第四章・その4 賢者と英雄


「それは、どういうことなんだ?」

 さすがにイオンは尋ね返した。

 西方地域シーファンに侵攻してきた魔王は、倒されていない。

 西の英雄は確か、救世主セイバーの称号を得ていたはず。これは、魔王を倒した英雄と勇者に贈られるものだ。東方地域オリエンスに侵攻してきた魔王を討伐した勇者イオンも、この称号を持っている。

「魔王とは戦いました。でも、力が拮抗していて、戦いはこちらが劣勢。魔王側に押し切られる寸前だった。もし押し切られた場合、西方地域シーファンの中心的地域に突入するような、そういう際どい場所での戦いだった――だから、封じたんです」

 イオンが険しい顔をして「封じた?」と尋ね返す。

「そう。私が封じたんです」

 このままではどうにもならないと判断したノーチェは、魔王が疲労している今なら、封印が効くと判断し、封印を施した。即興でそれが出来たノーチェは相当なものだが、しかし。

「それが、余計な手出しだったみたいで」

 西の英雄一行からしたら、それが余計な手出し、ということだったらしい。

「それで、まさかその後、きちんと倒してない?」

「恐らくは。封印が解かれた感じはしない……」

 ノーチェが気まずそうに答えた。

 封印を施した本人が言うのだから間違いないだろう。

「私の封印は一時的なものです。一度立て直して、再度、討伐に行くものだと……」

 確か、西の一行は魔王を倒したと、そう喧伝している。

 それで英雄は救世主の称号を得た。

「それじゃあ、西の英雄は、そもそも救世主セイバーを名乗る資格がないだろう。いや、その仲間たちでさえ、今の栄誉を受ける資格がない――そうか、だからか」

 生きてもらっていては困るのだ、魔王が倒されていないことを知っている、彼女に。

 だが、そこまでして栄誉が欲しかったとしても、それでは砂上の楼閣だ。封印は所詮、一時的なものだ。いつかは解けて、何もかもが露呈する。かなり脆い見せかけの栄誉だ。

「英雄は……どうするつもりでいたんだ?」

 イオンの呟きに、ノーチェが首を横に振る。

「分からないです。あの人、何を考えているのか分からない人でしたし。その彼を、西の司教が後見人をしていたから、多分司教が何かを考えていたと思うんですが」

 ノーチェの言い振りは歯切れが悪い。それに、仲間だったわりに人ごとのようだ。

「ただ、西の司教に言われたわ『力は必要だった。要らないのはの存在』って……」

 口を濁した。イオンが怪訝な表情で見る。彼女は少し迷って、それから口を開いた。

「私でなく〝私の力〟が欲しかったのでしょうね。多分、最初から」

「……だろうね」

 言い辛そうにノーチェは漏らし、イオンも大きく頷く。

「西の司教だっけ? その、奪った魔力で何がしたかったか分からないし、半端な封印で魔王を放置して、どうするつもりなのか、俺には分からないけど……」

 イオンが馬鈴薯と肉を一緒に口に頬張って、咀嚼してから飲み下す。

「とりあえず、西の連中には『探していた魔女が見つかった。捕縛している』と伝える。落ち合う場所も指定するから、その時に解除と魔力を取り返す」

 ノーチェが「取り返す?」と尋ね返した。

「ああ、取り返す。自分の魔力を仇に持たせておきたくないよね?」

 そう言って、「まぁ全部、俺が勝手にやってることだけどね」と付け加える。

 ノーチェが戸惑った表情でイオンを見ていた。何か、迷っている。

 言いたいことは言った。あとはノーチェ次第――と、思いつつも、彼女がどんな返答をしようが、イオンは手を引くつもりはなかった。彼女の魔力を取り戻そうとする以上に、西の連中の行動が、イオンにとって不可解で気に入らない。どういうことなのか、問い糾したい。

 イオンは水差しから木杯カップに水を注ぎ、残った食事の掃討にかかった。

「――俺は、西の連中が気に入らない」

 腹で思っていることそのままに、イオンが独り言ちた。

「あの……イオン?」

 既に馬鈴薯と肉を平らげて、スープの攻略に掛かっていたイオンが顔を上げた。

 言いかけたまま黙りこくる――イオンは辛抱強く、彼女の言葉を待った。

 目を逸らし「積み上げてきたものは」口を開く。

「銀貨三枚の価値しかなかった、って気付いて、少し、悔しいだけです……」

 それから黙ってノーチェはスープの残りを飲み始めた。

「……俺は、アダマンチウム硬貨十枚分くらいの価値はあると思うけどな」

 アダマンチウム硬貨は、金貨の百倍の価値がある硬貨だ。一枚で銀貨千枚に相当する。

 それが十枚。銀貨に換算したら一万枚だ。

 驚いたのか、ノーチェが大きく目を開き、彼の顔を見つめて、それから溜息する。

「それは、大げさですよ……」

 窘めるようにノーチェが呟いて、それから食事を再開した。

 全然、大げさじゃないけどな。そう密かにイオンが思う。

 静かに食事をするノーチェを見ながら、イオンは残ったスープを飲み干した。


◇ ◇ ◇


〔ンもう! イオンのいい人、黒エルフだったって。私ってば、すごく驚いちゃって!〕

 メイアンが魔水晶越しに、井戸端会議の主婦よろしく、大仰に驚いて見せた。

〔うちのお店に来たとき、そうじゃないかな〜? と思ったんだけどぉ。そんな伝説級の存在、そうそうお目にかかれるもんじゃないから、違うかなぁ? って思ったら……ねぇ?〕

 イオンがうんざりしたように魔水晶の半分から目を逸らす。そして、もう半分に映ったジェスターを睨みつけた。こちらは我関せずと言わんばかりによそを向いている。

 ジェスターに呪いの術式解除の依頼をしたのはいいが、式を構築するのに時間短縮のため、黒魔術部分を手伝ってもらったのが、よりにもよって、おしゃべりのメイアンだった。

 確かにこいつは黒魔術が得意でハーフエルフだから、エルフのことにも詳しい。

 だが、おばさんのようなあっけらかんな話し方を聞くと、イオンは頭が痛い。

〔で、イオン。なんか、天ぷら騎士様に啖呵切ったようだが……〕

「なんだそれは? 揚げ物か?」

 聖騎士テンプラー揚げ物てんぷら呼ばわりするなまぐさ坊主ジェスターに、イオンが呆れる。

〔奴さんら、俺の方に連絡を寄こしてきたぞー?〕

「俺の森までわざわざ直接来たわりに、連絡はお前の方か――で、何だって?」

〔曰く『魔女を迎え参るは我らが主。しかし主は忙中なれば、其方そちらが指し示す場に参る事叶わず。願わくば、我らの定めし場席まで、おで頂きたくそうろう』だとよ!〕

〔なぁに、それ? 『ボスが迎えに行くけど、忙しいから、お前の指定する場所には行かん。だから、こっちが決めた場所に、お前の方から来い!』ってこと?〕

〔まぁ、そういうことだろうよ〕

 メイアンの意訳に、ジェスターが同意する。

「……良いだろう。それで受けてやる」

 イオンが言うと、魔水晶の向こうの二人が驚く。

〔あらあら。イオン、いいのぉ? こんな印を組むような人って、だぁいぶ、こちらに不利な条件の場所で、待っていると思うけどぉ?〕

〔だなぁ。待ち合わせの場所に罠の魔方陣くらい仕掛けてくれそうだな!〕

「だったら、魔王攻略だと思えばいい」

 心配する二人に向かって、イオンが竹を割ったようにさっぱりと言う。

「こんな回りくどいことをする奴が、こちらの話に乗るなんて、最初から思ってない。自分が有利な条件でしか動かないに決まってるだろう? それならこちらは、正面から叩き潰すつもりで征けばいいよ」

〔おいおい、正面から殴るってかぁ!?〕

〔ゴリ押し? 力押し? もぉ〜、笑っちゃうじゃない!!〕

 イオンの断言に、メイアンとジェスターは二人して笑い出す。

「その方が、面倒がなくて楽だろう?」

〔いやまぁ、確かに。どうせ自分たちの都合の良い条件しか乗らないだろうからなぁ〕

 ジェスターが呆れて感心した様子で同意する。

「どころで、奴らの指定の場所とはどこだ?」

 イオンが魔水晶のジェスターが映る方に向かって尋ねた。

〔ああ、それな。確か、中央地域セントリウムの魔神殿跡とかなんとか……〕

「……魔神殿? そんなもの、中央地域セントリウムにあったか?」

 イオンが首を傾げた。メイアンが〔カーラ神殿跡のことよ〕と説明する。

西方地域シーファンの人たちは、古代神カーラのことを〝魔神〟と呼んでいるらしいわ〕

「なんでまた?」

 イオンが尋ねる。古代神カーラの神力は、イオンも魔術でたまに利用することがある。

 カーラは二面性のある神力なので、暴走しやすいから扱いは慎重だ。

 だがそれより、なぜ、西方地域シーファンではカーラが魔神なのか? 

〔恩恵と懲罰を平等に与えるのがダメみたいねぇ。恩恵の神しか認めないみたいよぅ?〕

西方地域シーファンじゃ、神様のえり好みしているからな。贅沢な連中だよ〕

〔そうそう。だから、カーラは愛想尽かして逃げちゃったんだけどねぇ。未だカーラのことを信仰してるの、ダークエルフと東方地域の人くらいよぅ? 多分、中央地域セントリウムにあった古代帝国が滅んだ理由、きっと西方地域シーファンの人たち、忘れちゃってるわよぉ?〕

 メイアンが困ったように説明するのを聞いて、なるほどとイオンは感心する。

 自分が当たり前だと思っていることが、他地域では当たり前でないことの代表例だ。

「分かった。じゃあ、ジェスター。聖騎士どもには魔女が見つかったから、今から七日後に指定場所へ行くと、伝えておいてくれ。それから、二人とも。六日後の午後、中央地域セントリウムのメディウムの門前で待ち合わせだ」

 メイアンが〔私も参加?〕とおちゃらけて尋ね返す。

「当然だ。黒魔術が得意だろう? 対魔装備で来てくれ」

〔あ〜。はいはい〜。了解、了解よぉ〜〕

 軽い調子でメイアンが受けた。

〔んで、俺も同じ調子で準備しとけって、そーいうんだろー?〕

 イオンが「まぁな」と言うと、ジェスターがニカっと笑って頷いた。

「じゃあ、二人とも。よろしく頼む」

 イオンがそう締めくくると、ジェスターが〔またな!〕と言って魔水晶から消えた。

 一方、メイアンは魔水晶から消えずにいた。何か、顎に手をやり、考えている。

 ややあって〔ねぇ、イオン。あのおねぇさんのことなんだけれど〕と声を上げた。

「なんだ、メイアン」

〔あのおねぇさんの力、取り戻して上げたら、その後どうするつもり?〕

「どうって……何を急に?」

〔女中女中って言い張ってたけど、結局、どうするのかなぁ? なぁんてね♪〕

 メイアンが戯けたように尋ねるが、多分、真面目に聞いている。

「どうするかは決めてるが、言いたくはないな」

 正直にイオンは答えた。彼女の力を取り戻した後、どうするかは既に決めている。

 でも、今は誰にも言いたくない。ノーチェ本人にすらも。

〔……ま、大体想像付くけどねぇ。あなた、お人好しよぉ?〕

 魔水晶に映るメイアンがやれやれと呆れたように肩をすくめた。

 勝手に想像でも何でもしてくれ。イオンは知らん顔をする。

〔じゃあ、私から言うことはないわ。後は貴方の思うようにすれば良いと思う〕

「そうする」

 にっこり笑ってメイアンが手を振り、魔水晶から消えた。


「やれやれ……」

 何も映ってない黒い魔水晶を眺めながら、イオンが苦笑いした。

 メイアンはお節介だ。まるで、近所の世話焼きおばさんみたいだ。確かあれで八十歳。

 それでもノーチェより年下で、イオンよりは遥かに年上だ。

「エルフの血筋は、年齢と外観と人生経験が、見事にバラバラだな……」

 イオンは苦笑する。そして彼が立ち上がりかけた、その時だった。

「――着信でーす。着信でーす」

 突然、魔水晶の妖精が声を上げた。

 メイアンか、それともジェスターか? 何か、伝え忘れたことでもあったか? 

 しかし、妖精は「初めての人からでーす。初めての人からでーす」と言う。

「誰からだ?」

 イオンが魔水晶の妖精に尋ねる。

 妖精は「えーと、えーと」と、ウニウニモニョモニョしている――様子が変だ。

 悩みに悩んで、そして、ぱっと明るくなった。

「――そう! 西の英雄だって!」

 イオンの顔が険しくなった。

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