第4話 奇襲ノススメ
「ここがおれのおすすめの店だ」
おれは店の前の駐車場にランドポーターを止め、車外に出た。
途端に、甘い磯の香りが鼻腔をくすぐる。
大きな港。巨大な帆を掲げた船が何隻も出入りしている。街には市が立ち、石畳の広い道には様々な商店が軒を連ねていた。
ノースベイ。北方最大の港湾都市だ。港から入る物資を山岳地帯を超えて普段おれたちのいるギルドへ輸送する中間地点であり、又、近くの鉱脈から採掘されるオリハルコンや貴金属の輸出で繁栄している鉱山都市でもある。
そんな港町でも人気のスイーツ店が、ここーーショコラティエ・シオン。パテシィエのオーナーが世界を渡り歩き、厳選した材料を使って他にはない独創的なスイーツを作り上げてのだ。
「こんにちは」
真鍮のドアノブを引き、中に入る。
素材を大事にするオーナーのこだわりは店構えにも現れている。ログハウス調の飾りのない店舗は、主役のスイーツをより引き立てるためにという心遣いからなのだ。
「いらっしゃいませ――あら珍しいわね」
大き目のキャップを被った長身の若い女性店員が、にこやかにおれを歓迎してくれた。彼女がこの店のオーナー兼パテシィエ。二十代後半。その横で、二人の女性店員が他の客の接待をしている。
「久し振りだな」
「そうね、何か月ぶりかしら。後ろの方はお連れさん?」
「ああ」
「へええ。てことは、また冒険に出る気になったんだ。、いいね、いいね、そうじゃないと。ル民生活はやっぱ不健康だもの」
彼女は嬉しそうに破顔すると、うんうんと一人頷いた。
「ギル、この人知り合い?」
リイナがそっとおれに耳打ちした。
「何あんた、ギルって呼ばれているの?」
リイナのセリフが聞こえたらしく、パテシィエは驚きの表情を浮かべた。
「ギルド難民だからギルらしい」
「ふうん、いいんじゃない」
何がいいのかわからんが、よくわからんうちに、納得しているようだった。
「初めまして、私はシオン。この店のオーナー兼パティシエです」
シオンは帽子を取ると、前髪を掻き揚げ、深々と頭を下げた。長い黒髪がさらさらとしなやかな流線を描きながらこぼれる。
「おおっ」
モーリの喉から感嘆のどよめきが漏れる。と、その横のスウィルが何故か不機嫌そうにモーリの横っ腹に肘鉄をくらわせた。
「ところでさ、ギルさん、その中途半端なパンダ顔はどうしたの?」
訝しげにおれを見るシオンに首をかしげる。
「なんだそれは。意味が分からん」
マジで意味不明なシオンの一言におれは素直にぼやいた。
「待ってな」
シオンは小走りで店の奥に消えると、手鏡を持って再びおれの前に現れた。
「ほれ」
「うわっ!」
おれは顔をしかめた。鏡に映るおれの顔、笑える。否、そんなこと言ってる場合かよ。見事に右目の周りだけパンダになっている。でも、黒というより青紫に近い隈取だ。
なぜこうなったか。
思い当たる節はある。こいつのせいだっ!
ぎろっと横目でリイナに視線を向ける。あの時、パンティー握りしめたままおれを撃った会心の一撃。無防備なおれの右目にまともにヒットしたのが、まさかこんな事態になっているとは……。
当のリイナはおれと目線を合わせようとせず、あからさまに横を向いちまっている。
「はああん? 何かあったみたいねえ。ギルさん、浮気でもしたかあ?」
シオンはにんまりと意味深な笑みを浮かべた。
「んな訳ねえよーーって、何言わすんだよ。それに、そんな関係でもないし。」
「この子、リアルもかわいい女の子みたいだし、泣かすんじゃないよ」
「え?」
リイナが目を皿の様にしてシオンを見つめた。
「こいつ、見える人なのさ。リアルでもそう」
「見える人? リアルでもって、え?」
リイナのやつ、完璧にパニクッてるよ。大きな瞳を不自然に瞬きしながらおろおろしている。其の焦燥ぶりも笑えると言っちゃ笑えるが、そりゃ失礼だろうから黙っとく。
「私ね、霊や人のオーラが見えるの。その形で分かるんよ。男か女かって」
「リ、リアルでもお知り合いなのですけ?」
リイナの言語中枢、ちょっと壊れかけてる。
「うん。小さい頃から」
「幼馴染?」
「もっと深い関係」
「え? てことは許嫁?」
「まさか!」
シオンは大口を開けるとカラカラ笑った。
「私、こいつの姉なのさ」
シオンはそう言うと、おれの頭を左手でぐりぐり押さえつけた。悔しいけど、リアルでも姉の方が背が高く、こうやってよくやられているんだが、あいつが言うには愛情表現らしい。
「お姉さん? ですか」
リイナがきょとんとした表情でおれ達を見た。
「ああ、そうだ。二つ上の姉」
おれは、今だぐりぐりし続ける姉の行為にむすっとしながら答えた。
「んで、どうしたの? 今日は。旅立ちの挨拶?」
「普通に客としてだよ。うちの射手がスイーツ食べたいっていうからさ」
おれの後ろにいたスウィルがぺこりとお辞儀をした。
「最強のメンバーだね」
シオンは口元に意味深な笑みを浮かべた。
「仲間の事、知ってるのか?」
「纏っているオーラ見ればわかるよ」
訝し気に問い掛けるおれに、シオンは日常会話の延長のようなさりげない口調で答えた。。
「出陣祝いだ。お代はいいから、好きなやつを好きなだけ持って行っていいよ」
「え、ほんとですかあ?」
シオンの太っ腹な対応に、スウィルとリイナが目を細めながら喜びのハモリを奏でた。
「いいのか?」
おれは苦笑いしながら、次から次へと一片の遠慮を見せずに注文しまくる二人の女子に視線を投げ掛けた。
「うん。そだな、冒険の途中で何か珍しい食材を見つけたら土産にゲットして来てよ」
「ああ」
「それと、気を付けてかかりな。やばいやつ相手にするんでしょ」
「ん?」
「
おれは眉をひそめた。
「何故分かった?」
「想像つくよ。ギルドに根っこはやしてたあんたが動くってことは、これぐらいしかないでしょ」
「何でもお見通しだな」
おれは顔をしかめると、シオンの澄んだ瞳を見つめた。姉は昔からそうだ。吸い込まれそうになるその瞳に見つめられると、全てを見透かされているようで、決して嘘はつけなかった。
「ありがとうございます」
まるで新年初売り福袋争奪戦の様に、両手いっぱいに紙袋を提げたスウィルとリイナが姉と店員に深々と礼をする。
「また帰りに寄ってよ。冒険譚を聞かしてほしいからさ。その時にはまた御馳走するから」
シオンは器用にしゅるしゅるっと髪を巻き上げると、帽子を被り直しながら二人に笑みを浮かべた。
「来ます! 来ます!」
「絶対来ますう」
女子二名が大はしゃぎするのを横目で見ながら、おれは手をそっと挙げてシオンに別れを告げた。
「ギル、ちょっと」
不意に、シオンがおれを呼び止めた。
「あの魔道剣士の娘、しっかり守ってやんな」
シオンは耳元でそっと囁くと、微笑みながらおれの尻を軽くひっぱたいた。リイナのスキルを見透かして言ったのだろう。ほかに何か意味があるのか。ひょっとしたら、実は亡国の後継者で、暗殺集団に命を狙われているとか。
それはまずないな。彼女はおれ達と同じ来訪者だ。祠で見かけた身分証のプレートにも確かそう登録されていた。それに、
「ああ、じゃあ行って来る」
「はい、行ってらっしゃい!」
シオンに見送られながら、おれは店を後にした。車に乗り込むと、さっそくスイーツパーティーが始まった。
ポーターも何か分け前をもらったらしく、嬉しそうに口いっぱい頬張ってもぐもぐしている。
驚いた。こいつ、機械憑き
「さあ、冒険再開だ」
「あいよ、旦那」
おれの声にポーターが頷く。と、同時にエンジンが始動。車はゆっくりと動き出した。
「ギル、シオンさんって、この世界でずっと店やってるの?」
リイナがブラウニーを齧りながらおれの口にトリュフを放り込む。自分達ばかり食べていては悪いと思ったのか、その心遣いはうれしい。
「元々は冒険者さ。今も一応は現役。時々従業員に店を任せて食材探しの旅に出るらしい」
「ああいったお店、
「まあな。その点は何でもありだ。道徳的なルールさえ守ってれば」
「風俗とかはないもんね」
うんうんと頷くリイナ。それ、リアル女子高生が言うセリフかよ。
「いんや、あることはあるんだけどな、年齢制限があって十八歳未満はそのエリアに入るどころか所在すら見えないよう、結界の壁が張られているんだな。ちなみに、ノースベイの奥にも歌舞伎町並みの立派な歓楽街があるぞ」
モーリが、かっかっかっと豪快に笑った。
「あーら、お詳しいのね」
スウィルがカラカラ笑いながら冷ややかな目線をモーリに向ける。
「シオンさん、どうしてパテシィエになったの?」
リイナが今度はガトーショコラをはみはみしながら尋ねて来る。
「ママになってからかな」
「ママって、高級クラブの……?」
「違う! 違う! どうしてそんな発想になるの! 子供が生まれたんだ」
「えっ!」
「リアルは結婚してんだぜ。子供も女の子が一人いる。まだ小さいから、忙しくてこっちの世界に長居は出来ない。それであの店を始めたんだ。リアルでも旦那と二人でケーキ屋やってんだけど、こっちの世界では変わったケーキ作ってお客さんの反応を見ている」
「売れたらリアルでも売るの?」
「そうらしい」
「多分これが変わったケーキってやつだ」
リイナが食べかけのガトーショコラをおれの前に突き出した。
「中に抹茶クリームが入ってた。これいいね!」
リイナは大口開けると、はぐはぐと残りを食べ始めた。
このままだと、おれの取り分はトリュフ一個で終わりそうだ。
道はしばらく海岸線に沿って続いていたが、徐々に内陸部へと向かい始めた。
緩やかな傾斜を進むにつれ、道の両端に生える植物も、草本から次第に背丈の高い樹木に変わっていく。
「ポーター、悪意のある生体反応を検知したら行ってくれ」
「了解」
ポーターは敬礼すると、進行方向をかっと睨み付ける。
車内は、再び静寂に包まれる。
静かだ。但し、モーリの破壊的ないびきを除いては。
スイーツをたらふく食い散らかした面々は、走り出して早々に睡魔の虜となっていた。起きているのはおれとポーターだけ――否、寝てやがるよこいつも。ついさっき声を交わしたばかりなのに、目を開けたままスースー寝息を立てている。なんて器用な奴。
「くそう、みんな寝ちまいやがって」
「旦那、ご心配なく。あっしはちゃんと起きてるでござる。端末は今充電中なんで、セーブモードになっているだけなんで」
おれのぼやきに、ポーターの本体が妙な日本語で慌てて弁明した。こいつの言語登録はどうなってんだ? 関西弁でも標準語でもないし。
おれはナビゲーションのモニターをチラ見しながら、隣のリイナをチラ見した。
くかあと開いた口から涎を垂らしながら、幸せそうに眠っている。緊張感ゼロだな。足も大胆にぐあばっと開いているし。リアルは女だって言ってたけど、本当は男だったりして。
「ポーター、この辺りは確か
「旦那、よくご存じで。最近の情報では目撃談は減ってんですけど、以前は度々旅人が襲われてましたぜ。ただ気になるのは、目撃談こそ減ったものの、行方不明者が増加しているってえとこなんですがね」
「行方不明者?」
おれは首を傾げた。
ポーターの情報、なんか腑に落ちない。
食えば旨いのだが、やたらめったら素早いのと、長い脚を起用に振り回しながら襲ってくるので、倒すのに上級クラスのスキルがいる。そのためか、狩人達も好んで狩ろうとはしない。
例え出くわしたとしても、、おれ達なら全員でかかればなんとかなる。リイナのスキルを短期間で上げるにはもってこいだ。
周囲の木々が広葉樹に変わった。長脚虫が好むマコアがオレンジ色の果実をたわわに実らせている。この辺りはマコアの群生地なのだろう。木々の間から、あちらこちらにこぶし大の果実が見え隠れしている。見た目はおいしそうに見えるのだが、そのままでは渋みが強く、アルコール漬けかドライフルーツにしないと食べれない。そのままで食べるのは
妙だ。
おれは車を止めた。
マコアの実が、リアウィンドウの間近で揺れている。
やっぱりな。
「どうしたですかい、旦那」
ようやく起動した端末のポーターが、細い目を更に細めながら訝しげにおれに尋ねてきた。
「マコアの実がこんなになっているのに、喫食した形跡が無い」
「そう言えば……」
ポーターは、はっと我に返ると、眼をくりくりさせながら間近に迫るマコアの木を凝視した。
「大食漢の
「おっしゃる通りで。まるで
なかなか鋭いぞ、ポーター。まさしくそれだ。
「いなくなった訳は何だと思う?」
「食料はある。天変地異があったようには思えない。狩人たちの乱獲って話も無し。てより、奴らを狙う狩人自体そうそういないってのに。となれば……」
ポーターは大きな目でくりんと天を仰いだ。
「何者かが食った。それも、情報を発信しない存在。つまり、人間以外の何か」
「まさか……!」
おれの意見にポーターの顔が硬く強張る。
「ありうるぜ。ポーター、生体反応に注意してくれ」
「あいよっ! 承知しましたぜ、旦那」
ポーターが、両眼をかっと見開く。瞳孔が収縮し、真剣モードに変わる。
おれも全ての神経と意識をを研ぎ澄ませながら車を進めた。
敵の姿は分からない。
無論、おれの考えすぎかもしれない。他に住みよい環境を見つけて移動したということも考えられるが、こんな時は最悪のパターン考えておくのが一番。いざという時の初動が違う。
それともう一つ、気がかりなことがある。
何者かに監視されているような感覚がおれを苛んでいるのだ。それも、複数の目が、おれ達の動向を追い続けている。
気のせいかもしれない。だが、おれが今まで生き延びてこれた要因の一つに、人知を超えた感覚――危機感知能力の存在がある。さながら安易に見過ごす訳にはいかない。
不意に、生い茂っていた木々が途切れた。さっきまでの濃厚な緑の壁が消え失せ、がれきと枯れた木々が積み重なった荒涼とした風景が広がっている。だがそれはどこまでも続いているといのではなく、目測で百メートル程先には、再び木々が生い茂っているのが見える。
何故、この一角だけ?
車を止め、車窓から荒れ果てた風景を凝視する。
大規模な土砂崩れでもあったのだろうか。ならば、
じゃない。
これは……。
おれは言葉をそれ以上綴ることが出来なかった。視界から流れ込む情報が底知れぬ戦慄となって、おれの意識を鷲掴みにする。
むき出しになった地面を覆う瓦礫の正体――殻だ。視界に広がる荒涼とした丘陵は、全て
「食われたんだ。やっぱり、捕食者がいる」
「旦那、どないしましょ」
「猛スピードでここから脱出だ。何かの変異体かもしれん」
「あいっ!」
おれはアクセルを踏み込んだ。車はキュルキュルとタイヤを鳴らすと、急加速で走り出す。
「うわっ! 何よ‼」
急発進の反動に驚いたリイナが目を覚ます。
「どうしたの? また盗賊団」
リイナがおれの表情から何か悟ったのか、緊迫した口調で叫んだ。
「じゃねえ、もっとやばい奴かも」
「えっ?」
「リイナ、後ろの二人を起こしてくれ」
「起きてるわ」
「儂もだ」
スウィルとモーリがいつに無く真面目な口調でおれに返す。
彼らも感じ取っていたのだ。この異常な状況を。
不意に、張り詰めた空気の中で、妙な圧迫感がおれを襲う。
「旦那!」
ポーターが緊迫した叫びを上げる。
「上かっ!」
アクセルを目いっぱい踏み込む。
刹那、凄まじい地響きとともに、進行方向の路面が激しい砂埃を上げた。
慌ててアクセルから足を放し、ブレーキを踏み込む。
「なんだよおい」
黒に近い暗緑色の巨大な柱が二本、進路を完璧に塞ぐ形で突き刺さっている。そのフォルムは、まるで人の脹脛の様な曲線を描き、表面には細かな毛のようなものが、びっしりと生えている。
「旦那、後ろもだ」
ポーターが緊迫した声で叫んだ。
バックモニターを見ると、確かに同じ様な二本の柱が道に突き刺さり、おれ達の退路を断っていた。
「ギル、横にも妙なのが生えとるぞ」
「こっちもよ!」
モーリとスウィルの声に視線を走らせる。
確かに。堆く積もる
「これって、ひょっとして……」
「みんな、捕まれっ!」
おれはアクセルを踏み込んだ。
ポーターが慌ててリイナの膝の上に飛び移る。
ハンドルを思いっきり右に切り、怪しげな支柱と支柱の間を抜け、
その直後、背後から激しい振動が襲った。
車を止め、後方を確認。
おれは息を呑んだ。
さっきまでおれたちがいた道を、楕円形の巨大な異形が鎮座していた。
でかい。亀の甲羅のような形をした暗緑色のそれは、道をすっぽり覆い隠し、後続の視界を遮断している。まるでドーム球場が空から降ってきたような感じと言えばよいか。
道に突き刺さっていた柱は、今は器用に折りたためられ、巨大ドーム型異形の胴体から生えている。長く突き出た口には鮫の様な鋭い歯がびっしりと並び、その口を取り巻くように、目らしき球体が八つ、怪しげな青い輝きを放っていた。
「あれは、何? 何しているの?」
大きな目を見開いて異形を凝視するリイナの声が、恐怖に震えている。
「奴は、ああやって
「じゃあ、私達も食べようとして?」
「たぶんな。恐らく奴はこの辺りの
「じゃあ、この辺りで行方不明者が出てるってのは?」
「多分、あいつに食われた。行くぞ、とっととおさらばするぜ」
おれはアクセルを踏み込んだ。
タイヤがキュルキュルと音を立てる。
進まない!
タイヤが空回りしている!
「ポーター!」
「旦那、やばいですぜ。地盤が軟弱過ぎてタイヤが空回りしてまする」
「四駆モードに切り替えてくれ」
「やってみましたが、びくともしねえ」
異形の折りたためられていた脚が、するすると伸長した。奴の八つの目が、こちらをじっと見つめている。
「まずい、来るぞっ!」
「旦那、皆さん、外に避難してくだされ。このままでは皆、奴に潰されてしまう」
「ポーター、それじゃお前?」
「あっしも逃げますんで大丈夫」
ポーターが、ぽんと自分の胸を叩く。
大丈夫って、本体が潰されちまったら、端末であるお前はどうなる?
「時間がねえです。早く!」
「分かった」
ポーターに急がされ、おれ達は車外に飛び出した。
「みんな、ばらばらに散れっ! 奴を翻弄するんだ」
おれはみんなに声を掛けながら、近づいて来る異形の動向を追った。形態から察すると、恐らくは
しかし、でかい。だが、でかい故にか、本家本元の
おれの掛け声に、リイナ達はばらばらに分かれて逃走していた。ただ一人を除いては。
「ポーター!」
本体のそばから離れようとしないポーターに、慌てて呼び掛ける。端末だけに、やっぱり彼は本体から離れることが出来ないのか。
「くわあああああああっ!」
ポーターは、おもむろに大口を開けると、何を思ったのか、思いっ切り息を吸い込んだ。
ポーター本体の車体が揺れる。と、次の瞬間、トラック並みの巨大な車体が、煙でも吸い込むかのようにポーターの口の中へと消えた。
「旦那、とっととずらかりましょうぜ」
ポーターは、驚きの余りに口をポカーンと開けたまま佇むおれに、撤退を促した。
「あ、ああ。車、食ったのか?」
「安心して下せえ。いつでも出せますぜ。取り合えず腹ん中へしまっただけなんで」
ポーターは得意げにニヤリと笑いながら、膨らんだお腹をぽおおんと叩いた。
「さ、逃げましょう、旦那」
「おう」
おれはポーターを抱えると、リイナ達とは全く違う方向に走った。ちりじりばらばら作戦は功を成したらしく、
「しまったな、みんなと落ち合う場所を決めておくべきだった」
おれは舌打ちした。
何とかこのまま逃げ延びられそうだが、確実にみんなバラバラになっちまう。特異体の生活圏を無事抜けだしたとしても、今度は別の
おれを見ている。
間違いない。八つの目が、おれをまっすぐ射抜いている。
どう仕掛けてくるつもりだ?
突然、奴の脚が一斉に伸びた。
跳んだ。
巨体が大きく中空を舞い、跳躍した。
そう、飛んだんじゃなくて跳んだんだ。
奴の着地点は、間違いなくおれの頭上。
おれは即座に九十度方向転換し、懸命に大地を駆った。
標的がおれでよかった。
敏捷性と瞬発力のスキルに特化しているおれなら、みんなが逃げ切るまで時間稼ぎが出来る。
ただ、殻が降り積もった不安定な地盤だけに、走るのが結構きつい。
ずどーんと腹に響く振動と共に、堆積した
ほんの数メートル横に、奴は着地していた。足を器用に縮め、巨大な八つの目でおれを補足する。
なんて跳躍力。
おれは即座に方向転換すると、奴の後方に向かって走った。
視界から逸れれば、奴の動きも更に遅くなる。だがそれは、奴が確実におれだけを追っかけてくるというのが前提だ。但しターゲットを他に変更したら、それも困るのだが。
思惑通り、俺の動きを追っかけるかのように、奴は足を地締めたままずり刷りと方向を変えた。間違いない。奴は確実におれを狙っている。
再び、奴が跳躍。
衝撃で地盤が揺らぎ、足がもつれる。
くそうっ、逃げ切れねえっ!
舞い上がる塵芥。
目と鼻の先に着地。巨大な脚がおれの視界を埋め尽くす。
その反動でおれは大きく弧を描きながら吹っ飛んだ。中空で体制を整えながら着地する。
確実に、距離を詰められている。
次は、確実にやばい。
何処に逃げる?
奴の目が届かない所。とすれば、ここだっ!
「旦那、何するんで?」
ポーターが驚きの声を上げる。
おれは奴に向かって走っていた。地面に突き刺さっている脚を駆け上り、背中の甲殻部分にたどり着く。ここなら、奴の目から完全に逸れている。
さて、どう攻めるか。
てらてらと光沢を放つ外殻は硬くて刃は通しそうにない。背も脚も同様にとんでもなく硬い。攻めるとしたら、目か口の中だろう。
ん?
ぞくぞくっと冷たい戦慄が背筋を走る。
顔を上げた刹那、一斉に全身の毛穴が委縮した。
信じ難い現実を、おれは目の当たりにしていた。奴の首が亀の様に伸長し、八つの目をぎらんぎらん光らせながら、背中のおれを見据えているのだ。
おれの知る限りでは、
突然、奴は前脚の一本を大きく跳ね上げた。それは器用に反り返ると、大きな弧を描きながらおれ目掛けて打ち下ろす。
かぎ状の鋭い爪が生えた先端が、真っ直ぐおれに迫る。
側方に跳躍し、これをかわす。が、その着地点を読んだかのように、後方からも脚がおれを襲う。
際どいところで避けながら、おれは次の着地点を追う。
が、脚の方がおれよりも早く着地点を封鎖。
おれが疲れ果てるのを待っているのか。少しでもタイミングがずれれば、おれは確実に、あの脚に踏みつけられて圧死する。
腹が立つ。奴はおれが跳ぶ軌道を全て見切ってやがる。
あのいやらしく光る八個の目で、おれの動きを完璧に分析しているのだ。僅かにおれの動きが速い分、かろうじて生きながらえているものの、このままいつまでも逃げ切れるかどうか。
反撃のタイミングとメソッドが見えない。
反撃の糸口が掴めない苛立ちと、それでいて逃げ惑うしかない現実とのジレンマに、おれは自分自身への怒りと葛藤に苛まれていた。
反撃しなければ。
逃げなければ。
矛盾ともとれる意識の交差に、おれは全く先の見えない窮地に追い込まれていた。
どうすればいい。
どんな攻撃でも耐えれそうなこの甲殻と、どんな甲冑でも打ち砕くだろう奴の硬脚と対峙するのはどう考えても不可能。
跳躍を繰り返しながら、おれは自問自答を繰り返した。
おれ同様、奴も相当苛立っているようで、自分の背であるにも関わらず、手加減無しに脚を打ち込んでくる。
矛盾だらけの現状に、攻守の先読みが立てられない。
矛盾――そうか矛盾だ。
おれは着地点を定めると、繰り返しその地点に降り立った。奴もタイミングを合わせて脚を打ち込んで来るが、おれはそれをぎりぎりでかわし続けた。
暗緑色の甲殻の一部が、白っぽく変色し始める。
そろそろか。
変色部分に降り立ち、迫り来る脚を待つ。
奴もおれ以上に苛立っているようだ。同時に四脚がおれを襲う。
おれは動かなかった。
「旦那あああっ‼」
恐怖に打ちのめされたポーターが断末魔の悲鳴を上げる。
「安心しろっ!」
おれはポーターに声を掛けると、今まで以上に奴の脚が迫り来るのを待った。
疲れ切って動けなくなったと思わせる為に。
勝ち誇ったかのように加速する四脚。
接触までコンマゼロ一秒。
今だ。
おれは跳躍した。迫り来る脚の僅かな間隙を擦り抜ける。
勢い余った四脚が、激しく甲殻を打つ。
刹那。耳をつんざく粉砕音がおれの脚下で響く。
奴の脚が、背中の甲殻を打ち抜いていた。
特異体が口を大きく開けて激昂した。
その隙に、おれは跳躍を繰り返し、奴の口に迫る。
片手でポーターを支えながら左掌を前に突き出し、意識を集中させると、おれは口早に雷撃の秘文を紡いだ。
掌に、黄金色に輝く光の玉が生じると、それを中心に無数の稲妻が走り、無防備に開かれた奴の口の中に炸裂。
奴の絶叫が、大気をびりびりと震わせる。
奴の口から紅蓮の炎と真っ黒な煙が立ち上る。奴は首を激しく振り回し、身悶えしながらゆっくりと倒れた。
おれは跳躍すると、奴から距離を取って大地に降り立った。
しぶとく身悶えする奴の首が、地表を覆う
特異体の八つの目の輝きが消え、首が力無く項垂れる。
漸く、戦いの幕が下りたのだ。
「ギルって凄い。あの妖獣を一人で倒しちゃったんだ」
いつの間にか傍らに来ていたリイナが、尊敬と憧憬のまなざしでおれを見つめていた。
「怪我は?」
「大丈夫」
おれが見つめ返すと、リイナは頬を赤く染めながら、何故か恥ずかしそうに俯いた。
「ひょっとしてまた漏らしたのか」
「ちがーうっ!」
顔を真っ赤にして全否定する彼女の向こうから、モーリとスウィルがにまにましながら歩いて来る。
「仲良いわねえ」
スウィルが、けらけら笑いながら、おれとリイナの間に首を突っ込んでくる。
「流石だな、一人でこいつを倒しちまうとは」
モーリは、ガハガハ笑いながらおれの頭をげんこつでごんごん小突いた。
「こいつも
スウィルは顎に手を添えると、眉間にしわを寄せながら、まじまじと獲物を吟味する。
「どうだろ。前例がないからな」
今までギルドでも話題にも上ったことのない獲物だけに、何とも言えない。
「しかしまあ、自滅させるなんざよく考え付いたな」
モーリが感心した表情でおれを見た。
「矛盾さ」
「矛盾?」
モーリは首を傾げた。
「最強の鎧を最強の槍で突いたらどうなるか試してみたのさ」
「ほおおお。それはまた何とも言えぬ策略だな」
分かったのか分からんのか、中途半端な苦笑いを浮かべるモーリ。
「やっぱ策士よねえ。バグ・スレイヤーに推薦してあげる?」
スウィルが真顔でおれにお誘いのフレーズを投げかけて来る。
「考えとく。余り期待はせんでくれ」
「ほえほえ」
スウィルの気の抜けた返事から察するに、さっきの勧誘は、どうやらただの社交辞令とみた。
「それにしても、香ばしいいい香りだの」
モーリが、ごくりと生唾を飲み込む。
確かに、周囲は海老を焼いたような甘く香ばしい香りに満ちていた。
「やめとけよモーリ。食わない方がいいぞ。
今にでも獲物に食いつきそうなモーリに、慌てて釘を刺す。
「ありがとうごぜえます、旦那。もう下ろしてもらっても大丈夫ですでね」
「あ、すまん」
おれは小脇に抱えていたポーターを地面に下ろした。
「本体を出しますぜ」
「じゃあ、道で頼む。ここだとまた地面に足を取られるからな」
「了解しますた」
ポーターは道に戻ると体以上に口をおっぴろげて車を吐き出した。
「ポーターの体って、どうなってんだろ」
リイナが不思議そうにポーターを見つめる。
「彼も妖精族だから、神秘的な存在なのよ。科学的に説明は出来ないわねえ」
スウィルが目を細めながら呟く。そう言うスウィルも妖精族だし。確かに彼女も謎が多い。
「ギル、獲物に刻印は?」
「そうだな。流石にこいつを持ち運ぶのは無理だ」
リイナに促され、おれは胸に下げた登録プレートを取り出すと、ぶつぶつと秘文を唱えながら獲物の甲殻に近づけた。
甲殻に、おれの名を暗証化した文様が金文字で刻印され、ずぶずぶと地中に消えた。。これで、後で賊に獲物を奪われることはない。大地の
「旦那、出発の準備が出来やしたぜ――!」」
ポーターの呼び声に手を振って答えると、おれ達は歩き辛い甲殻の丘陵をゆっくりと下った。
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