生霊祓いになった私の話、

季早伽弥

第1話

 散歩中の園児にいつも優しく微笑みかけ、ピカピカのお兄ちゃんと慕われる。

 形崩れ一つ無い学ランが汚れるのも厭わず、小学生らと溝に落ちた子犬を助けたかと思えば、店の前で急な雨降りに難儀する老婦人に傘を差し掛けつつ、荷物持ちを買って出る。

 逃げてきたコンビニ強盗を鮮やかな柔術で取り押さえ、どういう経緯だか、体調不良の外国人技能実習生を近くの医院まで背負って運び、医師に乞われて通訳までこなした――。


 ある界隈でこんな青年の噂が広まり始めた。といっても話題の中心は、こうした品行方正な人となり、なんかではなくその容姿。

 眉目秀麗半端なく、気品ある物腰に清らかな笑み。白磁かと見紛う肌に、濃い栗色の髪が時として深いブロンドに見えてくる奇跡――更に最新速報では青年の名は百合小路ゆりこうじ。旧華族の流れを汲む家柄で且つ大富豪、という御曹司でありながら、自ら望んで質素な下宿にてつましく暮らすという――。

 真偽はともかく、そんな天に二物も三物もブッ込まれた男にもしかし、唯一欠点があった。但し本人に落ち度はなく、周囲の耳目を否応なく引くが故の不幸――、


「…似合ってますか…ビキニなんて着るの初めてで…でも思い切って選んじゃいました――百合小路ゆりこうじ様に、見て欲しかったから、キャッ恥ずかしいっ」

「ハッッ寄せて上げてのやっとでBか、AAAが」

「あ゛!?今何つった!」


「ドサクサ紛れに百合小路様に触れようとすんじゃないわよ七五三!」

「はああ!?そっちこそ何そのナリ、死装束か!」

「見て分かんだろウエディングドレスだってのッ盛ってるだけで閉じてんじゃねその目!!」

「似合ってねーし、つーか百合小路様の好み絶対和服だし!」

えり逆じゃん、棺桶入っとれや」


「メイクだっさー、それお母さんのヤツ(メイク道具)?」

「何それ言い過ぎだし、あんただってすねのムダ毛剃り残してんじゃん、みっともな!」


 天下の公道である。

 しかも車の交通量が多い道路沿いにある歩道、朝夕近隣の学校の生徒らが通学路とする大通り。のど真ん中で、ビキニのふんわりボブの女子に絡んでいるのが、まなじりがちょっときつめの読モ系。その横のウエディングドレスは、普段は世話焼き人情キャラだった筈で――に対するは、やっぱり自校に在籍する、なぜか絢爛豪華な振袖を着たご当地アイドルのメンバーだ。メイクとムダ毛で因縁つけ合っている一方は、去年有名デザイナーによる(着こなしが難しいと評判の)デザインに変ったばかりな学校の制服着用。片や黒髪映えるクールビューティーは、冬の真っ盛りに清楚が売りになってる夏服で、さり気に制服対決までしている。

 これら6人は皆JKで、全員それなりの容姿を持つ。

 その6人が往来のど真ん中で奇跡のイケメン百合小路を取り囲み、互いに罵詈雑言を浴びせ掴み合う、壮絶なバトルを繰り広げているのである。だけでなく6人を最前線に、遠巻き込みで総勢30名ほどのJKも、同様にあちこちで小競り合いを起こし――てるのだが、それはどうやらこの自分にしか見えていなかった。

 自分は死霊で、ここに居着いて半月程だが、直後から毎朝夕この騒ぎだ。とはいえ彼女らの本体は、百合小路を目にするやことごとく頬を赤らめ小走りで去るか、物陰に隠れてしまう。男の醸す古風さに引き摺られ(あと多分、最早薄気味悪い高潔さにも圧倒され)てる面もあろうが、そもそも最前の6人からして、この普遍的乙女の夢を具現化した王子様と、張り合う器量には到底及ばない。

 そんな異次元な稀人を前に彼女らは、一目で想いを寄せるものの、声を掛けるにはどうあっても至らずに、日に日に気持ちばかりが募ってゆき、遂に告げられぬ思いの丈、強烈な思念を霊体化して放ってしまった―――そう、このあられもなく本能剥き出しのJKどもは揃って、生霊なのであった―――。


 最初自分は、当然ながら混乱したものだ。

 だがちらほらいる顔見知りやらの生徒で比較的早く、これらの正体が生霊だと知れた。ただやはり、放つ本人が気づかぬばかりか生者、百合小路含め誰一人この生霊たちが見えておらず(まあ見えたらホントアレだけど)、見えるのは自分きりだったのであるが。何にしろ、初っ端こそ度肝を抜かれたが、3日もあれば人間一皮剥けばこんなものかという達観に行き着き、見蕩れるよりむしろ、あれとセットでは憐憫の眼差しを送りたくなる百合小路の御尊顔に至っては、1・5日で慣れた。

 生霊がJKばかりなのは、車が足の地方ゆえが学生中心な事と、近場に大学なども無く、百合小路の行動パターンが、たまさか高校生のそれと合わさった為だろう…が、それが一ヵ所に縛られる死霊の身には、大問題だった。


 自分の居場所はこの大通りの歩道片隅で、ここから少ししか動けない。百合小路は毎朝、そこからすぐ先にある角から顔を出し、こっちの方に歩いて来る。判で押したように同時刻に。それが同じ頃、反対側からやって来る列車からの通学者一団と行き合う。よりにもよって、動けぬ自分の居る前で。

 するとどうなるか――、

 普通目には百合小路一人と学生集団とが行き交うわけだが、こっちにしてみれば眼前にカオスが発生するに等しい。様相としては、囲み取材が如く百合小路を取り巻く生霊どもが、それぞれに猛アピールしつつ、少しでも本人に近づこうと互いに牽制、からの中傷バトルなどするとこへ、何も知らずに通学生が雪崩れ込むという地獄絵図となる――。両一群が過ぎるまでのことではあるが、この通学生の中に、声を掛けたい子がいるのが問題だった。死霊に生霊は相性が悪いらしい。生霊側はこちらの声も姿も認めないくせ、あちらからは視界も物理的にも阻んでくる。

 必死に目を凝らし、近づこうとするのものの、そんな訳でいつも掛けれず仕舞いなのだ。ならば下校時と思うだろうが、どういうわけか百合小路が生霊(毎日微増)塗れで戻って来るのに常に行き当ってしまう、この場所で。よって帰りも成功した試しがなかった。


 此奴等も、動けない我が身も忌々しいが、不思議なのは、生霊を放っている本体が日ごと病んでくる風なのに、あれほど纏わり付かれている百合小路は、一向に影響を受ける様子がないことだった。

 そこで数日間声掛けをお休みし、認識されぬとは言えもみくちゃにはなりながら、生霊らを掻い潜り、可能な限り接近し観察してみたところ、百合小路が(多分無自覚に)発する強力なオーラで、至近距離まで寄りながら彼女らは、指一本触れることも叶わないようで、鑑みるに、本人の平気の平左は、感染ではないが゛触れられない゛によるところが大きいのではと考えられた。

 で閃いた。

 観察でもう一つ判明したことには、生霊がJKだけではなかったことだ。百合小路への嫉妬に憎悪、あらゆる負の感情を膨らませた男子の生霊も少数ながら散見出来ていた。これらはまた目的が違うためか、女子の生霊には目もくれない。眼前にいくら群がっていようが微塵も興味を示さず、百合小路に取り付き害をなそうと一直線に突入し、女子の肉弾に悉く弾き飛ばされている――。

 二度死ぬしというほど気が進まなかったが、これを使わない手はない。数度試み手応えを得て、一番波長の合いそうな男子生徒の生霊に、憑依することに本日成功した。

 これでどうにか声くらいは出せそうだが、問題は相手が聞く耳を持つかどうか、何はともあれ「あーー」と発声してみると、驚くべきことが起きた。発した声が取り付いた相手の体を通し、拡声器さながらに響いたのだ。自分の声と、一斉に振り向いた生霊たちに狼狽えたが、目的を思い出し、即座に気を取り直すと声を張り上げた。


「あんたらさ、気づいてる?毎日どんだけ生霊してんのか知らないけど、あんたらの本体、相当やばいから、――ちゃんと寝てても寝不足みたいに疲れてるでしょ?欠伸も止まらなくて、食欲も無いか、有りまくりか!」


 身に覚えがあるのだろう、一瞬ささめきのような声が動揺となって伝わってくる。


「本体は自覚無いかもだけど、あんたら飛ばしちゃうくらい思い詰めてんの、分かる?そんなの全然フツーじゃないし、身心にマイナス無いわけないんだってば」


 ささめきが徐々にざわめきに変ってゆく、もう一押し――、


「あとはそう、こん中の本体で最近歩みがフラついてる子、何人かいるんだけど、それもう末期だから、もうすぐ病気か突然死でポックリ逝くか、意識もーろーとして――、うっかり車道にはみ出しちゃって、」

 

 声だけから、取り付いた男子生徒の形を揺らがせて、陽炎のように自分の姿が現れてくる。――よし、これも上手くいった――。姿がはっきりしてくるに従って、生霊たちの表情が強張ってくる。


「私みたくダンプカーとかにねられて、ほうら、こんな風になっちゃうよぉーーー」


 そのうえ後続車にもかれてボロッボロになった自分を目にするや、彼女らはみるみる青褪め、引き攣った形相に変っていった。


「「「キャァァァァ―――――!!!」」」


 文字通り蜘蛛の子を散らすように飛び退って、次々に消えてゆく。ついでに乗り移っていたDKも、とばっちりを受けて吹っ飛ばされ、行ってしまった。

 人っ子一人居なくなり、辺りは急にシンとした。なぜか人や車の往来も、ぱったり途絶える。


「――壁、消えたな…実体も、ほどけたみたいだ…あれ君、…――取り敢えずは初めまして、かな。僕は百合小路ゆりこうじ杷月はづき、苗字がきざだと友人達にも不評だったから、杷月と呼んで。あれを祓ってくれたのは君?」


 鬱陶しいくらい見目を裏切らない爽やか涼やか擬音化ヴォイスで彼、百合小路が言う。どうでもいいが女共は、何かの萌えでも作用してるのか、嬉々として百合小路を連呼していた。


「…――そう、初めまして、私はここに居着く死霊。こっちはそのに相当迷惑被ってたわけだけど、知らぬが仏ね」

「死霊?」

「そうだけど」


 そこは引っ掛かるとこかと苦々しく思っていると、百合小路は風通しの良くなった周囲をもう一度見回し、言った。


「もしかしてあれは物の怪?僕は゛人ならぬもの゛までは見えなくて」

「居たのはあんたを慕う、生霊。」

「へえ生霊かあ。見えない障壁のように感じてたけど」


 さすがに驚かない。事も無げに言ってくれる。


「あのさ、何の意味があるんだか知らないけど、生身の人間みたく見せるの止めてくれる?あんたの゛登下校゛の度、見初みそめて生霊飛ばした挙げ句、身心やつれさせてく娘がわんさかいるの、それが見えない障壁の正体。それとあんた多分、明治とか大正とかの人だよね」


 応援団でもなさ気なのに二十歳そこそこで学ラン。それもデザイン、生地ともどことなくレトロ。近寄れたとき小脇に持ってた本は、便覧の表紙にあった近代文豪の初版本。古本屋に持ってっても復刻版扱いだろうけど。


「明治が冷和に迷惑かけるとかどうなの」

「冷じゃなくて令だよ。――これには理由があって」

「どんな理由よ」

「君の言う通り、僕は随分と前に亡くなってる。君の場所より少し先が居場所」


 百合小路がいつも出て来る、その先の角を曲がった直ぐのとこで、昔は両脇が藪の小道だったという。


「そこで偶々、暴漢に襲われそうになっていた御婦人を助けたんだけど、相手が刃物を持っててね―…帰省途中に知り合った人から頼まれて、初めて立ち寄った町だった。まあ寄る筈のない場所で奇禍に遭い、命まで落としたのだから、これはもう前世からの縁だろうと」


 そう思ったと百合小路は笑んだ。


「何その達観、どんなものの考え方!?でも成仏してないじゃん」

「色々あって――、でも殆ど成仏しかかっててそろそろかと思った時、最後にほんの少しだけ、この世を目に焼き付けておきたくなって…」


 残った力を振り絞り、薄れつつある自我や何やを保とうとしたところ、うっかり実体に近い形で復活してしまった。

 聞くと、こっちが死霊になったのよりは前だが、大差ない時期だ。


「移動できるようになって、久し振りに地に足着く感じや、生身っぽいと僕を視える人が意外といて嬉しくて、そんな人達と触れ合ったりあちこち見歩いていたら、なぜだか障壁なような圧に囲まれだして、気づくと成仏出来なくなってしまっていた。以来どうしたものかと朝晩、散歩がてら手掛かりを求めて――」

「そこッッ、あんたが毎日ほっつき歩くたんび、女が倍々で増えてんの!」


 改めて圧の正体がJKの生霊の群れだと教えてやると、百合小路はJKなるものは、それはよく目にしたが、相手は見えていないか、無関心のようだったけどと、首を傾げた。


「自分で言うのも何だけど、生前は毎日恋文を貰っていたから、少し自信を失った」

「言いたくないけど、皆気後れしてたんだよ。ネット上でさり気にって手も使えないし、声掛けたくても掛けられなかったから、ああなったんでしょ」

「そうなの?今の女性は…なんというか、恥じらいというか…奥ゆかしさを忘れてしまっているように感じていたんだけど…」


 近代の貞操観念を持ち込まれても困るが、一応こちらに気を使ってか、言い難そうに百合小路は言う。


「ああでも一度だけ、道端で泣いてた娘にハンカチを渡そうとしたけれど、遠慮して使ってくれなかったっけ」


『純白のハンケチに゛yurikouji゛の刺繍――… あたしはそれを受け取れなかった… だって同じように眩しい貴男の手に 触れるような心持ちだったから…』

 それでいつぞやのあれかと合点がてんがいった。袖触れ合えばバトりだす生霊どもだが、息の合い方だけはよく訓練された兵士のそれで、一人やらかすと負けじと周囲がそれに続き、時に激しさをも増す。あの日は作った詩を聞いて下さいと1人やりだしたが最後、詩に短歌、歌に踊り、楽器演奏と(どれも微妙)さながら散々な学芸会だった。

 ちなみに先陣切った『純白~』の女子だが、嘘泣きという女の知謀で、卑劣ながら憧れの君の名を手中にした武勇を讃えるコメントが、暫しSNSで大盛況だったのは、武士の情けで黙っておく。


「…見えていなかったとはいえ、彼女らには悪いことをしてしまったな…それで、君が彼女らを説得して帰らせてくれたんだ」

「なりゆきで、仕方なく。礼には及ばないから」

「でもありがとう。これで漸く成仏出来そうだ、君は?」

「私は、声を掛けたい子がいるし、生霊で妨害されてたけどやっと傍まで行ける。どうせ聞こえやしないだろうけど」


 それでも自分ならあの子の気持ち、言って欲しいことをきっと分かっている。だから気配とか心とかで、きっと伝わる筈なのだ。

 淡々と言ったけれど、百合小路はかえって察したらしい。


「気掛かりなんだね、その子」

「いっつもひとりで、下向きっぱなしで歩いてて、特にこのところ顔つきがちょっと荒んできてて、足取りも――」

「心配だね。じゃあお礼がてら、僕も一肌脱いでから――」 

「冗っっ談、とっとと成仏して!あんたがうろうろすると、またあの子見えなくなっちゃう、今日は人数少なめだったから成功したけど、最悪車道まで占めて2割水着、4割おめかし3割が自称性格勝負の1割血迷って下着が゛百合小路様゛争奪を賭けて誹謗中傷合戦に乱闘繰り広げんの、こうなったらムリゲーだし、日々んなの拝まされる身にもなりなよ」

「そっ…それは凄まじいね…」

「誇張じゃないし」

「………」


 昔の人には刺激が強過ぎたか、はたまた想像の範疇を超えているのか、笑えるくらい怯んでいる。


「分かればさっさと逝って、この後が勝負どころなんだから――」


 聞こえずとも伝える。ここを通り過ぎる僅かの時間でも精一杯。決意新たにしていると、百合小路が尋ねた。


「女学生――女生徒?」

「そう」

「どんな娘かな」


 逝けというのになぜ喰い付く。それでもざっと特徴を伝えると百合小路は「ああやっぱり――」と、自らの手の平を縦拳固げんこで軽くパシンと打った。


「知ってるの?」

「だってそれ、君だから」

「――?」

「そうと分かればやっぱり少し、手伝ってからにしよう」

「いやあんた何言ってんの!?」


 言うなり百合小路はフワリと舞い上がり、ひとり下校するあの子の前に舞い降りた。てゆーか4歩くらい歩け。


「こんにちは。いつも一人の貴女が気になっていました――あの日は危なかったね、心配したよ」


 仰天している。欲望全開集団込み故に1.5日で慣れたとは言え、垣間見るだけでも少々の驚きでないのが、降臨まがいに眼前に降り立たれては当然で―――あれ?この子死人が見えたっけ、それよか私、この子の視点になってない…?


「自分の本体に戻りかけてるからだよ、君も生霊だから」

「!??」


 百合小路は嫌味なく白い完璧な並びの歯を見せ笑った。


「正しくは死霊と思い込んでいる生霊」

「はあ?」

 何言ってるこの男、

「君、死んでないよ。毎日ちゃんと登下校しているし、それにこの場にずっと縛られていると思ってるようだけど、それも違う」

「嘘だ」

「霊体だと時の感覚が曖昧になるし、死んだって思い込んでたら、余計ね」

「嘘だ。だって私、こっから車道出て、大型トラックに轢かれたんだし――」

「轢かれてないよ、断言できる。話したように、その角を曲がったとこが僕の定位置で、そこから大通りを眺めてもいたから、以前から君のことも知っていて、君の言う轢かれた日も、散歩帰りに偶然居合せた。――どちらが正しいか、答え合わせしてみようか、僕の記憶と君のとで。まずは君から――」



 学校の行き帰り、いつも大きな道路沿いを歩く。

 交通量が多くて通勤車はもとより、歩道と隔てるガードレールがないのに、大型の運送トラックも唸りを上げて通ってく。学校が死ぬほど憂鬱だったから、行きは向かって来る大型車の前に飛び込むことを想像し、帰りは少しホッとして、色々空想して歩いた。定番は大人になった自分が、今の自分にメンターとなって現れてくれる空想だ。大人だから知識も経験も沢山で、話にちゃんと耳を傾けてくれ、こうすれば良いよと行く先や行動を明確に示してくれる。何より自分自身なのだから、ネットのような危険も無くて、安心で、安全だ。一度親に、さり気にネット高校に行きたいと言ってみたことがあったけど、そんなとこダメと言われてしまえばおしまいだった。近場にフリースクールとかも聞いたことがない。ほぼ通常ルートしか選択肢の無い田舎では、外に出ない限り、そこから逃れるのは容易じゃない。

 ――あの日も学校帰り、いつものように大通りを車道横目に歩いてた。

 ここ数日、いつも一人で食べる弁当で、別に普通に食べるのが、食後胃に不快をもたらしていた。


「体も悲鳴を上げたんじゃないかな」

「ずっと下向いて食べてるから、胃に悪かったんじゃないの?」


 百合小路の言葉に反論する。

 つまずきっぱなしの学校の日々で縮こまり、どうしようもなく八方塞がりではあったが、それ自体は慣れ親しんでしまえば、例えば趣味が話せるアカウントさえあれば、クラスの誰とも話さずとも、リアルのトラブルが無い分いいと思ったり、ある意味安住でもあったから。だけど授業中、複数組に分かれろだの、自身の邪魔者感で、言いようなく自尊心が傷つくとか何かしらで、やっぱり苦痛は重なり増え、結構膿んでいたかもしれない。その日は胃の不快が放課後まで続き、それもあってかこの時急に、明日も学校があるのが嫌で堪らなくなった。いつも以上、喉の奥が締め付けられ、血の気が引いて、寒いのに冷や汗がじわりと浮かんだくらい。

 飛び込みを空想する癖に、死ぬことは滅茶苦茶怖かったのが不意に薄れ、普段の歩調のまま足が車道へ向かった。押し出されるように、考えるより前に歩道から一歩踏み出した足先にその時、何かが当たり転がり出て、走って来たトラックのタイヤに轢かれて潰された。


「………果物だった。艶々した丸い、明るい色、積荷から落ちたっぽい感じの、それで――」

「そう。轢かれたのは果物。僕も少し離れた場所で見ていた」

「――それでどうしたんだっけ私、」


 ここにきて、急に頭がぼんやりしてくる。


「でも轢かれたのは確かなんだし、だったらこの後もう一度道路に…違う、それで我に返って足が止まったんだ」


 驚いて足はすぐ引っ込めたが、頭が痛いほどの動悸がかなり長く治まらず、


「暫く動けないくらいだった。――それで、その後どうしたっけ、もう一度足を踏み出して―――?」


 なぜだか思考が堂々巡りをして進まない。延々解けない問題と睨めっこするみたいに。


「成程、そこだね」


 百合小路がまた口を挟んだ。


「僕の番でいいかな。君は立ち尽くしたままで、でも少しして帰って行った。大丈夫かと近寄った僕には気づかずに。気になったけど、翌朝も後もちゃんと登校して来たから安心した――あれで顔を映してご覧。まだ完全には同化していないから」


 促され側の、交通安全を掲げた立看板を覗く。ただの金属プレートでは、鏡のようには映らなかったが、二重写しの様にあの子と、自分の顔が重なり見えた。


「そっくり…」

「両方君なんだから、当然だよ。実体が解けさえすれば、僕は物の怪の他は見えるし、見分けも付く。君は間違いなく生霊だ」

「でも、私には轢かれた記憶もある」


 これは仮説だけどと、振り返った自分に百合小路は話しだした。


「――生霊っていうのは、君も見たろうけど、他人に対する抑圧された欲求が、肥大や歪曲した揚句、対象に向かって飛ぶ或いは放つものだけど、君の場合は違って、弾みで生じさせてしまったんだと思う」


 どうしても動けなかった、あの時が不意に頭に浮かぶ。


「拍子で咄嗟のことだったから、生じた生霊も―君だけど―混乱して、自らを轢かれて死んだ死霊だと勘違いしてしまった」


 随分うっかりな生霊がいたものだ――自分か?


「それから生霊は、本体のかなりな集中が必要な筈だから、ずっと居たままでもないと言ったのは、そういう訳だけど――」

 

 でも居た。と記憶している。


「飛ばし癖も付いてしまったんじゃないかな…」


 考え込むように、百合小路は心持ち首を捻った。

 生霊――言われてみれば、そうだったかもしれない。百合小路の言葉に、段々とそう思えてきた。でも映ってた自分の顔、この子よりしっかりというか大人びている。空想した大人の自分みたいに――。


「私もしかして、未来から来た生霊?」

「まさか、時を超えるなんて、生者にも死者にも無理だよ」

「でも――」


『毎日メンタルギリギリで、考える余裕なんて無いんだよね。でもえらいよ、毎朝学校、遅刻もせずよく行ってる』

『頑張ってるよね、いつか顔上げて、背を伸ばして歩けるようにきっとなるし――』


 気持ちを言葉にしようにも自分の中は空っぽで、ただ立ち竦むばかりなのに、この私はスラスラ喋れる。


「箍の外れた奥底の、心情の体現が生霊なんだから、そこに沈んでいた言葉であれば、幾らでも喋れる筈だよ。弾みに反射だと、何の欲求もないようだけど、君達の前提としてそれはないわけだし――君は死霊だと思い違いこそしていたけど、自らの行く先と、やるべきことはちゃんと分かっていたと思うな、事実その通り行動し、伝えようと必死だったんじゃない、だって君は、君自身の為の生霊だろう」


 それってとんでもなく離れ技だけど、と百合小路は付け加えた。


「さて、そろそろだ。最後に年長者らしく助言でもしようかな。君が下ばかり向いて歩いてる癖に、しょっちゅう蹴躓いているのは、早足で地面を擦るように歩くからだよ、気をつけなさい」


 自分はよく、道の僅かなでこぼこや段差なんかで躓いた。――本当に見ていたのだ。


「僕は君を助けてはあげられないけど、あまり心配はしていない。足取りが荒くなっていたね、苛々してるのは、気力がある証拠だよ。いま君は己の殻を打ち破りたい、打ち破りたいって思ってる最中だ。そしてそれは必ず叶う。なにしろ離れ業の生霊なんて、強力なものを出せるくらいなんだし――」


 私は無言で一度、頷く。


「じゃあご褒美だ。お礼でもあるけど――」


 何を寄こすのかと思ったら、とんでもなかった。


「この者今よりあまねく生霊に関わる事柄に干与する者なり」

「――は?」

「君はどうも、生霊が出易い体質になっているようだから、こうしておけば自分で気づいて対処できる。勿論自分以外へも――簡単に言えば、生霊を祓える力をあげたんだよ」

「!?あんた単なる死人じゃないの」

「杷月だって言ってるのになあ。そうだけど、色々と積んでた徳をまだ使い切れてなかったから――…最後にとても不思議な縁を戴けたな」

「いや待ってよ、それって生身で生霊見えるようになるってこと!?」

「さあ、もうまもなく――」

「あんなのもう見たくないけど!?」

「さよなら、会えて良かった……」


 最後に極上の笑みを浮かべやがり、百合小路は消えた。

 こうしてこの日、私は生霊祓いの力を手に入れた。それで生きることを決めたのは、僅かに数カ月後。

 後から百合小路という名を検索し、片っ端からサイトを覘いてみたものの、本人に繋がりそうなものはついに見つからなかった。


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生霊祓いになった私の話、 季早伽弥 @n_tugatsu18

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