映し鏡とマドレーヌ2
「あなたはどうして綺麗になりたいの?」
綺麗にして欲しい、と言った女性にまずはどうしてそうなりたいのか、その話を聞く必要があると思い灯は尋ねた。
綺麗、と言っても基準は様々で人によって異なるため彼女の言う綺麗がどんな人を表すのか詳しく知る必要があると思ったから。
そもそも美人の基準なんて、国や時代が変われば酷く曖昧なものだ。
だから誰が見ても綺麗な人、というのはピンポイントなようでその実とても曖昧な表現だろう。灯が思う綺麗な人と彼女が思う綺麗が異なれば、その望みは叶うことがなくなってしまうし、それこそ男性から見て魅力的というのはかなり幅が広いと思うのだ。
ぽっちゃり好きや、なんたらフェチ、B専なんて表現がいい例だろう。
「・・・・・・私、騙されていたんです」
「だまされていた?」
「はい」
想像していた返答とは違う回答になんだか雲行きが怪しくなってきたな、と思いながらも彼女に話の続きを促した。
彼女の名前はミッシェル・レガーヌ、花屋で働いているそうだ。
「私があの人と出会ったのは、3ヶ月程前です」
初めは普通にお店にお客として来ていた相手のことをミッシェルはただ花が好きな男性なのだなと認識していたそうだ。
いつも豪華な花束を注文して、買って帰る彼の姿に彼女はそんな綺麗な花束を貰える人は幸せな人だな、と思いながらも自分とは全く縁のない世界だと割り切りながら仕事をしていた。
だって私はただの店員でしかないし。
水仕事で荒れた手と髪を一つにまとめただけの洒落っけのない自分と違い、彼に近付くのはいつだって綺麗で可愛い、それこそ水仕事なんてしたことの無いような傷一つ無い手と日焼けしたことの無いような白い肌を持つ女性だ。
自分とは真反対の人。関わることの無い人だと、そう思っていたのに、ある日彼は何故かミッシェルに声を掛けてきた。
「俺のために花束を作ってくれない?」
「私が、ですか?」
「うん、君に作って欲しいんだ」
いつもであれば彼は店長に話しかけて花束を作ってもらっていたのだが、その時はそう言った彼に多分ミッシェルは舞い上がっていた。
内心なんでもないふりをしながらも、ずっと密かに憧れていた彼に話しかけられて、そう言われて。
「色の希望とかありますか?」
「特にないかな、君が思うように好きに作ってくれたらいいよ」
「わかりました」
だからミッシェルのなかで精一杯考えて、彼の為に作った花束を渡した。自分の隠した想いをこっそりと忍ばせて。伝わらなくとも、受け取ってもらえたら、それで十分だとその時は確かに思っていたはずなのに。
「はい」
「え?」
作ったばかりの花束を自分へと渡し返されて困惑しながら彼を見つめれば、どこか気恥ずかしそうに彼は口を開いた。
「貰ってくれないかい?」
「私に、ですか?」
「うん、君に貰って欲しいんだ」
その瞬間にミッシェルが抱いていたさっきまでの想いは吹き飛んで、新しい欲が出てしまった。
彼が花言葉を知っているとは思ってもいなかったが、それでもこうやってミッシェルに花束をプレゼントしてくれた彼の笑顔に恋に不慣れなミッシェルの胸はドキドキと音を立て顔が熱くなった。
「また君に会いに来てもいいかな?」
「・・・・・・はい」
そう言われてしまえば、もしかしたら彼も・・・なんて淡い期待を抱いてしまい、夢を見てしまったのだ。
その日を境に毎日のように彼はミッシェルの元を訪れ、花を買う時に少しずつ話をするようになった。明るくて、話が上手で笑顔が素敵で、紳士的な彼のことが好きなのだと自覚するまでそう時間はかからなかった。
そして自覚してしまえば、彼に会える時間が待ち遠しくて、いつも彼の姿を探してしまっていた。
「やぁ、ミッシェル」
「ロナウド!」
「調子はどう?」
そんなふうに声をかけてくる彼はいつも最後に花を買って、ミッシェルに渡してくれるのだ。
「また会いに来るよ」
そう言って耳元で囁く声に、あまい顔にそれが自分にだけ向けられているものだと疑っていなかった。
彼も私が好きなのだと・・・・・・。
それはまるで夢のような時間だった。
だけど、所詮夢は夢なのだ。いつか覚める時が来るもので、そんな時はあっさりと訪れた。
その日、ミッシェルは休みで久しぶりに街に買い物へと向かっていた。
素敵な彼に少しでも綺麗だと思われたくて、オシャレをしようと自分なりに彼に相応しい人になりたいと思い、街へと出てきたのだ。
綺麗になったら、褒めてくれるかな・・・・・・。
そんなことを思いながらミッシェルは街を歩いた。
だけど目的の店に着く前に、聞き覚えのある声が聞こえてミッシェルは足は止めた。視線の先、こちらに背を向けているが見間違えようのない彼の姿にミッシェルは笑顔を浮かべた。
あぁ!彼だわ!彼がいる!
会えたことが嬉しくて、足早に彼の元へ近付いたが声をかける前に聞こえてきた声に思わず足が止まった。よく見れば彼は一人ではなく、友人らしき人と一緒にいた。
「賭けはまたお前の勝ちかよ」
「本当に顔が良い奴はずるいよなぁ」
「今回も俺の勝ちで悪いな」
かけ?賭けってなに?何の話をしているの?
じわじわと胸の中に広がる嫌な予感に、これ以上この場にいてはダメだと聞きたくないと思うのに、足は地面に縫い付けられたかのように動かず、視線を逸らせない。
「それにしても、今回はいけると思ったんだけどな」
「真面目そうな子選んだのにな〜」
「花屋のあの子だろ?ちょっと意外だったよな」
所詮顔かぁ、なんて呟く声にヒュッ!と息を呑んだ。
まさか、そんな・・・と思うのに、話の内容から彼らが話しているのは自分のことだとわかってしまう。
「どうやっておとしたんだよ?」
「なんかコツでもあるのか」
「そんなもんねぇよ。それにあの女、花束渡してちょっと優しくしたらすぐ俺に惚れたぞ」
簡単だった、なんて友人たちと大きな声で笑っている姿に目の前が真っ黒になる。
あぁ、そうか初めから騙されていたんだ・・・・・・。
彼が自分を好きなんて、初めから有り得なかったのだ。全部、これまで彼の言葉は嘘で、彼にとってミッシェルは暇つぶしでしかなかったのだ。
その時にようやく全てをミッシェルは理解した。
「・・・・・・馬鹿ですよね、そんなことに気付かずに浮かれていたなんて」
そして彼らはミッシェルがそこにいて、聞き耳を立てていたことにも気付かず、後から来た知らない可愛い女性とどこかへ消えていった。親しげに腕をくみ女性と彼が歩いているのを見ても、涙は出なかった。むしろ、涙よりも怒りの方がミッシェルの胸には込み上げた。
そしてその時に思い出したのが森に住むという魔女の話だった。
どんな望みでも叶えてくれるという、魔女。
だからミッシェルは会いに来たのだと話した。
「つまり、そのバカ男を見返したいってこと?」
「はい。綺麗になって今度は私がフッてやるんです」
その為にここに来たのだと強い意志を持って答える彼女に好感を抱く。
「そういうの、嫌いじゃないわ」
むしろそういう考えの人、大好きだわ。
フラれたと泣いて喚く女性よりも、自分の力でしっかり前を向く女性の方が灯は好きだし、そういう人の方が応援したくなる。
「報酬は分かってる?」
「はい、今日はあのまま来てしまったので何も持ってきていませんが、必ずお支払いします」
「いい返事ね」
しっかりと彼女が頷いたのを確認して、灯は席を立った。
そして彼女に近づき、その頬を両手で掴むと口角を上げた。
「ミッシェル、あなたにとびっきりの魔法をかけてあげる」
その男が後悔するような、たくさんの人があなたを美しいと認め、羨むような、そんな人にしてあげる。
そう告げた灯に、彼女は目を逸らすことなく「よろしくお願いします」と答えた。
その答えに満足げに笑みを深めた灯は彼女から手を離すと、少し待っていて欲しいと言い残して部屋を出た。
「すぐ戻るわ」
そしてその言葉どおり、数分かからずに戻ってきた灯は別の部屋から持ってきたものをテーブルの上に置いた。
「これは・・・・・・?」
「
薔薇の蔓が絡んだ華美なデザインの手鏡を見せれば不思議そうな眼差しが向けられた。そんな視線に慣れている灯はミッシェルに手鏡をよく見せるように向けながら、口を開いた。
「これはね、見た人に本当の姿をみせる鏡なの」
「本当のすがた・・・・・・?」
「そう、正しくは見たい姿かな」
自分が心から望む、こうありたい、こうなりたいと望む姿を見せてくれる鏡。心の奥底にある本当の自分を見せてくれる鏡だ。
勿論それを見せてくれるのは一瞬で、その後覗いてもただの鏡のように今の姿しか映らないが。
「毎日この鏡を見て、お化粧するの。その時に見た自分のなりたい姿を想像してね」
「毎日?特別な日じゃなくても?」
「えぇ、毎日よ」
毎日覗いて、自分のなりたい姿を想像する。
肌が華麗になりたいな。
もう少し明るい髪色が似合うかもしれない。
もっとハッキリとしたリップはどうかな。
アイラインは控えめの方がいいかしら。
今の私は理想に近付いているかな?
そんなふうに毎日自分の理想の姿と向き合って、今の顔と見比べて考えてみる。
そうすれば自然と理想の姿に近付こうとするはずだから。
「そして必ず化粧の最後に『私は世界一綺麗』と言うの」
今日もとっても素敵ね、でもいい。可愛いでも、綺麗でも、言葉はどんなものでもいいから口に出して自分を認めてあげるの。
そう灯が続ければ、戸惑った顔をしながらも小さく頷いたのが見えた。
「あと前髪は上げるか、切った方が似合うわよ」
「そう、ですか・・・?」
「えぇ、あなたとっても綺麗なおでこしているし、その方が表情がわかりやすくていいと思うわ」
もちろん無理にとは言わないけど、とつけ加えて灯が言えば悩む素振りを見せながら手鏡を見つめていた。
「まずは自分自身が自分のことを愛してあげること。きちんと自分を沢山褒めて努力を認めてあげなさい、それだけであなたは綺麗になれるのだから」
どこか半信半疑な顔をしながらも、渡した手鏡をしっかりと受け取った彼女に灯はもう一度微笑んだ。
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