第7話 迷宮の扉の向こうは……
「ギルの言ってた通りだったよ。これを見てくれ」
剣士はA3サイズの紙を何枚かおれ達の前に広げた。
ギルド前に設営されたテントの中で、おれ達は剣士達の調査報告に聞き入っていた。テント下に並べられたテーブルの片隅を占拠し、剣士は施設内で撮影した画像のプリントアウトしたものを次々に並べていく。
「ギルドの下に巨大な地下室があって、そこに様々な変異体の培養プラントがならんでいたよ。ほら、リアルじゃよくSFもののアニメや映画であるような、ドラム缶を二個縦にくっつけたくらいの大きさの硬質ガラスの円柱形がずらっと並んでいた。大きさ的にはもっとでかいのもあったよ。それこそ教会の塔位の奴もね」
「調査兵団はどう処置するつもりなんだ?」
おれは身を乗り出して剣士の顔を覗き込んだ。
剣士は浮かない表情を浮壁ながら顔をしかめると、重い吐息をついた。
「すぐには始末しないらしい。てより、研究を継続するのが神の意向だ」
「神が?」
「ああ。何をお考えなのかは、私には分らん。明日にでも専門家チームをこちらによこすらしい。私としては、今のうちにぶっ潰したかったのだけどな」
剣士は口惜しそうに吐き捨てると、華奢な折りたたみ椅子にどすんと腰をおろした。それにシンクロして、胸の甲冑が大きくバウンドする。
「この世界でのイベントの自己増殖は認められてるけど、これって違法じゃないんですか?」
リイナが眉をひそめながら剣士を見た。
「残念だけど、違法じゃないの。
剣士の後ろに立っていた拳闘士が身を乗り出してリイナに答えた。剣士とは対照的な小麦色の肌に、ペパーミントグリーンのショートヘアーが映えている。性別は女性。確か噂では、彼女の限らずパーティー全員リアルでも超美人のお姉様達らしい。
「あと、時空の扉もどきかいくつかありました。強引に空間を捻じ曲げたもので、少々不安定な造りになっていましたね」
剣士の隣に控えていた魔導士が別の画像をおれ達に提示した。濃厚な青紫色の長い毛髪が視界を遮るらしく、時折うっとおしそうに右手で跳ね上げている。その都度ふわっと薫る甘酸っぱい匂いに思わず鼻腔を膨らませそうになるのを、なけなしの理性で無理矢理押さえつける。
「一応一通り見ておきたいな。中は入れるか?」
おれは魔導士に声を掛けた。魔導士は髪の毛を掻き揚げるのをやめ、おれを見ると黙って頷いた。
「安心しな。そう来ると思ったから許可を取っておいた」
剣士が腕を組みながら得意げに言った。
「では、ご案内しましょう」
金髪でセミロングのハーフエルフが席を立つ。スリムな体躯だが、出るべき所は
しっかり出ている。
「先ずは変異体の培養プラントを見たい」
ハーフエルフは無表情のまま頷くと、おれ達を先導し、ギルドの中央扉の前で立ち止まり、ドアノブに手を掛けた。普段の手入れが行き届いているのか、重い木製の扉は蝶番がきしむことなく、静かに開く。
彼女の案内に従い、おれ達は更にギルドの奥へと進んだ。カウンターを抜け、従業員控室へ入室すると、その奥には地下へと続く階段が見えた。仄かな篝火に照らされた長い螺旋階段を延々と歩き続ける。
三十分近く歩いただろうか。おれ達は金属製のドアの前にたどり着いた。
黒い塗料で塗られたドアは無言のままおれ達の訪問を拒んでいるかの様に見えた。
「これはフェイクです。ドア全体、強力な神経毒が塗り込まれています。本物はこちら」
魔導士がドアのそばの石壁に手をかざすと、壁は書き消すように消えた。
途端に、眩い光の渦がおれ達を包み込む。
「ここが、変異体の培養施設です。プラントと呼んだ方がふさわしいかもしれません」
魔導士の声が、夢うつつの幻のように聞こえる。
おれは息を呑んだ。
半端じゃない。事前に聞いていた話である程度は想像していたつもりだが、それを根本からぶち壊すほどの強烈な光景を、おれは目の当たりにしていた。
爬虫類と人間、昆虫と人間、魚類と人間……あらゆる生物のキメラ体が、立ち並ぶ大小様々のガラス容器に入れられている。それが果てしなく広がっているのだ。
そう、果てしなく。その表現の通り、果てが見えない。ガラス容器には無数の配管やらチューブが接続されており、それが毛細血管のように縦横に広がっており、空間という空間を隙間なく埋め尽くしていた。
一つ目の
「神はこいつらを育て上げて野に放つつもりなのか?」
おれは剣士に問い掛けた。
「さあな、神のみぞ知るだ」
剣士は間延びした声で言葉短に答えた。
まさにその通りだ。これ以上の回答はない。
「見てみ、ここら辺から配管やらチューブやらが極端に減って来るだろ」
剣士が前方を指さした。確かに、急に視界が開け、青白い光に満たされた壁が続いている。
「ここに何があった?」
剣士に問い掛けると、奴は嬉しそうに大笑いした。
「流石、名無しの……じゃない、ギルさん。気付くと思ったよ」
剣士はそういうと、魔導士に目配せした。魔導士は頷くと静かに秘文を紡いだ。
同時に、青白い光に浮かぶ白っぽい壁は、ゆらゆら揺らめくとその像を解き始める。壁は部分的に漆黒の陰を帯びると、次第にその姿を露わにしていく。
ドアだ。それも、
「エスケープ・ポイントだ。今はフェイクウォ―ルでマスクされているけど、術式施工したドアが二十枚ずらりと並んでおり、その向こうに異次元空間が広がっている。理屈は時空の扉と一緒だが、もっと粗雑だ」
「というと?」
おれは簡抜を入れずに剣士に問い掛けた。剣士は思わず詰め寄ったおれから苦笑いしながら後ずさりする。
「時空の扉は一か所から多方面の時空を結ぶだろ? でも、目の前に並ぶ扉が結ぶのは一か所だけ。しかも固定ときた」
「それぞれがどこにつながっているか分かるか?」
「たった今調査中だ。調査兵団所属の魔導士達が契約している精霊を送り込んでデータを収集している最中さ」
剣士がそっと魔導士に目配せする。魔導士は黙って頷くと、静に秘文を紡いだ。立ち並ぶ扉に歪が生じ、やがてそれは周囲の壁に呑み込まれていく。
「メインの獲物はこんなとこかな。調査兵団の連中は住居の方までひっくり返しているようだけど、大したものはなさそうだ。住民は誰一人いねえし、住居も皆、張りぼてだし」
剣士は物足りなそうに頭をガシガシと掻いた。磨き上げられた金属製の手甲が、ガチャガチャ軽い金属音を奏でる。
「何だ、不満なそうだな」
おれに心情を見透かされてか、剣士はハの字眉毛にへの字口で横を向いた。
「確かに、変異体の人工培養装置や時空の扉もどきは凄い代物なんだけどな。やっぱ金銀財宝や術式刀剣防具その他もろもろが無いのは寂しいぜ」
剣士は疲れた表情で重い吐息をついた。
ぶつくさ愚痴を言う剣士殿の気持ちも分からんでもない。やっぱり冒険の報酬と言えば、定番だけどもそういった類のものだろう。だが、剣士の台詞はちょっと信じられない。おれ達に褒賞金と称して大量の金貨をすぐに用意するだけの財力があるはず。
「ギルドの金庫とかは?」
おれは剣士に探りを掛けた。金に関しては頗る鼻の利く奴の事だ。絶対に見逃すはずはない。宝を独り占めするような腐った心持ちの奴ではないが、魔がさすってこともありうるし。
「ギルドの金庫? ああ、あったぜ。金貨が詰まってた」
「じゃあ、それで十分じゃないのか?」
「いんや、ダメダメ。全部偽物さ」
「えっ?」
おれは唖然としながら剣士の顔を食い入るように見つめた。
「見た目は本物の金貨そっくりだけどな、中身は銅だった。見た目じゃ全く分かんないけど、うちの魔導士が気付いたんだ」
剣士は得意げに胸を張ると、へヘんと鼻の下を人差し指で擦り上げた。
「偽貨幣……」
「ああ。いくらか流通しているかもな。造幣機は結構くたびれていたし、使い込まれていた感があった。国の財務担当は前代未聞の大事件に大わらわになっているわ。まあ、結構雑な造りだったから、ギルドの
剣士殿はまるで他人毎のように、あざ笑いながら軽い口調で言ってのけた。
悪気はないとは言え、奴の無責任な態度は、おれをやり場のない焦燥と行き場のない無力感の淀みに追い立てた。が、おれ以上にスウィル達の落ち込み具合は尋常ではなかった。
とてつもなく重苦しい暗雲が、三人の頭上に立ち込め、容赦なく圧し掛かっている。特にスウィルの落胆振りは凄まじく、頭を抱え、がっくり俯いたまま顔を上げようとしない。
得意の術で袋に仕込まれた毒と盗聴機は見抜けたものの、肝心の金貨の中身を見抜けなかったことが、彼女のプライドをずたずたに引き裂いたのだろうか。ふらふらとした危うい足取りで進んでは何でもないところで何度も躓き、しまいにはモーリに寄りかかりながら歩いている。とは言え、そのモーリも素面なのにもかかわらず、千鳥足で与太付きながら歩いている。表向き平静は装っているものの、彼も相当精神的ダメージを受けているのは明らかだった。
「まあ、そうがっかりすんな。お前達には国から特別な報酬が用意されているからな」
「え、報酬?」
スウィルの表情がふわっと明るくなる。
「案内する。来な」
剣士殿は先頭に立つと、ずかずかと大股で歩き始めた。甲冑をチャカチャカと鳴らしながら、立ち並ぶ変異体培養プラントの間を抜け、縦横に走る配管だらけの道なき道を軽快な足取りで進んでいく。
大したものだ。このバランス感覚、リアルでも何かしら武道を嗜んでいるとみた。
「着いたよ」
剣士殿は立ち止まると、ひょいと前方を指さした。
「これは……」
おれはそれをガン見しながら、恐る恐る剣士殿に問い掛けた。
灰色の縦長のロッカーだ。よく学校なんかで掃除用具入れに使われている代物。このロッカーにも『掃除用具入れ』と書かれた札が張り付けてある。
「何なの、これ」
リイナが
「時空の扉もどきスペシャルバージョン」
剣士殿は淡々と答えた。こいつ、また例の如くふざけてやがるなと邪推するおれを牽制するかのように、奴の眼は少しも踊っていない。いつも波を描いている彼女の笑眼は、警戒色を帯びた表情に相応して、獲物を遅くする猫のような鋭い光沢を放っていた。
「どこに通じている?」
「正直分からん」
「分からないのかよっ! 精霊使って調査していないのか?」
あっけらかんと答える剣士殿に、おれは目ん玉おっぴろげて食いついた
「したさ」
「じゃあ、おおよそ何かしら検討はつくだろ? 北方とか南方とか」
「それがさ……帰ってこないんだ」
剣士殿が、言葉を濁しながらぽつりと呟いた。
「帰ってこないって?」
おれは奴を凝視した。いつになく憂いを湛えた彼女の暗い表情は、ぞっとするような美しさと翳りのある色香を醸し、おれの意識に容赦なく鷲掴みにしていた。
それは、決して
「精霊達がさ。ドアの向こうに行った刹那、皆、音信不通になっちまった」
剣士殿は苦し気に言葉を吐き出した。
彼の仲間の魔導士が、小刻みに肩を震わせている。調査に向かったのは彼女の精霊だったのだろう。
剣士殿は震える魔導士の肩を優しく抱き寄せ、子供をあやす母親のように、彼女の肩を優しく叩いた。
「これが、国が用意したおれ達への報酬って……どこがだよ」
おれは忌々し気に吐き捨てた。
報酬でも何でもない。自分達の調査団では手の余る案件を、おれ達に代わりに調査せよというのだ。それも無報酬でかよ。
「私もこんな酷い仕打ちはないと思ったさ。最初はな」
「どういう意味だ?」
剣士殿の意味深な振りに、おれはすかさず食らいついた。
「この扉の向こうには、この世界を否定し、拒み、挙句の果てにはこの世界を支配しようと企んでいる者が身を潜めている――それが、神の啓示だ。この扉に手を掛けた神官の一人が、神からそのように信託を受けたらしい」
彼女が抒情詩を語るように綴った言葉の一節一節が、おれの意識から戦慄を遙かに凌ぐ闘牙を呼び起こしていた。
「
思考が導き出した最も期待すべき答えを剣士殿に問い掛ける。
「ああ。百パーセントとは言えないがな。九十九パーセントは合っていると思う」
「有難い。最高の報酬だ」
「引き受けてくれるのか? このドアの向こうの調査を」
「勿論だ」
「だけどこの扉のサイズではあのモービルは通らんぞ。何だったら、私達が譲り受けてもいいんだが」
剣士殿の眼が、探るような眼でおれを見た。
「大丈夫でさあ。旦那」
おれの横でポーターが得意気にぽんと腹を叩いた。
成程、そういう事か。
「剣士殿、その心配はござらんよ。モービルはポーターの腹の中にある」
「へ?」
奴は呆けた表情でおれとポーターの顔を見つめた。
「世話になったな。このままおれ達は扉の向こうへ旅立つとしよう」
「あ、ああ」
剣士殿は落胆した素振りを隠そうと、取って付けたような苦笑いを浮かべた。
「みんな、覚悟はいいな」
おれの問い掛けに、仲間達は終始無言のまま、緊張した表情で頷いた。
「じゃあな、剣士殿。今度会う時はギルドの酒場でな」
「そんときゃ冒険談を聞かしてくれよ。一杯奢るからさ」
「ああ、楽しみにしてるぜ」
おれは片手を上げて剣士たちに別れの挨拶をすると、ロッカーの取っ手に手を掛けた。ファンタジーの世界にはそぐわないリアルな存在であるにもかかわらず、ぽつんと佇むロッカーの存在は滑稽な程異質で、かえって得体の知れない不気味な雰囲気を醸していた。
ここで迷ったら負けだ。
おれは意を決してロッカーのドアを開いた。
「これはっ!」
おれは言葉を失った。
ロッカーのドアの向こうにあったのは、けばけばになった使い古しのデッキブラシと箒が一本ずつ。それに受け口が反り返って役に立ちそうにないブリキの塵取りが一つ。
「剣士殿、これは悪い冗談か」
おれは爆発寸前の憤怒の感情を無理矢理捻じ伏せながら、奴をぎろりと睨み付けた。
「そんな馬鹿な……さっきまで真っ暗な深淵の空間が口を開いていたはず」
剣士は一瞬にして縮上がると、あたふたしながらロッカーの中を覗き込んだ。
「ギル、信じてくれようっ! さっきまでは確実に時空が開いていたのにねえええっ!」
剣士は涙目になりながら両腕をパタパタと振った。
訳の分からない口調で無実を歌い上げる彼女の姿は何処か憐れみすら誘うものの、嘘偽りを並べているようには思えなかった。
「恐らく、この施設の騒ぎを感知したこの先に巣食う者が、時空を封鎖したのでしょう」ハーフエルフは忌々し気にロッカーをじっと睨み付けた。
「ロッカーを退かせてみるか」
おれはロッカーを持ち上げると、ひょいと横にずらしてみた。が、そこには普通に壁と床があるだけで、抜け穴の痕跡すらない。
「上に戻って仕切り直そう。作戦会議だ。みんな、油断するなよ。敵が扉を封印したってことは、すぐそばまでその力が及んでいるってことだ。ひょっとしたら使い魔を解き放っているかもしれん」
おれは一気に緩んだ空気を払拭すべく、大声でみんなに声を掛けると、すぐさま踵を返した。ここに長居は無用だ。あまりもの拍子の抜けた展開に張り詰めていた緊張の糸が切れ、戦意を喪失しちまっている。こんな時、敵の残党に不意打ちを食らったらひとたまりもない。
おれは周囲に気を配りながら、先陣を切り、ゆっくりと退路を進んだ。しんがりは剣士だ。彼女が背後からの奇襲を防ぐべく目を光らせてくれているので、おれの守備範囲は前方だけで済むので助かる。
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