欠乏と補完

「米村さん」


 心なしか実際の距離よりも近くから鈴城君の声が聞こえた様な気がしたその瞬間、右手の甲に何かが被さってきた。……うそ?


「大丈夫だよ米村さん。これで落ち着いた?」


 鈴城君の大きな手が、私の右手を包み込んでいる。その重なったお互いの手を暫く凝視した後に顔を上げると、真剣な面持ちの鈴城君が真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。私が視線を上げた事で二人の眼差しが交錯する。


 何秒経っただろう。二人とも一言も声を発しない。しかしどちらからともなく、お互いの顔が近付き――私と鈴城君は、不慣れに、しかし精一杯優しく、唇を触れ合せた。


 ファーストキスはレモンの味。陳腐な表現だけど、あながち間違いではなかった。甘酸っぱい香りが鈴城君の唇を通して、私の口いっぱいに広がり頬の辺りをきゅぅっとしぼめさせる。


 彼は黙って顔を下の方にずらし、私のうなじ辺りに再び優しくキスをする。「……んん」


 私はピクンと体を震わせ、この13年間で出した事の無い声をあげる。何今の声? 私あんな可愛い声出せるの? 寝起きに家の電話に緒美奈おみなから連絡が来た際、出たらお父さんと間違われた時の声とは大違いだ。


 鈴城君の手が私のブラウスのボタンに伸び、それを一つずつ外していく。私は恥じらいに任せて目を閉じ、一言「恥ずかしい……」と僅かながらの抵抗を見せる。


「そうだよね、米村さんだけ。ごめんね、じゃあ僕も」


 そう言って鈴城君はTシャツを脱いで――――脱いで……そこで録画番組のポーズ画面の様に鈴城君は停止する。……うん、分かってた。これ私の妄想だ。結局私はあの空気に耐えきれず、妄想世界に逃げ込んでしまっていた。


 早く帰らなきゃ――頭では分かっているが、もう止められない。一通りこの妄想を堪能するまでは、私の欲求は現実世界に帰る事を許さないのだ。…………あーもう知るもんか! こうなったら思いっきりエッチな妄想してやるーー!!!


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