第四章 青年と乙女

第四章・その1 使者の到来


 ノーチェの編み物は凄い勢いで進んだ。

 家事をしながら編み、二日で半分以上編み上げ、三日目にはほとんど完成していた。

 イオンは編み上げの早さに感心しながらも、編んでいる時のノーチェの様子が真剣そのもので、それにどこか不安を感じていた。まるで、彼女は何かに駆られているようだ。

「編むの、早いね……」

 朝の珈琲を飲みながら、イオンが出来上がったケープを確認しているノーチェを見ていた。

 広げたケープは被るとノーチェの腰の辺りまである。かなり大きいようだ。

「もしかして、そういうのが欲しかった?」

 イオンは尋ねた。ヨーマの馴染みの店でノーチェに色々と服を買ってあげたが、魔蚕の糸で出来た羽織り物は、確かにあそこには置いてなかった。

「いえ。急に思い立っただけなんです」

 ノーチェは表情を変えず、編んだ物を確認しながら言った。

 イオンは訝しく彼女を見ながら「そんなものか?」と呟き、珈琲を飲んだ。


 魔蚕の糸の羽織り物が完成した翌日。

 ノーチェは籠一杯に何かを摘んで森から帰ってきた。

「なにそれ? って、毒参茄マンドラゴラ……」

 イオンの表情が渋くなる。小人の死体のようにぐったりとした籠一杯の毒参茄マンドラゴラだ。

 ノーチェは毒参茄マンドラゴラを大量に抜いてきたのだ。死の叫びをどうやって彼女は回避したのか気になったが、それ以前に、五本も六本も抜いてくるのは、どうなのだと。

「売るつもりがないのなら、そこまで大量に必要ないんじゃ?」

 ノーチェは「使うときは使いますから」と言い放った。

 エルフの作る薬は有名だが、作ろうとしている薬に関してノーチェは何も言わなかった。

 彼女の行動を縛ろうと思っていないイオンはそっとしておいたが、何か不安だった。


 祭助の処刑の話を聞いて一週間、ノーチェのケープが完成して二日経った頃の夕刻。

 ジェスターが先日依頼した魔方陣の解が出来た連絡と同時に、嫌な知らせを伝えた。

西方地域シーファン組合ギルドから東方地域こっち組合ギルドへ、緊急連絡だ。こないだ処刑した祭助ディアコノスの代わりを、お前んところに直接寄こすってよ!〕

「俺のところに? それはここまで直接来るってことか?」

 急な話だ。イオンが訝しげな表情になる。

〔じゃないのか? お前の返答を聞いてみると言ったんだが、直接訪ねるから必要ないって言われた。近い内にそっちへ来るんじゃないのか? いや、今日とかに来るかもしれない〕

「随分とせっかちだな……」

 直接、ここに来るという話も大概だ。そもそも東方地域オリエンスの人々でさえ、うわさ程度にしか、イオンの居場所を知らない。それなのに、ちゃんとここまで来られるのだろうか? 

「来たら来たで迷惑だ。こちらから連絡するまで俺の所に直接、押しかけてくるなと――」

 イオンの眼がすうっと細くなる。

 次の瞬間、イオンの小屋の地下倉庫に、ビリビリと小刻みな地響きがした。

 この響きと、揺れの間隔。これは、総装甲フル・バーディングをした重い軍馬の駆ける音だ。

「――なるほど。せっかちな客人は、もう来たようだ」

 座っていたイオンは立ち上がった。

〔おい、イオン。どうした? まさか……〕

「ちょっと接客に行ってくる」

 魔水晶を切り、イオンは地下室から上へ昇っていった。


◇ ◇ ◇


 軍馬の駆ける音は、ノーチェの耳にも入っていた。

 少しずつ、こちらの方まで近付いてきて、そして、小屋の前でふっつり止まった。

 ノーチェは恐る恐る窓の隙間から外の様子を覗いた。

 重装甲フルアーマーの騎兵と、全身を対魔術用の装甲バーディングで覆った大きな軍馬。それが三人三頭。

 騎士が身に纏っている鎧と馬の装甲バーディングの、そこに刻まれている紋章に、見覚えがあった。

「――西の聖騎士テンプラー!? しかも、上級騎士!!」

 ノーチェは顔を青くし、窓の隙間から身を隠すように壁の方へと素早く移動する。

 西方地域シーファンの神殿仕えの聖騎士団ナイツ・テンプラー、その上級騎士がここまでやって来た。

 一体どういう事態になっているのか? ノーチェが混乱したまま聞き耳を立てる。

東方地域オリエンスの勇者、イオンジェン殿! おいでになるか!?」

 聖騎士テンプラーの叫んだ言葉に、ノーチェは耳を疑った。

 東方地域オリエンスの――勇者? 

「――五月蠅い。騒がなくても、ここに居る」

 イオンの声だ。いつもより、低い。

「貴公が 東方地域オリエンスのイオンジェン・レルミット殿か?」

「如何にも」

「貴公に願いたいことがあって、馳せ参じた。まずは……」

「――まずは貴様ら、馬から降りろ。でなければ話は聞かない」

 騎士の言いかけた言葉を制して、イオンが厳かに言う。

 耳障りな金属音を響かせ、馬上から騎士達が降りる音がした。


「――で。なんなんだ? わざわざ俺の居場所を嗅ぎ当ててやって来たのは?」

 三人の重武装の聖騎士テンプラーに向かって、イオンは尋ねた。

「先日、使者として使わした元祭助ディアコノスのブルグルに代わって派遣されて参った」

 恐らく最年長であろう騎士が答えた。

「だから何用だと聞いてるんだ。そもそも誰が俺の居場所を嗅ぎつけた? 俺が第一線を退いているのは、分かっていただろう?」

 イオンが尋ねた。わざわざこんな所まで来られて、彼は今、非常に機嫌が悪い。

「西の英雄ヘイロス様がお導き下さった。何故、貴公は斯様な魔獣のうろつく森に住んでおられるか分からぬが、お陰でここへ来るため人馬共々、完全な武装を施さねばならなかった」

 別の騎士が目を瞑り、厳かに答えた。

「そうか――先日会った祭助ディアコノスのブルグルは処刑したようだが?」

「あやつは大罪を犯した。それが発覚したので、速やかに処刑したまでのこと」

 イオンの問いに、三人の中で一番若い騎士が胸を張って答えた。

 大罪か。確かにそうだが、あれが不自然な処刑だったと思っていないのか? 

「それで結局、何の用だ? 処刑された奴に代わってやって来た理由は?」

 イオンが三人を睨んだ。森の奥からウニコがこちらにやって来る気配がする。

 よそ者が縄張りに入ってきたことにウニコが気付いたようだ。

「貴公への依頼は、火急かつ速やかに魔女ナクティスを探し出してもらうことであった。西の英雄ヘイロス様は、自分以外で魔女を探し出すことの出来る者は、東の勇者のみと申された。のにも関わらず、祭助ディアコノスめは『勇者は結果を期待するなと言っていた』と」

 年長の騎士はそれこそ大義名分であるかのように揚々と答えた。

 ああ、なるほど。イオンは納得しながらも呆れる。

「――つまり、勇者なら魔女を見つけられると英雄が言っていたのに、その勇者が『結果を期待するな』と抜かしてたから、祭助ディアコノスは交渉に失敗した役立たずだと。そういうことか?」

 三人の聖騎士は黙っている。憤りを感じる沈黙だ。つまり図星だったということか。

 呆れた連中だ。イオンは大きく溜息を吐いた、

 役立たずの祭助ディアコノスを使者に選んだのも、それを呼び戻して処刑したのも、何より西の英雄にも出来ることを東の勇者イオンに依頼してきたのも、全て西方地域シーファンの連中の勝手な都合だ。

 ノーチェのために依頼を受けたが、そうでなければ、こんな茶番、引き受けていない。

「……言いたいことは良く分かった」

 イオンが腕を組んで呟いた。三人の騎士が顔を見合わせる。

「何様なのか知らないが、西の英雄は隠居している俺の居場所をわざわざ貴様らに教えて、何の了承もなく、いきなり俺の森まで土足で踏み込んで、依頼を急かしに来たと」

 三人の中で最も若い騎士が「なっ!?」と、絶句する。

「生憎、俺は西の英雄の配下でも臣下でもないんでな。そもそも西方地域そっちの都合で東方地域こっちまで来てるのに、自分の不始末は棚に上げて随分と尊大だな。物を頼む態度じゃない。しかも、こっちは庭先まで荒らされて、俺は今、とても機嫌が悪い」

「何だと、貴様……!」

 若い騎士が憤り、剣を手に掛けた瞬間、茂みからウニコが飛び出した。

 ウニコが額の角で騎士の剣を跳ね飛ばす。「うわぁ!?」と、騎士が情けない声を上げた。

 跳ね飛ばされた剣は鞘ごとねじ曲がり地に落ちて、若い騎士がその場で尻餅を着く。

「な……一角獣ユニコーン!?」

 別の騎士が慌てて剣を抜くも、ウニコは前足を跳ね、剣をはたき落として踏み折った。

 ウニコが騎士たちを睨み、前足で地面を蹴りながら、鼻息も荒く嘶く。

 その嘶きに反応して、騎士の軍馬たちは落ち着きがなくなり、そわそわと後ろ足を蹴り上げたり、前足を上げたり、今にもその場を逃げ出そうとする。

「馬どもが動揺している! 落ち着かせろ!」

 年長の騎士が馬の手綱を引っ張り、落ち着かせようとする。

「貴様らが下生えの苺をいくつか踏み潰しでもしたから、怒ったんだろう」

 ウニコはイオンに同意するように鼻を荒く鳴らす。

「魔女は探す。場所を指定するから連絡を待て。それから……」

 イオンは目を細め、自分の体の中から剣を取り出し、構えた。

 騎士たちが慌てて構えるも、反撃する暇を与えず、イオンが斬り込んだ。

 彼らと馬が身に付けていた鎧や装甲が、その場でバラバラと剥がれ落ちた。

「よ……鎧が……」

 騎士の一人が呆然となる。

 驚いた馬たちが暴れ出そうとするが、イオンが睨むと途端に静かになった。

「重い物を身に付けて歩かれると森が傷む。片付けておいてやるから、早く出て行け」

 そう呟くと同時に、イオンの手から剣が消えた。

「貴様、こんなことをして、ただで済むと……!」

 手綱と馬銜だけ残した馬を曳きながら、若い騎士が何かほざいている。

「――ここ一帯の領主ぬしは俺だ。ここでやってはいけないことをした無断侵入者を罰したまでのこと。不服なら、西方地域シーファンの英雄にでも頼んで、正式に抗議すればいい」


 鎧と装甲の残骸を残し、聖騎士たちはイオンの小屋の前から立ち去っていく。

 それを見送りながら、イオンが大きく息を吐き、傍らに佇んでいるウニコの鬣を撫でた。

 辺りはすっかり暗くなってきている。イオンはウニコの尻を押し、森の中に帰るように促す。

 小屋の中に入ろうと思ったちょうどその時、扉の蝶番の軋む音が聞こえた。

 イオンが振り返ると、僅かに開いた扉からノーチェが顔を覗かせている。表情はない。

「お客さん、お帰りになったのですか?」

「まぁ……一応、ね」

 イオンが入り口へと向かうと、ノーチェが彼を小屋に入れるために扉を完全に開いた。

「話、聞いてた?」

「……いいえ」

 感情の窺えない声でノーチェが言った。

 ああこれは多分、全てを聞かれていたな。彼女の様子で悟った。

 この後、どうするか。それを考えながら、イオンは小屋の中へと入っていった。


◇ ◇ ◇


 ノーチェは普通に夕飯を作った。

 普通、という言い方もおかしいが、イオンが前に狩で捕って塩漬けの後に燻製にした猪肉と、先日大量に購入した根菜類、主に玉葱と大蒜を沢山入れた具沢山のスープを出した。

 スープには砕いた胡桃と摘んできた酸葉ソレルが散らしてある。

 前にノーチェが作っていたどんぐり粉は薄焼きパンにしたようだ。一緒に猪の肉と脂を潰して香辛料と混ぜて壺で煮詰めたものを一緒に出してきた。パンに塗って食べるやつだ。

 食卓に並べてあったそれを、イオンとノーチェは黙って食べた。

「――――」

 会話がない。これはもう、絶対に話を聞かれていた。

 いや、普段からこのくらいだった気がする。それ以前に食事の時、ノーチェとそんなに話していたか? それすらわからない。とにかく、イオンは冷静に判断出来ないほど焦っていた。

 彼女の顔色をちらちらと見ながら、イオンはどうするかを考える。

 どうも上手い言葉が出てこない。何と言ってもイオンは女性を口説くのは上手くない。

 今まで気の利いた説得力のある言葉を、イオンが出せた試しなどない。

 そうこうしている内に食べ終わって、最後に「ごちそうさま」という言葉だけが出てきた。

 ノーチェが皿を片付け、井戸端で洗い始めるのを、窓辺から眺めてイオンは溜息した。


「なんて言えばいいのかな……」

 井戸端の彼女の後ろ姿から、小屋の入り口前に積まれている鉄くずの固まりに目をやる。

 八つ当たりを兼ねたお仕置きで剥いだ、聖騎士と馬の鎧の残骸だ。

「あの馬鹿騎士ども。あんな重い装備で森を踏破してくるなっていうんだ」

 騎士たちは魔獣の出る森だからと、重兵装でやって来た。重い装備で森を闊歩されると、木の根は傷むし、土を踏み固められ、森に良くない。でも奴らは全く分かってなかった。

「しかも、要らん時にきてくれたな」

 思い掛けない時機に、彼女に知られてしまった。

 それもこれも奴らが突然やってきて、イオンの名前を大声で呼んでくれたお陰だ。

 ちゃんと彼女に事情を説明しなかった自分も悪いと思いつつ、イオンは舌打ちをする。

「あの鉄くず、鍛冶屋のジーゼンに引き取りに来てもらおう」

 ジーゼンは彼の昔馴染みのドワーフの鍛冶屋だ。聖騎士団テンプラーの鎧なら、ミスリル銀を多少は混ぜているだろう。斬った時の感触がそうだった。奴なら喜んで引き取ってくれる。

 ジーゼンは生活用の刃物を好んで作る。「買い手の絶対数が多いから金になる」らしい。

「せいぜい、鉈か包丁にでもなればいい」

 吐き捨てるようにイオンが呟いた――その時、何か強い違和感を抱く。

 いつも感じている何かがない。

 井戸端を見ると、ノーチェの姿がない。

 代わりに洗い終わった皿が、丁重に箱の中に仕舞われているのが見えただけだった。

「――しまった!」

 イオンは慌てて立ち上がった。


 外へ出たイオンは目を瞑って神経を集中させた。

 この森に住んでいる獣、魔獣の気配。そして、彼の愛馬が小川で水を飲む気配。

 消えてからそれほど経ってない。遠くまで行っていないはずだが、気配が捕まらない。

 ノーチェはエルフだ。エルフは気配を消すのが上手い。

 逃げることに集中されると捕捉し辛い。しかも今のノーチェは魔力がない。余計に追い辛い。それでも少し前なら、微かな魔力を感じ取れたのだが――今は何故かそれを感じない。

「あの、魔蚕の糸で編んだ奴か? あれがノーチェの魔力の痕跡を隠している?」

 熱心にノーチェが編んでいた魔蚕の被り物。あれは確か、対魔術効果が強かったはずだ。

 逃げる側は必死だ。追う側はそれを心得ておかねばならない。

 ――と。そこで僅かだが、獣でも魔物でもない、気配の乱れを感じた。

「……こっちか」

 イオンはその場を駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る