第二章・その2 人喰いの聖職者


 ノーチェに服を買い与えたイオンは、夕飯を外で取ろうと街の中を歩いていた。

 隣を歩くノーチェをちらちらと盗み見しながら、イオンが何度目かの溜息を吐いた。

 頭巾フードから大きめの被り物ショールに変えたノーチェは、相変わらず顔を隠している。

 しかしその姿は、以前と見違えるようだった。

 やはり美人に良い服を着せたら更に良い。それを改めて感じたわけだが、しかし。

 体付きが、イオンにとって予想以上というか、予想外というか。

 特に、胸と腰あたり。いや、足も――と考えかけて、イオンが頭を振る。

 ――やってくれたな、あいつ。

 イオンが心の中で悪態をつく。それもこれも、昔馴染みのメイアンのせいだ。

 奴はイオンの好みを相当あざとく狙ってノーチェの服を選んだ。

 とはいえ、実はそんなに悪い気はしていないのも事実で、そこもまた、腹が立つ。

 メイアンは悪い奴ではないが、分かってこういう悪戯をしてくる。困った奴だ。

 と、そこへ不意に隣を歩くノーチェが腕を掴んできた。

「凄い顔をしてますよ? 機嫌が、悪いのですか?」

「いや。全く! 美人と歩いて、すごく緊張して!」

 普段は使わない言葉が漏れて、イオンが慌てて口を噤む。

 彼女に腕をつかまれ、少し、動揺している。いや、少しどころではない。完全にテンパって、動揺が顔と態度と発言に出ている。落ち着け——気を取り直し、イオンは微苦笑する。

「俺、女の人と歩くことなんか、全然なくてさ」

「そうなのですか……」

 ノーチェはその言葉に納得したのかどうかわからないが、そう呟く。

 そして、掴んでいたイオンの腕から自分の手を――離さなかった。

 あれ? と、イオンが疑問に思っていると、ノーチェが隣でモジモジとしている。

「あの、服ですけれど。ありがとうございました」

 とても小声で礼を言われ、「ああ、いいよ」と、軽い口調でイオンが返した。

「私、魔法も使えないですし。そんなにたいしたことも出来ないのに、こんなものを頂いて、良いのかなって、思いますけれど……」

 付け加えて言った謙遜ともお礼ともつかない言葉に、イオンがふと立ち止まる。

「いや。魔法は最初から期待していないんだ。それよりも、思っていたよりもずっとちゃんと仕事をするし、色々と嬉しい誤算があったから、俺は役得だな」

 彼女はイオンがやらないようなことをしてくれる。例えば、ジャムやクッキーとか。

 それをさり気なくしてくれるのは有り難い。

 しかし、当の本人は今一つピンと来ないのか、「そうなんですか?」と尋ね返す。

「そうだよ。それに、すぐに嫌になって出て行くかなって思っていたから」

「出て行くって。そういえば、こないだも同じこと言ってましたね。どうしてですか?」

 ノーチェが眉を寄せる。彼女に『出て行く』という発想はなかったようだ。

 彼女が森から出ていったと勘違いした日のことを思い出して、イオンが苦笑いした。

 あれは焦ったし、すごくがっかりした。

「いや、なんというか、本当に……」

 そうイオンが言いかけた所で、彼は妙な気配を感じた。

 道が混み合って、ざわざわと道行く人たちが囁き合う――周りの様子がおかしい。

 ノーチェの方も異変に気付いたのか、掴んでいる彼の腕を、更に強く掴む。


「――らしいぜ。ご一行様の中の一人の、さらに腰巾着」

「おまけもおまけだろう、それ……」

 人々のささやき声は途切れ途切れで聞き取り辛い。だが好感のない声だ。

「来たぜ。西方地域シーファンの権威、魔王退治のご一行様……のさらに腰巾着。祭助ディアコノス

 聖職者クレリックらしき者が、お輿こしに揺られてのしのしとやって来た。

 ご立派、という言葉がよく似合う。

 お輿の上に乗っているのは、背が低く、どこか小憎らしげな顔つきの男だった。

「っげぇ……何だよあれ? 何様なの?」

 華美な装飾のお輿を、大勢の聖職者見習に担がせ、その上であぐらをかき、顎をしゃくり、人集りを見下すように眺めている。見るからに驕っているのがよくわかる表情だった。

「西の英雄の、ご一行だった司祭の、従者をしていた、とかなんとか……」

「それ。英雄の友達の、知り合いくらいじゃねぇの?」

「あれ……御輿担いでる聖職者見習い、うちの街の神殿の連中じゃん……」

「よそから着て、なんでそんなに貴賓VIP待遇なの?」

「さぁ……?」

 通行の邪魔だと言わんばかりに道行く人を押しのけながら伸し歩く。

 回りには西方地域シーファンの神殿付きの聖騎士テンプラーと思わしき者の何人かが、警護している。

 そんな彼らを遠巻きに見ている者たちは、あからさまに煙たがった表情をしていた。


 ――あいつは……。

 人集りの中で、ノーチェは被り物ショールで顔をさり気なく覆う。

 知っている。あいつは、西の司教の付き人だった――確か、ブルグルとかいう名だった。

 魔王退治には参加していないが、遠征から戻る度に、西の司教と英雄にへつらっていた。

 まさか、こんな所で会うとは思わなかった。

 厄日だ。昼に司教の噂を耳にしたばかりなのに、その取り巻きと鉢合わせるとは。

 続き過ぎる。これはもしかすると、司教の周りが積極的に活動しているのかもしれない。

 警戒しつつも、ノーチェは輿の上の男を慎重に観察する。

 随分と出世したものだ。西方地域シーファンからこんな遠い場所まで来て、貴賓待遇されるとは。

 恐らくそういう待遇を、東方地域こちらに求めたのだろうが、にしても奴の実績とそぐわない。

 それに祭助ディアコノスのブルグルは以前よりずっと魔力が上がっている気がする。

 奴は魔王討伐の一行にさえ加われないほど弱かったのに、何故? 

 ——それよりも、私の顔は、覚えていないといいけど。

 極力動揺しないように、そして自分が遠巻きの衆人の中に埋もれればと、願う。

魔力喰いマギア・グール……」

 魔力喰いマギア・グール? イオンの呟きに、ノーチェが反応する。

 魔術を扱う者なら、誰でも知っている、邪法で大罪だ。

 でも、何故? ノーチェは自分の顔を隠しつつイオンの顔を窺う。

 イオンは怒りと嫌悪感の滲む顔で、輿の上の男を睨んでいた。見たことがない表情だ。

「ノーチェ、ここから離れよう」

「えっ?」

「とにかく離れた方がいい」

 突然、イオンが険しい顔で呟く。

 彼女としても、一刻も早くここを離れた方が良いと思っていた。

 一方で、イオンの変わり様や、先ほどの〝魔力喰いマギア・グール〟の一言が、とても気になる。

 だが、やはり今は、ここから離れた方がいい。

 ノーチェは彼の方を向き、小さく頷く。

 二人して人混みをかき分け、路地裏の方へ入ろうとした時だった。

「邪魔だ、どけ!」

 人混みの中からノーチェの耳に野太い声が聞こえた。

 どうやら警備の聖騎士テンプラーか誰かが、通行人を押し払って道を空けているようだ。

「あっ……!」

 色々な人々に圧され、ノーチェの手がイオンから離れる。

 いきなり彼と引き離され、ノーチェは離れた腕を探し求めるように手を伸ばす。

 その時、彼女は誰だかわからない手に肩を強く押され、その場でふらつき、倒れそうになる。それを立て直そうとした瞬間、ノーチェの被り物ショールが頭からはらり、と外れた。

 長い耳と、金に銀色の混じった髪が顕わになる。

西方地域シーファン祭助ディアコノス様がお通りだ。警護の邪魔だ、退け――ん?」

 すぐ側に居たのは、西方地域の聖騎士テンプラーだった。そいつがじろりとノーチェを睨む。

 ――しまった! そう思ったが、遅かった。

 長い耳――圧倒的に人間が多い中で、エルフの特徴は否が応でも目立つ。

「なんだこいつ? エルフか? ……いや」

 聖騎士テンプラーはノーチェの姿を見て、違和感のある髪の色に怪訝な声を上げた。

「なんじゃ? もめごとかや?」

 上の方から声が響く。ノーチェが見上げると、お輿のブルグルが見下していた。

「もめごとはいかんぞよ……ん?」

 ノーチェを見て、怪訝な表情をし、そして何かに思い至ったのか、目を見開く。

「その顔……いやまさか、黄昏の魔女――!?」

 ブルグルの発した言葉で、警護をしていた聖騎士テンプラーたちがにわかに殺気立つ。

 見つかった!! ノーチェは自分の間の悪さと巡り合わせの悪さを呪いたくなった。

 しかも奴は、ノーチェの顔を覚えていた。最悪だ。

「捕らえろ! そやつは魔女じゃ!」

 祭助ディアコノスの叫びに、西方地域シーファンの聖騎士たちが一斉に躍りかかる。

 かけ声一つで即行動。良く訓練されている! 

 ノーチェは反射的に回避行動を取ろうとする。

 近接格闘はそんなに得意ではない。どこまで逃げ切れるか――

 ノーチェが覚悟を決めようとした瞬間だった。

 迫り来る聖騎士テンプラーが、目の前で吹っ飛ばされた。

 周りの人々がどよめいている。何が起こったのか、ノーチェにはまるで分からない。

「なんだ、貴様は!?」

 聖騎士の一人が叫んだ――イオンが蹴りの体勢で彼女の前に立っている。

「だから何だというんだ、貴様――――」

 イオンは叫びを無視し、聖騎士を何かで振り払った。聖騎士は高く飛ばされ、お輿の上へと落下、「ぷぎゃ!?」という声が上がり、ブルグルが落ちてきた聖騎士の下敷きになる。

 その衝撃で、輿を持っていた見習い聖職者たちは全員が勢い余って倒れ、お輿は垂直に落ち、ブルグルとその上に乗っていた聖騎士は、一緒になって道ばたに転がり落ちた。

 周りで見ていた衆人が、「おお……!」と感嘆の声を上げた。

 僅かな時間で二人、いや三人を伸したイオンを、息を呑んでノーチェは見ていた。

 イオンが冒険者をしていたのは聞いた。でもまさか、ここまで強いとは。

「貴様……!」

 もう一人残っていた聖騎士が彼に向かい突進してくる。

 それを見たイオンは、ノーチェを片腕で抱きかかえるように掴む。

 ノーチェが声を上げる暇もなく、イオンは一気に跳んだ。

 聖騎士の頭を踏み台にしつつ蹴倒し、地べたに転がっているブルグルの側へ着地した。

「お、おのれ、貴様! こんなことをして、無事でいると……!」

 側に立つイオンを、地に伏したまま祭助ディアコノスが憎々しげに見上げた。

「今、お前は俺たちを、知らない、見なかった。いいな? 〝魔力喰いマギア・グール〟」

 脅すように言い含めるイオンの、〝魔力喰いマギア・グール〟の言葉に、ブルグルは目を見開いた。

 脂汗を流し震える。まるで自分の罪が暴かれ、その罰に怯えているようだ。

「行こう」

 イオンが胸元のノーチェに言ってから、しっかりと彼女を掴み直す。

 通行人が見守る最中、イオンは建物の軒の上まで跳び乗った。

 あまりに軽い身のこなしに、見ていた衆人らはどよめきと感嘆の声を上げる。

 彼女を抱えたまま、次々とイオンは屋根の上を飛び移り、その場から消えた。

イオンはノーチェを抱えたまま、屋根の上を次々と移動する。

 適当に見繕った人気のない裏路地に降り、抱えていたノーチェを降ろした。

「……少し、派手に動き過ぎたか。まぁ脅しておいたから、跡は追わないだろう」

 そう呟くイオンの傍らで、ノーチェは居心地の悪そうな顔をしている。

「あの、気にしないんですか? その……」

「魔女とか言っていたな」

 ブルグルの言っていた言葉をイオンが口にした。ノーチェは沈んだ表情になる。

 彼女自身に魔女と呼ばれることをした憶えはない。ただ、他者の評価は分からない。

 先ほどイオンは自分を助けてくれたが、彼がどう思っているのか、とても気になる。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、イオンは煩わしげな表情をした。

「あんなのが言っていることなんて、信じるわけがない。大体、魔力喰い(マギア・グール)をしている時点で、咎人だろう? むしろ、よくあれで堂々と御輿に担がれたものだと」

「私のこと、何か疑ったりとかしないの?」

「魔女なら、とっくに女中仕事なんか放り出してるだろう? 魔具とか売っぱらってさ」

「そういえば。あれって高い値段が付きそうですね」

 今さら気付いて、ノーチェが納得したように手を叩く。

 彼女がそんなことを気にも留めていなかったせいなのか、イオンがぷっと吹き出した。

「偶然、道端で見かけただけの、御輿に担がれている悪人と、比べるわけないよ」

 笑ってそんなことを言われると、自分が悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。

 ノーチェもつられて少し笑い、そこでふと、疑問を思い出す。

「魔力喰い《マギア・グール》って、あなたはさっき言ってましたけど、あれは一体……?」

 魔力喰いマギア・グール——他者の魔力を奪い、自分の物にする禁術だ。

 魔力を奪われた者は同時に命を失う。命ごと魔力を奪うので、最も忌み嫌われる邪法だ。

 どこの国でも禁じられ、行った者は厳罰に処される。

「急になぜ? ブルグルがその魔力喰いマギア・グールの禁術を行ったとでも……?」

 ブルグルの魔力が不自然に上がっていたのはノーチェも気付いたが、完遂後の魔術、この場合、魔力喰いマギア・グールの禁術で人の魔力を喰った後というのは、さすがに彼女にも分からない。

「ああ、それ……」

 イオンが胡乱そうに声を上げた。ノーチェが訝って目を細めた。

「人より目利きなんだ」

「目利きって……」

 あまりに気安く言うので、ノーチェが驚く。

「いくら目利きでも、普通は完遂後の魔術なんて分から……あっ!」

 ノーチェの頭に、彼の言う目利きの心当たりが浮かぶ。

「もしかして〝心眼〟を持っているのですか?」

 勇者や英雄の〝天眼〟に似た能力だ。天眼ほどではないが、魔力の性質を見極められる。

 だがイオンは、曖昧な笑みを浮かべて「うーん」と唸っている。

「まぁ、近いかな? そんな感じ……」

 不得要領な返事だ。尋ねたこちらが納得出来る答えではない。

 イオンは何か隠している気がする。そう、ノーチェは思った。

 でも、人のことは言えない。彼女も色々と隠している。イオンが助けてくれたのは嬉しいし、彼のことはそれなりに信頼している。でも、ノーチェも命が掛かっている。

 迂闊に打ち明けたことで、それが命取りの原因になったりすることもあるのだ。

 なので、あまり踏み込んで聞かない。それが、お互いの為だ。

「でも、強かったですね。あんなに強いなんて、思わなかった」

 話題を変えるように、ノーチェは尋ねた。

 先ほど見せた強さからして、イオンはかなりの手練れの冒険者だ。

「うん。まぁ、そこそこ。でもあいつ、確かに魔力喰いマギア・グールだよ。何人か喰ってる。いっそ暴いて、どこかに突き出してやろうかって思ったけど……西方地域シーファンの高位の聖職者みたいだったから、あれは、関わると、厄介そうだなって」

 相当煩わしかったのか、イオンが機嫌の悪さを隠そうともせずにそう言った。

 人の魔力を命ごと喰って、あれだけ厚顔でいれば、確かに見ていて不愉快だ。

 しかし。ノーチェがあんな奴に狙われたことを気にもせずに助けた。それで、〝魔女〟と呼ばれたことさえ、あっさり切って捨てた。イオンがどんな素性の人なのかは知らないし、詳しく聞くつもりはないが、そんな彼を見ていると、ノーチェはつくづく思う。

「あなたって、変な人ですね」

「ん? そうかな? そうかもしれない」

 うっかり口に出た言葉だったが、イオンは上の空の表情でそう答えた。

 本当に変な人だ。素性の怪しい自分を雇ったり、服を買ってくれたり、凄く強かったり。

 ノーチェがまじまじとイオンの顔を見つめる。

「な……何?」

 イオンがたじろぐ。さっき見せた強さとは打って変わった、頼りなさだ。

「やっぱり、変な人」

 ノーチェが再び呟いた。

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