第三章・その3 魔方陣とエルフ


「解が出ない……」

 ノーチェが庭先の地面に小枝で呪術式を書いては消して、を繰り返していた。

「背中の封印。初めて見たけど、何なの? この術式は……」

 彼が出掛けた後、自分の背中の封印を姿見で初めて確認した。力を失っている今、封印を自力でどうにか出来る見込みがほぼない。なので、ノーチェは今まで確認すらしないでいた。

 先日、祭助のブルグルと出くわした辺りから、気になるようになった。

 そして今日、イオンが出掛けたことで、ノーチェはここに来て初めて一人になった。

 一人になると、無性に不安が募った。

 解ける見込みがなくとも、封印をよく確認しておく必要がある――そう思ったのだ。

「あの時は、術の途中で脱出出来ただけ、良かったけど。にしても、拗くれた術式ね」

 組んだ奴の性格の嫌らしさが滲み出ているようだ。

「長くて高度な定式を沢山使っているけど……むしろここまで大量に長々しく記述を連ねて、混乱気味になってる。無意味な式も多いし、よくこれで発動したものね」

 むしろ、暴発しなかったのが不思議なくらいだ。

「私に掛けられた呪術印は――大きく分けると三種類、か」

 一つ目は、白魔術の封印式。これは聖職者の処罰用の定術式だ。実際に組まれた式は、彼女に術の存在が気付かれぬよう隠蔽するために、一部が書き換えられている。

 二つ目は、恐らく黒魔術を封印する印のはずだが、こちらも何かおかしい。良く似ているというだけで、記載のいくつかは、ノーチェには無意味にすら感じる。

 三つ目、魔力奪取の印。これは万が一に封印術が解かれても、魔力を無くすことで、使えなくする、いわば安全対策のための術式だ。通常、封印を行った後に掛ける。

 だが、ノーチェに掛けられたものは、それとは違う、引っかかりを感じる記述だ。

「もしかして、二つ目は黒魔術の封印術じゃない?」

 口元に手をやり、ノーチェは考え、そして記述内容の意味に思い至る。

「そうか。封じたのは黒魔術じゃなくて、私のもう一つの血か」

 ノーチェは白魔術、黒魔術を封じる術――つまり、賢者を封じる術を施した程度では、完全に無力化出来ない。彼女の場合、元々の器が大きいので、強引に破ることも可能だ。

「でも、それだと白魔術の封印と反発するわ」

 確かに有効だが、白魔術と、あの血筋の封印術は、相反して無効化してしまう。

「……あれ? これ、もしかして」

 解読しているうちに、ノーチェは書かれた式の意味に気付く。

「そうか。この術式の煩雑化は、反発する術の折り合いを付けようとして、横道に逸れた結果か。微妙な均衡で出来てる――でも、狙った効果が出せるように整合性は保っているわ」

 複雑奇怪な記述は、無意味そうに見えて、ちゃんと動くように出来ていた。

「あいつ、術式を組むことに関しては天才だったわね」

 ノーチェは苦笑いした。敵ながら、なかなかやる。

「となると、三つ目の式……何なのかしら?」

 一見すると魔力奪取の定式に見えるが、半端な所で終わっている。恐らく、途中まで発動してノーチェが強引に脱出したせいで未完遂に終わった。だが、この式は何か変だ。

「魔力奪取の式の変形? いえ、これはこれで――定式か? いえ、まさか」

 途中までの式だが覚えがある。ノーチェが魔術の研究をしていた時に、禁書で見た。

「――そうか。魔力喰いの定式か」

 ノーチェの表情が険しくなった。

「あいつ。存在は要らないけど、力は必要だった、って言っていたわね」

 腰巾着が魔力喰いをしているのなら、本人がやっていてもおかしくない。

「でもこれ、どこか一点を切れば一気に崩れそう……なんだけど」

 一旦、ノーチェの手が止まる。式を見る限りどこを切るにしろ魔力が幾ばくか必要だ。

「やっぱりイオンに力を貸してもらったほうがいいのかな……いえ、止めとこう」

 ノーチェが地面に小枝を放り出す。出来ればあまり力は借りたくない。それに、解くのにすら、高度な魔術知識が必要だ。イオンは手練れのようだが、手に負えるか分からない。

 何より今日、イオンが出掛けて行ったのがとても気になる――何でも話す気になれない。

「そういえばイオン、私の背中の印を見たのよね」

 彼が何処まで魔術の知識があって、どの程度、術を理解出来たか分からない。

 だが、ここまで高度な術式が組まれていると、賢者相当の知識がないと読むことも出来ないから、恐らく大丈夫――の、はずだ。それに、今さら慌てても仕方がない。

「——それにしても、こんなのに引っかかるなんて、確かに間抜けで馬鹿よね。これじゃあ、二束三文で安売りされても、仕方ないわ」

 自嘲気味に、ノーチェは呟いた。


◇ ◇ ◇


「イオン、まさかお前が引き受けるとは思わなかったぞ」

「表向き、依頼を受けただけだ」

 イオンとジェスターの二人はヨーマの街から人通りのない裏街道を通っていた。

「そういや、結果は期待するなって言ってたよな」

「俺は、探し出して突き出す保証はしないし、例え見つけ出しても突き出すとは限らない……それに、奴らの探している〝魔女〟に、思い当たる節がある」

「へぇ? 思い当たる節とはなんだ?」

「今の段階では何とも言えない」

 イオンの呟きに、ジェスターは何かを察したのか、一度黙り込み、再び口を開く。

「……祭助の言っていること、どこまで信じる?」

「魔女を探している、という部分だけ」

 イオンのあまりにあんまりな答えに、ジェスターが忍び笑いを漏らす。

「奴の言ってること、まるで信じちゃいないんだな。ま、肝心な魔女の裏切った理由を、ぜんぜん答えてくれなかったからな。本当に分からないのか、それとも、答えたくないのか」

「両方かもな――それと、魔女というか賢者は、裏切ってなかったのかもな」

 イオンの言葉に、ジェスターは感心したように彼の方を見た。

「賢者は裏切ってなかったか……まるで知っている奴のことを言ってるみたいだな」

 ジェスターがからかうように言う。

「でもまぁ、ブルグルの言っていることは全然信頼出来ないからなぁ……にしても」

 ジェスターが片手で手綱を握りながら顎に手をやる。

「なんで今さら魔女捜しなんかやるんだろうな。魔力と魔術を封じたんなら、ほとんど無力だろう? 復讐する力もないだろうに。きっちり止めでも刺したいのかね?」

「それに関しても、何とも言えない……ただ、ある程度予想はしている」

「ふうん、そうか……あ、そうだ」

 何かを思い出したのか、ジェスターが自分の愛馬をイオンの隣に並ぶように寄せた。

「……なんでブルグルに、西の英雄と会ったとか聞いたんだ?」

 小声で尋ねるジェスターを一瞬だけイオンは横目に見た。

「英雄なら、魔力喰いしてるのが分かるだろう。それを確認したかっただけだ」

「ああ、なるほど。英雄なら天眼で見破れるもんなー。でもそれだと、西の英雄が、魔力喰いの奴を分かって使ってる、っつーことになるぞ?」

「そうなんじゃないのか? でなければ、奴の天眼の精度が良くないんだろう」

「はぁ〜ん? 西方地域あっちの英雄サマが実はろくでもない奴だった疑惑か? まぁ、西方地域シーファンの要職とかに治まってるっていうし、どっちにしろ、良い印象はねぇなぁ。それに比べたら、東方地域ウチとこの勇者サマの、くそ真面目なことよ」

「雲隠れした勇者の、どこが真面目なんだ?」

「十分真面目だろう? 名誉を盾に権威を振るわないで、大人しくしてるって辺り」

「権威を振るう必要がないからだろう? 冒険の途中で手に入れた宝を売り払って十分蓄えはあるだろうし、積み重ねた経験でどんな仕事にも就けるだろうし」

「まぁ、お前が言うなら、そうなんだろうな」

 ジェスターが目の前の青年を、困ったような顔で見つめ、苦笑いした。

「ま、魔女捜しはアテがあるみたいだし。俺はお前から連絡が来るのを待ってるわ」

「ああ、そうしてくれ。あと……そうだな、仲間の再集合はした方がいいか? いや、魔術絡みだから厄介だな。俺とお前だけの方がいいかもしれないな。それと……」

「ん? 他にもあるのか?」

 ジェスターが尋ねると、イオンが彼の居る側の手をかざし、魔方陣を描く。

「――これの解除術を探してくれ」

「ん? なんだぁ? ――ふむ。白魔術の封印術と、黒魔術の封印術……いや、違う。どちらかというと、これは魔族の封印術か? あとは――――ん? って、おい!?」

 魔方陣を受け取ったジェスターが中の記述を読解したのか、ひどく驚く。

「この術方陣は、魔力喰いの定式だろ!?」

 内容が内容だけに、途中まで大声だったのを急に萎ませてジェスターが聞き返した。

「未完の方陣なのに、見てすぐ分かるのか……俺は一週間くらいかかったのに」

「愚かな賢者ジェスターを舐めんなって。大方の外道の禁術は、未完だろうが書き掛けだろうが、大体すぐに予想が付く――――しかし、これは、大分弄っているな」

 魔方陣の記述を見ながら、ジェスターが独り言のように呟いた。

「まー、お前が懇意にしている奴に掛けられた呪いじゃあ、解いてやらにゃあ、可哀相だよな。まぁ任せろって。どうにかしてやる」

 ジェスターがさり気なく付け加えた言葉を聞いて、イオンが睨みつけた。

「お前なー。分かり易いんだよー。冒険の依頼なんかロクに受けなかった奴が、突然やる気満々で、しかも、こんな魔方陣解けとか言われたら、そりゃあ察しも付くってもんだろー」

 ジェスターがニヤニヤ笑って言うので、イオンはむっつり不機嫌に押し黙った。

「まぁまぁ、そんなにへそ曲げるなって――――にしても、ひどい式だな。術の気配を消すための記述をいくつも連ねて騙し討ちする気満々だ。これを構築した奴の下衆さが良く分かる。で、最後は魔力を命ごと奪って完遂ってところか。これ構築した奴、最低ヤローだな」

 たっぷりと皮肉と軽侮を込めてジェスターが笑った。

「……分かった。やってみる。なんなら、呪い返しの術方陣も追加で構築してやろうか?」

 請け負いつつも、ジェスターは冗談とも本気ともつかないことを言い出す。

「いや、そこまではいい。この方陣を組んだ奴は、何人も喰っている可能性がある。それが分かり次第、俺か討つかもしれない」

「穏やかじゃないな……んあぁ、祭助のあいつが喰ってるのなら、その上もやってそうだな」

 ジェスターが笑いながら、しかしその目は笑わずに呟いた。

「しっかし、きな臭いどころか、真っ黒な依頼だな……お? そろそろ分かれ道だ」

 イオンの住む森と、ジェスターの住処へ向かう道と、分かれた場所に差し掛かった。

「じゃ、またな。美人のエルフ女中さんに宜しくなー……あー、そうだ」

 突然声を上げたので、イオンがジェスターの方を振り向いた。

「あの女中さん、もしかして黒エルフスヴァルトアールヴなのか?」

「……なんだ、それは?」

 聞いたことがない言葉でイオンが首を傾げる。

「ハイエルフと魔族の混血で、生まれながらの賢者だ。現れるのが稀なんだが、外観の特徴がそれっぽかったからな。出現することなんかまずないし……さすがに違うか」

「いや……多分、そうだと思う」

 ジェスターが感心したような意外そうな表情で眉を上げ、「なるほど」と呟いた。


◇ ◇ ◇


 ノーチェには余裕を持って三日と言ったが、イオンは次の日には自宅に帰ってきた。

 ヨーマの街の用件が早く終わったのもあるが、街に長居したくなかったというのが本音だ。

 ウニコから鞍や手綱を外し、森へ放してやってから、イオンが小屋の中に入る。

 そこで彼の目に飛び込んできたのは、何やら糸を巻き取っているノーチェの姿だった。

「お帰りなさい……」

 ノーチェが糸を巻き取りながら声を上げた。心なしか声が沈んでいる。

「ただいま……あれ? 何か、作ってるの?」

「ちょっとした小物を作りたくて……すぐにお夕飯の準備をしますね」

「いや? それより、まだ早いんじゃないの?」

 夕飯の準備と言っても、今の時間は十四時くらい、まだ昼を過ぎて少し経った程度だ。

「あ……では、お茶を出しますね」

 ノーチェが慌てて釜土の方に向かう。薬缶に水を汲み、釜の上に置き、薪を追加した。

 様子が変だな。イオンはそう思いながら彼女の後ろ姿を見つめた。

 イオンが椅子に座ると、椅子の横には湯が張った桶があって、繭が浮かんでいる。

「もしかして、魔蚕から糸を取ってるの?」

 イオンが尋ねると、間を置いてからノーチェが「あ? ええ」と答えた。

 彼女の様子を不思議に思いながらも、イオンは魔蚕と糸巻きをじっと眺める。

「そういえば、エルフ族は魔蚕から糸を取り、布や編み物を作るらしいね」

 魔力を帯びたそれはエルフの絹と呼ばれ、人間とエルフの間での重要な交易品だ。

「そうですね……」

 どこか、上の空だ。イオンは少しばかり心配になったが――ふと、糸巻きが目に入る。

 それは、太い棒にただ巻き付けているだけの、とても簡単な糸巻きだった。

「……それ、ちょっと巻き取りにくくない?」

「そう、かしら? 十分出来ますよ?」

「いや……ちょっと待ってて」

 イオンは仕事道具の中から、鑿や槌など、木を加工する道具を幾ばくか取り出す。

 ノーチェが訝しく見守っている中、イオンは外から乾ききった大きめの薪を取ってきた。

 それを、適当な大きさに切ったり削ったりし、ああでもないこうでもないと考え、そして、箱に棒を通してぐるぐる回すものを作ってみた。

「はい。簡単だけど、巻き取り器」

「あ……ありがとう」

 出来上がった簡易の巻き取り器を見て、呆けていたノーチェが辛うじてお礼を言った。

 イオンは木くずや道具を片付けながら「今度、ちゃんとした糸車を作るよ」と言った。

「え? そこまでは……これで十分です。ありがとう」

 イオンの提案をノーチェが遠慮しつつ、再び礼を言い、それから釜土に向かう。

「……なぁ、ノーチェ」

 振り向かず、薪に火が燃え移るのを見ながら「何ですか?」とノーチェが返事した。

「――封印を、解きたい?」

 まるで確認するように、イオンが尋ねた。ノーチェが立ち上がり、彼の方を見た。

「何を突然?」

「背中の封印、解きたいかって、尋ねてるんだよ」

 ノーチェは真っ直ぐ見つめてくるイオンから一旦、視線を外す。

 しばらく考え込んだように黙り込み、それから口を開いた。

「解きたいけれど……良いですよ、別に」

「もし、それが可能だとしたら?」

 ノーチェが視線を上げた。イオンは真っ直ぐ見つめたままだ。

「別に……良いですよ。恐らく、解けないでしょうから」

「何故、そう言い切る」

「あの印はかなり高度ですよ? それに簡単に解けたら、私はここでこうしていない」

 そこまで言ってから、はっと息を呑んでノーチェは口を噤む。

「……それも、そうだな」

 イオンが不機嫌そうに目を逸らし、黙り込んだ。


 いけない――言い過ぎた。

 ノーチェは場を誤魔化すように、湧いた薬缶に野草茶を入れて煮出す。その間に、黙り込んだイオンをチラチラと盗み見するが、彼はあらぬ方を向いているので顔が見えない。

 つい口が滑った。恐らく、自分は不安に駆られて焦っていたのだろう。

 でも、本当のことだ。封印が簡単に解けるものなら、とっくに解いていた。

 当然、ノーチェは奴隷商に捕まったりしないし、二束三文の値段で売られたりしなかった。

 それに、人に頼りたくないというのがある。背中の印を確認してから改めてそう思った。

 全ては自分自身の責任で、例え無力であろうと、こんなもの、人に委ねられない。

 茶碗に煮立てた茶を注ぎ、イオンの前に置いた。

 不機嫌そうにしていたイオンが、チラリと彼女の方を見て、すぐに目を逸らした。

「少しは、手伝わせて欲しいんだけどな……」

 気を悪くしたのを隠そうとせず、イオンはあらぬ方を向いた。

「まあいいけど。勝手にやるから」

 捨て台詞のようにボソリと呟いて、そのままイオンは黙った。

 今まで聞いたことがないような、ふて腐れた子供っぽい言い様だ。

 ノーチェが驚いてイオンの方を振り向いた。

 彼は明後日の方向を向いている。とても話が出来るような感じではない。

「私も、余計なことを言い過ぎたわ。気を悪くしたのなら……その、ごめんなさい」

 それを聞いたイオンが椅子から立ち上がって彼女の側に寄ってきて、頬に手を伸ばした。

 何かされるかと思い、ノーチェが身構えると、イオンが頬を撫で、溜息を吐いた。

「……ごめん。俺の方こそ、大人気なかった」

 イオンの方も謝ってきた。ノーチェが目を瞬かせる。

「あまり触れられたくないようなことを、俺が裏で勝手にこそこそ探るのも悪いかなって……それで尋ねてみたんだけど。袖にされたからって、機嫌悪くするのも、大人気(おとなげ)ないよな」

 イオンがばつが悪そうに笑いながら言った。

 その困ったような笑顔がノーチェの心に妙に引っかかり、咄嗟に自分の頬を包んでいる彼の手を掴んだ。イオンが眉を上げ、「ん?」と、掴まれた自分の手を不思議そうに見る。

「……えっと」

 手を掴んだのは良いが、ノーチェは何かを言おうとして、詰まってしまった。

 思わず手を掴んだのは良いが、何も考えてなかった。ノーチェは必死に考えを巡らせた。

 イオンが出掛けていったのは――やはりノーチェのことに関してなのだろう。

 具体的にどんなことをしに行ったのか分からないが、イオンが封印のことを口にしたあたり、彼女に掛けられた呪いをどうにかするために〝何か〟をしに行ったと思って、間違いない。

 そうノーチェが考えたところで、今まで判然としなかったある疑問を思い出す。

「――こんなに面倒な私なのに、そんなに気に掛けてくれるんですか?」

 イオンが「うっ」と呻き、及び腰になって後退ろうとする。

 質問から逃げようとしている!? すかさずノーチェが詰め寄るように、イオンの腕を掴んで抱え込んだ。大きい胸を彼の腕に押し付け、さらに足まで使って腕を抑え込む。

「ちょ……! 胸!! 足っ!! 当たってる当たってる!!」

「わかってます、そんなの。大体、私のことをすごく気に掛けているのは分かるんです。それはもう、痛いほど。私も不慣れなので、あなたが多少の遠慮をしているのも分かります。でも、なんだか色々よく分かりません。その辺り、教えて欲しいんです!」

 ぎゅうぎゅう身体を押し付けながら、ノーチェが迫る。

 イオンの謎の気遣い。それと謎の忍耐も。理由がどうしても知りたい。

「……っ!! こ、答えたくない! 特に今は、絶対に答えたくない!!」

 凄まじいほどの慌て振りで、イオンが回答を全力拒否する。

「どうして? 答えても減るものでもないでしょう?」

「というか、何でそんなに迫るの!? そんなに色々したいの!?」

「違いますっ! あなたが煮え切らないからですっ!!」

「いいよ! ヘタレとでも何とでも思ってくれて良いから! 離してよ!」

「いいえ、離しません! 私の頑張りが足らないのも分かりますけど…――きゃあ!?」

 話の途中でイオンがいきなりノーチェを担ぎ上げた。

「ちょ……! イオン!?」

 そのまま俵担ぎに彼女の部屋の寝台へトスンと置いて、イオンが覆い被さる。

 イオンに見下ろされ、ノーチェが冷や汗を掻く——イオンが溜息を吐いた。

「結構、怖がっているよね?」

「平気ですよ、何を言っているんですか?」

「いいよ、無理しなくても」

 イオンが離れ、立ち上がる。ノーチェが「あの……」と声を掛けた。

 首を振ってイオンは彼女の頬を子供をあやすように撫で、それから部屋を出て行った。

「そのまま構わず、好きなようにすれば、いいのに……」

 ノーチェが彼の去って行った扉を見つめ、呟いた。


 夜遅く、ノーチェは再び魔蚕の糸の加工を開始する。

 イオンはイオンで何かやっているのか、魔具の保管庫と外を行ったり来たりしている。

 昼に、何だか色々上手くいかなくて、ノーチェは意気消沈気味だった。

 それにしても――

「疲れる……」

 ノーチェが額の汗を拭う。

 気のせいか、今日、イオンが帰ってきてから、とても疲れるし、よく冷や汗を掻く。

「どうしてかしら? 苛々し過ぎたかな?」

 糸を繭から引っ張り出しながら、後で自分の体調をじっくり確認しようと考えたその時。

 ノーチェの背中からジクリ、と何かが蠢く感触がし、その瞬間、直感が危険を訴える。

 慌ててノーチェは姿見の前まで行き、背中を確認した。

「術印が……励起、している?」

 背中の印紋の一つが、動き出しているのが見て取れた。

「しかも、魔力喰いの方が……」

 ノーチェは顔を青くして、捲し上げた服を直ぐさま着た。

「イオンと関係があるの? イオンが私を……いえ、そんな感じには見えない」

 イオンが出掛けて帰ってくるのと同時に、術印が動き出した。

 でも、彼に陥れようという意思は見えない、見えないのだが。

「何か……何かが、関係があるかもしれないけど」

 イオンの行動と、術印の励起に、何らかの関係性がある。恐らくはそう。

 ただ、なんの関係があるのか、ノーチェには分からない。

 分からないのなら分からないで、今、現状で出来うることを、しておいた方が良い。

「……急いだ方が、いいわね」

 動揺を感じながらも、ノーチェは急いで魔蚕の加工を進める。

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