第6話 いわくつきの戦い 

 車は、山岳都市の検問に到着した。

 誰もいない。

 ついさっき訪れた時に応対に現れた二人の青年の姿もない。但し、ゲートはしっかり下りたままだ。

「どうしたのお?」

 スウィルは、居住スペースからこちらにやって来るなり、訝しげな表情できょろきょろと周囲を見渡した。

「はーん、罠っぽいねえ」

 すぐに察したのか、にんまりと笑みを浮かべる。

「だろ?」

「どういう事、それ?」

 リイナが、眉をハの字に下げると首を傾げた。

「この先に進むには、あのゲートを上げる必要がある。誰もいないからやむなく車から降りて近づいたところを、隠れていた刺客が襲い掛かって来るって寸法さ」

「車ごと突っ込んじゃえば?」

「無茶を言わんでおくんなさい。あのゲートはとんでもねえやつでさあ。あっしの目に狂いがなければ、この世界で最強の強度を誇るオリハルコン製のベースを大魔気術防御力に秀でたミスリルでコーティングした無駄に頑強な代物ですぜ」

 ポーターが不満げに顔をしかめると、迷惑そうにぼそっと呟いた。

 ポーターの言う通りだった。最初にここを訪れた時、モーリが苦笑を浮かべながら、ゲートに希少なオリハルコンを使っているとぼやいていたのを思い出す。。

「仕掛けてみるか?」

 おれは二人に問い掛けた。リイナはすかさず両手で大きくバツ印を示したが、スウィルは思案顔で首を傾げる。

「まあ、それもありかもね」

 スウィルにしてはしっかりと通った声で返してきた

「だな。じゃあ、援護頼む」

「いいよお」

 スウィルは会話の内容とは反比例した緊張感のない間延びした返事を返すと、愛用のボウガンに頬擦りした。

「ちょっ、ちょっとお、罠かもしれないってえのに、何でわざわざ自分から出て行く訳?」

 リイナは不服そうに頬を膨らませた。

「そうでもしなきゃ、新たな展開は望めない」

 おれはリイナの気持ちを逆なでしないよう、落ち着いた口調で説得にかかった。が、彼女はどうしても納得出来ないらしく、怒りの逆三角目でおれ0をねめつける。

「これも冒険、だろ?」

 おれは、ふくれっ面のリイナの顔を、真剣な表情で覗き込んだ。

「んもう。こじつけじゃん、それって」

 リイナはひとくさりぼやくと、プイっと横を向いた。

「せっかく助かった命なんだから、粗末にしないでよ」

「分かっている」

「分かっていないから言ってるのっ! 私、魔力を使い切っちゃってるから、何かあっても助けらんないからね」

 リイナは目を吊り上げて咆哮を上げると、肩をプルプルと震わせた。

「大丈夫だから」

 おれは徐にリイナを抱き寄せると、ぶつぶつ文句を言い続ける彼女の唇に唇を重ねた。おれの腕の中で、彼女の身体は金縛りにあったかのように硬く硬直し、唇は言葉を刻むことを忘れていた。

 思いついて即行動に移した『口封じの術』。魔力の消費ゼロの上に効果大。最も失敗すると命にかかわる危険がある上に、現実世界では更に危険度を増す手段だ。

 おれは口封じを解くと、スウィルに依頼を一つ伝えた。彼女は悪戯を企む小僧のような笑みを浮かべると、黙って頷いた。

「ポーター、車外の生体反応は?」

「ここを中心に半径十メートルはゼロですぜ」

 おれの問い掛けに即答するポーター。

「行って来る」

 おれはドアロックを解除すると肩越しにリイナを見た。

 呆然としたまま硬直しているリイナの後ろで、スウィルがにやにや笑いを浮かべながら手を振っている。

 とりあえず施術は成功というところか。

 おれはナイフを鞘から抜くと、左手に持ち直した。元々両利きなので、どちらで持とうが大差はない。

 ドアを開け、周囲を伺いながら車外に出る。

 辺りは不気味な位、静寂に包まれていた。先程訪れた時でさえ不自然な雰囲気に埋もれていたのだが、更に輪をかけて奇異でアンバランスな空気を醸している。

 門番の青年はどこへ行った? 

 恐らく、どこかに身を潜めて様子を伺っているに違いない。

 辺りを警戒しつつ、ゆっくりとした足取りで石畳の路面を踏みしめる。清流のせせらぎに耳を傾けながら、その音源を乱す異音はないか意識を研ぎ澄ましていく。

 さて、敵は何処で仕掛けて来るか。

 予想はついている。

 おれが奴らなら、間違いなくあの瞬間を逃さない。

 問題は、どんな方法で仕掛けて来るかだ。一番予想されるのは飛び道具。最も可能性の低いのは、正面からの肉弾戦。

 リイナの「ウォール」が使えれば安心なんだが、おれを助けるために魔気を使い切っちまったんだから仕方がない。そこはおれも無理は言えない。

 ゲートの間近にたどり着く。敵の動きは、今のところ全く感じられない。

 それにしても、見れば見るほど単純な作りのゲートだ。電柱程の太さのバーが、おれの腰の高さの位置で道と平行に約十メートル伸び、通行を規制している。向かって右側の端が固定されており、通過する際には、固定された軸に据え付けられた巨大なハンドルを人の力でぐりぐり回して操作するのだ。恐らくはバーの根元にギアがいくつか仕込まれていて、駆動部と連結され、ハンドルの回転が伝わるようになっているのだろう。

 超シンプルで原始的な、完璧な手動であった。そんな、形だけの関所に何故オリハルコンのような稀少金属使うのか。

 とにかく、色々と謎だらけの街だ。

 ナイフを鞘に戻し、ハンドルに手を掛けると、ゆっくりと回転させる。

 ギアがキリキリと音を立て、それと共にゲートのバーがゆっくりと上がり始める。

 不意に、ぞくりとする得体の知れない胸騒ぎが、おれの意識に警鐘を打ち鳴らした。おれを取り巻く周囲の空気が急速に殺意を孕み、目に見えぬ牙で威嚇する。

 振り向いたおれの眼に、中空を駆る一筋の銀光が映る。

 同時に、おれは大きく身を翻すと、両手でそれらを捕らえた。 

 凶器は二本。一本目の陰に隠れるようにして、同じものが同じ軌道を追従してきたのだ。

 特徴のある凶器だった。一見小ぶりな両刃のナイフだが、持ち手が大きくとってあり、後部が輪になっている。

 これは、確かクナイとか言うやつ。忍者が武器として使用していたらしいが、定かじゃない。一般的な小道具だったって説もある。その肉厚の刃には、粘り気のある黒い無臭の液体が塗り付けられている。仄かに匂う青臭い匂い。間違いないな、毒が仕込んである。この地方に生息する巨大甲虫、翁兜虫グランドフレイムの卵から抽出した猛毒。体内に取り込めば、常人なら瞬時にして死の訪れを迎えてしまう最強の神経毒だ。

 一投目は明らかにフェイク。二投目は本命——と見せ掛けての、実はこれもフェイク。

 本命はすぐそばにいる。

 おれの両サイド方向約二メートル前方の地面から百五十センチ程上方の中空に、矢が停止していた。どちらも矢じりの部分が断ち切れたように消えている。

 刺さっているのだ。目に見えない何かに。

 くぐもった苦し気な唸り声とともに、矢の羽が小刻みに震えている。矢が風景に呑み込まれている辺りから、赤い液体がたらたらと流れ落ちていた。左右から聞こえる苦悶の二重奏を耳にしながら、おれは手首のスナップだけで、両手のクナイを左右の呻き声の主に撃ち放った。

 呻き声が止んだ。

 左右に投げたクナイの切っ先三センチ程だけが、それぞれ中空にその姿を止めている。目に見えぬ何かを貫いたと言えば分かるだろうか。

 クナイと矢の羽がゆっくりと地に沈んだ。衣擦れの音も何もない。ただ、砂袋を地面目掛けて無造作になげつけたような鈍い打撲音だけが、静かに響いた。

 おれは目を凝らしてその音源を見つめた。何もない空間に、人型の輪郭が浮かんでいた。見る見るうちに、風景に同化していた本体が肉色を帯び始める。

 色白の肌が、やがて長身痩躯の身体を成し、朧げな像に輪郭を与えていく。

 全裸の青年が、うつぶせに横たわっていた。それも、見覚えのある顔。

 守衛の青年だ。白髪に、こけ落ちた血色の悪い頬。そして無駄な肉が一切ついていない、

 引き締まった細マッチョ体躯。その風貌は、一度見ただけで強制的に脳の記憶中枢にすりこまれてしまうほどの、ある意味強烈な個性を放っていた。面影はあるものの、最初に見かけた際は、明らかにもっとイケメンだったような気がする。絶命の恐怖が彼を絶望の咢に追い込むが余りに、彼から生気を削ぎ落としたのかもしれない。    

 もう一人の青年も、同じくこのゲートの守衛だった。こちらも全裸でうつ伏せになって倒れている。二人とも体色を自在に操れるカメレオンタイプの変態——じゃない、変異体バグタイプなのか。二人の首には矢が深々と刺さっており、大きく開いた口にはクナイがすっぽりと収まっていた。

 矢はスウィルが援護射撃してくれたものだった。

 スウィルさまさまだ。この先制の一撃のおかげで、おれは二人の刺客を仕留められたのだ。二人の青年の爪は、猫のそれの様に鉤状に伸び、先端は鋭利な刃物の様に研ぎ澄まされている。おれがクナイに気を取られている隙に両サイドから襲い掛かり、首をかききるつもりだったか。

 まてよ。この爪……?

 おれはナイフを抜くと、後方の藪目掛けて投げつけた。

 せつな、藪の中腹から一筋の銀光が走る。それはおれが放ったナイフと中空で衝突すると、涼し気な金属音を奏でながら石畳の路面を転がった。クナイだ。やはり、投げた者は別にいた。

 刹那、藪の木々の葉を舞い散らしながら、黒い影が大きく中空を舞った。

 頭上を大きく超過する影を凝視しながら、おれは跳躍してゲートから離れた。

「やはり、あなた達は只者じゃ無いようですね」

 影の主は、台詞の割には大して驚いた素振りも匂わない淡々とした声で、事務的に言葉を紡いだ。

 クロウナの秘書、マチアだ。服装は最初に顔を合わせた時と何ら変わっておらず、戦の恰好には程遠い非戦闘員的なコスチュームを貫いている。

「降伏宣言か? それとも和平交渉か?」

 おれの問い掛けに、マチアはふてぶてしい笑みを浮かべた。

「そのどちらでもないです。それにしても、よく私の存在を見抜きましたね」

「あの門番二人はクナイなんざ投げられない」

「どうしてそうお思いになったのです?」

「あの鉤爪じゃあ、クナイどころか爪楊枝ですら投げられん」

「なるほど」

 マチアは感心したように頷くと、徐に上がりかけたゲートのバーに手を触れた。

 刹那、バーは青白い炎を上げて燃え上がると、一瞬きもしないうちに急速に収縮し、形状を変貌させていく。

 おれは固唾を呑んでその現象を食い入るように見つめた。突拍子もない出来事が日常茶飯事四六時中どこらかしらで起きているこの世界だ。いちいちこんな事で驚いていたら切りがない。とはいうものの、魂はリアル世界にあるおれ達にとって、いくらこの世界に同化しているというものの、深層心理に潜む潜在的な意識は正直者だ。

 一呼吸後に、マチアの右手には一振りの細身の長剣が収まっていた。特に豪奢な装飾が施されている訳では無い。ただ、その刃には、精練された神秘的な効力を秘められていた。   

 不思議な存在感を醸す剣だった。それには、はむかう者の荒ぶる気を諫め、従順にその首を差し出すように引導する不思議な魔気が宿っていた。

 この剣が纏う気、おれには身に覚えがある。

 決して忘れたりしない屈辱の記憶と共に、おれの意識に消えない傷となって刻み込まれている。 

 こいつ、どうやってこの剣を手に入れたのか。

「美しいでしょう。この世界で最も硬く、そして冒険者達力の象徴とでもいうべきオリハルコンと、対魔力に秀で、己が事態も熟成された魔力に裏打ちされた金属であるミスリル。双方の長所をうまく絡めながら打ち上げたこの剣、向かうところ敵無しですから」

 マチアは軽く刀を振った。冷たい刃に触れた空気が凝集し、雫となって石畳の路面に滴り落ちる。

「魔気を宿した剣とはね。そんな凄い代物をゲートに使うなんてもったいないぜ」

 おれはせせら笑った。

 が、そんなおれを愚弄するかのように、マチアは蔑みに満ちた冷笑を浮かべた。

「愚かな。だからこそゲートに仕込むのです。この町への入り口はここ一か所だけ。この一太刀で、訪れて欲しくない輩の侵入を防ぐことが出来るのですから。それも、剣が自ら判断でふさわしくない来客を追い返してくれるのです」

 マチアは饒舌になっていた。彼女のこの魔剣への思い入れは果てしなく、熱いまなざしを剣に注ぎながら鼻を膨らませて語る様は、さながら信者そのものだった。

「いくら希少金属で作られた魔剣とはいえ、たかが一振りの刀で何ができる」

「その愚問に答えて差し上げましょう」

 マチアは得意げな表情で、剣から手を放した。

 途端に、剣は青白い炎に包まれたかと思うと瞬時にして緑色の光に転じ、視界を次々に埋め尽くしていく。それは、生い茂る枝葉と木々の濃厚な緑の城壁となって、道は言うまでもなく見渡す限りの街の外構をすっぽりと取り巻いていた。その密度はすこぶる濃厚で、すぐそばに止めてあるポーターですら、影も形も見えない。

「分かりましたか、この剣のすばらしさが」

 マチアは自慢げにふんと鼻で笑った。

 刹那、おれはマチアの懐に飛び込み、ナイフを彼女の喉に突き立てる――寸前、おれの剣先は細身の刀身にそれを阻止されていた。

 緑葉の城壁はかき消すように消え失せ、マチアの手には再び剣が握られていた。

「あなたの浅はかな企みなど、最初からお見通しですよ」

 マチアは呆れたような蔑みに満ちた吐息をついた。そのセリフが偽りでない証拠に、彼女の表情に驚きの素振りも緊張感も何もない。

 マチアが剣の魅力に陶酔している隙を狙っての奇襲攻撃だったのだが、どうやらそう甘くはいかなかったようだ。

「あなた、そのナイフはどうしたのです? さっき私を狙って投げ放ったはず」

 マチアは相変わらず涼しい表情を浮かべながら、驚きの台詞とは程遠い冷静な声でおれに問い掛けて来る。

「一本しかもっていないとは限らんだろ。ましてや、一本しかもっていないなら投げたりしない」

「確かに」

 マチアはにっこり微笑むと、剣を強く押し返した。同時に、刀身が残像すら追えない速度でおれの動線を追う。

 おれはナイフでそれを払うと、後方に大きく跳躍した。

 マチアは笑みを浮かべたまま、一気に間合いを詰めて来る。ナイフと長剣じゃあ、明らかにおれの方が分が悪い。いったん間合いを取ろうとするのだが、彼女は頑なにそれを阻止してくる。それも、息一つ乱れることなく。

 おれは左右にステップを踏みながら、マチアの追従を断とうと試みた。

 が、剣先は常におれを正面から捉えている。

 速い。おれのスピードについて来るとは。

 しかも、防戦ばかりで反撃にうって出れない。

 後方から風切り音。

 チャンス到来。スウィルの援護射撃だ。

 奴が剣で矢を払えば、その隙を突くことが出来る。

 二本の矢がおれの左右の脇腹をすり抜け、マチアの胸部を襲う。

 甲高い金属音と共に、矢が大きく跳ね上がった。

 弾き返された? でも、奴の切っ先はおれに向けられたままだぞ。

 決して剣で払ったのじゃない。

 答えは一目瞭然だった。マチアの胸には、赤紫色の胸当てが装着されていた。どういうことだ? ほんのついさっきまでは、明らかに無防備だったはずなのに。

「言いましたよね。剣が守ってくれるって」

 おれの思考を察したのか、マチアは口元に冷笑を浮かべて皮肉っぽく言い放った。さっきの緑の城壁同様、あの胸当ても魔剣が生み出したのか。

 再びスウィルの矢が二本。今度はマチアを背後から狙う。

 マチアは耳をピクリと動かすと、身を反転させて矢を払った。

 その隙に、おれは後方に下がり、藪の中にダイブ。そのまま森の中へと駆け込んだ。

 おれの後方を、樹木が凄まじい勢いで倒れていく。マチアが自信と余裕に満ちた笑みを浮かべながら剣を振り回しながら追いかけて来る姿が見える。

 さて、どうする。

 攻守ともに万全な敵を相手に。

 モーリは言うまでもなく、リイナやスウィルも前線に出すのは無理だ。おれはリイナの渾身の施術で何とか立ち回りは出来るが、雷撃を使うまでは回復していない。唯一期待できるのはスウィルの後方支援だが、奴にはことごとく阻止されている。

 つまりは、おれ一人で何とかしなきゃならない。

 策はある。でも確証はないし、検証もできていない。一つの事例から打ち立てたおれの仮設でしかない戦術だ。

 でも、やるしかないな。

 おれは立ち止まると、急遽踵を返した。木の幹を蹴上がりながら、大きく中空へ舞う。

 落下点には、剣を身構えて立つマチアの姿が見える。

 おれは奴の額目掛けてナイフを投げた。

 マチアはいとも簡単にナイフを後方に跳ね上げると、簡抜を入れずに切っ先をおれに向けた。自由落下中のおれは、もはや軌道修正は不可能だ。奴が警戒するとすれば、おれが他に武器を所持していないかどうかってとこだろう。

 マチアはおれに手持ちの武器が無いのを見切ったようだ。余裕に満ちた表情で、目を細めながら切っ先を真っ直ぐ突き上げる。

 今だ。

 おれは頭に巻いた革布をほどき、両端を両手に持つと、中空で身を翻しながら刀身に巻き付けた。

 マチアの顔に初めて驚きの表情が浮かぶ。が、次の瞬間、断末魔の悲鳴が、彼女の喉からほとばしる。

 両眼を大きく見開き、苦悶に震えながら、マチアはおれをじっと見据えた。

 マチアは跪くと、ゆっくりと地面に倒れ、突っ伏した。彼女の背中には、おれのナイフが深々と突き刺さっていた。

「どうして……?」

 マチアは苦しそうに顔を歪めながら俺を見据えた。

「すまないな、一つ嘘をついてた。ナイフは一本しか持っていない。それともう一つ。これは嘘じゃないが、黙っていたことがある。そのナイフもオリハルコンで出来ていて、おれ自身が原石から叩き出したものだ。おれの気念を込めてな」

「まさかっ?」

「お前の想像通りさ。理屈はお前の剣と同じだ。おれが念じれば、ナイフはおれの意思に従う。それに自らの意思で手元に返ってくる。お前は不運にもその軌道上に立ち塞がったって訳だ」

「図ったなっ!」

 マチアは悔しそうに歯をぎりぎりと噛み締めた。

「刀身を革布で受けたのは、お前の剣にナイフの存在を知られないように隠すためにな。ナイフもそうだけど、この革布もおれが作ったんだ。魂を込めてね。既製品と違い、攻撃力も守備力も規定に縛られない。よって未知数だ」

「ぐほっ……いつ気付いた……この剣のウイークポイントに」

 激しく咳き込む彼女の口元からこぼれ出た鮮血が、一筋の軌跡を描く。

「さっき、矢を払った時だよ。正面からの矢の攻撃は払い落とさずに剣の防備力で交わしたのに、背後から飛んできた矢は剣で払い落したろ? 不自然に思ったんで、おれなりに仮説を立ててみた。ひょっとしたら、剣はそれ自身が「視える」危険にのみ反応するんじゃないかってね。どうやら正解だったようだな」

 マチアは答えなかった。急所は僅かに外れているものの、出血が酷く、ただ恨めし気におれを睨み付けるのが精いっぱいのようだった。不意に、彼女は両眼を見開くと、呻き声を上げながら身体を大きく波うたせた。彼女の背に刺さっていたナイフがゆっくりと抜け、中空を駆り、おれの右掌に収まった。彼女はぐったりしているものの、酷かった出血はいつの間にか止まっていた。出尽くしたというわけじゃない。現に、奴はまだ生きているし勿論呼吸もしている。奴の蘇生能力のなせる業か、それともおれのナイフが奴を『生かす』選択をしたのか。

「ギル……」

 振り向くと、リイナが口元をプルプル震わせながら、おれをじっと見つめていた。

「リイナ」

 リイナはおれの呼び掛けには答えず、無言のまますたすたと歩み寄って来る。

 ぱしいっ

 平手打ちがおれの左頬に炸裂。と、次の瞬間、急接近するリイナの唇。

 えっ!

 驚きの声をあげる前に、おれの唇は彼女の唇でロックされていた。

 彼女はゆっくりと唇を放すと、今度はおれの胸に顔を埋めた。

「無事でよかった……」

 しみじみ呟く、彼女のさりげない台詞。

 きゅんと来た。

 おれはためらいがちに――否、思い切って彼女の背に両手を回し、ぎゅっと抱きしめた。

 物語はこれで終わりでもいい。

 ふと、そう思った。

 不意に、背後から乾いた拍手が響く。

 おれは彼女をガードしながら、夢の時を打ち崩した無粋な現実に目を向ける。

「素晴らしい。実に興味深い」

 クロウナだ。彼は薄気味悪い笑みを浮かべながら、行き絶え絶えの秘書には目もくれず、おれを称賛する拍手を続けている。

「あの変態兵団――じゃねえ、変異体バグタイプ兵団は貴様が生み出したのか」

 おれは憎悪に声が震えていた。畏怖じゃない。渾身の怒りが無意識のうちに全身から迸っているのだ。

「その通り。私の知識の集大成だ。他にも何種類か作っては辺境各地に送り出した。君の足元の秘書は別だがね。彼女はボディ―ガード兼務で雇った元冒険者だ。他の者達は全て私が創造した。気が遠くなるほどの遺伝子情報を組み合わせてな。それをことごとく破壊しおって……でもまあいい。あやつらは所詮プロトタイプ。ようは『デキソコナイ』だからな」

 クロウナは忌々し気に吐き捨てると、最後には開き直ったかのように高笑いし始めた。

 が、それもつかの間。瞬時にして哄笑を閉ざして真顔になると、おれの顔を食い入るように見据える。

「どうかね、私と組まないか。君と私がタッグを組めば、この世界を変えられる――それこそ神にもなれる」

「お前、闇蠢者ダークウォーカーの使徒なのか? 」

 単刀直入に、おれはクロウナに探りを入れてみた。

 クロウナは眼を細めると、満面に野卑な笑みを浮かべた。

「使徒ではない――同士だ。この世界を導く新な指導者として、この世界に君臨する神となるべき者としてのな」

 クロウナは、ぶれのないはっきりとした声でそう言い切ると、胸の前で徐に腕を組んだ。これ以上インナースピリットを覗き見させないための意思表示か。

「だったら、生かしてはおけないわねえ」

 間延びした声が、おれの背後から近づいて来る。スウィルだ。彼女は水面を漂うようなな足取りでおれの横に並ぶと、ボウガンに矢を番え、クロウナに狙いを定めた。

「バグ・スレイヤー殿か」

「あらあ、知ってたのお?」

「ええ、分かっていたよ。私が所有するデータベースには、この世界のありとあらゆる情報が記憶されているのでね。君達のパーティーにいる技人の召喚術は圧倒的な強さだが、一度使えばしばらく使えない。魔導剣士はスキルが低い割には突拍子のない魔力を発現させる潜在能力に長けている……他にも色々と調べさせてもらった。だが勘違いしないで貰いたい。私は異世界民ネイティヴだ。貴殿の対象はあくまでも来訪者ヴィジター異端者だけだろう。よって対象外のはずだ。むしろ狩るべきはこの男じゃないのかね? この男のデータだけが何故か収集不可能でな。それ故に、私にとっては非常に興味深い存在なのだが」

「やめてくれ。おれにその気はない」

「ならば、せめて手合わせ願いたい。私の最高傑作とな」

 クロウナが、満面の笑みを浮かべておれに熱いまなざしを注いだ。

 ぞくぞくっと背筋に寒気が走る。不気味さと気色悪さの狭間に潜む得体の知れない戦慄が、おれの意識に警鐘を打ち鳴らした。

「ふごおおうううっ!」

 クロウナが獣のような咆哮を上げた。

 同時に、奴の全身の筋肉が急速に膨れ上がり、身に着けていた衣服がぼろ布の様に引きちぎれる。むき出しになった皮膚はいぶし銀の光沢を放つ厚い装甲へと姿を変え、手首から肘にかけて鎌状の刃物のような隆起物が形状を成していく。顔は逆三角形の輪郭を成し、眼は眼窩を飛び出してぎょろりとおれを見据えている。蟷螂と螽斯を足して割ったような顔も、あっという間に目の届かない位置まで達していき、伸長した脚部は中世の鎧のような装甲が覆い、筋肉が深く割れた腹部も、その陰影にそって蛇腹のような装甲が覆っている。ヒューマノイド型変異獣とでも言おうか。甲虫的要素と人間的要素をミックスさせたミュータント。

 問題はその精巧な作りだけじゃない。でかい。でかすぎる。半端ないでかさだ。全裸男——注。合体バージョン――もでかかったが、奴はそれを遙かに凌ぐサイズだ。例えるならば、タワーマンション級というべきか。全裸男の十倍以上はある。

 奴の最高傑作は自分自身だったのだ。自ら自身のDNAを操作した? 言葉じゃ簡単だがそれを実践するとなるとそうそう出来るものじゃない。

 だとしたら、クロウナ自身が言ってた通りだ。こいつは来訪者ヴィジターじゃない。異世界民ネイティヴだ。おれ達はベースのデータが固定されているから、スキルを上げてもここまで変貌することはまずない。彼らはそういった制約のない中で生活しているのだから、理論上、遺伝子操作も制約はないし、突然変異が起こってもおかしくない。

「リイナ、スウィル、逃げろっ! こいつには勝てる気がしねえ」

 おれは、後方でぽかーんと口をおっぴろげたまま直立している二人に慌てて声を掛けた。

 彼女達の顔には驚きの色こそ浮かんでいたが、不思議にも戦慄におののく感情の動揺は微塵も浮かんじゃいない。余りにもの突拍子の無さか、それとも全裸男の変態――メタモルフォーゼの方――を目の当たりにして、この手の刺激に慣れてしまったのか。

 どちらにせよ、この妙に落ち着き払った現実逃避のような時間はいつまでも続くとは限らない。ふと我に返って、押し迫る真の恐怖に気付いた時、恐らくは何も動けないまま、されるがままになる可能性は十分にある。

 とりあえずは、おれが奴の関心を引き付けるしかない。

 おれは巨人化したクロウナを見上げた。

 クロウナは背筋を伸ばして身震いすると、再び咆哮を高らかに張り上げた。メタモルファーゼ完了の時の声なのだろうか、奴は満足げに自分の姿を見回すと、憐れむような眼でおれ達を見下ろした。勝機を確信した絶対王者が、追い詰められた弱者を見つめるような奢りに満ちた仕草だ。

 ええい、糞腹が立つ。

 窮鼠猫を噛むって諺、知らないのかよ。油断すると痛い目にあうんだぜ。

 あわしてやりたいが、ナイフ一本でどこまでできるか。おれの戦い方は恐らく分析済みだろう。更にデータを収取し、あいつに報告するのだ。闇蠢者ダークウォーカーに。

 不意に、クロウナの動きが止まった。と同時に、一条の線が頭から股間へと真っ縦に走る。クロウナの身体がぐらりと揺らいだ。奴の身体を二分した一条の軌跡を中心にして、体がゆっくりと左右に別れ、崩れるように倒れた。胃を突き上げるような凄まじい衝撃と共に、土誇りが舞い上がる。

 何が起きた?

 ひょっとして、奴は脱皮したのか? まさか更なる進化を遂げたというのか。

 いや、違うな。

 辺りを白いカーテンでラッピングしたかのように立ち昇る、静かな砂煙の舞が、次第に落ち着きを取り戻すとともに、二つに避けたクロウナの向こうに、黒っぽい何かが佇んでいるのが見えてくる。ワンボックスカー位の大きさの黒い影。何やら長い首のようなシルエットまでもが見える。

 ひゅんと、鋭い風切音が飛散する砂煙の残党を一気に蹴散らした。しつこく取り巻いていた砂のカーテンは、一気にちりじりになると、隠匿していた周囲の風景に色彩を蘇らせた。

「馬鹿でかい割にはあっけなかったわね」

 落胆したような素っ気ない声が、おれを戦慄の虜囚から解放した。

「シオン!」

 驚いた。薙刀を担ぎ、相棒の飛竜ドラゴンの背に乗ったシオンが拍子抜けしたような浮かない顔つきでクロウナの成れの果てを眺めていた。

「シオン、どうしてここに?」

 おれはシオンに上ずった声で問い掛けた。助かったという安堵感のせいか、気が抜けて腰が砕けそうになるのを何とか持ちこたえる。

「この子がさあ、落ち着きなくして騒ぐから、何だろうと思って飛んで来たんよ。そしたら、でっかい龍が飛んでいく姿が見えたもんだから、こりゃあなんかあったなと思ってさ。あの龍、あんたの仲間の技人ドワーフが呼んだんだろ?」

「モーリの能力を知ってるのか?」

「前に彼の召喚見たことがある。確か、一度使うとしばらくは動けなくなるってやつでしょ」

「ああ」

「だから来たのさ。あれを呼んだってことは、切り札を使ったってことだから、あんた達がやばいことになってると思ってね」

 シオンは相棒の飛竜の喉を優しくなでた。飛竜は喉をぐるぐると鳴らすと気持ちよさそうに目を細めた。

 竜には二種類あり、翼の生えた小柄な翼竜を飛竜ドラゴン、翼が無く、神力で空を舞う竜を神龍シェンロンという。大抵の飛竜は深い緑色の体色なのだが、シオンの相棒はサファイヤのような鮮やかな青色をしている。これも変異体バグタイプの一つなのかもしれない。現に、他の飛竜よりも飛翔速度は比べ物にならないほど速い。

「助かった。ありがとう」

「礼はいいよ。そんなことより、こいつは何者——ん?」

 シオンは、おれの足元に倒れているマチアの目線を向ける。

「あらあら、瀕死の重傷じゃん」

 シオンは苦笑を浮かべながらマチアの傍らに降り立った。

「ったくもう、大したスキルじゃないのに、ギルに喧嘩売っても勝てるわけ無いでしょ」

 シオンは呆れた口調で行き絶え絶えのマチアを見下ろした。ん? 何かひっかかるな。シオンの奴、妙に親し気にマチアに話しかけている。

「シオン、マチアと知り合いなのか?」

「まあね」

 シオンはそう呟くと、マチアの背中に手をかざし、大治癒の秘文を唱えた。傷口が白い光に包まれ、見る見るうちに修復していく。シオンは魔導にも通じる竜騎士だ。それも上級クラスの中でも数少ないプラチナプレート保持者でもある。

「誰だ、お前は?」

 マチアは苦悶の表情を浮かべながら、訝し気にシオンを凝視した。

「てめえ、自分の嫁も忘れたんかい! って言っても分かんないわね、普通の者には」

 嫁? えっ? 嫁って?

「まさか、お前、由布子—」

 マチアは驚愕に表情を凍てつかせながら跳ね起きた。

「こらっ! リアルの名前出すなっ!」

 シオンはマチアの頭頂部をぱしいっと引っ叩いた。

「ねえちゃん、ひょっとしてこの人……」

 おれはただ茫然と――というより笑いをこらえながらマチアを見た。

「そう、リアル世界じゃあ私の旦那。あんたの義兄だよ」

 だめだ。笑っちまった。リアルを知ってるだけに、マジうけるはこれ。

「え、じゃあ、君は亜紗人——」

「WAWAWA! 大さん、それ言っちゃダメなやつ!」

 おれは某リアルネームを口走ったマチアの口を塞いだ。

「ったく。ギルも旦那のリアルネーム言っちゃってるし」

 シオンの指摘に慌てて自分の口を塞ぐが時はすでに遅し。スウィルとリイナがニマニマ笑みを浮かべながらおれを見ている。

「でも、なぜ私のリアルが分かった?」

「シオンは『神の眼』の持ち主なのさ」

「神の眼?」

「リアルの情報が見えちまうってやつ。ゲーム世界で身につくスキルってより、リアルでの能力がモロ影響するって言われている未知のスキルさ」

 おれの説明を、マチアはまだ腑に落ちないような面相で聞いていた。無理もない。この事実を知っているのは古参の常連位。見るからに日の浅い彼女?にはなかなか耳に入らない情報だ。

「あんた今日、美紅を公園に連れてくって言ってたよね? それなのになんでここにいるのよ。それにゲームなんか興味ないって言ってたくせに」

 シオンがおっかない形相でマチアに詰め追った。

「美紅はそのう……ばあばが見てる。ゲームはさあ、やっぱ夫婦で価値観を共有した方がいいかなって思って、やり始めたら面白くてさ」

 ぼそぼそ答えるマチアを、シオンは呆れた顔で見つめた。

「やり始めてどれくらいなわけ?」

「まだ、二週間くらいかな」

「その割には、結構な代物持っているじゃない」

 シオンはちらりとマチアの手元の転がっている剣に目線を泳がせた。

「これ、貰ったんだ」

「貰ったって? これ、何だかあなたに分かる?」

「何だかって……剣だろ?」

「そうじゃなくて、この剣の名よ」

「——知らない。オリハルコンで出来ていて、ミスリルシルバーコーティングされた魔法攻撃にも勝てる剣だって。スキルが低くても十分にカバーできる名剣だとは聞いたけど」

「ったくそうだと思ったよ。其の剣はね、「ラグナロク」てやつなの。神々の最終戦争で使われたと言われている最強の魔剣よ。確かどこかの辺境の古代遺跡に眠っているとは聞いてたけど。んで、いったい誰に貰ったの?」

 シオンが凄まじくおっかない形相でマチアにまくしたてる。リアルでもきっとこんな感じなのだろうな。

「ん、いやあ、小さな女の子。八歳か九歳くらいかな。西方の遺跡都市で迷子になった時に道案内してくれて、その時貰った」

「小さな女の子って、ひょっとして、こんな感じ?」

 おれは小枝を拾うと、地面に長髪の少女の似顔絵を描いた。

「うん、こんな感じの子!」

 マチアがおれの絵を指さして大きく頷く。

「これは……」

 リイナが言葉を呑み込んだ。

「ああ」

 おれは言葉身近に事実を告げる。

「ギル、まさか?」

 シオンの表情が降ってわいた緊張に硬く強張る。

「ああ、そのまさか、さ」

 闇蠢者ダークウォーカー

 誰一人とその名を発しようとはしなかった。その名を口にすることで、忌まわしい時に未来を支配されてしまう錯覚に囚われてしまうのか、じれったいような静寂の時が悪戯に過ぎ去っていく。

 マチアが、戸惑いの表情を浮かべながら、おれとシオンの顔を覗き込む。 

 彼は知らないのか。その忌まわしき禁忌の存在を。

 ある意味、それは幸せなのかもしれない。この世界で安穏とした時を過ごしたいのであれば。

「スウィルさん、取引しない?」

 シオンが、ニコッと営業スマイルを浮かべながら、跳ねるような声でスウィルに話しかけた。

「何でしょう?」

 シオンの笑顔に不穏な何かを感じ取ったのか、スウィルは笑顔で答えながらも、なんとなく警戒してるよ感を漂わせた強張った口元で返答した。

「ここに倒れているでかいのはあなたの手柄にしてください。その代わりに」

「はい?」

「こいつを――マチアを私に引き取らせていただきたい」

 シオンの顔から笑みが消え。超真顔でスウィルを真っ向から見据える。極端な表情の変化が、たたみかけるようなプレッシャーとなってスウィルに重くのしかかる。

 スウィルは思案顔で目線を中空に浮かばせると顔をしかめた。

「おかしいですねえ。今回の案件はネイティブしか絡んでいないはずなんで、特に報告の義務はないんですが……まあ、この街のどこかにある変異体培養施設だけは報告しておこうかなあ」

「え?」

 シオンが拍子抜けした顔でおれを見た。

「冒険者が冒険者に戦いを挑むのは違法じゃありませんからあ。と、言う訳でえ、マチアは無罪放免!」

 スウィルが腰に手をやり、何故か大威張りのポーズで勝訴宣言をした。

 と、その背後から、「無罪」と書かれた紙を掲げながらポーターが走って来る。

 いったい誰があんなこと教えたんだ。

 苦笑を浮かべたおれの前で、ポーターは足を滑らせてこてんとこけた。

 お約束まで教えたのかよ。

「シオン、早々にずらかった方がいい。スウィルが報告を上げたら、調査兵団がぞろぞろやって来るぞ。奴らは神直属部隊だから、ここの空間軸のデータを伝えたら「時空の扉」を使って瞬時のうちにやって来るからな」

「神特権ってやつね。分かった。そうだ、この剣、置いていくね。あった方が役に立つと思うよ」

 シオンはマチアが大事そうに携えていたラグナロクをするするっと奪い取ると、おれに投げてよこした。

 右手で受け止めると、ずしりと重い質感が掌を捕らえた。

 掌がこそばゆい。剣に込められた気の噴流がおれの気と対峙しているのだ。確かに、生半可な剣じゃない。かえってマチアのようなスキルの低い者の方が、剣にとっては都合がよかったのだろう。その方が、自分の意思で持ち主を操れるからだ。

「シオン、悪いけど、この剣では奴は――闇蠢者ダークウォーカーは斬れない。あいつがマチアにこの剣を託したのは、マチアがおれと戦うように仕向けて、おれの技量を測るためだ。恐らくはおれの手に渡ることも想定しているはずだ。そんなリスクを負ってでもマチアに剣を授けたのは、この剣の存在が奴にとってはリスクじゃないってことさ」

 シオンは、あっけにとられた表情で、おれ独自の論説に耳を傾けていたが、やがてくすりと笑った。

「相変わらずの分析能力ね。あなたの推論は大抵イコール正論だから質が悪い」

「まさしく、だな。だが貰っておいて損はない」

 不意に、のんびりした口調の合いの手が入る。モーリだ。彼は大あくびをしながら、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいて来る。

「敵は他にもいるしな。なんなら、その剣はギル以外の者が使えばいいんじゃないか? たとえば、リイナとか」

「えっ、私?」

 突然のご指名にリイナは飛び上がって驚いた。

「リアルでの経験が生かされてか、剣術の腕も基礎ができているしな」

 モーリは目を細めてリイナを見た。

「確かにな」

 同感だった。モーリの言う通りだ。彼女には他の冒険者にはない何かがある。

「あれは、私の――」

 呆然としながらも未練がましく手を伸ばすマチアの左手を、シオンはぴしゃりと叩いた。

「あんたには身分相応のやつを用意してやるよ。剣の使い方も教え上げる。ま、ちょっとは店の手伝いもやってもらうけどね」

「え? 店って?」

 あたふたしながら顔を覗き込むマチアに、シオンはにんまりと意味深な笑みで答える。

「ケーキ屋」

「えーっ! 異世界でも? マジかよおおおおお」

 シオンは絶叫するマチアを小脇に抱えると、軽い身のこなしで飛竜ドラゴンの背に飛び乗った。

「シオンさん、ありがとうございます。『ダイナロク』、確かに!」

 飛竜ドラゴンの翼が開き、大きく羽ばたきかけたのを見て、リイナが慌てて深く頭を下げた。

「そうだ、シオンさん、教えてください! その子の名前!」

 リイナが飛竜ドラゴンを指さして叫ぶ。 

 飛竜ドラゴンは翼を大きく広げ、一気に空へと飛翔する。

 シオンはちらりと振り返ると、大きく息を吸い込み、リイナに向かって叫んだ。

「ポチよおおおおおっ!」

 大きくこだまするシオンの声に飛竜ドラゴン――ポチのうおおおおおおおんと嘶く咆哮がシンクロする。

「マジ、すか」

 リイナの顎が、地面に届かんばかりに下がる。

「ギル、もう呼んじゃってもいいかなあ」

 スウィルがスマホを片手に思案気な面相を浮かべた。

「ああ、頼む」 

 おれはシオン達の姿が完全に視界から消え失せたのを確認すると、スウィルに答えた。

 あれだけ離れれば、調査兵団と鉢合わせにはなるまい。

 ここで余り立ち止まりたくはない。正直のところ、今のおれ達にここを探索するだけの余力はない。かと言って、このまま放置する訳にもいかなかった。

 何しろ、全世界の変異体騒動の発端がここかもしれないのだ。だとしたら、簡単に見過ごすわけにはいかない。例えこれがネイティヴの成した災いであっても。つまりは、神の史記に刻まれるべき事象であっても。

 背後に、闇蠢者ダークウォーカーの存在が隠れする限りは。

「来たわよう」

 スウィルが眩しそうに目を細めながら、バーの失せたゲートを指さした。

 何もない空間に、白い光の渦が大きくうねりながら海鳴りを奏でている。渦はやがて一本の筋となり、地面に向かって真っすぐ走ると、左右に大きく開いた。

 昼下がりの陽光を、まともに肉眼で受けた時のような眩い閃光が網膜を震わせる。

 光のゲートからシルバーの鎧と兜を装備した兵士が続々と現れた。だがその中に、装備の異なる剣士や兵士もいる。今回、神の啓示で発足された調査兵団には、一般の冒険者達も加わっているからなのだろう。

「やっぱりおまえかあ」

 深紅の鎧を纏った若い剣士が、目を輝かせながら駆け寄ってくる。長いまつ毛に澄んだ青い瞳。野を駆け巡る冒険者にしては色白の白い肌。薄い唇の口元はいつも笑みを湛えている。兜からはみ出したショッキングピンクの髪を後ろで束ね、長剣を二本腰に差している。胸当がウエーブを描きながら盛り上がっているのは、剣士が女性であることを物語っていた。

 ギルドの酒場でよく見かける馴染みの冒険者だ。そして、数少ないおれの理解者の一人でもある。

「ソロで参加か?」

 おれの問い掛けに、剣士は首をぶんぶん横に振った。

「いんや、パーティーさ。みんな糞真面目だからな。とっとと先に行っちまった」

 剣士は悪びれることなく、そっけなく答えた。

「ギル、この人知り合い?」

 リイナが、おれの耳元でそっと囁いた。

「なにい! お前、名前変えたのか?」

 剣士が驚きの声を上げて口元をぷるぷる震わせた。こいつ、爆笑するのを必死で我慢してやがる。

「まあな、色々あって――成り行きでな」

「色々ってなんだ?」

ぼそっと答えるおれに、奴は執拗に絡んで来る。そうそう、こいつって地獄耳プラス鬼突っ込み魔だった。

「ああ、そうだ。礼が言いたい。変異体の大鎌蛙の撃退方法が役に立った」

 おれは話を切り替えるべく、彼女に深々と頭を下げた。

「薬草を使ったのか?」

 剣士がうれしそうに目を細めた。よかった、うまく話しに乗ってくれた。

「ああ。効果覿面だった。おかげで、彼女の命を救うこともできた」

 おれの唐突のふりに戸惑いながらも、リイナは事情を察したのか剣士に深々と頭を下げた。

「よかった、少しでも役にたてて」

 剣士は両手を腰に当てると豪快に大笑いした。

「でも私は嬉しいよ。おまえがまた冒険に出るなんてな。それもちゃんとしたパーティー組んでさ」

「ああ、最高の仲間さ。助けられっぱなしだ」

「珍しく謙虚だな。てより、成長したな、おまえ」

 彼女は満足げに頷くと、おれの肩をバンバン叩いた。

「んで、この街だけど、どこまで調べた?」

「詳しくはまだ探っていない。ていうか、今のおれ達にはもう余力がないんでね。この先はお任せする。悪いがおれ達は車で休ませてもらうよ。間違いなく、この街にはとんでもないものがごろごろしているはずだ。人口変異体の培養施設、秘密の抜け道とかな。見つけた手柄はごっそり持ってってくれ」

「分かったよ、任せろ!」

 剣士はどんと自分の胸を叩いた。硬い甲冑がぽよんと跳ねる。その下には、間違いなく想像を絶する巨大で柔らかな秘物が隠されているに違いなかった。

「でも手柄は折半でいい。欲を張るとろくなことがないんでね」

 剣士はウインクすると踵を返し、他の調査兵団達の後を追った。見ると、兵団の中に歩みを止めて立ち止まっている小集団がいる。剣士の仲間達だ。拳闘士に魔導士、ハーフエルフの三名。剣士も含めて女子ばかりのパーティーだ。

「ギルってさあ、モテるんだねえ」

 リイナが猫なで声でからんで来る。声のトーンとは裏腹に、眼はちっとも笑ってない。

 何か冷ややかな、どおおおんと重苦しい気の渦が、おれの肩にずっぽり圧し掛かってくる。

「はあああん? リイナ、嫉妬してるのおおお?」

 スウィルの間延びした怒涛の突っ込みに、リイナは顔を真っ赤にしてあぐあぐと声にならない声を上げた。

「リイナ、安心しな。あいつは男には興味がないからな。ちなみに仲間のパーティーの連中も女ばかりだが、皆同じ嗜好だから」

 モーリが、からからと笑い飛ばした。

「どういう意味? ひょっとして、四人ともリアルは男?」

 リイナが上ずった声でモーリの話に食らいつく。

「いや、そういう意味じゃなくてな。まあ、世の中色々だから。愛もまた色々だから。悪いが、先に休んで来るぞ」

 モーリは言葉巧みにリイナの追撃をはぐらかすと、ポーターに向かって歩き始めた。あれだけ寝てもまだ足りないらしい。

「ギル」

 リイナが、思いつめた表情でおれを見つめている。

 憂いに満ちた瞳が、じっとおれを捕らえて逃さない。

 ふと、唇に蘇る柔らかな感触。

 これって。

 この雰囲気って。

 もしかして。

「あなたの本当の名前を教えてほしい。亜紗人じゃなくて、この世界での本当の名前を」

 なんだよおい。そう来たかよ。

「内緒だ」

 余りにも拍子抜けするリイナの言葉に、おれは何故か不愉快な気分に駆られながらモーリの後を追った。

「実はねえええ」

「え、そうなんですか? あるようで無いような名前!」

 スゥイルがリイナの耳元で囁いて――わあっ! 言っちゃったの?

「やっぱりギルでいいよね? 」

 リイナが得意げに右手の親指をおっ立てて、グイっと前に突き出した。

「ああ、いいよ。それで」

 適当に答えを返すと、おれは重い足を引きずりながらポーター目指し、渾身の気力をふり絞る。

 何となく個性を否定されたみたいで、引っ掛かる面もあったが、それ以上の追撃はやめておく。何はともあれ、おれは早く寝たいのだ。

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