記憶の行方

 BARエデンライト。営業時間は特に決まっていない。バーテンを務めるジェイが起きてから寝るまでがこの店の営業時間だ。

 しかしまあ、だいたい同じ時間に寝起きするバーテンに合わせて営業時間も安定している。


「……そろそろ閉めようかな」

 眠気を覚え、ポツリと呟いた。ちょうど客も捌け、いい頃合いだ。店を閉める青いスイッチに手を伸ばしたジェイは……ふと思い直してプリンターを動かした。

 真四角にプリントされた拳ほどの氷を手に取り、アイスピックを突き立てた。コツコツと角を砕き、球体に近づけて行く。初めから球体でプリントしても良いのだが……それでは味気無い。きっと彼もそう言うだろう。

 ジェイにはとある常連の顔が浮かんでいた。きっと、彼が来る。そんな予感がした。

 デコボコとした表面をナイフで整え、冷えたグラスにゴトリと落とした。


「まあまあかな……」

 掲げたグラスを揺らしてクルクルと回るアイスボールを眺めた。

 心地良い、仄かな眠気と気怠さ……。このまま横になったらさぞかし気持ちが良いだろう。だが同時に、同じくらい眠るが惜しくもある。今日という日を、もう少し続けたい……。

 こんな夜は、決まって彼が現れる――

 カランと鈴が鳴り――コツ、コツ、と心地の良い靴音が響いた。

 どう鳴らせば最も心地良く、自然に耳へ流れ込むのか……それが分かっている。そう思えてしまう。

 アイスボールをウイスキーで濡らし、そっと彼の前へ置いた。カウンターの左から二番目、何時もの席だ。

「こんばんは。ドクター」

「やあ、ジェイ。こんばんは」

 声と見た目は若い。しかし、落ち着き払った物腰から察するに……見た目通りの年ではないようだ。


 初めて彼を目にした者は、まず左目のアイパッチに視線が吸い付くだろう。次にオールバックの黒髪とチョロンと垂れた一房の前髪、鋭い右目。そして白いスーツに黒い手袋。誰も医者とは思わない。どちらかと言えばその対極の職業を連想する事だろう。

 まあ、彼いはく「どちらもそう変わらない」そうだ。

「それにしても、君は相変わらず鋭いな」

 手袋を外し、グラスを手に取った。

「外れる事の方が多いですよ。でもそのおかげで、氷の扱いが分かって来ました。あと、ウイスキーの事も」

 ドクターはグラスを回すように揺らし、口を近づけて微笑んだ。

「フフフ、そうみたいだね」

「新しいプログラムを追加してみたんですけど……どうですか?」

「よく出来ているね。香はなかなか良い」

「つまり味は……」

「悪くはない」

 そう言って、残りを流し込んだ。


「私のボトルはまだ残っているかな?」

「ええ、もちろん」

 カウンターに置かれたボトルを見つめ、ドクターは微笑んだ。

「殆んど減っていないじゃないか。もっと積極的に本物の味を勉強したまえ。ああ、だが成分解析なんて野暮なマネはするんじゃないぞ」

「はい。でも、やっぱり勝手に飲むのは気が引けて……」

 ドクターはボトルを手に取り、グラスを満たした。

「私は君に投資しているのだよ。遠慮する事はない。さ、私の奢り――いや、投資だ」

 ジェイはドクターが押し出したグラスを手に取り、回すようにゆっくりと揺らした。

「では、お言葉に甘えて……」

 程よく冷え、口当たりは柔らかい。しかし、喉を通る頃には燃えるように熱く、一気に膨張した空気と香りが鼻を突き抜けた――

「どうかな?」

「良い線行ってたと思ってたんですけどね……。僕が作ったのは、なんだかとっても薄っぺらでしたね……」

「フフフ、精進したまえ。今度はまた少し違うのを持ってこよう。遠慮せずに勉強するんだよ」

 そう言って、ドクターは本題に入った。


「一先ず診察を終わらせよう。見たところ特に問題は無さそうだが……」

 ドクターのアイパッチが開き、赤いレーザーのような光がジェイの全身をスキャンした。

「ええ、特に何も」

「頭の方はどうかな? 頭痛や眩暈めまい、急激な視力の低下といった症状はないかな?」

「大丈夫です」

「そうか……。ならばもう再生に伴う障害や後遺症の心配はないだろう。安心して良いよ。それで、記憶の方はどうかな?」

「この間、アーロンさんとその話をしたところです」

「ふむ。何か思い出したのかい?」

「いえ、そうではなくて……」

 ジェイは先日のアーロンとの会話をかい摘まんで話した。


「――なるほど。忘れたのではなく、都合の悪い部分にふたをしたと……」

「ドクターはどう思いますか?」

「そうだね……。都合の悪い事を綺麗サッパリ忘れる輩はごまんと居る。なかなか信憑性の高い仮説だね」

「茶化さないで下さいよ……。真剣なんですよ」

「フフフ、茶化しているつもりはないよ。本当にね、忘れる奴は居るんだよ。部分的ではあるけど、都合の悪い記憶を完全に消す、書き直す、もしくはわざと間違えて記憶する。人間は以外と器用なんだ。

 君が無意識に、そういった記憶の改竄かいざんや消去を行った可能性も十二分にある。その記憶があることによって、自我の存続が危ぶまれるような、そんな状況に陥っていたら尚更ね。

 ただし、君をその他に例にそのまま当てはめる事は出来ないがね」


「脳を再生させた事ですか?」

「脳の再生は前例がない訳じゃない。君のように大部分を再生させた例は幾つもある。しかし、生きているのは君だけだ。いずれの例も、見た目は綺麗に再生されたが……機能はしなかった。

 仮説の一つに『記憶までは再生できないからだ』というのがあってね、私はこの説を支持している。

 記憶とは思い出の事ばかりを指すのではない。ボールを投げるフォーム、力加減など繰り返し学習して覚えた記憶だ。

 そして、生命維持の根幹である本能と呼ばれるものも、詰まるところは記憶の集合体だ。しかし、これは誰かに教わるわけではない。生まれた時からプリインストールされているものだ。

 私はね、脳が形成されてゆく過程で書き込まれているのではないか考えている。だからいくらその組成を寸分違わずに再生のしたところで、空っぽの入れ物にしかならない。

 OSが失われたコンピューターにどれだけ凄いソフトウェアが入っていても、どれだけ凄い機器を繋いでも、動かす事はできない。個々を切り取って使う事はできるが、全体を一つのシステムとして動かす事はできない。

 だが、生成したデータが失われただけであれば別だ。君は思い出と呼ばれる部分の記憶を完全に失った。しかし、どういう理由かは分からないがそれ以外は奇跡的に残った。これが私の率直な見解だ」


「そうですか……」

 肩を落とすジェイを見つめ、ドクターは「ただし……」と付け加えた。

「君を私に託した人物が嘘をついていなければの話だ」

「……どういう事ですか?」

「君が私の元へ送られてきた時、カルテには、君は体の40%を、脳は50%を再生させたと記してあった。もしもこれが嘘で、実は君の脳は無傷だった。っとしたら、君の仮説が正しいかもしれない」

「……」

「しかしまあ……言っておいてなんだが、そんな嘘をつく理由が見当たらない。強いて言えば、君という奇跡の事例をでっち上げ、金儲けや名声のネタにする。そのぐらいかな……。よってこの仮説は不成立だ」

「もしかして……お知り合いなんですか?」

「昔、同じ病院で働いていた古い友人だ。その気になれば、地位も名誉も財産も思うがまま……のはずだったんだがね、そういったものには全く興味を示さなかった。

 君が今こうして平穏に暮らせている事が何よりの証だ。医療関係者を名乗る怪しげな連中や、取材を申し込む記者もパタリと途絶えただろ? 縁を切ったとは言っていたが……出自のおかけで強力なコネを持っているからね、手を回したんだろう。ああ、ここは全く憶測だけどね」


「……嫌な仕事をさせちゃったみたいですね」

「なら素直にその気持ちを伝えればいい。いずれ機会は設けさせてもらうよ」

 そう言って、ドクターは頬を緩めた。 

「たしかな腕と知識を持っておきながら……宝探しをやると言って職を辞した妙な奴だよ」

「でも結局お医者さんに戻ったって事は、天職だったんですね」

「『目的を達したから残りの人生は悠々自適に過ごすんだ』とは言っていたが、医者に戻ったとは聞いていない。君の治療に当たったのは偶然だと言っていたよ」

「じゃあお宝を見つけたんですかね……?」

「そうみたいだよ。何かは教えてくれなかったけどね」

「お宝……トレジャーハンター? そのご友人って、もしかしてMr.ウォルフマン……?」

「彼と初めて出会ったのは……そう、エデンライトというBARでね、バーテンはたしか……ジェイという青年だったな」

「ああ……、そうでした」

「フフフ、こんな最近の事を忘れているなんて、君の仮説は案外正しいのかもしれないね」

 苦笑いするジェイを、ドクターは楽しげに眺めた。


「さて、そろそろ私にも一杯もらえるかな?」

「あ、すみません……」

「氷はそれで。それと……ナッツはあるかな?」

「生成品しか……」

「構わないよ」

 受け取ったグラスを傾け、ドクターは尋ねた。

「まだ引きこもっているのかい?」

「ええ……。何度か扉の前までは行ったんですけど……。行ってみたい場所も幾つか……」

「前にも言ったと思うが……外に出る時は必ず誰かに付き添ってもらうんだよ。レンが理想だが――アーロンやカレン、ウォルフマンでもいい。もちろん私でもいい。エリーは……ちょっと不安だな」

「どうしてですか?」

「おや? エリーの付き添いをご所望かな?」

「そいう意味では……」

 その時――カランと鈴が鳴り、噂の本人が顔を出した。


「あ、ドクターが居る」

「やあ、エリー。こんばんは」

「エリーさん、こんばんは。こんな時間に珍しいですね」

「今日はお客が少なくてヒマなんだー。それでね、なんとなくまだやってそうな気がしたから来てみたんだー」

 隣に腰を下ろし、何時ものドリンクを飲むエリーを見つめ……ドクターの眉間に深いシワが刻まれた。

「エリー。こっちを向きなさい」

「なーにー?」

 ドクターはエリーをスキャンし、何かを確かめるように顔や腕にペタペタと触れた。

「私が言った事を覚えているか?」

「えっとー、栄養補給! してないね……」

「あと体は生体パーツ用の物で洗うように」

「えーと……はい」

「エリー。君の体は、表面的にはジェイと同じく生身なんだ。きちんとしたケアと管理が必要だ。この話は散々したと思うが? きちんと管理しないと、腐ってしまうよ」


「はい……」

 眉を吊り上げ、声を尖らせるドクターを前に……エリーはショボンと項垂れた。

「借金してまで手に入れて……あんなに喜んでたじゃないか。もっと大事にするんだ」

「だって……生きた体になればさ……」

 小声で呟いたエリーは、ウイスキーを含み瞑目するジェイをチラリと窺い――ぷっと頬を膨らませた。

「なるほど……そういう事か」っとドクターは顔を寄せて囁いた。

「ならばもっとストレートに攻めるべきだ。回りくどいのはダメだ。ストレートにグイグイ押すんだ」

「そうすれば上手く行くの?」

「ああ、彼はきっと押しに弱い。君から押し倒すつもりで攻めたまえ」

「うん。頑張る!」

 ニコリと頷いたドクターはヒソヒソ話を止め、話題を転じた。

「それはそうと……エリー、明日診療所へ来なさい。少し治療が必要だ。今日はここを出たら真っ直ぐに帰るんだよ? 最低でも三日間は仕事は禁止だ。いいね? 朝一で来るんだよ」

「はーい……」


「ジェイ、君にもちょっとお願いがあるんだが……」

「はい、なんでしょう?」

「今後、彼女がここへ来た時は、きちんとパーツの管理が出来ているか確認しておいて欲しいことがいくつかあってね。頼めるかな?」

「はい。僕で分かる事であれば……」

「頼むよ。詳細は君の端末に送っておく」

「分かりました」

「よろしくお願いしまーす」

「専門知識はないんで……、あまり当てにしないで下さいね……」

 エリーとのやり取りに、ドクターは楽しげに微笑んだ。

「フフフ、何を言っているんだい。エリーから見れば、君は専門家を名乗るに十分な知識があるよ」

「そうですか?」

「うん。お肉の体を持ってて、腐らせずに維持出来てる」

「ああ……なるほど」

「ところでジェイ。君は自身に値を付けるとしたら幾らだい?」

 唐突なドクターの質問に、ジェイはきょとんと瞬いた。

「じゃあ、誰かが君に値を付けたとしたら幾らぐらいかな?」

「ん~……、記憶もありませんし……大した値は付かないんじゃないですかね?」


「なるほど。これはハッキリと言っておく必要があるようだね」

「なんでしょう……?」

「君の体は金になる。それも大金だ。一軒屋を買い、余りで庭にプールも作れる。それでも余ったら……地下にシアターなんてどうかな?」

「え……」

「外に出る時に付けろと言っている付き添いは護衛だ。だから指名しているんだよ」

 そう言って、ドクターはグラスを傾けた。

「少し前まで、生体パーツは金持にしか扱えない代物だったんだ。しかし、最近は再生技術の進歩に伴い、生産コストが下がって一般人でも手を出せるまでに敷居が下がった。だが敷居が下がったと言っても、まだまだ高価だ。維持するのも金がかかる。そしてパーツの生産には時間がかかる……」

 ドクターはじっとジェイを見つめ、隅々に視線を這わせた。

「おや、こんなところに既に出来上がったパーツがあるじゃないか……それも上物だ」

「なるほど……」


「私は、ほどほどに機械である方が何かと便利で良いと思うんだがね、肉の体を欲しがる者は多い。肉の体に戻りたい……っという者も多いな。戦争で肉体を失い、または自ら捨てて戦場へ立った。まだほんの三十年前の事だ」

 微かに響いた氷の音色へ、ドクターのため息が交ざった。

「近年、生体パーツの市場は爆発的に伸びている。しかし、供給が追い付いていないのが現状だ。そして何らかの技術革新がない限り、この状況を打破する事は難しい。

 おかげで、裏で流通する出所のよく分からないパーツでも飛ぶように売れる。しかもそっちは生産にかかる時間はないと言って良い。納期も品質も、金額次第でいかようにもなる。そうなると……普通であれば正規のルートでしか買わない者までもが手を出してくる。

 そういう訳でね、生体パーツ市場は在庫に飢えている。そしてその飢えが、闇の市場を爆発的に拡大している。当然ながら、成長産業に参入・・したがる者は多い。君みたいな世間知らずが町をフラフラしていたら、あっという間に拐われてしまうよ。ま、脳ミソだけはカプセルに詰めて帰してくれるがね」

「どうして脳ミソを……?」

「突然に体を奪われてしまった者が願う事はなんだい? 何を一番欲しがる?」


「そりゃ体を……って、そんな事が起きてるんですか……?」

「被害者の体を売り払い別の体を買わせる。連中の常套手段だよ」

 ふと、何かを思い出したエリーが声を割り込ませた。

「そうそう、昨日も誘拐の実行グループとグルの医者が逮捕されたって記事が出てたね」

「くれぐれも、一人で外に出てはいけないよ。いいね?」

「はい……」

 ふと、ジェイはあることに気が付いた。

「あれ……僕の体って、四割を再生したんですよね?」

「ああ。大金が注ぎ込まれただろうね」

「僕の所に請求は来てませんけど……」

「君が引っかかていた衛星はウェイブス社の所有だから保護責任はウェイブスにある。衛星の管理は本社の管轄だから、治療に関わる費用は本社持ちだろう。

 ま、個人費用が発生していたとして、君の所に請求が来ていないのならあいつが対処したんだろうから気にする事はない。

 金になど困った事のない奴でね、我々にとっては大金でも、奴から見れば出した事すら忘れしまうようなはした金だ。顔を合わせた時にでも、一言ありがとうと言っておけば良いさ」

「そうですか……」


「ところで、外へ出たら最初にどこへ行くかは決めているのかい?」

「そうですね……。今なら、僕が乗ってたらしい船が見たいですね」

「ウルフちゃんが解体してるやつ?」

「ええ。一度は見ておくべきなのかなと」

「その次は?」

「そうですね……エイリアンの遺跡」

「それはα-2だよ。ここα-1の中で」

「仕事してるアーロンさんとカレンさんを見たいかも」

「えー警察署? あそこ嫌ーい。アーロンとカレンは良いけど……昔捕まった時にさ、あそこのブタみたいな署長がベタベタ触ってくるから、指をへし折ったら地下の牢屋みたいな所に入れられちゃってさー」

「それは……」

「セクター5に送ってやるぅ! って喚いててさ」

「でもそのおかげで、アーロンやカレンと仲良くなったんじゃないか」


「まあね。警察関係の常連もできたしね。そういう意味では役に立ったけど、仕事の方はダメダメみたいだよ。でも何故かずーっと署長なんだよね。不思議ー」

「そうだったんですね、あのお二人とはここで知り合ったのかと思ってました」

「実は逆なんだー。あの二人にね、ここを教えてもらったの。でも、レンちゃんは何故かあたしの事知ってたんだよね」

「そりゃウォルフマンを通じて知ったんだろう。そもそも君の女神を彼に紹介したのは誰だい?」

「ああ……、そっか」

「エリーさんは難破船に居て……Mr.ウォルフマンに助けられたんですよね?」

「うん。ウルフちゃんに回収されて、ウルフちゃん家の倉庫にずっと放置されてた」

「エリー、その言い方は語弊があるよ。直したかったが直せなかったんだ」

 交互に視線を向けるジェイへ答えるように、ドクターは続けた。


「エリーもね、君と同じく頭に大きなダメージを負っていてね。手は尽くしたけど上手く行かなくて……修復は不可能かと諦めかけていたその時、ジェーンという天才が現れてなんとか甦った。

 と、ウォルフマンの話を要約するとこんなところだ。ウォルフマンとジェーンを引き合わせたのがレンなのさ。以来、彼女もここの常連なんだろ?」

「そうそう、様子を見に来て、それからここに通うようになったんだよ」

「そんな繋がりがあったんですね……全然知りませんでした。みなさん、そんな事おくびにも出さないから……あれ? エリーさんは今年で……」

「二十二年、再起動してから二十二年だよ」

「……ジェーンさんって、お幾つなんですか?」

「フフフ、それは本人に聞きたまえ。まあ、僕よりは若い。とだけ言っておくよ」


「なんだか懐かしいなー……。直ってすぐの頃は、パイプを継ぎ合わせたみたいな体でさ、私はアンドロイドだって言ってるのに、ウルフちゃんは『ロボなんてみんなそんな感じだ』、『大丈夫だ。十分カッコイイ』って、あたしは女の子だって言ってるのに、ホントらちがあかなくて……。

 ウルフちゃんのジャンクヤードで働きながら、こっそりガラクタ売ってお金貯めて……。そう言えばマーシーがよく買ってくれたっけ。その後ここで暫く働いて……」

「ここで? ……バーテンをやってたんですか?」

「うん。ウルフちゃんの所でお金貯めて、やっとこ女の子のボディを手に入れてさ、ウッキウキで出掛けたら警察に捕まって……。あたし何で捕まったんだっけ?」


「警察官への暴行傷害」

 背後から、不意にレンが割り込んだ。

「ボス! いつの間に……」

「もう、ビックリしたー……」

「扉の開け方が悪いと言われたんでな、丁寧に開けて入っただけだ」

 例の黒ゴス姿で得意気にそう答えた。

「店のセキュリティは切ったとして……どうやって私とエリーから気配を隠したんだ?」

 首を傾げるドクターに、レンは見覚えのないゴツイ靴を得意気に見せた。何かの一部らしく、鋼板に覆われウネウネと這うパイプや配線が見えた。

「コイツだ。ステルス戦用に開発された優れものだ。私は魔女という設定でな、いつの間に背後に立っている……。そういうキャラなんだ。ただ、性能は申し分ないんだが……見た目は改善の余地ありだな」


 席に着いたレンは、何時ものドリンクを用意しようとするジェイを制してドクターのボトルを指した。

「私もそれがいい。いいかな? ドクター」

「ええ、どうぞ」

 受け取ったグラスに口を付け、ホッと息をついた。

「今日は少し……脳を酔わせたい気分なんだ」

「味覚センサーの交換は終わったんですか?」

「ああ、おかげで色んな物の味が変わってしまった。一体何時から壊れてたんだろうな……」

 もう一口含み、ゆっくりと飲み下した。

「そうだ、エリーの話だったな。しつこくナンパしてきた警官を突き飛ばしたんだ。フルパワーで」

「そうそう! あたしの腕はめり込んで、向こうの腕は千切れちゃったんだよ。警官のクセにチャチなボディのキザったらしい奴だったな」


「それで逮捕されて、署長の指を……?」

「うん。アーロンとカレンが助けてくれたんだけど、ブタ署長が怒ってて……それでほとぼりが冷めるまでレンちゃんがココに匿ってくれたの」

「なるほど……」

「それでね、一段落した後にあの二人にお礼がしたいなーって思って、最初にアーロンのお家に行ったら、奥さんが目茶苦茶怒っちゃって、結局離婚しちゃったんだよね……」

「お礼って……その、体で的な……?」

「もー、ジェイちゃんひっどーい。さすがにその程度の常識はあたしにもあるよー。それに、当時の仕事はバーテンだよ?」

「自分が買ったボディが、セクサロイド用だという事を知らなかった、というオチだ。当時あのモデルが爆発的に流行っていてな、CMに煽られてよく分からないまま買ってしまったという訳だ。

『肉を超える肉感!』『素肌を超える肌触り!』たしかに、あのCMは衝撃的だったからな……」


「そんな流行りのセクサロイドボディで旦那を訪ねきたとなれば……奥さんが勘違いするのも無理はない。ま、不運な事故だよ」

「人間の顔って、あんなに変形するんだ……って奥さん顔見てビックリした。骨ごと変形してるんじゃないかと思ったよ」

「まあでも気にする事は無いぞ。あの夫婦は元々冷えきってたし、嫁の方は常々離婚を言い渡す口実を探していたんだ。遅かれ早かそうなる運命だったんだ。本人も気にするなと言っていただろ? あれは社交辞令や建前じゃない。もっと早く別れていればよかったって、あの頃よく愚痴っていたからな」

「そっかー……ずっと気になってたんだよね。でもアーロンに直接聞くのもって思って」

「あの、どうしてここの仕事を辞めちゃったんですか? で、その……」

「ん~、よく分からないんだ。強いて言えば……ボディがセクサロイド用だったからかな?

 なんかね、そうしなくちゃいけない気がして……このボディを知った時も、知った瞬間に絶対買わなきゃ! って思って我慢出来なかったんだ。

 んと、こっちの理由は……だいたい分かってるんだけど……」

「……?」


「時々ね、何故だかすごい矛盾した事や非効率な事しようとしたり、そんな判断をしちゃう事があるんだよね。分かってるのにやっちゃうんだ。頭の中はエラーログだらけにってるのに、何故かやちゃうんだ……。

 ジェーンが言うにはね、そうさせるのはかつての私の断片だって。ジェーンが私を直した時、元々の私は殆ど失われていたんだけど、可能な限り復元して残したんだって。

 私はかつての私の断片を幾つも内包してて、時々それらが今の私に干渉して矛盾した判断や非効率な行動をさせるんだって。ある種の本能のように機能してて、それが私を単に自我に目覚めたアンドロイド以上の存在にしてるんだって言ってた。

 だから、直感的にこうしなきゃ! って思った時は、従うようにしてるんだ。きっとそれが、私の……本当の私が望んでいる事なんだと思うから」

「自分が本当に望んでいる事……」

「だからさ、ジェイちゃんお外に出られるようになったらデートしよ」


「えっと……それも?」

「うん。ダメ?」

「いえ、喜んで」

「エヘヘ、ありがと」

 エリーはサッと精算を済ませ、残っていたドリンクを流し込んで席を立った。

「じゃ、あたしはそろそろ帰るね。人間はそろそろ寝ないと明日が大変だよ? じゃあね!」

「……たしかに、いい時間だな」

 エリーの背を見送り、呟いたドクターはレンを振り返った。

「レン、君は自力で帰れそうかい?」

「これでもだいぶ強くなったんだ、心配無用だ」

 クイとグラスを空け、席を立ったレンは――ふと立ち止まってドクターを振り返った。

「やっぱり途中まで頼む」

 店を出るレンを見送り、ため息と共にドクターも席を立った。


「やれやれ、お説教の時間かな……」

「説教?」

「レンはこんな時間によく飲みに来るのかい?」

「いえ、だいたいは朝で滅多に……あ! そうだ、ドクターが来る時だけです……」

「あれはね、私の仕事を見に来ているんだよ。今日はたぶん何か言いたい事があるのさ」

 その時、一瞬開いた扉からレンの声が投げ込まれた。

「おい、まだか? 早くしろ」

「ほら、ご機嫌斜めだ」

 ドクターは肩をすくめて見せ、精算画面を呼び出した。

「あ、お代は……。ご自分のボトルですし、そもそもお代の代わりに診察を……」

「最初の一杯は出させてほしいな」

「……投資、ですか?」

「次回を楽しみにしているよ」

 ニコリと微笑み――コツ、コツ、と去って行くドクターの背を、深いお辞儀で見送った。

「またのお越しをお待ちしております」

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