第6話

 朝食をいただいた私は散歩に出た。休日はいつも部屋にこもっているのだが、何もせずじっとしていると脳が緩み、酒を飲んでもいないのに意識が混濁として身体が一次的な欲求の解消を望むようになるのだ。ナナセに手を出さぬと誓約を立てた手前それはまずく、気晴らしと頭の廻りの潤滑化を兼ねてわざわざと普段足を向けない公園の周りを、少々足どり重くうろうろとしていたのだった。

 しかし大人の男が一人意味もなくふらついているのはなんだか間抜けな気がして恥ずかしく、ベンチに座り煙草を呑むもどこか場違いに感じて落ち着かなかった。どこかへコーヒーでもと考えてみるが辺りに店の見当なく、結局は缶コーヒーに落ち着く。缶は暖かいというより熱くじんわりと私の手を焼いていく。思いの外身体が冷えていたらしく、考えなしに歩いていた不毛を自嘲した。

 私はこの迷走を自身の将来と重ねた。行く当てのない私は私の中に住む獣そのものであり、どこかに出口はないか。鬱屈を消化できないかと彷徨っているのだ。

 往来の隅に留まり、途方もない貪婪どんらんを持て余すために生まれてきたのであればなんと無意味か。今後私は何に喜び歌えばいいのか。果てなく暗い道中を渡る手段を持たず、苦悩し、悶える。


 トワを使えばいいのではないか。

 あれなら何をやってもいいではないか。


 頭に浮かぶ邪。アレならば、適当に部屋をあてがってやれば満足するだろうという都合のいい推測を始めるともう止まらない。トワの幻影が私を惑わし、私もその幻影に進んで吸い込まれていく。抗えぬ肉への欲望がそっくりとそのまま背信への願望に繋がり、自制を強くすればするほど艶めいていく。心音が高鳴るのは、欲望か、嫌悪か。

 仮にナナセが自発的に身体を捧げてくれていたのであればまだマシだったかもしれないしトワへの妄執も抱かなかったかったかもしれない。彼女さえ私を受け止めてくれたらと思うと実にやるせなく、やり場のない怒りが湧き上がる。

 しかしこれは同時に矛盾を生む。私は暴力と破滅を欲してながらもまったく正しく道徳的な関係をナナセに求めているのだ。これを愚かと言わずになんと言おう。私の中にいる獣の欲望は満たされる事なく、延々と呪いを吐き続けるばかりであり、凡そ人に備わっている倫理とか情といった真っ当な感性を尽く噛み殺してしまっている。ともすれば、やはり私自身においては永遠に満たされず、精神的飢餓状態に悩まされなくてはならないのだという結論へと至るのだった。瞬く間に救済は訪れないというロジックが積み上げられていき、深く落ちていく。このままずっと欲するまま何一つ得られず生きていかなければならないのかと思うとまさに三界無安の心持ちとなり、どうしても希望が見出せず、欲望だけがどんどん肥大していく。この世は地獄とさえ思えた。

 なす術なく自然と地面に目線が移る。茶色のでこぼことした不安定な足場に墓穴が広がっていく幻覚が見える。それは他でもない私が入るべき暗黒であり、墓標も卒塔婆もなく、虫や枯れ葉と一緒くたになって分解され忘れ去られていく虚無の入口であった。

 そうなればどれだけいいだろうか。消えてしまって、なにも考えられなければどれだけ楽か。打ち明けられない懺悔を。人に漏らせぬ苦痛を、満たされない欲望を捨てられたら。きっと私は幸福になれるものを。それがどうして、私はこうなってしまったのだろうか。呪わずにはいられない。


 項垂れ、妄想の穴をじっと見る。コーヒーはとうに熱を失い、手にした缶からは液体の、死体のような冷たさを感じた。それがトワか、あるいはナナセの手首のように思えて、私はまた、鬱屈とした渇きを自覚するのだった。

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