終章 冴えない青年、家に帰る

終章 冴えない青年、家に帰る


 イオンはとぼとぼと、自分の森の中を愛馬と歩く。

 東方地域オリエンスの北の森から中央地域セントリウムまで、飛ぶような速さで半日も掛けずに行ったイオンだったが、帰りはあちこち寄り道をしながら、もの凄くだらだらと帰った。

 慰めなのか、腐れ縁のなまぐさ坊主ジェスターから、メディウムの怪しい色街に誘われたりしたが、全くそんな気は起きず――むしろ、あれは嫌がらせだった。

 代わりにイオンは、メディウムの怪しい道具街で、実に怪しい魔具を幾つか買った。

 様々な効果があるらしいが、何となく買っただけで、使う予定は考えていない。

 買った魔具を魔法の革袋に片っ端から入れた。

 その際、袋の中から干からびた毒参茄マンドラゴラが出て来た。見た瞬間、彼は妙な哀愁を憶えた。

 不気味なのだから、始末ついでにメディウムの薬問屋にでも売り飛ばせば良かった。

 でも何故かそんな気が起きず、イオンは毒参茄マンドラゴラを革袋の中に入れたままにした。

 道中の街で一人寂しく酒場で飲んで、一人寂しく宿に泊まり、そして一人で道を歩く。

 実際はウニコが一緒なので一人ではないが、奴は人間じゃないのでやはり一人だ。

 一応、メイアンが途中まで同行しようとしたが、断った。今は一人になりたい。

 そうして――七日間かけて、自分の森まで辿り着いた。

 歩いている時は多少気が紛れるが、自宅近くまで来ると、憂鬱だった。

 多分この数ヶ月間、ここに思い出が募ったからだろう。

 しばらく南の山に退避した方がいいか――イオンはそんなことを考えた。あちらは森の仕事が不適切な厳冬期と盛夏期に滞在する場所だ。時期尚早だが、逃げ場所として最適だ。

 小屋の近くまで来て、イオンはウニコの手綱を外して尻を叩いた。

 解放されたウニコが、てくてくと森の中に入っていく。

 深ーく息を吐きながら、イオンが自宅の小屋の前までやってきた。


 そして彼は気付いた。小屋の煙突から煙が上がっている。

 誰か入り込んだかと思ったが、この森は魔獣が多くて並の人では踏破できない。

 屈強な冒険者なら、こんな小屋に用はない。

 そもそも厳重に戸締まりした上で、魔術で封印までしてから出掛けた。

 侵入者を警戒しているわけではないが、なんとなく癖だ。

 大体、住んでいるかのように釜土を使っているのが謎だ。

 妙な胸騒ぎを憶えたイオンは、急いで小屋の扉に手を掛けた。施錠はされていないが封印魔術は掛かっている――しかし、イオンが触れると解除されるようになっていた。

 扉を開け、イオンは小屋の中に入った。

 そして、小屋の中を見回し――啞然とする。

 消えたはずのノーチェが、食卓の椅子に座り、ちくちくと縫い物をしていた。

「――あら? お帰りなさい」

 帰宅に気付いたノーチェが、当たり前のように出迎えの挨拶をする。

 イオンはしばらく呆けて、それから「ただいま……」と返事をした。

「遅かったですね。ここまで一週間もかかるなんて」

 じっとりとした目でノーチェが尋ねる。どこか、詰っているようだ。

「ちょっと、寄り道していて……」

 イオンがばつの悪そうな返事をする。傷心でフラフラしていたとは言えない。

「無理して先に戻ってきたのに、いつまでも帰ってこないから、不安になりましたよ」

 ノーチェは不安そう、というより不満そうに、口を尖らせた。

「あ、うん。ごめん」

 確かに移動術方陣はかなりの負担が掛かる。一日二日は寝込んだのではないだろうか? 

 そんな無理をして彼女が先に戻ってきたのも謎だが、それよりなにより。

「……なんで、ここに居るの?」

 むくれたような気まずいような表情をして、ノーチェが縫い物の手を止めた。

 しばらく黙り込み、持っていた針を針山にぷすっと刺し、着ている黒い木綿の服――イオンが最初に買い与えた古着だ――のポケットをまさぐって、何かを取り出し、彼に見せる。

 オリハルコン硬貨――先日、別れ際に、イオンが餞別のつもりであげたものだ。

「女中が欲しかったって散々言われましたし、自由にって言われても、いま特に、何かをする予定はなかったですし、こんな報酬をもらったら――」

 ぶつぶつと言い訳がましく呟いてから、ノーチェが俯いた。硬貨を弄りながら、もごもごと聞き取れない独り言を呟いて、ようやくノーチェが声を上げた。

「――私の本性を分かって避けなかったの、あなただけでしたから」

 意外なことを告げられて――イオンにとってだが、驚く。

「あまり、気にしてなかった」

 ノーチェも意外そうな顔で「そうなんですか?」と呟いた。

「えっと、それから……一緒に暮らしていて……その………………」

 どんどん萎んで最後は聞き取れなかったが「楽しかった」と言っているように見えた。

 それからノーチェは恐る恐る顔色を窺うように、イオンを見上げた。

「あの。やっぱり、厚かましいですか? ご迷惑……だったかしら?」

「……そんなことはない」

 イオンが首を横に振る。それから座っている彼女の側まで歩み寄った。

 近寄ってきたイオンを、ノーチェは小首を傾げて見上げていた。

 突然、イオンがノーチェを盛大に抱き上げた。

 ノーチェから「ひゃっ!?」とおかしな悲鳴が上がるが、構わずイオンは強く抱き締める。

「せっかく手放したのに……」

 うなされたように呟いて、イオンは抱き締める力を込める。

 彼の抑制の効かない力に「うぐっ!?」とノーチェが呻いた。その声で苦しそうなのに気付いたイオンは「あ、ごめん……」と謝って、腕の力を抜き、胸元のノーチェを眺めた。

「うぐ……! あ、あの……女中が、要るんじゃあ?」

「女中は、もう要らないよ……」

「要らない?」

「うん……」

「でも、私のこと、仲間にしてくれないんでしょう?」

 ノーチェが以前、イオンが言ったことをそのまま尋ねてきた。

 イオンが決まり悪そうに「それ、取り消させてくれない?」と言う。

「もしかして、賢者が欲しくなったのですか?」

「いや、それも要らない」

 いい加減分かっているのだろうに。そう思いつつ、イオンが深呼吸した。

「欲しいのは、料理の美味しい綺麗なエルフ…………の、嫁」

 肝心な一言を、おまけのように最後に付け足し、イオンが抱き締めた。

 ノーチェがむーむー呻いているが、お構いなしに抱き締める。

 今のイオンに異論反論お断りを聞く気は、ない。

 思っていることは、口を滑らせたのも含めて、大体、言ってしまった。

 そもそも、こんなところまで戻ってきたのだから、今さら何も言われても――

 そう思ったところで、イオンが手の力を緩め、ノーチェを見た。

 ノーチェが困り顔で、イオンの顔を眺めている。

「あの……ご飯に、しません?」

「え? ご飯?」

 イオンも困り顔になった。

 何故、ご飯? 確かにもうすぐ夕飯の時間だが……。

 胸元でノーチェがもじもじとして、何かを言い煩っている。

 頬を染め、俯いて、ノーチェは照れくさそうにして、呟く。

「料理の美味しい……嫁、なんでしょう?」

 その姿が妙に可愛らしく、堪らなくなったイオンは、再び彼女を抱き締めた。

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