第三章・その4 悪い知らせ


 今日もノーチェは魔蚕の繭から糸を取り出している。

 そういえば、最近、イオンは冒険者絡みで昔馴染みと連絡を頻繁に取り合っている。

 詳しく話してくれないので、彼女には伺い知ることは出来ない。だが、恐らくは。

「私の封印の絡みね……」

 封印については自力でどうにかすることを、ノーチェは考えていた。

 本当は、何もしないままでいても、ノーチェは良かった。

 でも、ここ数日、背中の印が疼いて――術が励起状態になった。

「これ……多分、あいつは魔力を完全に自分の物にしたがってる」

 今、ノーチェと術者とで、命の引っ張り合いになっている。

 ノーチェが生きている限り、奴は彼女の魔力を使うことが出来ない。

 彼女の魔力は彼女の物だ。本来の持ち主が死なない限り、たとえ奪っても使えない。

 それに、元は彼女の至らなさから来たことだ。出来うる備えを行っておきたい。


 魔蚕の繭は一抱えくらいの大きな繭玉で、これで作る布や編物は強い対魔術効果がある。

 彼女は対魔術効果の強い魔蚕の繭から作った羽織り物が、どうしても欲しかった。

 魔蚕の幼虫は森の中に紛れて見えないように密かに繭をこしらえている。

 人間では視認することは難しいが、エルフならば安易に見つけられる。

 それを、ノーチェは森の中で見つけ出し、糸を巻き取っていた。

 繭玉は中の蛹を生かしたまま、ぎりぎりの範囲内で糸を分けてもらう。

 魔蚕の繭は茹でても中の蛹は簡単に死なないので、表面の絹膠けんこうを茹で解して糸を取る。

 最初、適当な薪を削った棒で糸を巻き取っていたが、イオンが糸巻きを作ってくれた。

 イオンの好意は嬉しかったが、ノーチェは少し、後ろめたい気持ちになった。

 ノーチェは作ってもらった糸巻きで糸を取る。これだとあと少しで全部巻き取れそうだ。

 残った繭を森の元の場所に戻し、取り出した糸を紡いで、後はそれを編めばいい。

「イオンに何か、作ろうかしら?」

 糸巻きを作ってくれたためか、ノーチェは一瞬、そんな欲求に駆られた。

「……いえ。今はそれどころじゃないわ。とにかく今は、急がなくては」


◇ ◇ ◇


「……悪いが、もう一度言ってくれ」

〔だから、西方地域シーファンに緊急召還されて即座に処刑されたと〕

 あまりにもの内容にイオンは魔水晶に映るジェスターに三度、尋ね返した。

 祭助のブルグルが処刑された――耳を疑うような内容の連絡だ。

 つい先日、イオンに西の魔女の捕捉を依頼してきて、十日しか経っていない。

 処刑されたブルグルの罪状は、十五人を喰い殺した〝魔力喰いマギア・グールの大罪〟

 確かに、奴は魔力喰いマギア・グールの大罪を犯していた。それはイオンの眼にもはっきり見えていた。

 だが、十五人は喰ってない。イオンに見えていたのは三人分だ。

〔誰かの分もおっ被せられたんだろう。抜けてそうなあのブルグルなら、最後にそういう使い捨てをされても驚かねぇ。にしても、数の盛られ方が酷過ぎるけどな〕

「しかし、使者としてこちらに寄越されて間なしだぞ?」

〔それな? どうやら、思惑通りの交渉が出来なかった、というのも理由らしい〕

「魔女捜しだろう? それ以外に俺と、どんな交渉がしたかったんだ?」

〔さぁ? そこまでは俺にもわからん〕

 色々な場所に情報網を持っているジェスターでも分かりかねるらしい。

 何か、良からぬことが起こっている、もしくは起ころうとしている。

「いや、良からぬことを起こそうとしている奴がいるのか……?」

〔多分、それだろう? それに見ろ、これ〕

 ジェスターが手をかざし、魔方陣を浮かべた。

〔先日、お前が解き方を依頼した術印。解こうとして、試しに仮機動を試みたんだが、その時に休止状態だったのが、励起状態になりつつある兆候が見て取れた。それと……〕

 魔方陣の図式が少しずつ書き換わってきているのが見える。

〔お前からもらった複製を仮機動する度に連動しているはずの魔方陣の本体(オリジナル)。その位置がどうしてもお前の家のすぐ側にあることを指し示すんだが――もしかして、お前のトコのあの女中のエルフ、あの姉さんにでも、施された術なのか?〕

 その質問に、イオンは口をつぐんだまま何も答えない。

 無言は肯定。ジェスターが大きな溜息を吐く。

〔多分、そうだろうと思ってたけどな。しかも、あのお姉さん、黒エルフスヴァルトアールヴだろ? すげぇ希少なエルフなのに、女中に甘んじるとか、ぜってーないからな?〕

「彼女は本当に女中だ」

 イオンが声を低くして訂正する。ジェスターか再び溜息を吐いた。

〔わーったよ。そういうことにしといてやる。ところで術の経過を見たら、既に魔力は盗られた後だよな? でだ。これヤバイぞ? 多分、術を施した奴、術を完遂する気でいる〕

 イオンの表情が険しくなり、眉間に深い皺が寄る。それはつまり。

〔つまり、あのお姉さんの魔力を完全に自分の物にする気だ。黒エルフスヴァルトアールヴは、ハイエルフと魔族由来の膨大な魔力が使える。お前なら、あのお姉さんの器が見えているんだろう?〕

 イオンは短く「ああ……」と返事した。

 彼女の器は相当大きい。やり合えば、魔王も英雄も苦戦するし、イオンでも手を焼く。

 それ以外の者なら、勝つ見込みもない。その程度には巨大な器だ。

〔そりゃあ、下衆がその力を欲しいと思ったら、罠や騙し討ちみたいな術を一杯仕込むわな〜。そのくらいにゃ強いし。まぁ、そういう発想自体が、もう魔王とさして変わらんけどな〕

 あまり同意したくない話だが、確かにそうだ。だが、相手はノーチェだ。

「罠に嵌めた奴、首を狩らなきゃ駄目だな」

 イオンが目を細め、真顔になって呟いた。

〔おいおいおいおい! 物騒だな! お前が言うと全然洒落にならねぇ!!〕

 慌ててジェスターが諌めたが、イオンは表情を崩さず「本気だ」と短く言った。

 魔水晶の向こうでジェスターの頬が痙攣したようにピクピクと動く。

「それよりもだ。仮に動かしたりして、その術の解は分かったのか?」

〔んあ? ちょっと面倒臭かったが、潰し方は三通り見つかった。正確には四通りだが〕

「ふむ」

〔一つは、今すぐお前の魔剣でぶっ壊す。どんな呪術も完膚なまでに叩き壊すお前の剣なら、壊せないことはない。まぁ取られた魔力は戻らないし、被術者側に痛手が来るが〕

「それは最初に考えて、すぐ思い直した」

 最も簡単だが、彼女に損害が出る方法だ。

 ジェスターは笑いながら「だろうな」と肩をすくめた。

〔もう一つは、施術者の殺害。施術者が死ぬと術が意味を成さなくなる。ただ、取られた魔力ごと施術者を葬ることになるから、魔力が戻らない〕

「それは可哀相だろう?」

〔完全に元に戻してやりたいんだな。だろうと思ってたけどよ!〕

 一応、そういう方法もあるというのを言いたかったらしい。

〔もう一つは、術が完全機動するのを待って、施術者と被術者の繋がっている線を叩き切る。そうさな、魔力喰いの術が完遂する寸前、いくつか術線が見える内の魔力の持ち主を切り替えようとする線を切ればいい。これが一番望んだ形になる。ただ、相手に動かしてもらわなきゃいけないんだが……ちょうど今、励起状態で、相手は動かす気満々だ〕

「結局、それになるんじゃないのか?」

〔まぁ、元に戻したいのなら、そうなるな〕

 ジェスターが肩をすくめた。結局、望む形での解除の方法は一つだけのようだ。

「ところで四つ目はなんなんだ?」

 気になってイオンは尋ねてみた。最後の最後まで言わないのも気になる。

〔ん、ああ。これは術の解っていうよりも、封印をされた側の逆襲方法と言った方がいい〕

「なんだ、それは?」

 やたらと引っかかる物言いに、イオンが訝る。

〔今、魔術を封じられているが、魔力喰いの定術が動く時だけ、僅かに魔術が使える。それを利用して呪術を送り込む。相手は魔力を入手するのと同時に、呪毒にも蝕まれて死ぬ〕

「まて。それは術の解ではないだろう?」

〔だから、逆襲方法だっつーただろうが。お前のお気に入りの奴が自棄起こしたらやるかもしれないって意味で言ったんだ。一応、そういうことも出来るから気を付けとけ、って〕

 少々気に障ったが、可能性としてあるのなら、気を付けておくにこしたことはない。

〔まぁ後は、奴らの方がこちらへ連絡を寄こすだろ〕

「確かに、賢者の居場所まで分からないだろうからな」

〔そうそう。お前の眼で賢者というか、魔女捜ししてもらわないと、困るらしい。本当は西の英雄に頼みたいトコなんだろうが、どうやら英雄が動いてくれないようだからなぁ〕

「そうか……やっぱり西の英雄は動かないのか」

 詳細は教えてないが、どうやらジェスターにも事の全容が分かってきたらしい。

 イオンは肯定も否定もしないで呟いた。

〔西の英雄がどうやら淡泊な奴らしい。いや、冷たいと言うべきか〕

 イオンが興味を惹かれたように「ふうん?」と声を上げた。

〔与えられた役割は淡々とこなす。相手が誰であろうと平等、使えりゃどんな糞だろうが平等に使うような奴だってよ。だが、それ以外のことは無頓着。どうでも良いらしい。頼まれれば多少は手を貸すが、自ら積極的に動くことはほぼないだとよ〕

「……なんだ、それは?」

〔さぁ? 一応、気になったから調べたが、そんな感じの冷徹さがある奴らしくて。だから、元仲間が裏切ろうが、魔力喰いしようが、気にしないってことなんじゃないのかね?〕

 イオンには解せないが、魔王打倒を絶対の目的としたら、英雄が善人である必要はない。

「まぁいい……向こうから動いてくれるのを待つ。それで、遭ったら首を頂く」

〔くくく……お前も大概だなぁ……〕

 魔水晶の向こう側でジェスターが忍び笑いを漏らす。

「言っておくが、俺も、正義の味方じゃないぞ? 目の前に気に入らないものがあれば叩いて潰さないと気が済まない、癇癪持ちだ」

〔でも、東方地域オリエンスの人々を救った救世主セイバーだろう?〕

「その称号、俺に似合わない」

 訂正すると〔分かった分かった〕とジェスターが笑う。

〔ま。女中のお姉さん、大事にしてやんなー〕

 そう言って、ジェスターは魔水晶から消えた。


「――休止状態だったのが、励起状態になりつつある、か」

 イオンが何も映らなくなった魔水晶を見つめながら呟いた。

 ノーチェに掛けられた背中の印。

 その中で、術が完遂していないあの、魔力喰いの定式。

 イオンは急にノーチェが心配になった。

 何か胸騒ぎがして、慌てて地下室から上に駈けあがった。


◇ ◇ ◇


「——あら? お話、終わったんですか?」

 小屋の中ではノーチェが食卓の椅子に座って編み物をしていた。

「まぁ、ね」

 若干息を切らしながらそう返事をして、イオンは彼女の側の椅子に座ろうとする。

 ノーチェの見た感じは普段通り。特に変化はない。取り越し苦労か? 

 いや。術は今、励起状態になりつつある。なら、彼女に何らかの影響が出ているはずだ。

 イオンは椅子に座るのを止め、ノーチェの側に立った。

「な、なんでしょう?」

 いつもと様子が違うイオンを、覚束無い様子でノーチェが見上げた。

「ちょっと、ごめん」

 イオンが彼女の両脇に手を差し入れ抱き上げた。

「――え? きゃあ!?」

 突然のイオンの暴挙に、ノーチェが「なに!? なに!?」と目を白黒させる。

 イオンは構わず抱き上げた彼女を長椅子まで連れて行き、そこに寝かせた。

 上から覆うように彼女を見下ろし、検分するように全身を眺め、背中を確認するためにイオンがスカートの裾を持つ。すると、震える手で、ノーチェがスカートを押さえた。

「イオン……」

 怯えたようなノーチェの声に、イオンがはっと、冷静になる。

 これはまるで、長椅子にノーチェを押し倒したようだ。

「あの、優しくしてください……ね?」

 なんて言われて、「ちちちちちちがう!」と、慌ててイオンは彼女の上から退く。

 完全に誤解されている。いや、誤解されておかしくない状況だ。

「ごめん! 急にちょっと! 背中の封印が、心配になって!」

「……え?」

 ノーチェが目を見開き、何かに気付いて慌てて口を引き結ぶ。

「——何かあるの?」

 変化を見逃さなかったイオンが追及するように尋ねた。

 イオンには術の存在は感じるが、動いているのかどうかまでは良く見えない。

 だから、こんな暴挙に走ったのだが、肝心なノーチェは首を横に振った。

「いえ、何でもないんです。ただ、ちょっと、その……驚いて」

 イオンが長椅子に横になったままのノーチェを見下ろし、「驚く?」と首を傾げた。

「だって、こんなことされるとは思わなくて」

「…………あああああ、ごめん! 押し倒したつもりはないんだ! いや、そんな風にしか思えないかもしれないけど、そうなんだ。ほんとだよ!?」

 凄い勢いでイオンが言い訳をして謝罪する。

 とても寂しそうに「そうなんですか……」とノーチェが呟いたのを聞き、少しぐらっときたが、本当にそんなつもりがなかったので、イオンはただひたすら「ごめん」と詫びた。

「……でも、あの。どうしたんですか、急に?」

「あーいや。突然何となく、心配になって」

 言い誤魔化すようなイオンに「そう」と、ノーチェがぎこちなく返事をした。

 不安に駆られて何だかよく分からない行動に走ってしまった。

 イオンは反省しながらも、自分が思った以上に焦ったことに驚いた。

「あー、ノーチェ? 何かあったら、その、言ってくれないかな?」

「何か……は、ないです。お願いなら……」

「ん? 何?」

「抱きしめて……くれませんか?」

 思わずイオンは「えっ?」と声を上げそうになった。

 だが、ノーチェが沈んだ表情をしていたので、その声を噛み殺す。

 彼女に誤解をさせておいて……いや、イオン自身、心配したせいか、触れたくなった。

 そろそろとノーチェに手を伸ばし、優しく抱きしめた。

 一瞬、体を硬くしたが、イオンの肩に顔を埋め、ノーチェがしがみつく。

 ——少し、震えてる? 

 何か、心配事? そう、イオンは聞きたくなったが、そんなのは、聞くまでもない。

 酷い封印をされている彼女には、心配事など山ほどあるだろう。

 もっと、安心させてあげられないかな。

 イオンが彼女を抱きしめながら、ふとそんなことを思う。

 どうも、上手く立ち回れない自分の歯がゆさに、イオンが心中で溜息する。

 しばらく抱き合ったまま、二人はじっとしていた。


 少し経って、彼が台所から出て行き、ノーチェが一人になった。

「言えないわ……」

 疼く背中に手をあてながら、ノーチェは呟いた。

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