写し鏡とマドレーヌ3

「本当に、これだけで叶うのかしら・・・・・・」

森の魔女に渡された手鏡を前にミッシェルはじっとそれを見つめて考える。

噂に聞いていた魔女の元に足を向けた時は、無我夢中だった。何も考えられないほど頭の中がぐちゃぐちゃで、このまま大人しく泣き寝入りなんてしたくない!という思いで行動した結果だった。

噂に聞いていた森の中に入り、魔女の家を見つけた時は怒りの感情の方がまだ大きかったが、魔女に話を聞いてもらってからは少し気持ちが落ち着いて今では幾分スッキリしている。もちろん怒りの気持ちはまだミッシェルの中にあるが。

彼に直接何かしたい、とは思っていないし、むしろそんな価値もないと思っている。というか関わりたくない。だけどこのまま終わるなんて負けた気がして嫌なのだ。

そう思ったからこそ、ミッシェルは魔女に綺麗になりたいと望んだのだ。

綺麗になって、見返してやる、と。

じっと机に置いていた手鏡を見ていたせいで、伸びた前髪がはらりと落ちる。それを一房摘んで、そういえば前髪を切った方が似合うと言われたことも思い出した。仕事ばかりで、早く一人前になりたくて、オシャレなんてする時間もなかなかなくてなんとなく伸ばしていた髪だけど、せっかくなのだから思い切って短くしてみるのもいいかもしれない。それに眼鏡だって仕事を始めた頃、人と目を合わせるのが苦手だと言ったミッシェルに店主がそれなら眼鏡をしてみたら?とすすめてくれたものだから、仕事に慣れた今なら外してもいいかもしれない。

それに変わるなら徹底的に変わらないと。

「・・・・・・よしっ、やるわよミッシェル」

待ってなさい、クズ男。絶対惚れさせてやるから!!そしてその後今度は私が手酷くふってやる!

そのためにも新しい自分に変わって綺麗になるしかないので、今は魔女の言葉を信じようと決めた。

絶対に見返してやる!!

そう決意して、ミッシェルは渡された手鏡を覗き込んだ。






「本当にいいの?ミッシェル」

「えぇ。思いっきり切っちゃって」

次の日に朝早くに友人の働いている美容院を訪れたミッシェルは、長く伸ばしていた髪を肩よりも短く切ってもらった。せっかく伸ばしていたのに、と友人はもったいないと言ったがミッシェルからすればただ伸ばしていただけで未練もない。むしろスッキリとした頭に心まで軽くなった気がした。

伸びでいた前髪も整えてもらい、これまで隠れていたおでこと瞳が見えるようになると確かに表情がハッキリと分かるようになり、前よりも明るくなった気がした。

「なんか前よりも綺麗になったわね、ミッシェル」「そう?髪型のせいじゃないかしら」

「ん〜〜どことなく晴れやかな顔してるわよ?」

もしかして何かいいことでもあったの?だから髪を切りに来たの?となどと聞く声に曖昧に笑っておいた。

どちらかといえば最悪なことが起きたのだけど、まだ目的を話すわけにはいかないので、まぁそんなところかな、と流しておいた。

それから家に帰り、魔女に言われた通りに手鏡を覗き込めば鏡の中には余裕のある美しい笑みを浮かべる女性がいて、思わず手鏡を落としそうになった。

「い、いまのは・・・・・・」

恐る恐るもう一度鏡を覗き込むが、そこに先程の女性の姿はなく、そこに映るのはよく知る自分の顔でしかない。


もしかしてあれが自分の理想の姿なのかしら・・・・・・。


健康的な肌に薄らと色づいた頬、はっきりとした紅色の綺麗な唇にスッキリとした鎖骨の見えるシンプルなドレスに品の良いパールのアクセサリーを身につけて、微笑んでいた彼女は自信に溢れおり、とても美しかった。

あれが、私・・・・・・。

今の自分とは似ても似つかないのに、同じ人間なのだと言うならすごく驚くと同時に努力すればあんなふうになれるのだと思うと、なんだが自信が湧いてくる。


「絶対近付いてみせるわ・・・・・・っ」

理想の自分になってやる!


それからミッシェルは毎日手鏡を見つめては自分の理想の姿に重ねるように工夫をしてきた。

まずは背筋を伸ばして、顔を上げて歩くところから始めた。そうすればこれまで意識していなかった人の視線や表情がどんなふうに向いているのか分かるようになり、相手に自分がどのように見られているのか分かるようになった。

服装も動きやすさを重視していたから、多少裾や袖が汚れていてもいいかと気にしていなかったが、鏡に映る自分の姿を思い出し、店前に立つのだからもう少し身嗜みに気を使おうと邪魔にならない程度に襟元にレースが着いているワンピースを手に取った。色も地味な茶色などが多かったが、花屋で映える深緑などにしてあまり派手ではないが上品な服装を心がけるようにした。

「あら、ミッシェルちゃん。なんだか大人っぽくなったわね」

「そ、そうですか?」

「えぇ、それにとっても綺麗で別人になったみたい」

何かいいことでもあったの?とにこにこと話しかけてくる常連のおばさんの言葉に内心喜びながら「ありがとうございます」とあくまでいつも通りにミッシェルは笑って答えた。

魔女に言われたことを実践しているうちに、少しずつだが綺麗になったわね、と褒められることが増えてきた。

髪型と服装を変えただけで、こうも褒められるとは思ってもいなかったので少しずつだが自分に自信を持てるようになっていた。

そうすることで自然と笑顔が増えて、以前よりも明るく元気に接客するミッシェルに色んな人が気さくに声をかけてくれるようになった。特に男性から声をかけられ誘われることが多くなったので、着実に綺麗になっていると自分でも実感していた。

そしてその中にはミッシェルをバカにして賭けの対象にしていた男も含まれているのだが。

「やぁ、ミッシェル今日も綺麗だね」

「いらっしゃいませ。今日は何をお求めでしょうか」

以前よりも近い距離で熱っぽい視線を向けてくる相手にミッシェルは営業スマイルを浮かべながら対応する。

「相変わらず仕事熱心だね。そんな真面目な君も素敵だけど、よかったらこの後食事でもどうかな?」

「申し訳ないですが、忙しいので」

暗に無理だと断ったのだけど、納得がいかないのか男はミッシェルを呼び止める。

「ミッシェル!」

「仕事中なの、用がないなら帰ってください」

「どうしたんだい?前の君なら直ぐに頷いてくれたのに、何かあったのかい?俺が嫌い?」

自分のことを好きだと疑ってもいない男の言葉に内心盛大にため息を吐きながら、縋るようにミッシェルの手を取る男に完全なる営業スマイルを向けた。

「私、不誠実な人って大っ嫌いなの」

パシッと男の手を振り払い固まる男を置いてミッシェルは背を向けた。

これ以上話す気も関わる気は無いという意志を示せば、しばらくその場で固まっていた男は他の客に退かされるようにその場を離れて行った。

その後も何度か男はミッシェルに接触を試みていたようだったが、客にあしらわれ、ミッシェル本人がその気は無いと手酷く振ってからは顔を見せなくなった。

代わりに毎日違う男性からミッシェルに誘いがかかるようになったが、その声を笑顔でかわしていた。

見た目が変わったことで、掌を返すような男なんてコチラからお断りだから。


「今日も綺麗ね、ミッシェル」


そう手鏡に微笑んでから身嗜みを確認し、丁寧に手鏡を閉まってからミッシェルは今日も自分の仕事場へと向かった。








それから少し経って、仕事が落ち着いた頃にミッシェルは約束のものを持って再び森へと訪れていた。

「あら、いらっしゃいミッシェル。結果はどう?」

覚えのある家の扉をノックする前に掛けられた声にそちらに顔を向ければ、いつの間に現れたのか白いテーブルクロスがかかった机と椅子が目に入る。その上にはお菓子や花が並べられており可愛らしく飾りつけられていた。

そしてその椅子の一つに座り、優雅に笑いかけてくる魔女が「どうぞ」と椅子を勧めてくる。

言われるがままに素直に勧められた椅子に座れば、すぐさま目の前にティーカップが現れて、温かな紅茶が注がれた。

「来るのが遅くなってすみませんでした」

「別にそんなの気にしていないわよ、ミッシェルはちゃんと約束を守ってくれると思ってたし」

それにしても、と魔女は前置きをするとふわりと微笑んだ。

「随分と変わったみたいね」

「はい、綺麗になれました?私」

初めてここに来た時とは違い、明るい顔で笑い返すミッシェルに魔女、灯は「そうね」と頷いてみせた。

「姿もだけど、心も随分と明るくなったみたい」

まるでミッシェルの今の心境を表すかのように晴れ渡る空のような水色の美しい光沢のあるドレスを着て琥珀のブローチを付けた彼女は陽の光の中で穏やかに微笑む姿はまるで付き物が取れたかのようで、出会った時と打って変わってとても綺麗だった。

「あなたのおかげで今は新しい自分になれたと思っています。本当にありがとうございます」

「ふふふ、それはよかった」

本心からのお礼の言葉を受け取りながら、それと同時に彼女が取り出したお礼の品に目を奪われた。

「これは遅くなったんですが・・・・・・」

そう言って箱を開けると同時にふわりと香るはちみつとバターの甘い香りに、どうしようもなく頬が緩む。

箱いっぱいに詰められた貝殻の形をしたお菓子を幸せな気持ちで眺めた。

「ありがとう。大切に食べるわね」

「でも、お礼がこんなものでよかったんですか?その言ってはなんですが・・・魔女であるあなたにお菓子1つで願いを叶えてもらったのは割に合わない気が・・・・・・」

そうどこか困った顔で告げるミッシェルに灯はゆっくりと首を横に振る。

「貴方にとってこんなもの、でも私にはとても大切で意味のあるものなの。貴方もそうでしょう?」

誰かにとってその願いは大したものでなくても、それを願う人にはとても大切なたった一つの強い望みである事もあるから。

最後まで言葉にしなくても、その意味を正しく理解してくれたミッシェルは深く頷いて謝罪をしてくれた。だから灯は気にするのであれば、また逢いに来て欲しいと口にした。

「え・・・・・・?」

「もう貴方の願いを叶えることは出来ないけれど、悩み相談くらいは出来るわよ?」

もちろんお茶請けのお菓子は忘れないでね。

そう茶目っ気たっぷりにウインクしながら告げれば、少しの間呆けた顔をしていたミッシェルは、すぐに可笑しそうに吹き出しだ。

「ふふふふ、あはははっ」

「もう、笑うことないわよね」

「ごめんなさい、でもずっとイメージしていた魔女と全然違うんだもの貴方」

「そう?でもこれが私だから」

魔女と周りから言われていても、森野灯はただの甘いものが好きな一人の人間でしかない。

そして今はお茶友達を探している最中だから。

「それならまた来てもいいかしら?魔女さん。もちろんお菓子を持ってくるから」

「えぇ。あと私の名前は灯よ」

敬語も必要ないでしょ、だってお茶友達だもの、と続ければ先程よりも砕けた顔で頷いてくれた。

「わかったわ、アカリ」

「よろしくね、ミッシェル」

そして新しいお茶友達が増えました。

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