第四章・その2 逃避と追跡


「はぁ、はぁ、はぁっ」

 夜も更け、すっかり暗くなった森の中を、絹で編んだ覆いを被ってノーチェは駆けていた。

 魔蚕の繭で編まれたこの被り物ケープは、敵の魔術の威力を弱めると同時に、身に付けている者の魔力の存在も稀薄にして、隠蔽し易くする。

 元はメンタールの魔術の威力を削ぐために作ったが、今は勇者の天眼から逃れるために使っている。魔力がほぼない今、これを被って気配を消していれば、見つかりにくい。

 あくまで見つかりにくいだけだが、今のノーチェに出来るはこの程度だ。

「イオンが、東の勇者……」

 彼女の中には一応、その疑いはあった。

 ただイオンが、あまりに暢気でいい加減な人だったから、無意識に疑いから外していた。

 多分、西の英雄が感情の見えない人だったからだ。

 きっと東の勇者も同じように感情の見えない冷淡な人だと思っていた。

 それに勇者イオンジェン。この名は彼女も知っていた。ただイオンなんてそのままの名前で普通に生活しているから、名前が同じような人程度にしか思わなかった。

 息を切らせたノーチェは、走り続けられなくなって、とぼとぼと歩き出す。

『封印を、解きたい?』

 この前、イオンはそう言った。

「でも奴らは、イオンに、東の勇者に、魔女捜しを……」

 聖騎士テンプラーらの口ぶりから、イオンが先日出掛けたのは、祭助ディアコノスに会いに行ったのだと察した。

 祭助ディアコノスに喧嘩を売ったイオンが、どうやって話し合いが出来たのか解らないが、大方、魔具でも使って姿を変えたのだろう。彼が出掛けた日、保管庫からいくつか持ち出していた。

 そして、イオンはやってきた聖騎士テンプラーどもに「魔女は探し出す」と言っていた。

「何を……根拠に、あの人を信じたの……かな?」

 俯いて溜息する。自分の馬鹿さ加減が昔から変わっていない――もはや、涙しか出てこない。

「結局、イオンの本音がわからない……」

 わからない彼女は不安しかない。とにかくここを離れなければ。そういう思いに駆られた。

 時々、ノーチェは下草に足を取られ前のめりになるも、辛うじて体勢を立て直す。

 ノーチェは暗がりでも平気だ。とても夜目が利く。

 魔族の血が、彼女の闇の中での視界をはっきりとさせていた。

 だが、今は焦慮に駆られているせいで、見えていても注意が行き届かない。

「あっ……!?」

 木の根に足を引っかけた。見事にその場に倒れ、ノーチェは地面に叩きつけられた。

「――――っ!」

 身体のあちこちを打ち、膝や手を擦り剥く。こんな傷、昔ならすぐに治せた。

 肩で息をしながらノーチェは木の幹に手を付いて、立ち上がろうとする。

 ガサリ、と下生えの草木が擦れる音が聞こえた。

 ノーチェが顔を上げると、草の間から芦毛の角のある馬がのそりと頭を覗かせている。

 イオンの愛馬のウニコだ。それが、下草を分けて出てきた。

 足音も気配もしなかった――そうだ、一角獣はエルフ同様、気配を消すのが上手い。

「あなた、私を捕まえに来たの?」

 ノーチェが尋ねると、ウニコは否定するようにブルンと鼻を鳴らし、首を振った。

 彼女の注意を上に向けさせるようにウニコはしきりに首を振り上げ、鼻を鳴らす。

 何があるのかと、ノーチェは緩慢な動きで見上げた。

「あ……」

 大きな木の、その太い枝に、イオンが立って彼女を見下ろしていた。


◇ ◇ ◇


 見つかった――――

 ノーチェは気が抜けたように肩を落とし、木の幹に寄りかかった。

 ウニコがイオンを一瞥すると、その場から音もなく駆け出し、森の中へ消えた。

 イオンは枝からノーチェのすぐ側に着地して、彼女に歩み寄る。

「怪我をしたの?」

 尋ねるイオンを前に、咄嗟に自分の身体を抱えるようにノーチェは身構えた。

 イオンが更に歩み寄る気配がし、次の瞬間、彼女の頬に触れた。一瞬、ノーチェの身体が硬直したが、彼の手はとても温くて心地良く、うっかり微睡みそうになって、はっと気付く。

 これは、傷を癒やす白魔術だ。

「どういう、つもり?」

 警戒しているせいか、つい険のある尋ね方になってしまった。

 彼が魔術を使って見せたのは初めてだが、それよりも傷を治したことが不可解だ。

 彼の行動は判断に迷う。警戒するノーチェを、イオンは辛そうな表情で見ていた。

「怪我をしていたから……」

 彼の沈んだ声が妙にノーチェの心に響いて、落ち着かなくなった。

 ノーチェは首を振って気持ちを切り替え、目の前の男を真っ直ぐ見据えた。

「イオン、あなたは何者なんです? 今度こそ、正直に答えて」

 イオンはぐっと喉を詰まらせた。それから観念したように大きく息をした。

「俺は、イオンジェン。人は——」

 彼女を真っ直ぐ見た。

「〝東の勇者〟呼んでいる」

 既に分かり切ったことだが改めて名乗りを聞いて、ノーチェが肩を落とした。

「東の勇者と関係ないなんて、嘘だったのね」

「ごめん……」

「それじゃあ、もう分かっているでしょう? 私がナクティス。ナクティス=ノーチェ。西の奴らが探しているのは、私。そう、私が——」

 ノーチェが自分の前に立つ勇者を、細目で睨んだ。

「魔女よ」

 勇者の顔が険しく、それこそ、哀れみさえこもったような表情になる。

「本当に、魔女なのか? 賢者じゃなかったのか?」

「彼らはそう呼んでいる――それに、あながち間違ってない。私、魔族の血筋だから」

 今更のように尋ねられ、うんざりしたようにノーチェが答えた。

 ハイエルフの郷でも穢れた血と厭われ、西の英雄の仲間内でも敬遠されていた。

 ノーチェが自分の髪を掴む。ハイエルフの血統なら人間との混血ハーフエルフでも、魔力が低いだけで、金髪になるはずだ。銀色の髪が混じるのは、魔族の血筋が入っている証だ。

 しかし、イオンは首を横に振った。

「魔族の血筋なのは、分かってた」

「分かっていた……? 奴らに聞いたの?」

 ノーチェがそう尋ねると、彼はまた横に首を振った。

「最初から。奴隷商の店で売られていた時から」

 怪訝な顔をしたノーチェだったが、すぐに彼が何者かを思い出し、苦く笑う。

「――そう、そうですよね。勇者ですもの。分かりますよね」

 勇者なら、さぞ分かり易かっただろう。魔族の気配なら。

「つまり、あなたは半魔の半エルフなのを分かって、私を買ったのですか……酔狂ね」

「酔狂なんかじゃないよ……」

「だって銀貨三枚ですよ? ハーフエルフは価値が低い。その上、エルフであること自体疑われていたわ。でも、あなたは分かって魔族の血族を買った。これが酔狂と言わずに……」

 ノーチェの言葉が途中で詰まる。イオンの琥珀色の眼がじっと彼女を見つめている。

 天眼だ。西の英雄のなら見たことがあるが、東の勇者の、イオンのは、初めて見た。

勇者おれが討つのは血筋や種族じゃない。多くの人を苦しめる奴だ。討つ相手が魔族であることが多い、ただそれだけで――」

 人を射るような眼光だ。ノーチェが肩を強張らせると、気づいたイオンが視線を逸らした。

「――奴隷商の前を通りがかった時」

 ぽつり、とイオンが話し出す。瞳が元の色に戻っている。

「複数の不自然な封印の気配がしたんだ。気になって店の中を覗いたら、ノーチェが居た」

「……それで、私を買って、あなたはどうするつもりだったのですか?」

 射通すような視線がなくなり、少し気持ちに余裕が出来たノーチェが尋ねた。

「どうもこうも、女中が欲しかったって。あそこ、一応看板が人材斡旋所だったし」

「またそれですか? うそでしょう?」

「……うそじゃない」

 イオンが口を尖らせる。

「前に言った通り、森の中の一人暮らしは楽じゃないから女中が欲しいって」

「本当にそうなら、他のあてを探せば良かったのではないんですか?」

「見つかれば苦労しない」

 低い声でイオンは呟いた。嘘を言っているように見えない、見えないのだが。

「だってあなたは〝魔女は探す〟って……私を、突き出すんでしょう?」

「突き出さないよ……」

「じゃあ、どうして――」

 言いかける彼女を遮るように溜息して、イオンが不承不承といった様子で口を開く。

「ノーチェを封印した張本人らしき奴が、俺に魔女捜しの依頼をしてきた。黙って受ける振りをしていれば、封印をどうにか出来る好機が巡って来ると思って」

 そう、イオンは白状し、これ以上なく大きな溜息を吐いた。

「……もう、奴らが来たお陰でグダグダだよ」

 イオンがうんざりしたようにぼやく。

 これは、どう反応すれば良いのだろう? 言っていることは本当のことのように聞こえるが、何か、引っかかる。一番肝心な点を、答えていない。

「——もう何度も同じようなことを聞いた気がするけれど」

 彼女は前置きする。そう、一番引っかかっていることだ。

「こんなに面倒な私なのに、何故、気に掛けてくれるんですか?」

 イオンが「う……」と返答に窮したのか、呻いた。何度も見た反応だ。

「……やっぱり、答えてくれないんですね」

 俯いてノーチェが魔蚕の羽織を肩に掛け直し、襟元を掻き合わせた。

「――分かりました。もう良いです」

 諦めの混じった暗い声で、ノーチェが呟く。

「突き出さないのですよね? 私は、自分の安全さえ確保出来れば、もうそれで……」

 ノーチェが顔を上げた瞬間、つい「えっ」と戸惑いの声を上げた。

 口惜しそうで、どこか拗ねているようにも見えるイオンの姿があった。

「なんで……わからないのかな?」

 声を絞り出すイオンは、何かを抑え込んでいる――怒っている? 

「何もわからないわ」

 どうしてそんなに怒っているのかも、全部ひっくるめて、ノーチェは答えた。

 すると、イオンはあからさまな不興顔で目の色が変わる寸前のままノーチェをギッと睨む。

「俺より百年も長く生きて、何でわからないのか!?」

「ごめんなさい、わからないわ」

「――だからっ! 君が好きなんだって!!」

 言うだけ言って、イオンは耳を真っ赤にしてそっぽを向く。

 ノーチェは唖然としていた。

 一応、予想の中にあったが、イオンが東の勇者と判り、「魔女は探す」と言った時点で、我が身の安全のことだけに集中して警戒していたので、綺麗に忘れていた。

 顔を背けたままのイオンに、「あの……」と、ノーチェが恐る恐る声を掛ける。

 ぴくり、とイオンの肩が揺れた。ノーチェは懸命に考える。つまり、これは。

「……手を出したい、ということなのですね?」

「………………はぁ!? なんで!?」

 間を空け、イオンがすごい勢いで振り向いた。血相を変え、信じられないものを見る目をしている。ノーチェも反応の凄まじさに面食らう。聞き方がいけなかったのか? 

「えっと。好き、とはそういうことなのでは?」

「いや。違う、と思うけど」

「違うのなら、それは好きではないのでは……?」

「いや。それも違う」

 全部否定する。これは、もしかして。

「遠慮しているのなら、あの、身請けされた日からそういうことになるのは……」

 控えめにいうと「そういうことじゃなくて……」と、イオンが頭を抱えた。

「では、なぜ――っ、しゅん!」

 言いかけたところでノーチェが盛大なくしゃみをし、驚いたイオンが目を瞬かせた。

 秋も半ば。夜も更け、外は冷え込んでいる。

 ほとんど着の身着のままに、羽織一つで飛び出してきたのですっかり身体が冷えていた。

「ここは寒いから、家に帰ろうか……」

 イオンが困った顔で微笑み、彼女の背中を擦る。おかしな拍子にしたくしゃみで顔を赤くしたノーチェは、頭を垂れたまま「ええ……」と、消え入りそうな声で返事をした。


◇ ◇ ◇


「冴えない顔だな、イオン」

 賢者のジェスターがぼやいた。いつも笑っているのに笑っていない。彼は大量の術式を組んでかなり疲れているようだ。イオンは「お互い様……」とだけ呟く。

 目の前には魔物モンスターが死屍累々と積み重なっている。魔王が召喚し、使役した連中だ。

「ちっ! まだ生きてやがったか――おい、メイアン! 他にはもう居ねぇか?」

 ぴくぴく動く暗黒龍ダークドラゴンの首を、ドワーフのジーゼンが斧で切り落とし、傍らの男に尋ねた。

「もう居ないわ……というかね? そういうのはイオンに尋ねて。その方が絶対に早いわ」

 ハーフエルフの男メイアンが女言葉で投げやりに返してから、肩をすくめた。

 いつもジーゼンをからかっている彼だが、今は疲労困憊で相手をする気も萎えている。

 幸い、仲間が一人も欠けることなく本懐を遂げた。だが、みんな疲れて荒んでいる。

 魔王を倒す道程は決して楽ではなかったが、悪くはなかった。

 でも、倒してもあまり嬉しくない。達成感というにはほど遠い。

 魔王侵攻で本当に困っている者がいる。一方で、我が身のことしか考えない者もいた。

 さらに、困っている者を魔王に売り渡し、己の安全と利益を確保していた者がいた。

 そして、そういう者に限って、地位の高い者が多かった。

 彼らは自国の粛正や隣国の打倒を、我が名を汚さず、魔王の享楽的侵攻に委ねる。

 当然だが、魔王討伐に非協力的。

 まさに東方地域オリエンスで数百年間、勇者が魔王を討伐出来なかった現実を、目の当たりにした。

 救わなければならない人々がいた。

 一方で、救いようがない人が多かった――そういうことだ。


「恨まれるかな……やっぱり」

 イオンが自分の撃ち倒した魔王の残骸を眺めながら呟く。

「いやあ、恨まれねぇよ。ただ、奴らは魔王の代わりを探すだろうがな」

 ジェスターが魔王の折れた剣を杖で小突きながら呟いた。イオンが緩慢な動作で振り向く。

「魔王を倒したものが、次の魔王になる……そういう話、知ってるか? 何せ、この辺一帯の国々は自力でどうにかするより、何かにつけて誰かに縋ったり押し付けたり、利用したりばっかりだ。自分たちを襲う魔王様さえ、利用出来るなら利用するからな」

 ジェスターがそんなことを言い出す。

「つまり、俺が魔王の代わりか」

 笑えない話だ。

「――で、イオン。この後、どうする?」

 回りで魔王が張った魔方陣の残滓を解析しつつジェスターが尋ねた。

「取り敢えず一行パーティは一時解散かな……? みんな、ありがとう」

「んぁ? そりゃそうだろ。じゃなくて、おめーがどうするかって話じゃねぇのか?」

 ドワーフのジーゼンが床に突き刺していた斧を肩に担ぎ直して聞き直す。

「俺か? 俺は……さて、どうしよう?」

「あら、やだ。もしかして、なぁんにも考えてなかったのぉ?」

 メイアンが戯けて苦笑した。

「魔王を倒したことは知らしめる必要はあるから、否が応でも、組合ギルドと広域連合評議会には顔出さなきゃならないだろうな。確実にやらなきゃいかんことは、それくらいか。そん時に、お前にとっちゃ、ちと、ヤな目に遭うかもなぁ――利用したがりに集られたりな」

「それとぉ、実際に魔王を倒しちゃったから、色々な人が怯えちゃうかもねぇ。魔王より強い、ってことは、いつ魔王と同じ振る舞いをするのか、びくびくしてね」

 ジェスターの助言へ、メイアンが補うように呟いた。

「そうか……じゃあそれが終わったら、勇者の肩書き捨てて、どこかで普通に暮らすかな」

「ビビりながらも利用したがるお馬鹿な連中から無事に逃れられたらねー」

 メイアンが弓の弦をピン! と指ではねた。

「どうにかするよ。とにかく普通に暮らして、嫁さんでも貰えたらいいなぁ……」

 イオンが何気なく呟くと、仲間全員が「お前にぃ〜?」と苦笑いをする。

「やめとけやめとけ。おめぇの肩書き目当てでしか女は来ねぇよ!」

「逆よ、逆! 勇者でしょ〜? 魔王倒すほど強過ぎる男なぁんて、避けられまくるわよぅ。そうねぇ。肩書きを隠し通して、もうちょっと女性との会話トークが巧くなれば、ねぇ?」

 ジーゼンとメイアンが言いたい放題だ。

「おいおい……イオンはちーと女と会話するのが上手くない、くらいなもんだ。そこまで酷い顔でもないし。ただ、肩書き隠したら途端に地味になっちまうのは否めないけどな!」

 ジェスターが助けになってない助け船を出した――本当に、遠慮のない仲間たちだ。

「そんなの、今さらつつかなくてもいいよ」

 イオンが溜息をしながら煩わしそうに言う。

 ああそうだ。そういうことは苦手だ。

 それに、勇者の肩書きを捨てたら途端に影が薄くなるのは目に見えている。

 だからといって勇者と名乗っても、恐れられる。八方塞がりだ。

 それでも構わないと付いてきてくれるような、そんな女がいてくれればと思う。

 そう考えた先から「ああ、これは無理だな」とイオンが思い直す。

 世の中、なかなか思ったようにいかない――魔王退治も、普通の生活も。


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