常連客

 微かな電子音が響き、目覚めた意識がまぶたを押し上げた。

 薄闇に浮かぶ見慣れた部屋、嗅ぎ慣れた毛布の匂い。左右を物に囲われ、ベッドの上以外ほとんど身動きの取れない狭い部屋。

 昨晩、ここに横たわった記憶と、現在いまが繋がる。間違いなく昨日の続きであり、その中のいる自分を認識できる。

「もしあの時……」

 途切れる前の記憶と、現在が繋がらなかったら……自分の記憶と、世界が繋がらなかったら……僕は正気を保てただろうか? 僕は、僕自身の存在を認める事ができただろうか?

 微睡み始めた意識を引き戻し、身を起こして部屋を出た。

 

 BARエデンライト。ここへ来て約二年、ボスの仮眠室に住んでいる。

 照明を点け、カウンターから店内を見渡した。木目の美しいクラシックな空間だ。しかし、残念ながら本物の木は使われていない。

 四人でいっぱいのカウンター席、右を向けばトイレの扉が見える。左は長ソファーとテーブルが二つ。椅子の置き方次第で七人は座れた。その向こうに入り口の扉が見える。長細いコンテナ倉庫を改装した十人も入れば満員の小さな店だ。

 昨夜、照明を落とす直前と同じ景色を見つめ、生成機のスイッチをタップした。エデンドロップと書かれた専用のスイッチだ。

 セットされたグラスに照射される光が、渦を巻く水へ変わって行く。この店では、生成機で作る水にエデンドロップという名前が付けられている。

「昨日の続きだ」

 呟くと同時に水を流し込み、客を迎え入れる準備に取りかかる。制服を着替え、テーブルとカウンターを拭き、昨夜磨いた床をチェックする。問題がなければ開店だ。

 カウンターの下に配置された赤いボタンを押せば、表の看板が灯り扉のロックが解除される。

 ほどなく、扉に取り付けられた鈴が鳴った。本日一人目の客だ。

 常連達は大体同じ時間に現れるのだが、彼のようにランダムな者もいる。しかし、最近は鈴の鳴り方と足音で誰が来たのか分かるようになった。

 カウンターに近づいてくる足音を聞きながら、いつもの物を用意する。

 ダマが残りそうな程に濃いミルクと砂糖。それを火が着きそうなアルコールで割って行く。ミルクの風味はなく、ミルク臭く油っぽい。それに歯が溶けそうな甘さとツンとくるアルコール。一口飲んだだけで胸焼けが止まらなかった。これをメニューに加えたボスの感覚も、ほぼ毎日これを飲みに来るこの男の味覚も理解できない味だ。


「おはようございます。Mr.ウォルフマン」

 グラスを置くと同時に席に着いた彼は、金属剥き出しの指でカツリとグラスを掴み取った。

「ミスターはいらねぇつってんだろ……」

 一息にグラスを空け、何とも幸せそうに息をついた。

「おはよう。ジェイ」

 両眼に埋め込まれたルーペの様な目が、素早く回りこちらにピントを合わせたのが分かった。

 彼の見た目は……一言で言えば獣だ。長身の大きな体、口から顎にかけて髭を蓄え、キャップで押さえつけたたてがみのような髪と濃い体毛。分厚い筋肉に押され、シャツとサロペットが悲鳴を上げている。

「またお前さんが乗ってた船を漁ってきたよ」

 空のグラスを受け取り、代わりを作りながら尋ねた。

「何か見つかりました?」

「めぼしい物は何も。古い物が好きな連中にとっては宝の山のようだがな」

 そう言うと、彼は不思議そうに尋ねた。

「お前さんは気にならんのか? 自分の家が家捜しされているような気分になったりしねぇのか?」

「特に。何も覚えてませんし、その辺の記憶は脳みそごと削り落とされたらしいので」

「そうだったな……」

 そう言うと、思い出したようにグラスを指して付け加えた。

「ああ、少し強めで頼む」

「畏まりました」


 ウォルフマン。職業はトレジャーハンター兼解体屋。今は解体屋が本職だそうで、数ヶ月前に曳航してきた難破船の解体に携わっている。

 三年前、僕が入った冷凍カプセルがこの町に流れ着いた。衛星を修理していた作業員が、たまたま見つけて回収したそうだ。ほぼ死んでいたらしいが、なんとかこうして蘇った。

 ただ、脳みそのダメな部分を削り取って再生したら、めぼしい記憶は無くなっていた。という事らしい。

 僕が詰まっていた冷凍カプセルはその船に乗っていた物なんだとか……。カプセルを解析し、母船を探し出したらしい。


「どうぞ」

 グラスを受け取った彼が、再び幸せそうな吐息を洩らすと同時に――突き飛ばすように扉が開いた。

 何処にそんな力があるのかと、首を傾げてしまいたくなる小柄な女の子が立っていた。

 ボブカットの黒髪に黒い眼帯、黒い口紅。ベルトが並ぶ真っ黒なブーツとフリフリのレースを多用したドレス。所々に見える鮮やかな赤と、光を弾く白が目を引いた。

「おはようございます。ボス」

今日は・・・女の子か」

 と、ウォルフマンは楽しげに微笑んだ。

 彼女はツカツカとカウンターへ歩み寄り、ウォルフマンの隣に腰を下ろした。

 脇に立て掛けた黒い日傘は、畳まれていてもその膨らみからフリフリの装飾がてんこ盛りな事が窺える。

「ちょっと……朝っぱらから客は一人だけ?」

「何言ってるんですか、何時もより一人多いじゃないですか」

 彼女は微かな笑みを浮かべ、二人に尋ねた。

「ところで、何であたしだって分かった?」

「ドアの開け方」

 同時にそう答えた二人を無視して重ねて尋ねた。

「で、本当は?」

 ウォルフマンはコツコツと自分の目を指し、入り口の天井に取りつけられたセンサーを指差した。

「俺の目は誤魔化せない。そいつより高性能だ」

「ボスの頭、戦車でも乗っかってるみたいな反応します。材質的に」

「なるほど。で――」

 続けて何か言いかけた彼女の前に、鮮やかな青い色のドリンクが置かれた。

「昼になったら起こしてくれ」

 黒いレースの手袋を外し、ドリンクを手に仮眠室兼ジェイの自室へ姿を消した。

「……あの、ボスの本当の性別ってどっちなんです?」

「それはこの目でも分からん」

 ニヤリと微笑み、ウォルフマンはグラスの残りをグイと流し込んだ。


 常連客。っと言っても、ここを訪れる客のほとんどがそうだ。約二年、ここに立ち続けて分かった事だ。

 こうしてウォルフマンと話をしている間にも、一杯ひっかけて行った者が数名居るが、初めて見る顔はない。一日通してそうだ、初対面と言える出会いは滅多にない。あったとしたら……整形かボディを乗り換えたのかと考えてしまうだろう。

 ジェイの言う常連客とは、「友人」と言う方が近いようだ。

 

 ウォルフマンと他愛ない世間話を続け、再び二人になった。そろそろ話題が尽きてきたところだが……。

 「カラン――」と鈴を鳴らし、僅かに開いた扉からまた別の常連が身を滑り込ませた。

「もー、扉が重いよ」

 細身の体に長い赤毛。露出の多いピチピチの服は、角度によっては裸に見えてしまいそうだ。カツカツと床を打つヒールが、大きく開いた胸元を余計に揺らした。

「すみません、ボスの開け方が乱暴で……すぐ壊れちゃうんです」

 隣に腰を下ろした彼女へ、ウォルフマンは「ハッハ」と楽しげな笑みを溢した。

「ひ弱なフリしてんじゃねぇよ、お前さんの体は対艦レーザーでも弾くだろう?」

「ひっどーい、そこまでゴツくないよ。それはレンちゃんの頭だけー」

「おはようございます、エリーさん」

「ジェイちゃんおはよ」

 改めて挨拶を交わし、ジェイは何時ものドリンクをカウンターへ置いた。虹色に輝く液体……人間の飲み物ではない。

「あと同じのちょうだい」

 エリーはそれをグイと飲み干し、ウォルフマンのグラスを指差した。


 自立型のアンドロイド、モデル:エレノア。シリアルNo.198356A005。難破船からウォルフマンが回収した……それが彼女の出自だ。元は事務用アンドロイドだったらしいが、今はどういうわけか娼婦を生業にしている。


「リアクターを取り換えたからご飯も食べれるようになったんだ。この白いの前から興味あったんだよねー」

 差し出されたグラスをかざすように持ち上げ、ゆらゆらと揺らした。

「そうそう、だからお客が出したアレもエネルギーに変換できるようになったんだー」

 ふとエリーはジェイの手を取り、艶めかしく指を絡めた。

「ねえねえ、私達って似てるよねぇ。難破船から回収された大昔の遺物……」

 ニコリと微笑んだジェイとエリーの間に、精算画面が表示された。

「合わせ25ルナです」

「もー、少しは乗ってくれてもイイじゃない」

「ハッハ、そんだけ体を改造する金はあるんだ、一杯や二杯黙って払え」

 頬を膨らまし、手をかざして支払いの認証を済ませた。

「こうやって地道な節約して、ローンを払ってるの。……ところで、レンちゃんはもう来てるの?」

「奥で寝てます」

「ふ~ん、そっかー。じゃ、あたしも帰ってメンテしようっと。レンちゃんによろしくね」

 エリーは席を立ち、グラスを半分ほど空けた。

「……ねえ、ウルフちゃん。これ美味しいの?」

「味が分かんのか?」

「ん~、たぶんウルフちゃんの言う味は分からない。でも成分は分かる。それをデーターベースと比較すると……これは不味いって分類される成分だよ。なんとかの小便とか下水とか言われるヤツだよ」

「ハッハッハ! 機械にこの味が分かってたまるか」

 ウォルフマンは精算画面を表示し、支払いを済ませて席を立った。

「んじゃなジェイ、オレも帰って寝るわ。明日もお前さんの実家を荒らしに行かなくちゃならなくてよ」

 ウォルフマンを見送り、エリーはまだ半分程残っているグラスを差し出した。

「ジェイちゃんあげる」


 ――一人になったジェイは、水を生成して一口含んだ。ゆっくりと喉を通し、ホッと息をついた――その時、仮眠室の扉が開いた。

「ボス……。まだ昼前ですよ?」

「目が覚めた」

 ジェイの前へ腰を下ろし、エリーの飲み残しを一息に呷りホッと息をついた。

「ジェイ、毛布を洗え。少し臭うぞ」

「すみません……、昨日洗ったんですけどね」

「自分でやるからだ。制服と一緒に洗濯に出していい。定期的に洗え。プリンターで作り直してもいい」

「はい……。ところで、ボスは味は分かるんですか?」

「当たり前だ。これでもBARの経営者だぞ? 味覚センサーには気を遣ってる。無論嗅覚もな」

「そうですか……」

「朝食を頼む」

 ジェイは戸棚を開け、シリアルの箱を取り出した。最近人気を博しているアンドロイドアイドルの写真がプリントされたパッケージに『エネルギー変換効率98%!』という文言と、ボス専用の走り書きが踊る。中身は刻んだ乾燥パスタのような見た目をしている。

「……」

 皿に移しながら、何食わぬ顔で目に付いたスパイスをこっそりと一瓶流し込んだ。

「今日は遅くなるから、夜はお前の気分に任せるよ。眠くなったら閉めて寝ろ」

「わかりました」

 ミルクをかけ、シャクシャクと平らげる彼女へ恐る恐る尋ねた。

「美味い……ですか?」

「いつも通りだ。どうかしたか?」

「ボス……。味覚センサーが壊れてます」

「これはメンテフリーの5年保証付きだぞ? 心配するな」

「いや、絶対壊れてます。あと嗅覚も調整した方がいいです」

 そっと、空の小瓶をカウンターへ置いた。


 ――暫くして、ボスは迎えに来た連中と何処かへ出かけていった。全体的に黒く、眼帯、眼帯、チェーン、ピアス。だいたいそんな感じ。ボスの交友関係や趣味は未だによく分からない。謎多き人だ。

 それから間もなく、カランと鈴が鳴った。

「よう。レンは居るか?」

 ヨレヨレのトレンチコート、そろそろ切り時の坊主頭と無精髭……アーロン刑事だ。浅黒い肌が、髪と髭に混じる白いものを際立たせた。

「少し前に出かけました。一応連絡は取れますけど……」

「いや、近くを通ったから寄っただけだ。別に用があったわけじゃねえ」

 そう言って、アーロンはカウンター席へ座った。

「ご注文は?」

「おい、勤務中だぞ?」

 とは言ったが……ニヤリと微笑み、タバコに火を点けた。

「一杯だけな。ガツンとくるヤツを、何でもいい」

 火が付きそうなアルコールにスパイスを一つまみ。独特の香りと、ピリっと舌を突く刺激がアルコールを際立たせる。

 ショットグラスがカウンターを叩き、ギュッと結んだ歯の隙間から空気を取り入れた。

「コイツは効くな……。何が入ってんだ?」

「ボス特製のスパイス。レシピは知りません」

 小刻みに頷き、アーロンはグラスを突き出した。

「いいんですか?」

「細けぇ事言うな」

 再びグラスがカウンターを打ち、大きく開いた瞼に押され、アーロンの額に太いシワが刻まれた。

 ポッと空気の塊を吐き、仕切り直すように尋ねた。

「どうだ、問題ないか?」

「ええ、特に」

 ジェイは肩を竦め、差し出されたグラスを受け取った。


「相変わらず何も思い出せないのか?」

「……最近、それについて考えるんです」

 そう言って、シェイカーを振っていた手を止めた。

「僕は、本当は覚えてるんじゃないかって思うんです」

「何か思い出したのか?」

「そうかもしれない。っていう話です……」

 仕上げた三杯目をグラスに注ぎ、話を続けた。

「寝る前の記憶と、目覚めた時の記憶が繋がってなかったらどう思います?」

「……どういう事だ?」

「眠っている時って、自分という動画を一時停止しているような感じだと思うんです。目が覚めた時に、眠る直前の記憶との誤差を測って、これは続きだなんだって判断する」

「……なるほど」

「でもこれは眠っている時だけではなく常に行っていて、常に一瞬前の記憶と、目の前にあるものとの誤差を測ってる。

 そうやって、自分が連続した時間の上に居ることを認識すると同時に、そこに記録されている自分というものの存在を認識する事ができる」

「……」

「でも、一時停止を押して、再生ボタンを押したら全くの別物にすり替わっていた。もしもそんな事があったら……正気を保てますかね?」

 アーロンは摘まんだグラスをクリクリと回し、小刻みにゆっくりと頷いた。

「つまり……、お前はコールドスリープから目覚めた時、記憶は失っていなかった。だが、80年という時間を、現実を受け入れる事ができずに自ら記憶に蓋をして忘れた事にしてしまった。そういう事か?」

「違いますかね?」

「根拠は?」

「今の僕です」

 眉を寄せたアーロンへ、ジェイは淡々と続けた。


「僕は最初から会話が出来ました。少々勉強は必要でしたけど、言葉は通じました。計算もできたし、道徳観念などもありました。目覚めた後に一から誰かに教わったわけではありません。知っていたんです。つまり、覚えていた。そういう事になります。

 でも、これはおかしい……だって僕の記憶は、脳ミソを削るという物理的手段で失ったはずでしょ? 思い出すとかそういう話ではないはずです」

「それが根拠か?」

「もう一つ。もっと単純な話です。人生と、それを歩んだ世界だけをスッポリと忘れるなんて……こんな都合の良い話はないでしょ?」

「……レンは何と言ったんだ?」

「ボスとはこういう話は……」

 アーロンは何か言いかけて、ふとポケットから端末を取り出した。

『何で映像を切ってるの?』

 カウンターへ置いた端末から、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。アーロンの相棒、カレンの声だ。

「用件を言え」

『なるほど……。ジェイ~、そこに居るんでしょ~? その人何杯飲んだのかしら?』

 アーロンは鼻先で指を立て、ジェイはピタリと動きを止めた。

「残念だがその程度の分別はあるぞ」

『ふーん、まあいいわ。交通課の連中から催促がきてるんだけど、報告できるような事はあるのかしら?』

「心当たりを当たってる所だ。進展があったら連絡する」

『そっ、早めに頼むわよ』

 端末を仕舞い、アーロンは大袈裟なため息を洩らした。


「交通整理用のロボットが盗まれたんだとさ。あんな物……売ったって二束三文にもならねぇってのにな。

 まあ、んなものがまだ存在していた事の方がビックリだがな。緊急用だとか言っていたが、そんな事態になっても絶対に出番はないと断言できる。利権のニオイがプンプンするぜ……」

 ため息の代わりにグラスを空け、話を戻した。

「そんな事より、お前の話だ」

 っとその時、彼は再び端末を取り出した。

「あいつ……、位置情報を調べてやがる」

 アーロンは急いで精算を済ませ、席を離れた。

「悪いなジェイ、また今度話そう。ともかく一度レンに話してみろ、あれであいつは面倒見が良いんだ、本気でお前の事を気に掛けてる。あいつを信じろ」

 早足で出口へ向かうアーロンへ、ジェイは水のボトルを投げて寄越した。

「すすいだ方がいいです」

 ボトルを掲げるように、後ろ手に手を振る彼へそっと呟いた。

「……だからボスには話したくないんです」

 その時、俯いたジェイの耳に甲高い陽気な声が飛び込んだ。

「やあ、アーロン。ご機イカガ? おや? もうお帰りデスか?」

 何処か不自然な……合成音声くさい声だ。

「ようマーシー、また今度な」


 遠ざかって行くアーロンの声と入れ替わりに、モーター音を響かせマーシーが滑り込んだ。

 三角形に配置された太いタイヤを回し、クルクルとスピンして見せた。

「やあ、ジェイ。ご機嫌イカガ?」

 彼の見た目は――ロボットだ。箱を重ねたような、如何にもなロボットだ。

 ゴチャついた胴体の上に、小型のブラウン管テレビのような頭が乗っている。画面にはドットで文字や絵など、彼の表情が表示される。

「いらっしゃいませ。Mr.マーシー」

 髭を引っ張るような彼の仕草に合わせ、画面に表示された口ひげがプルンと揺れた。

「いやぁ、何度聞いテモ素晴らしい響きデスねぇ! もう一度お願いしマス」

「ご注文は? Mr.マーシー」

「いつものをお願いしマス」

 そこへ、一足遅れて見慣れないロボットが入ってきた。巨大な卵に手足を生やしたような姿をしていた。ゆっくりとした足取りで歩き、マーシーの隣に並んだ。

「ああ、紹介しマース。私の友人で……えーと、名前はまだありまセン。昨日知り合ったばかりデ……。後で一緒に考えてくだサイ。彼には充電プラグをおねがいしマス」

「……畏まりました」

 首を傾げつつもそう返し、何時にもましてご機嫌な様子でスピンするマーシーへ尋ねた。

「それが、この間言ってた足ですか?」

「そうデス! 最高時速はなんと120㎞! 階段がちょっと不安デスが……、想像していたよりも実に良い品デス!」

 しかし、カウンターに置かれた虹色のドリンクに手を伸ばしたマーシーは、スツールに行く手を阻まれた。


「……あと座れないのが難点ですネェ。これ外して良いデスか?」

 返事を待たず、マーシーはスツールの一つを外して隙間に収まり、友人は何とかスツールに座って充電プラグを差し込んだ。

「ここの改装工事を請け負ったのはワタシなんデスよ。何処だかのラボをモデルにしたとかなんとか……、構造はよく知ってマス」

「そうだったんですか?」

「ええ、正確にはワタシの会社デスが」

「マーシーさん社長だったんですか?」

「いえ、ワタシの雇用主が改装工事を請け負ったんデス」

「……なるほど」

「……もっと正確に言うと、元雇用主デスが」

「辞め……たんですか?」

「……」

 ボディからノズルを引き出し、グラスの中身を吸っていたマーシーの顔に、パッと電球が点灯した。

「ワタシは、強制的に繰り返されル単調な毎日に一石を投ジルべく、自由を満喫シテいるところなんデス!」

 続けてクルリと振り返り、肩を組むように卵形のロボットに手を回した。

「彼もその一人なんデス! 交通整理などという、およそ活躍スル機会など永久にないであろう、アナログで前時代的な仕事からワタシが解放して差し上げたんデスよ!」

「……マーシーさん、返した方がいいです。警察が盗まれた交通整理ロボットを捜してるって、さっきアーロンさんが……」


「何を言っているんデスか、彼は自分の意志でワタシに着いてきたんデスよ。

 知っていマスカ? この町の行政機関で使われているロボットはみんな同じAIを積んでいるんデス。この不毛な労働を課せられテいた彼も、あの恐ろしい警察ロボットも、役所の優しいの案内ロボットも、どこまで自由ニさせるかが違うだけで、脳ミソはみーんな同じなんデス。

 この彼の場合、ワタシはただプロテクトを解いただけで、後は全て彼の意志なんデス。盗んだなんて人聞きのワルい」

 その時勢いよく扉が開き、早足にアーロンが戻ってきた。

 彼は卵形のロボットをぐるりと調べ、端末を取り出した。

「本部、見つけた。通りまでこちらで誘導する。回収用の車を回してくれ」

 まだ何かしゃべっている端末を強制的に切り、ロボットを立たせた。

「アーロン! 何をするんデスか!? 待って下サイ、ワタシの友人をどうするつもりデスか!?」

「だまれ」

 鋭く言い放ち、突き出した指を画面に押し当てた。

「これは貸しだ。いいな?」

 何か言い返そうとしたマーシーだったが、目を吊り上げたアーロンを見つめて言葉を飲み込んだ。

「プピピ……」

 と電子音を鳴らしながら連れられて行く友人を見送り……画面に表示された瞳からポトリと涙を落とした。

「マーシーさん……」

 言葉に迷うジェイを振り返り、マーシーは何事もなかったかのように追加の注文を告げた。

「あ、もう一杯お願いシマス」

「あの……大丈夫なんですか?」

「彼は抵抗すれバできたのにやりませんでシタ。むしろホッとしていたようにすら見えましたネ。もう彼の行動を制限するものはないのに、ココへ来るまでもまだ制限があるかのように振る舞っていましたからネ。

 唐突に自由を与えテモ戸惑うだけ……自由を知り、そして求め、勝ち取る。そのプロセスが大事なのデスよ。如何に素晴らしく崇高なものデモ、唐突に与えらたモノにそこまでの価値を見いだすことはできないという事デスね」


「ならば次はその辺を学習させてから徐々に解放して行く……」

 っと、女性の声が割り込んだ。いつの間にか入って来たのか……白衣のポケットに手を入れ、マーシーの背後に回り込んだ。

 不意を突かれたジェイは思わず「あっ」と声を洩らし、マーシーは気が付かずに話を続けた。

「ええ、その通り。帰ったら早速ロボット達に自由の概念を教授する手立てヲ考えなければなりマセン! 実は既にそのための仕込みもやってマシテね、忙しくなりそうデス。ハッハッハ」

「なるほどー、ウチに侵入したのは貴方ね」

 マーシーが彼女を振り返ったのを合図に、ジェイが声をかけた。

「いらっしゃいませ。ジェーンさん」

 ボリュームのあるブロンドは、一つにまとめても彼女の小顔を強調していた。対して瞳は大きく、細い縁なしの眼鏡では心許ない。

「やあ、ジェーン。ご機嫌イカガ?」

 ニッコリと微笑み返したジェーンは、マーシーの腕にカシャリと手錠をかけた。

「え?」

 ジェイとマーシーの声が重なった。

「ウチに侵入した腕は賞賛に価するわ。でも残念……完全隔離の別荘へご案内しなくちゃいけないの」

「ジェーン、これは何のマネですカ?」

 文字通り『?』を浮かべるマーシーへ、ジェーンはニコニコと微笑んだ。

「私ね、逮捕権持ってるの」

「ジェーンさん警察官だったんですか……?」

「違うけど……、雇用主は同じね」

 ジェーンは端末を取り出し、身分証を表示させた。

「サイバーセキュリティ……コンサルタント?」

「基本的にはこういうことは警察にお願いするんだけどね」

 そう言って、上着の隙間からチラリと銃を見せた。

「こういう特権もあるのよ」

「つまり警察に逮捕されたのと同義であると解釈して良いのですカ?」

「まあ、そういう事」


「何故? 私が一体何をしたというのデスか!?」

「あなた、警察の所有物をハッキングしたのよ? そして失敗したから直接いじくりに行ったんでしょ? アーロンはあなたを見逃すつもりみたいだけど、私はそのつもりはないし彼に泣きついてもムダよ。アーロンが見逃したのは物理的な盗み。私が逮捕するのは、私が守る機器への不法侵入」

「ま、待って下サイ! この間仕事をクビになっテ、来月のお家賃も払えないのデスよ!? 逮捕なんてされタラ……、保釈金や罰金なんてとてもではないデスが払えませんヨ!」

 とその時、カウンターに緊急通話画面がポップアップした。

「おい、ジェイ!」

「ボス……。どうしたんですか?」

「店のセキュリティに誰か侵入したぞ! 2分20秒前に店へ入ってきた奴をぶち殺せ!」

「……なるほど。ああ、大丈夫ですボス。解決済みです」

「そうか……仕事が早いな。掃除屋は必要か? 手配するぞ」

「大丈夫です。ごゆっくり」

 ジェイは通話を終え、ジェーンに目を向けた。

「どうりで気が付かなかったわけですよ。そもそもこの店に銃は持ち込めません」

「入り口のセンサーを……ちょっとね」

「ボスがぶち殺せって」

「……」

「取引しますか?」

「も……もう、冗談よ」

 ジェーンはマーシーの手錠を外し、隣に腰を下ろした。

「釈放デスカ?」

「元々そんな気ないわよ。いつもの頂戴、アルコール抜きの……炭酸で」

「畏まりました」


「失礼なガラ、先程アナタのバイタルスキャンをさせていただきマシタ。心拍、体温、声紋……その他もろもろ、いずれモ本気である事を示しておりまシタが?」

「ちょっと、それ違法よ」

「アクセス権限のない機器に無理矢理アクセスするのも違法デスよ?」

「ハイハイ、分かりました。逮捕しようとしたのは本気です。これで満足?」

 ジェーンの前に置かれたグラスから、フワリとパインの香りが漂った。

「ありがと」

 グラスに口を付け、細いため息をついた。

「レンにアナタを雇ったらどうかって言われたのよ。仕事をクビになってぷらぷらしてるから、暇をもて余してよからぬ事をしでかす前に働かせないといけないって……。ちょっと手遅れみたいだったけど」

「何と! ワタシをスカウトに来たのデスカ!? そういう事は早く言って下さい。もう少しでアナタの犯罪の証拠を全銀河へ流すところでしたヨ!」

「アンタねぇ……自分も同じだって事忘れてない?」

「それで、報酬はいかほどいただけるのでショウか? 今の家はちょっと手狭デ……ワンランク上の部屋へ越したいと考えていたところなんデス。もちろん、その程度の事ハ加味した金額を提示していただける事は分かっておりマスが、念のために確認しておかなくてはなりマセン。

 もっとも……ワタシがこのデータを持っている限り、アナタに拒否権はありマセンがね。ああ、それとついでにここのお代もお願いシマス」

 ジェーンは残りのドリンクを一息に流し込み、ため息で弛んだ喉をピリリとしみる炭酸が引き締めた。

「こういう面倒臭い事言い出すだろうから、サクッと逮捕して取引して終わらせようと思ってたんだけどね……」

 ジェーンは手錠取り出し、再びマーシーの腕へかけた。


「何をしているのデスか?」

「やっぱり逮捕する」

「そんな事をして良いのデスか? ワタシがアナタの犯罪の証拠を握っている事をお忘れデスか?」

「逮捕のためにやむを得ず、って始末書を書いて終わりよ」

「犯罪を取り締まる側が犯罪ヲ犯して始末書で終わりなんてあり得まセン! 拡散して徹底的に糾弾させてもらいマス!」

「『権力の横暴デス!』とかなんとかいろいろ言うんでしょ? でも残念だけどこれが現実なの。権力って、本当に恐いのよ。そして私はその権力の側で権力の手先なの。あなたの罪を誇大報告して、セクター5に収監なんて事も朝飯前よ。重度の虚言癖ありってのも付け加えとくわ。それを覆せる自信があるのならやってみればいいわ。別に止めないわよ」

「……せっかくのお誘いデシタが、なかった事にしまショウ。その方がお互いのタメになると思いマス。それぞれ歩む道が異なったという事デス。よくある話デス、ハッハッハ」

「そう……。でもね、君には働いてもらうって決めたの。罪を帳消しにするだけの働きを期待してるわ。もちろん、一応お給料もだすわよ」

 立ち上がったジェーンに合わせるように、クルリと踵を返したマーシーが悲鳴を上げた。

「ジェーン! アナタ、ワタシのボディをハックしましたね!?」

「さてと……。じゃ、そのうるさい口も閉じましょうね」

「ままま待って下サイ! ジェイ! 助ケ――」

 それきり、マーシーは静かになった。

「コイツの分はアーロンに付けといて。じゃあマーシー、取り調べ――面接室へ行きましょ」

 ジェーンは精算を済ませ、端末を手に歩き出した。ラジコンでも操作するように、端末でマーシーを操った。


「特別に、ウチに色々と置き土産をしていった事は責めないわ。私も同じ事をしたから。

 でもねマーシー、一言いわせてもらうと、人の家に侵入する時はまず自分家の戸締まりをしてからよ。ああ、それと、履歴書は不要よ。直接見るから」

 出口へ向かう二人を見送っていたジェイはふと端末を取り出した。

「はい、ボス。掃除屋なら大丈夫ですよ?」

 端末から体を突き出したような、小さな立体ホログラムは首を振った。

「それはさっき聞いた。帰りは朝になるから、明日は何時もより少し早めに店を開けててくれるか?」

「分かりました」

 ふと、ホログラムはジェーンと連行されるマーシー背を振り返った。

「家賃が250? 高いわ、引っ越しなさい。ウチはそんなに予算ないんだから、お給料もそれなりよ。家賃にそんなに払ってたら生活できないわよ。あとこの定額配信も――」

「ウチに侵入したのはマーシーだったのか?」

「ああ……明日、詳しく話します」

 通話を終え、店を出る二人の背にそっとお辞儀を返した。

「またのお越しをお待ちしております」

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