第三章 隠者と消えた勇者

第三章・その1 昔馴染みから再び

西には英雄が、東には勇者がいる。


 西方地域シーファンの英雄は貴族の出身で、極西南アンタラクティスから北上してくる魔王を倒した。

 その後、彼を謀ろうとした魔女を封印し、功績を称えられ、救世主セイバーの称号を与えられた。

 彼は元よりあった領地に更なる領地を加えられ、大領主となった。西方地域シーファンの誰もが彼の功績と権威を、羨望の眼差しで見ていた。今や彼とその仲間たちは国の要職に就いている。

 東方地域オリエンスの勇者は騎士出身で、極東北ノルドヘイムから南下してくる魔王を撃破した。

 ここ数百年間、東方地域オリエンスの勇者は魔王を倒し切れなかった。その中での快挙だった。

 魔王の酔狂な侵攻で幾度となく蹂躙されていた東方地域オリエンスでは、この勇者の快挙にお祭り騒ぎとなった。そして東方地域オリエンスの領主たちはこぞって彼の栄誉を称えた。

 だがある日、勇者の行方がぷっつりと途絶えた。

 南の山岳地帯にいるとか、北の魔獣が闊歩する森にいるとか。色々噂されている。

 どこも人が近寄らない危険な場所で、噂が本当なのか、誰も確かめられなかった。

 今、東の勇者の行方は、誰も知らない。


 イオンはヨーマの温泉街から早めに切り上げて、森の中の自宅へ帰ってきた。

 本当はもう少し長く湯治したかったが、祭助ディアコノスみたいな奴が街の神殿に居座っているせいで、ノーチェがどこか落ち着かず、やはり無理をさせられないので結局早めに切り上げた。

 そもそも彼女のためにあの街まで出掛けたのに、祭助ディアコノスは邪魔も良い所だ。

 そして、イオンとノーチェの二人が自宅に帰ってきて落ち着いた頃合いだった。

 冒険者組合ギルドからの依頼の仲介役を頼んでいる、昔馴染みのジェスターから連絡が来た。


〔はぁ? 段位八十九の魔導剣士フォンシー・ソルダートだぁ? 何、空言ぶっこいてやがんだよ〕

 腐れ坊主のジェスターが鋭く指摘してきた。

 イオンにとっては世間話のつもりだったが、そうではなかったらしい。

「……魔導剣士は嘘じゃない」

〔そうと言えなくもない、だろ? でも段位八十九はかんっぜんに大ボラだろうが〕

 ジェスターが反論するイオンに、異論を唱えた。

 一緒に冒険をしていた頃から遠慮がなかったが、ジェスターは本当に遠慮がない。

〔しっかし、何でまた八十九なんて半端な数なんだよ。数の根拠が知りたいぞ、俺は〕

「半端だから真実味があるかと思ったんだよ……」

 ジェスターは〔確かに一理あるけどな〕と苦笑する。

〔しっかし、お前。あの綺麗なおねえさんにめちゃくちゃ弱いな!〕

 イオンが完全につむじを曲げた表情で魔水晶に映る昔馴染みを睨んだ。

 そこでふと、イオンが魔水晶に向き直る。

「……なぁ、ジェスター。少し、調べて欲しいことがあるんだが」

〔あ、依頼か? ふうん、良いけど。なんだ?〕

「西の英雄の仲間だった司祭と、従者だった聖職者で祭助ディアコノスのことなんだが」

〔西の英雄の一行の、司祭の従者、祭助ディアコノス? もしかして、ブルグルか?〕

 魔水晶の向こうでジェスターの様子が変わり、イオンは怪訝になる。

「知ってるのか?」

〔知ってるもなにも。今日、連絡したのはこの前のアレ。西方地域シーファン組合ギルド経由で東方地域こっち組合ギルドに来た『依頼のために直接会いたい』っていう案件。あれのことを調べた結果を知らせるためだよ。でだ。その祭助ディアコノスのブルグルがな……〕

「……まさか、交渉相手として東方地域オリエンスに派遣されてきた奴なのか?」

〔ご名答。で、そのブルグルが、一体どうしたっていうんだ?〕

「御輿に担がれてヨーマの街を練り歩いているところを、出くわした」

〔ヨーマに来てたのは知ってたんだが……というか、御輿で練り歩くって。そりゃまた、随分頭の悪い待遇を求めたもんだな……で、どうだった?〕

「何人か喰った魔力喰いマギア・グールだったから、周りの取り巻きどもを蹴倒して、脅迫してやった」

〔おいおい……〕

 ジェスターが呆れた顔で魔水晶越しにイオンを見た。

〔つーか、うわさ通り、西方地域シーファン祭助ディアコノス魔力喰いマギア・グールだったのかよ……最悪だな。この依頼、きな臭いどころか真っ黒な予感しかしねぇ〕

 イオンが目を細めて「うわさ?」と聞き返した。

〔いやな? 西方地域シーファンの聖職者見習いの登用試験で、こいつは受かるだろうっていう魔力の持ち主が、やたら落ちることが多くてな? で、落ちた奴に限って、行方知れずになることが増えて。『腐れ坊主の誰かが、試験でわざわざ落として喰ってるんじゃないか?』ってな〕

 水晶の中のジェスターが〔はぁ〜〜〜〕と大きく息を吐いた。

〔当然、神殿の連中は否定したよ。『根も葉もない噂を立てるな!』ってな。お触れまで出して、言った奴を捕まえたりしてなぁ。……で、実際にそうだったと〕

 冗談めかしているようで、ジェスターから嫌悪感が滲み出ている。

「そうか、わかった――じゃあ、決まりだな」

〔決まり?〕

 イオンの何らかの決断に、魔水晶の向こうにいる男が首をひねる。

「その呼び出し、引き受ける」

 イオンの宣言に、ジェスターが感心した顔をした。

〔意外だな。最後まで面倒臭がると思ってたが……何かあったのか?〕

「いや、別に。単に気が向いただけだ」

〔んまぁ、やる気がある時に動くのは、悪くねぇ。だがイオン。さっき、交渉相手パシリ祭助ディアコノスを蹴倒して脅迫したとか、言ってなかったか?〕

「……そういえば、そうだった」

 自分がやったことをさっそく忘れたイオンに、呆れてジェスターが長い溜息を吐いた。

「まぁ、多少姿を変えて行く」

〔相変わらず適当だな。まぁ良いが……で? 祭助ディアコノスのことを調べればいいのか?〕

「いや……むしろ、そいつの後ろ盾の方を調べて欲しい。それと、もしかしたら、またお前と組んで戦うかもしれない。準備しておいてくれ」

〔へぇ。珍しくやる気満々だな……どうした?〕

 ジェスターが興味津々な様子で尋ねたが、イオンは「色々ある」としか答えなかった。

〔へぇ、そうか。ところで、イオン〕

「なんだ?」

〔お前、あのお姉さんと、しっぽりやってたりすんの?〕

 突然の発言に、イオンは前のめりになった。大量の汗が出る。

 ノーチェとはまだ何もない。いや、何も、というのは不適切か。

 精々、お風呂の中で、裸で抱き合っただけだ——駄目だ。既に色々進行している。

 露天風呂で見たノーチェの裸体が、イオンの頭に浮かんでくる。

 直に触れた肌の感触は、とても気持ちよくて……

「ない! なにもない! 女中さんだ!」

 思い出しかけた色々をひっくるめて、イオンは全力で否定する。

 むしろ、それが必死過ぎたせいか、ジェスターが〔ふーん〕と、胡乱そうに呟く。

〔結構、進行してるみたいだなぁ〜。いいこった。まぁ、淡泊なフリだけしてたお前にゃあ、ちょうど良い。そのまま結婚しちまえよ〕

「最後の一言は、余計だ!」

〔おっと! そうか。そりゃ、すまなかった〕

 魔水晶に映るジェスターは一応、詫びる。誠意の欠片も感じないが。

〔ま、いいさ。とりあえず、西の神殿の連中は調べておいてやるから、安心しろよ〕

 そう言って、ジェスターは魔水晶から消えた。

「本当に、もう……」

 何も映ってない水晶を見つめながら、イオンがぼやいた。


◇ ◇ ◇


 秋も半ばのこの時期、樫とオークに実が成る。つまり、どんぐりが沢山取れる。

 ヨーマの温泉街から森へ帰ってきてから、ノーチェはどんぐりを籠にいくつも採取した。

「ここのどんぐりは、あく抜きが、辛いのよね」

 ノーチェは井戸端で、イオンから借りた金切り鋏でどんぐりの皮を剥きながらぼやいた。

「栗がもっとあればいいのに……敵が多過ぎるのよ」

 そう。栗が一番、食味が良く、下ごしらえも楽なのだが、争奪戦があるので厄介だ。

 特に魔栗鼠と魔熊とは、熾烈な争奪戦がある。ノーチェは気配を完全に消し、魔獣たちと並んで次から次へと栗を拾い上げた。結果、栗の争奪戦の最大勝者は彼女だった。

「でも、落ちてる栗は拾い尽くしちゃって、もうないし……仕方ないわ」

 そうなると、次の標的に移る。それが、どんぐりだった。

 これも魔獣たちとの争奪戦があるが、栗ほど酷くない。

「植生が違うのは分かっていたけれど。本当この森は水楢ミズナラのどんぐりばかりね」

 籠にいっぱいのどんぐりと、皮を剥いた後のどんぐりを見て、ノーチェが溜息する。

 栗ほど争奪戦が酷くないのはこの森には水楢ミズナラが多いのが原因だ。アクが強い。魔獣類には栗より不人気だ。ノーチェはアクを抜くので問題ない。いや、問題はあるが。

 結局、最初の愚痴に戻る。そう、「あく抜き作業が辛い」だ。

 彼女はハイエルフの血統だ。彼女は南方地帯ユークの大森林で生まれ育った。

 南方地帯ユークは温かい。植生が温帯か亜熱帯だ。そして、南方地帯ユークの大森林では馬手樫(マテガシ)などのアクが殆どないどんぐりが多い。しかし、亜寒地帯のこの森は、渋い水楢だ。

「ちょっと面倒ね……北に住む人たちダークエルフの知恵が欲しいところ」

 ダークエルフならもっと効率の良いやり方を、知っているかもしれない。

「でも、イオンに、おやつになるような気の利いた食材の採取を求めるのは……無理」

 面倒でもやらないと、食卓が全て狩猟肉祭になってしまう。

 もっとも、彼女に不評な水楢でも、イオンが言うには「酒蔵所で人気なんだよ」らしい。

 ノーチェは知らなかったが、東方地域オリエンス特産の東方蒸留酒オリエンタル・ウィスキーの独特の芳香と味わいは、水楢のおかげだそうだ。これを樽に使うことで、有名な沈香アグルや白檀のサンダル・ウッドの香りを醸し出す。

「商工組合ギルド経由で来る材木屋や酒蔵の依頼で、水楢の木材を切り出すことがあるんだよね」

 イオンが困ったように言っていた。

「どんぐりとしては残念な水楢も、木材としては価値がある、か……」

 ノーチェとしては何とも悩ましい話だった。


 そんなわけでノーチェは森に帰ってきて、女中の日常に戻っていた。

 せっかくイオンに連れて行ってもらった湯治は、どこか未消化な感じで終わった。

「最初、街で温泉に浸かる以外、何かしたい欲求はないと思ってたんだけどな……」

 どうやら自分は、イオンと一緒に街の中を見物して回りたかったみたいだ。

 それが何の因果か、西の司教の腰巾着、祭助ディアコノスのブルグルがヨーマの温泉街にいた。

 イオンが蹴倒した挙げ句、恫喝したのでどうにかなった。小心者のブルグルなら恫喝で大人しくなるというのは、ノーチェも分かっていた。だが、やはり落ち着かなかった。

 ブルグルと遭遇した次の日、イオンと一緒にヨーマの街中へ買い物に出た。

 しかし、どうしてもノーチェは警戒してしまう。それでずっとピリピリしていた。

 そんな彼女の様子を感じ取ったイオンが「早めに切り上げようか」などと言い出した。

 もちろん、ノーチェは「大丈夫です」と言ったが、イオンは聞かなかった。

 確かにノーチェは落ち着きがなかったが、街の探索は楽しみにしていたのだ。

「でも、そんなに強張って散策しても、辛いでしょ?」

 そうイオンに窘められた。そして、次の日には森の中の自宅へと帰ってきた。

 それでもイオンは一応、物産店には寄ってくれた。そしてそこで、気になる食材を見つけた。かの有名な、干した魚肉に黴付けして熟成させた、乾酪チーズのような堅魚というものだ。

 ノーチェは直ぐにせがんだ。イオンは「なぜ、そんなものに?」という顔をした。

「どこにでもあるだろ? ほら、具乗せパンケーキオリエンス・ピザの上にだって削ってかけてあるし」

「でも、台所には置いてなかったですよ」

 抜けた声でイオンは「あれ? 切らしてた?」と言った。

 イオンは分かっていない。あれは、東方地域オリエンス以外では手に入りにくい高級食材だ。

 でも、東方地域オリエンスではありきたりの食材のようで、切らしていても、気付かない。

「あの人はもうちょっと自分の住んでいる地域のことを知るべきだわ」

 色々見たかった。そう、ブルグルさえ居なかったら見て回れた。それに、イオンだって早々に切り上げたくはなかったはずだ。ブルグルの——いや、ノーチェの余計な事情のせいだ。


「何か、埋め合わせ……やっぱり私を? ……いえ」

 イオンは「また今度」と言っていたわりに、再戦する気配がない。

 ノーチェは覚悟を決めているのだが、イオンは据え膳を全く食べようとしない。

「覚悟が足らないかしら? いいえ。私のがんばりが、今ひとつなんだわ……」

 せっかくイオンがその気になったのに、その気分を削ぐとは、情けない。

「まだまだ駄目ね……イオンには美味しいご飯でも作ってあげた方が、喜びそう」

 ご飯は美味しいと言ってくれた。でも、彼にしてあげられることは、やはり少ない。

 そんな自分が情けなく、どんぐりの皮を剥きながらノーチェが肩を落とした。


「今日のは早く終わったなぁ……いや、早く終わる仕事だったんだけど」

 枝の固まりを地駄曳きするウニコの後ろを、イオンが着いていく。

 今日は枝打ち作業のみだったので、早く終わった。

 というより、イオンの場合、枝打ち作業が普通の木こりより、十倍速い。

 縄など使わず、素早く木に登り――登っているというより、実際は跳んで跳ねて駆け上がっているのだが、それで成長阻害している不要な枝を鉈で切り落とす。

「羊羹のように枝を切れる、ミスリルの鉈!」

 イオンは切り落とした枝を見ながら惚れ惚れと自分の鉈をかざす。これは特注の鉈だ。

 そうして一時間も経たない間に、狙いを定めた樹木の枝打ち作業を完了。

 落とした枝は、一角獣のウニコに手伝ってもらって拾い集めた。

 これもウニコの馬力とイオンの脚力に物を言わせた蹴り技で、あっという間に枝を一カ所に集め、曳き縄に結んで、半時ほどで馬搬準備完了。全行程にかかった時間は一時半。

 それを薪にするために小屋まで持ち帰ろうと、意気揚々、イオンは帰宅の途につく。

 途中で先日見た魔熊と遭遇したが、イオンの顔を見た途端、脱兎の如く逃げ出した。

「狩らないって……」

 逃げ去る熊に向かって、溜息混じりにイオンが呟いた。


 ノーチェが薪割り台の側でどんぐりをすり潰していると、イオンが帰ってきた。

「あ、お帰りなさい。早いのですね」

「一番得意で早く終わる仕事だったから……って、それ何?」

「どんぐり粉ですよ?」

「へぇ……食べられるんだ。いや、食べられるか。面倒臭いだけで」

 イオンは枝打ちした枝の束と曳き縄を外し、ウニコから手綱を解いた。

「ウニコ、お疲れ。何か甘いものでも探してきな」

 イオンは愛馬の頭を撫で、尻を押した。

 ウニコは鼻を鳴らして返事をし、木苺を探すため、てくてくと森の中に入って行った。

「さてと。切るか」

 イオンは腰にぶら下げていた鉈を手に持った。

 枝打ちした束を放り投げては宙で適度な大きさになるよう、さくさくと切る。揶揄でなく、彼の鉈は木の枝を柔らかい物のようにさくさく切れるのだ。それに凄い動きだ。一回の振りで複数切っている。そして、切り落とした木片を彼は次から次へと蹴って積み上げていく。

 どんぐりをすり潰していたノーチェは暫し手を止め、それをぼうっとして見る。

「すごい動き……それに、その鉈、良く切れますね」

「羊羹のように木が切れるミスリルの鉈! ……良いだろう?」

 普通、ミスリル銀で鉈なんて作らない。ノーチェはそう思った。でも、イオンが自慢そうに言うので水を差してはいけないと、一応、頷いておいた。

「――よし! 切るの終了!」

 イオンが鉈を腰に戻す。切った枝が薪置き場に綺麗に積まれている。

「あとは雨よけに屋根で覆って、乾燥するのを待つだけだ」

「半年後ですね、薪に使えるのは」

 そう言いつつ、ノーチェもどんぐりを潰し終え、それを大鍋に入れた。

 アクを抜くために水と灰を混ぜ合わせ、野外のかまどに火を熾して煮始める。

「ああそうだ、ノーチェ。明日から三日くらい出掛けるから――留守番頼める?」

 仕事が終わったイオンが突然、ノーチェの方を向き直って言った。

「……別に良いですけれど。お仕事?」

「ん……まぁね」

 歯切れが悪い。あまり答えたくないのだろうか? 例えば冒険組合ギルドの仕事とか。

 何となくだが、尋ねても、イオンは完全に答えてくれない気がした。

 そう思ったノーチェは怪訝になりながらも「わかりました」と了承した。

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