第五章・その2 西の大司教のお出まし


「はえーじゃねぇかよ……」

 ジェスターが愛馬の鞍上から、空を見上げてぼやいた。

 有翼の一角獣アリコーンに乗ったメイアンが優雅に宙を駆けていた。

一角獣ウニコに比べたら遅いわよぅ? というか、あんたのも相当だと思うけどぉ?」

「うちの奴は飛べねーぞ……」

 ジェスターが目線を前に戻す。最も速く走れるウニコが最前線を突き進むのが見える。

 イオンたちはメディウムの街の前で待ち伏せていた間者に尋問した後、それぞれの愛馬に跨がり、魔神殿――カーラ神殿跡に向かって、ひたすら荒野を突き進んでいた。

 間者たちの証言によると――ジェスターが尋問魔術で吐かせたのだが――

 先方は神殿跡で待ち合わせする気はなく、立ち寄るであろうメディウムの街で東の勇者イオンの力を抑え、その隙に、ノーチェだけを連れ去ろうとしていたらしい。

「首魁に、端から信頼されていないと思っていたけどな。それよりも、ノーチェを連れ去っていく先がカーラ神殿跡で、そこに首魁がいるというのが分かったから、良い」

 そう、間者たちがノーチェを拉致して連れて行く予定先が、カーラ神殿跡だった。

 恐らくそこに、大司教メンタールは待っている。

 間者への尋問の後、ノーチェが何か物言いたげに、イオンを見ていた。

 自分に絡んだことが、ここまで大事になってしまったのを、とても気にしている。

「そんな顔をしないでよ。散々悪事を働いた黒幕の大司教を、成敗しに行くんだし」

 イオンが笑う。メイアンも続けてクスクスと笑い出す。

「彼、悪いことしてる人を見ると、どーしてもお仕置きしないと気が済まない人よぅ」

「つーか、イオンの奴、いつもより明らかにノリノリだぜぇ? 気にすんなって!」

 ジェスターがからかうように言った。傍で聞いていたイオンはむっつりと黙り込んだ。


「――見えてきた。カーラ神殿跡だ」

 ウニコが疾走する最中、荒野の地平線を見て、イオンが呟く。

 日が傾きかけ、石塊の廃墟が赤みがかった日の光に照らされ、地平線で影を作る。

 西方で魔神殿と呼ばれ、東方でカーラ神殿と呼ばれる、太古の遺跡だ。

 ノーチェが彼の背中越しに目を細めて見た。かつて彼女が賢者ナクティスと呼ばれていた頃に、司祭――今は大司教であるメンタールに、全ての魔力を奪われた場所だ。

 夕焼けの地平線で、廃墟の影と一緒に、小さな粒のような影が幾つも現れる。

 イオンが琥珀色の眼で影を見据える――騎馬の聖騎士たちだ。

「あーあ。天ぷら騎士サマがお出でになっちゃったわぁ。どうするぅ? イオン?」

「返り討ちにする――ジェスター! 目の前に展開される術式は俺が壊す! 書き換え頼む! メイアン、俺の周り以外を射落とせ! ――ノーチェ! しっかり掴まってろ!」

 メイアンの問いへ手短に返し、イオンが手綱を振る。ウニコが凄まじい勢いで加速する。

 右手をイオンは手綱から離す――手の平から身体さやに収めていた愛剣が現れた。

 迫り来る聖騎士のうち二人が、イオンと一角獣ウニコの首を狙って、斬り掛かった。

 彼の剣とウニコの角が、それぞれ聖騎士の剣を巻き上げて遠くに弾き飛ばす。

 イオンを狙った騎士は、彼の剣の勢いで吹き飛ばされ、ウニコを狙った騎士は、前足で蹴り落とされ、それぞれ落馬して馬だけが後ろの方へ走り去っていく。

 一方、メイアンは上空から魔術の黒い矢を三つ、弓に番え放つ。

 矢は三体の騎馬に迫り、騎乗している騎士に衝撃を与え、馬から落としていく。

「結構ヘボだな……あー?」

 後方から成り行きを見ていたジェスターは、先頭を突き進むイオンの前に、巨大な方陣が構築されているのに気付いた。「――でも」ジェスターが唇の片端を上げた。

 立ちはだかる巨大な方陣は、イオンの薙ぎ払った一閃で粉々に砕け散った。

「勇者相手にそんなショボい捕縛方陣、仕掛けんなよ……!」

 ジェスターが苦笑いをしながら、砕けた方陣を再構築して別の術式に書き換えた。


◇ ◇ ◇


 一角獣の背に乗ったまま、イオンは神殿の廃墟に雪崩れ込んだ。

 神殿内に入った途端、当然のように展開された分厚い壁のような方陣と、地雷のように張られた床の方陣を、イオンはそれぞれ打ち砕いて、手綱を引いて立ち止まった。

 廃墟の中心の、神像の前。何重にも張られた防御方陣の中に、その男は立っていた。

「……お前が大司教、エグゼル・メンタールか?」

 イオンが一角獣の背から降り、目の前に立っている人物に尋ねる。

 男は答えない代わりに笑った――大司教というわりに、イオンより少し年上程度に見えた。異例の出世を繰り返してきたのが窺える。恐らく、考え得る、あらゆる手を使って。

「聖騎士隊の猛攻を抜け、障壁方術を破壊する――君が、東の勇者イオンジェンか」

 目の前の男、大司教エグゼル・メンタールが、イオンを舐めるように眺める。

「交渉の反応の悪さから、嫌な予感はあったが……まさか、東の勇者が敵に回るとはね」

 イオンの手を取って一角獣から降りるノーチェを、胡乱げにメンタールが見る。

「久しいな、魔女ナクティス。探したよ。どうやって東の勇者を懐柔したのか知らないが……大方、見せ掛けの妖婉さで惑わすなりしたんだろう?」

「残念だけど、それが出来たら苦労はしなかったわ」

 銀貨三枚で売られていた女は、自分を悪し様に誹る男に淡々と返した。

 ノーチェが降りた後、ウニコがどっしりと彼女の側に座り込む。

 これから始まる戦いなど、気にも留めていないようだ。東の勇者の馬が、まるでやる気のない態度を取ったことに、メンタールが一瞬不快そうな目をし、それから声を上げた。

「さて、単刀直入に言おう。東の勇者イオンジェン。彼女は魔族で魔女だ。手を引け」

「断る。彼女は魔族の血を引いているだけだ。それ自体、大したことじゃない――それより、お前の方こそ人食いだろう? 魔力喰い《マギア・グール》」

 人食いの言葉に大司教は全く動じない。イオンは琥珀の眼で、目の前の男を見据える。

 十五人、いや二十人喰っている。その中に処刑されたブルグルも見える。それから、まだ奴の物になっていない、巨大な魔力が――恐らく、ノーチェから奪った力だ。

「断る……そうか。それは残念だ……だが、イオンジェン」

「御託と時間稼ぎは結構だ、メンタール!」

 言いかけた大司教の、その言葉を遮り、イオンが踏み込んだ。彼の右手から引き出された剣が一瞬で魔力を帯び、密かに展開しようとしていた方陣に、強烈な一太刀を浴びせた。

 不可視の方陣が攻撃したことで可視化され、大きくひびが入る――

「……っ! 硬いな!」

 ――砕けない。多重の防御方陣で硬度が増して魔剣で砕き切れない。

「ふうん。気付いたか。さすがは東の勇者。だが、攻撃は織り込み済みなんだよ」

 メンタールの両手に新たな方陣が形成される。否、元々組んであったものを、取り出した、といった方が正しい。方陣を最初から組んで形成するには、展開時間が短過ぎる。

「東の勇者が来るのは、予想外だったんでね、突貫で作った防御壁なんだが……そこそこ働いてくれている。君がそれを相手にしている間に、最初の予定を遂行することにするよ」

 ノーチェが自分の両肩を抱き締めるように掴んで、苦痛に顔を歪ませる。

 彼女の背に刻まれた魔力喰いの術印が、本格起動を始めた。ノーチェの背から何本もの光の蔦が伸び、メンタールの両手の方陣に向かって茎を伸ばすように、急速に成長する。

「術方式の進行は九割七分かな? イオンジェン、君が目の前に展開している方陣を破壊するまでには完了する。そしたら私は、君と対等以上になる――この意味が、分かるか?」

「いや、全く分からない」

 目の前の方陣と格闘しながら、イオンが大司教の徒口に応えた。

 ――この防御方陣、随分前から仕込んである! 

 幾重にも組まれた防御方陣は、今さっき即興で組んだものではない。ずっと前から用意周到に構築されたものだ。西の英雄が言っていたが、確かに大司教は用心深い。

「突貫で作ったなんて、大嘘だな! メンタール!」

 イオンの叫びに、メンタールが嗤った。

 しかも、防御方陣の中には反撃方術カウンターも組んである。イオンが方陣を砕こうとする度に、火の粉が舞い、彼を焼こうとする。それでも、イオンは撃ち込みを止めない。

 反撃方術を喰らいながらも、なお斬り込んでくる勇者に、大司教は目を見張らせた。

「天眼持ちに対応するように構築したが……お構いなしか」

「だが――」大司教が懐から赤い玻璃の珠を取り出す。「それだけではないんだよ」

「呪珠か――!」イオンが赤い珠が何なのか、即座に理解する。

 魔力の消耗が激しく、詠唱に時間の掛かる魔術を、予め封入しておく魔具だ。

 その呪珠を、大司教がイオンに投げつけた。

 爆発音と同時に衝撃波が急速に彼の元に迫る。イオンは剣を横に構え、抗魔術でそれらを受け流し、衝撃威力を減削させる。だが、威力を殺しきれない。自分に防御魔術を張っていたために大事には至っていないが、無数の剃刀で切られたように至る所で傷が付く。

「ち! 思ったよりも効かないな……! これだから、天眼持ちは!」

 メンタールが忌々しそうに吐き捨てる。

 勇者と英雄は、先陣を切って斬り込み、最後の止めを刺すための、強力な近接防御魔術と、剣に魔力を集中させた魔剣、そして敵の強力な魔術や方陣を壊す抗魔剣術を扱う。

 並の魔導剣士なら一つか二つ扱えれば良い。彼らはこの全てを使える素養を持つ。

 つまり、勇者イオンに対する攻撃魔術は、基本的にあまり有効ではない――だが。

「いくら天眼を持ってようが、鍛えなきゃ身に付かないぞ!」

 大司教の悪態をイオンが正し、一瞬だけ後ろを見る。

 ノーチェの側に座り込んだウニコが角を正面に向けている。殆どの者には見えないだろうが、ウニコが強固な結界を張っている。大司教の呪珠による攻撃の余波は、全てウニコが防いでくれた。ノーチェの護りは大丈夫だ――イオンが再び、防御方陣の破壊にかかる。

 だが、途中まで破壊した方陣がある程度修復されている。大司教は焦っているように見せ掛けて、見事な時間稼ぎをしている。その用心深さと周到さに、イオンが舌打ちした。

「もう良いです……から。イオン、無理しないで……」

 成り行きを見ていたノーチェが苦しそうに言う。彼女は傍らに座り込んでいる一角獣にもたれかかっている。魔力喰いの術式が進行して、立っていられなくなったのだ。

「――退かない。退く必要もない!」

 イオンがきっぱりと拒絶する。

 ――ジェスターはまだか!? 

 イオンは防御方陣を破壊しながら、対抗術が動き出すのを待っていた。

 本当のところ、防御方陣を破壊するだけならイオンにとって簡単だった。

 だが、今、力任せに方術を破壊したら、起動途中の魔力喰いまで破壊してしまう。

 それだと、ノーチェの魔力が二度と戻らない。

 何重にも張られた術方陣を、薄皮を剥ぐように一枚一枚斬り崩すのは、なかなか面倒だ。

「本当にうっとうしい奴だな! メンタール!」


◇ ◇ ◇


「……ふうん? 何をやってるんだ、ナクティス?」

 突然、胡散臭そうな調子でメンタールが呟いた。

 イオンは術方陣を壊しながら何のことかと、一瞬だけ後ろを振り向いた。

 ノーチェが、膝を突いて俯いたまま、指先で何かの術式を画いている。

「んー? んー? ……ああ、そうか。魔力喰いの反撃術か」

 ノーチェの画いているものの正体に気付いたメンタールが、面憎い顔をして笑った。

「ナクティス、それならやめておいた方がいい。やれば逆にそのまま返って、苦しみが何倍にも膨れ上がるだけだから。実際にそれで、死に際が酷かった奴がいるんだよ?」

 大司教は半笑いを浮かべて、指先を滑らすノーチェを遠くから見下ろす。

「本当に君は安定した馬鹿さ加減だね。この術式は何度も組んでいるから、そういうことが起きる可能性も想定済みだ。それより魔力の所有権を大人しく手放した方が賢明だよ」

 笑いながら語る大司教の方を、顔を上げたノーチェが見る。

「それとは……ちょっと、違うわ……」

 そう言ってから、ノーチェは不意に笑った。

「私を馬鹿というなら……あなたも大概、よ?」

 自分の背から伸びる蔦の一本を、ノーチェが指先でピンと跳ねた。

 瞬間、笑っていたメンタールの表情が、凍り付く。

「……ナクティス……今……何を……やった!?」

 メンタールが喚く。目を見開き、片頬を痙攣させる。顔は青くなり、手先が震える。

 ――何が、起こった? 

 突然、大司教の様子が変わり、イオンが事の成り行きが理解出来ず、双方を見る。

「……奪われた私の……魔力。黒の方を……少し、活性化させた、だけ」

 ノーチェの呟きを聞いて、イオンが大司教に目をこらし、はっとして気付く。

 大司教の中で半分近く所有権を奪ったノーチェの魔力の黒の方が、活発化している。

 しかし、大司教メンタール自身の魔力と魂は、彼の邪悪な行いに反して、白だ。

 黒魔術と白魔術、魔族と人間、陰と陽。対極に位置するもの同士は基本、相性が悪い。

 ハイエルフと魔族が滅多に交わらないのと同じで。人と魔族が対立するのと同じで。

 白魔術と黒魔術は競合し、潰し合う。

 だから白と黒、両方の魔術を扱える者――賢者は滅多に現れない。

「あなたが私に掛けた……術印を見て……気付いたわ。魔族の……黒魔術の魔力を……変換式なしで……得ようとしてた……。あなたって、白魔術が専門じゃ……なかった?」

 次に彼女はイオンの方に顔を向けた。苦痛の中にどこか愉快そうな表情を浮かべている。

 ――そうか、そういうことか。イオンが納得する。つまり、メンタールは。

「賢者の素質もないのに、賢者の、白と黒の魔力をそのまま得ようとしたのか?」

 彼女の会心の笑顔に合わせて、思わずイオンの唇の端も上がる。

 魔術を扱う者なら、黒白両方の魔術を同時に扱う困難さは、知っていて当然のことだ。

 だが大司教は、知っていて当然のことを忘れ、その対処をしてなかった。

 用心深く用意周到だった大司教の、予想外の間抜けさに、笑わずにはいられない。

「いくらなんでもって、思ったのに……あなた、思った以上に……馬鹿ね!」

「確かにな!」

 イオンが大きく同意の声を上げた。

 蝕まれる苦しみに、恥辱も加わったのか、これ以上なくメンタールの顔が歪んだ。

「下衆な魔女がぁぁぁ――!!」

 綽然とした態度だった大司教が、屈辱に吠えた。


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