第五章・その4 賢者の帰還


「化け物か。確かに、そうかもな」

 イオンが淡々と応える。

 目の前では追い詰められた鼠のように憎悪と恐怖に大司教が震えている。

 イオンが琥珀の眼で見つめる。喰われた者たちの魂に混じって大司教本人の、どす黒く染まった小さな魂が見える。怯えと怒り、力への渇望。彼にとって見慣れた魂の色だ。

「でもそれは今さらだ。そうだろう? メンタール」

 イオンが大司教に歩み寄る。床に這いつくばった大司教がズルズルと後退った。

「……で。俺のことよりも、野心のために人を何人も犠牲にする、お前はなんだ?」

 イオンの言葉に、小さく震えていた大司教がギリっと歯軋りした。

 袖から呪珠を密かに手の内に出し、イオンに投げつけた。

 投げる前からイオンは気付いていたが――呪珠に封入してある魔術が見える。

 先ほど放ったのと同じ、白魔術の禁術だ。誰かの命を犠牲にして作られたものだろう。

 だが呪珠には手を加えてある。狙った相手に威力が集中するように仕向けている。

「――だが、同じだ。通じない」

 イオンが剣を構え、琥珀の瞳で呪珠を見据え、一閃。真っ二つに、斬る。

 二つに分かれた呪珠は、硝子のように粉々に砕け散った。

「あ……あ……あ……」

 再び術を消し去られた大司教は、怒りが消え失せ、完全に怯えて震え出す。

「次はお前の首だ。メンタール」

 歯をガチガチ鳴らして震えるメンタールに、剣を掲げた勇者が言い渡す。


 完全に怒りが失せ、戦う気をなくしたノーチェが、彼の様子を見ていた。

 イオンは強い。正直、これだけ強力な抗魔術を使われると、ノーチェでも勝つ見込みがない。それに、ここまで奴を追い詰められたのも、彼とその仲間が居たからだ。

 でも、そうじゃなくて。

 イオンは彼女をたまたま奴隷商の店で見つけ、銀貨三枚で身請けしただけの関わりだ。

 メンタールがいかに悪辣であろうと、西方地域の大司教だ。

 本来なら、西の英雄か、西の賢者たるナクティス――ノーチェがやるべきことだ。

 特に今回は、全面的にノーチェが関わっている。

 東の勇者であるイオンが後始末をするのは、違う。


「おい。ちょっと待て、イオン」

 彼を止めようとノーチェが口を開きかけたその時、ジェスターが突然声を上げた。

 剣を構えたイオンが振り向き、琥珀の眼で彼を睨んだ。

「ジェスター、止めても……」

「そいつを裁くのはお前じゃねぇ。本当に裁きたい奴が、他にいるぜ?」

 ジェスターが懐から、いくつかの呪珠を取り出し、お手玉ジャグリングのように投げ回す。

「これは、俺が特別に構築した呪珠だ……大司教だっけな? 受け取れよ!」

 そう言って、ジェスターは次から次へと床に這いつくばる大司教に投げつけた。

 それらがメンタールの周りで砕け、構築された呪術が解放される。

「ぐっ……なっ!?」

 呪術が白い光の線となってぐるぐると大司教の周りを取り巻く。

「それは……魔力喰い!?」

 呪術を解読したノーチェが愕然として呟いた。イオンも驚いてジェスターを見る。

「いんや? そっくりさんなだけで、ちょっと違う」

 ジェスターが大司教を見た――呪術の光が膨れ、人の顔へと変化し、口を開いた。

「あああああああああ――――――!」

 悲痛な叫びに、思わずノーチェが耳を塞ぎ、イオンが顔をしかめる。

 人の顔の線は、大司教に巻き付き、締め付け、脚に絡みつき、耳に噛み付いた。

「なんだぁ!! なんだぁ!! なんだぁぁぁぁぁ!?」

 大司教の悲鳴に反応し、膨れた光の一つが、悲愴な表情でメンタールの正面に顕れる。

「めんたーるサマ……めんたールさマぁぁぁぁぁ」

「ブルグル……!?」

 青い顔をしてノーチェが叫び、イオンが目を剥く。

 メンタールの正面に現れた顔は、処刑され、喰われたはずの、祭助ディアコノスのブルグルだ。

「魔力喰いの定式を、解放式に書き換えた、俺謹製の呪珠だ――うちの勇者の剣を、お前なんかの血で穢したくないんでね――真に裁きたい連中の裁きを受ければいいさ!」

 亡霊に取り巻かれた大司教に、ジェスターが冷たく言い放つ。

「めンたールさまぁぁあああああああああ!!」

 ブルグルの亡霊が大きく膨れ上がり――恐らく彼が喰った者たちの分まで大きく膨れた、巨大な亡霊の光が、裂けんばかりに口を開けて――――

 ノーチェが顔を逸らし、イオンが目を伏せた。

「あーあ、やっぱりこうなるか……お前ら、昇天しろよ」

 恐らく大司教に喰われた者たちに向かってだろう、ジェスターが一人呟いた。


◇ ◇ ◇


「ねぇ、ちょっと。終わったぁ?」

 神殿の崩れた天井の隙間から、有翼の一角獣アリコーンに乗ってメイアンが降りてくる。

「隠れてる天ぷら騎士は、見つけてお仕置きしたけど、首尾はどうなのよぅ?」

「とりあえず、こっちは終わった」

 イオンが肩を馴らすようにゴリゴリ回しながら答えた。

「そう。それは良かっ……ンまぁ!!」

 体の上半分が無くなった屍を見て、メイアンが驚き戦いた様子で叫んだ。

「もしかして、これが親玉? ちょっと、酷い有り様じゃないの。やり過ぎじゃない?」

 メイアンがおろおろする。イオンが肩をすくめてジェスターの方を見た。

「魔力喰いされた連中を、ちょーっと解放して、そいつらに裁いてもったら、こーなっちまってなぁ。まぁ二十人の連中の恨みじゃあ、しゃーねぇよなぁ……」

「そう。よく分からないけど、そうなの――で。エルフのおねぇさんは?」

 メイアンが適当に相づちを打ってから尋ねると、全員が一斉に、ノーチェを見た。

 傍らに佇んでいるウニコの背を、気のない様子でノーチェは撫でている。

 イオンが彼女の前に、一歩進み出た。

「賢者ナクティス」

「ノーチェです」

「わかった。じゃあノーチェ」

 訂正を受け、イオンが改める。

「魔力が戻って良かったね」

「ええ……感謝しています」

「力が戻ったから、今までのように不自由な思いをしなくていいよ」

「……そうですね」

 全てのやり取りにノーチェが素っ気なく返す。イオンが困ったように苦笑した。

「もう誰にも囚われることなんかない――俺にも」

 そこでノーチェが顔を上げた。困惑した表情をしている。

「これ、今まで働いてくれた給金」

 イオンが自分の懐を探って、ノーチェに硬貨を一枚、指で弾くように投げた。

 思わずそれを受け取ったノーチェが手のひらの硬貨をまじまじと見る。

 ノーチェは首を傾げ、さらにまじまじと見て、今度は硬貨を天にかざして、よく見る。

「ちょっと、それ……」

 端で見ていたメイアンが、ノーチェが天にかざしている硬貨を見て驚く。

 オリハルコン硬貨だ。

 アダマンチウム硬貨の千倍。銀貨の百万倍の価値がある。

 国の国庫の管理等に使う硬貨で、資産家が一枚持っていれば良いほうだ。

 ノーチェが硬貨を握り、動揺しきった顔でイオンを見た。

「もう自由だ――好きに生きればいいよ」

 笑っていったその一言で、ノーチェは泣き出しそうな顔で唇を噛んだ。

 何か言いたそうな目でイオンを見ていたが、一度顔を伏せた。

 それから意を決したように顔を上げ、彼に背を向け、優美な仕草で手を振りかざす。

 ノーチェの腕に呪術印――黒魔術の禍々しいものではなく、高度な白魔術と思われるものが浮かび上がり、強い閃光と共に、彼女の前に輝く大きな方陣が描かれた。

「おぉ……移動術方陣……!」

 ジェスターが現れた方陣を見て、感心したように呟いた。

 彼女は一度、イオンの方を振り向いた。挑むような眼をして睨んでいる。

 それを、イオンは困ったような笑顔で手を振って返した。

 ノーチェは眉を寄せ険しい表情をして、それから踵を返す。

 そして、描いた陣の中へ、まるで踊るように、彼女は飛び込んでいった。


◇ ◇ ◇


「なぁ、イオン。お前、馬鹿だろ?」

「馬鹿よねぇ……」

 消えた賢者を見送りながら、ジェスターが呆れたように呟き、メイアンも同意する。

 ムッとしたイオンがあらぬ方を向く。

「いやあ、でもあれ。めっちゃ怒ってたし」

「そりゃあ、あんな振り方されたらねぇ?」

 呆れたジェスターが追い打ちをかけ、メイアンが続く。

「……振ってない」

 イオンが二人を睨んで否定した。ジェスターとメイアンが顔を見合わせる。

「いや……うん。恩に着せたくないのは、分かるけどな!」

 と言いつつ、ジェスターが「要領悪いなぁ……」と苦笑いする。

「そぉねぇ……。無駄に格好を付けようとしなければねぇ……」

 メイアンも困ったような、呆れ果てたような、そんな顔で、微かに笑った。

「いいよ……別に。これで良いと思ってる」

 すっかり日が暮れた廃墟の中、遠くを見つめながら、イオンが呟いた。 

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