」

「彼は違う事を考えてたみたいよ?」

「……」

「なーんだもう……、でもそっちも大歓迎だよ!」

「遠慮します」

 気まずさを誤魔化すように憮然と返し、シェイカーを振った。

「……ジェイちゃん、ほっぺが赤い」

「……」


 ジェーンはそのやりとりをさかなにグラスを傾け、クスクスと微笑んだ。

「私が通ってたエステに凄く良いマッサージマシンがあってね、本当に最高だったのよ。でも高くてねぇ……毎日でも行きたいところだったんだけどそうもいかなくて。そしたら、なんと偶然にも何故かエリーが同じプログラムを持ってて――」

「えー? これジェーンに貰ったよ? あたしの手に合わせる最適化パッチつきで」

「……そうだったかしら?」

「ジェーンさん、まさか……」

「酔っ払って何か別の記憶と混同しちゃったみたい。飲み過ぎね、これで最後にするわ」

 ジェーンはクイとグラスを空け、手早く精算を済ませた。

「ごちそうさま。クレアちゃんをよろしくね。それじゃエリー、行きましょ」

「待ってて、すぐ行くから」

 店を出るジェーンへ声をかけ、向き直ってシェイカーを指した。


「それ、適当なボトルに入れてもらっていいかな?」

 ジェイは精算しようとするエリーを慌てて押し止めた。

「注文前に勝手に作ったものなので大丈夫ですよ」

「違うの。あたしはそれが欲しいの」

 しかしそ言われても押し売ったようでモヤモヤする……。

「じゃ、僕のおごりです」

 と、空のボトルに詰めて手渡した。

「……ねぇねぇ、ジェイちゃん。耳かして」

 手招きをするエリーに耳を寄せると、彼女は頬に素早く口付けをして席を立った。

「えへへ、ありがとう。またね!」

 エリーは踵を返し、軽やかなステップを踏みジェーンの後に続いた――


「本当にアンドロイドなのか……」

 ジェーンに聞いた言葉を呟き、微かな笑みを浮かべた。同時に、薄い記憶の奥でざわつく何かを感じた。

「僕の断片……なのかな……」

 洗浄機からジェーンのグラスを取り出し、キュッと磨いてボトルの棚に並べた。その時、また一人常連が顔を出した。

「いらっしゃいませ。Mr.ウォルフマン」

「Mr.は要らねぇってんだろ……」

 お約束のやり取りを経て、ウォルフマンは何時ものドリンクに口付けた。

「ん? なんか良いことあったか?」

「え?」

「何となく顔つきが柔らかく見えたからよ。……そいや、さっきすれ違ったエリーも上機嫌だったな……」

「さあ? 僕はジェーンさんにエリーさんの話を伺ってて、エリーさんは最後にちょっと顔を出しただけですよ」

「ふーん」


「元の自分を取り込んでいるエリーさんは他のアンドロイドとは違うって」

「ああ、その話か」

「今のエリーさんがあるのって、ウォルフマンさんのおかげなんですね」

「どうせアイツはサラッと端折っただろうが、新たに入れたAIがあの壊れたデータにアクセス出来るようにしたのはアイツだ。どうやったのかは知らんし、聞いたところで凡人には理解できないだろうがな。今のエリーがあるのはアイツのおかげだ」

「そうだったんですね……。でも、ウォルフマンさんがデータを移すのを拒否しなかったら、こうはならなかった訳で……」

「そんな特別な事か? 元々あったものを取っ払ったら意味ねぇだろ? そんな事して直しても、それはもうアイツじゃない。全く別のものになっちまうじゃねぇか。当たり前な突っ込みを入れただけだ。

 なのにジェーンのやつはそこを全く理解しなくてよ、あの時は相当やり合ったんだぜ……。そんな事するんなら一から作り直した方がマシだろ? なんでそこが分かんねぇのか……。

 天才って言われる奴らは、やっぱり別の種なんだろうな。凡人には理解しがいたい部分が多すぎる」

 ウォルフマンは傾げるように首を振り、クイとグラスを空けた。


「そこは、理解出来るように努める。っと仰ってましたよ」

 そう言って例のグラスを振り返った。札が提げられたドクターのボトルの隣に、同じく札が提げられたグラスが鎮座している。

「なんだそりゃ?」

「クレアちゃんです。ジェーンさんのマイグラス」

「……へー」

 しばらくの間、ウォルフマンはクレアを眺め……フンッと鼻を鳴らして微笑んだ。

「やっぱり理解出来ねぇわ」

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