第二章 エルフと黄昏の魔女

第二章・その1 エルフは街までやってきた


 イオンの愛馬のウニコは足が早く、しかも疲れ知らずだった。途中で一回、小川のほとりで水を飲んだだけで、早い調子で進み続ける。普通の馬ならもう少し休憩を加えている所だ。

 日が暮れかけた頃には温泉の街であるヨーマまで辿り着いた。

「大きい街……」

 ウニコの曳く荷車に揺られながら、頭巾フードの下からノーチェは街を見回す。

 東方地域オリエンスは世界的に見て、温泉が多い。恐らく火山地帯が多いからだろう。

 数ある東方地域オリエンスの温泉地でも、特に有名なのは北部の海岸にある、ここヨーマの街だ。

 多数の泉質を抱えた有数の温泉街で、海水が海底に染み込んで濃縮され温められた強塩泉と、泡の溶け込んだ炭酸泉、この二つは有名で、顕著に療養作用があると評判だった。

 山へ張り付くように多数の温泉宿が建ち並び、宿からもくもくと湯煙が上がっている。

 麓の方は、温泉客向きの酒場や食事処、物産店などが建ち、数多くの客で賑わっていた。

「ま、たまに来る分には楽しい街だよ」

 イオンは街を興味深げに眺めるノーチェを、微笑ましく見ながら呟いた。


「――さて。どこの宿に泊まろうか」

 イオンが手綱を握ったまま、独り言のように呟く。

 商工会《ギルド』に持ち込んだ毛皮が良い値段で取り引き出来て、宿は少し盛ることが出来る。

 ちらり、と御者台に隣に座るノーチェを見た。

 周りを興味深げに見てはいるが、目深に頭巾フードを被っている。やはり姿を晒したくないようだ。そうでなくともノーチェは美人だ。それだけで目立つ。イオンとしては、彼女をあまり人に見せたくない。ちょっと見せびらかしたい気もするが、やはり見せられない。

 さて、どうしたものか――イオンがそう考えていると、ちょうど他の馬車とすれ違った。

 金持ちの一家らしき者たちが小粋な貸し切り馬車に乗って、まさに物見遊山していた。

 それとすれ違って、イオンはふと思いついた。

「よし、決めた」

「……何をです?」

 突然上がった声に驚いたノーチェが、目を見張って尋ねた。

「今日泊まる宿だよ。正確にはどんな部屋に泊まるか、だったんだけどね」

「お宿の部屋の、様式か何かですか?」

「まぁそう――じゃあ、決まったからには善は急げだ」

 首をひねるノーチェをよそに、イオンはウニコの手綱を振り上げる。

 指示を得たウニコが、主人の向かって欲しい方角の方へと、てくてくと歩き出した。

 宿が多く建つ山肌のつづら折りの坂道を、荷馬車を曳いたウニコは難なく進む。

 途中に建つ宿を幾つも通り抜けて辿り着いたのは、街の中でもわりと大きな温泉宿だった。

 イオンは受け付けより先に、宿泊客用の馬房へと向かった。

「こいつ、頭に触れると手に負えなくなるから。角は触らずそのままで」

 イオンが馬房の管理人に愛馬の扱いを告げる。

 馬房の管理人はウニコを頭に触れられるのが嫌いな馬だと理解したようだ。

 素直に「かしこまりました」と返事をし、イオンから手綱を預かった。

「あらぁ、イオンさんじゃないですか? 何年ぶりかしら?」

 受け付けまで行くと、女将が二人を愛想良く出迎えた。

 イオンが部屋の希望を言うと、女将はよく心得ているように頷いた。

「ちょうど、ご希望のお部屋が空いていますから、案内させていただきますわ〜」

 そう言って、女将が二人を手招きする。

 案内されるままに二人は廊下をしばらく歩き、長い廊下の端の部屋まで辿り着いた。

「お食事をお出し出来るのは二時間後から。鈴を鳴らせばご用意致しますね。お外で食べられるのであれば、そのままで。では、ごゆっくり……」

 女将はそう告げると、一礼をして流れるような動作でその場を立ち去った。

「久しぶりなのに、いい部屋を用意してくれたなぁ」

 イオンが荷物を置きながら呟いた。

 ノーチェも頭巾(フード)を頭から下ろし、部屋の中を眺めた。

 内装は簡素だが、壁に塗りつけられた漆喰は左官の遊び心なのか、美しい波模様だ。

 梁や柱に使われた木が、時間の経過でいい味に染まり、素朴な雰囲気を醸し出していた。

 居間にあるテーブルや椅子は丸太そのままだったり、切り出した木材そのままに、鉋とやすりを掛けただけのものだ。これは、木こりが豪胆に作った品だ。

 窓からは夕焼けに染まる雲と山並みと、明かりを付け始めた街並みが見える。

 イオンの言うように、確かにいい部屋だが――

「この部屋、少し広くないですか?」

 ノーチェが困惑気味に尋ねた。

 それはそう。この部屋は、居間が一つ、寝室が二つの、いわゆる続き部屋(スイートルーム)だ。

「広いけど、最上級の部屋じゃないよ。見ての通り、高い調度品なんて置いてない。それに、二人別々の部屋を取るより安いんだ。今日、商工会で良い取引出来たから。それに……」

 イオンが脱衣所に向かい、手招きする。何ごとかとノーチェが行ってみると、脱衣所には扉があり、外へ出られる。扉の外を見てみると、そこには露天風呂が備えられていた。

「貸し切りの家族風呂も考えたけど、こっちの方がゆっくり出来て、いいかなと」

 イオンが素のまま説明する。

 そんな彼と露天風呂を見比べながら、ノーチェは考え込む。

 確かにゆっくり出来る。出来るのだけれど。

 ノーチェが上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。

「あの……」

「ん? なに?」

「これ、一緒に入るんですか?」

「………………いや、入らないけど?」

 気になる間は空いたものの、イオンはさらりと答えた。

 ノーチェが小さく溜息する。さすが、三ヶ月間、何もなかった人だ。

 こんな部屋を用意しておいて、そう答えるのか。

 これは、呆れても良いのだろうか? 

「そうですか……いえ、良いです。温泉は好きですから。ありがとうございます」

「ん?」

「ここの大浴場だと、私、目立ちますし。お気遣い、どうもありがとうございます」

 ノーチェは目を逸らしながら、髪を長い耳に掛け、撫で付ける。

「そっか。喜んで貰えたんならいいよ」

 何の衒いも無くイオンが笑った。

 本当にこの人は。この状況を、分かっているのか、分かっていないのか。

 こちらの気も知らないでいるこの男に、やはりノーチェは呆れ、苦笑した。


 二人は休憩も兼ねて少しばかりの間、椅子に座ってゆっくりとしていた。

 そこで急にイオンが何か思い立ったように「そうだ!」と、声を上げた。

「この後、どうする?」

 ノーチェは考えた。さすがにここで何をどうこうすることは考えてなかった。

「……私にこれといった希望は特に。あなたの行く場所に、ついて行きますが?」

「そっか。じゃあ、この辺りでも散策――あー、そうだ!」

 イオンが何かを思い出したか、声を上げた。

 そして彼は、何やら気難しい顔をしてノーチェを上から下までじっくり眺める。

「……な、なんですか?」

 ノーチェが後退る。自分の姿に、何かおかしい点があるのだろうか? 

 身なりは出掛ける前に井戸端でちゃんと整え、魔鏡の妖精に確認させた。

 じゃあ他に、何かおかしいところでも? まさか、正体を知ってしまったとか。

 いや、それは勇者か英雄でも無い限りわからないはずだ――多分。

「――やっぱり街へ出よう。ちょっと行きたい場所を思い出した」

「行きたい場所って、どこですか?」

「着いてから――とにかく準備して」

 一体、この人はこの街のどこへ行って、何をしたいというのだろう? 

 ノーチェが下ろしていた頭巾(フード)を慌てて被り直し、洗面所の鏡で確認する。

 そして、もう既に扉の前で出る気満々のイオンの方へと駆け寄っていった。


◇ ◇ ◇


 ノーチェは宿屋から連れ出された。イオンの手に引かれ、あれよあれよと街を進む。

 あまりに迷いのないイオンの歩き方からして、どうやらヨーマの街は彼が勝手をよく知っている場所のようだった。そして裏路地の建物にも、何の迷いもなく入っていった。

 イオンが入った場所はどうやら服飾の店のようで、古着も新品もあり、特に旅装束が多めに揃っている。戦闘向きの服もあったりして、冒険者御用達の店のようだった。

「メイアン、久しぶり」

「あら、イオン? お久しぶり、いらっしゃ――ンまぁ、なんて綺麗なお姉さんなの!?」

 その店に入った途端、店主らしき男、のように見える人に、ノーチェはそう言われた。

 女性にも見える男は、長い耳に銀髪、そして、やや褐色がかった肌をしている。

 どうやらダークエルフと人との、半(ハーフ)エルフのようだった。

「あら意外〜、イオンがねぇ。ふうん、そういう。なるほどねぇ……」

 イオンとノーチェを見比べて、店主のメイアンはうんうん納得したように頷く。

「いや……女中だから、女中」

 何か、うんざりとして、それでいて頑なに、イオンが訂正する。

「そぉ。イオンがそう言うなら、そぉなんでしょぉねぇ……」

 困った人を見ているような笑顔で、メイアンは肩をすくめた。

 これは、何一つ訂正出来てないな。ノーチェが心の中でそっと呟く。


「ふむふむ。つまり〝女中さんを雇ったのは良いけど、お仕着せが適当に買った古着だから、もう少し良い格好にしてくれ〟と。そういうことかしら?」

「……そういうことだ」

 事情を確認するように聞く服飾屋の店主に、イオンはどこかふてた返事をした。

「あの、私は別に、今のままでも十分……」

 成り行きを見ていたノーチェは、自分の服を買いに来たということに気付いて、遠慮がちに声を上げてみた。買ってもらった古着で十分だ。本当に必要ない。

「ンもう! 素直に買って貰いなさいな。せっかくイオンが……ねぇ?」

 店主のメイアンが彼女に向かって悪戯っぽく笑って、それからチラリとイオンの方を見る。

 イオンはそっぽを向いて知らん顔をしている。

「ところで、あなた、ハーフエルフ?」

 突然言い当てられて、頭巾(フード)で耳を隠したままのノーチェが焦ってたじろいだ。

「あー、大丈夫よ。ここ来て耳を隠したままだし、人にあまり気付かれたくないんでしょう? わかっているわ。それに、イオンも私の店なら信頼出来るから来たと思うわ……ねぇ?」

 イオンに向かってメイアンは極上の笑みを向ける。どこか男臭さを残した微笑みだ。

 イオンが溜息混じりに「そうだ」と認める。

「ンもう! つれないんだから! とにかく、この商売、信頼が大事だから、お客様の事情に口を出したり風潮したりしないわ。個人情報守秘♪ 安心して♪」

 笑って言う、ハーフエルフの店主の顔を、ノーチェはじっと見る。

 特に、変わった様子はない。警戒し過ぎたかな? 落ち着かない様子が逆に不自然になっているのかもしれない。そのことを少し反省しつつ、ノーチェは頭巾(フード)を下ろした。

 警戒を解いたノーチェを見て、店主のメイアンがにっこり笑う。

 それから、ノーチェの姿を見て頷き、両手をパン! と叩く。

「――了解、なるほどね。確かに今の格好は、女中仕事をするには、問題ないけどぉ……」

 再度、ノーチェの姿を確認し、店主はイオンの方を振り返り、困ったように笑いかける。

「……これは、良い格好させたいわねぇ。わかるわぁ――で、ご予算どのくらい?」

「予算を決めた方が良いのか?」

「加減なくなっちゃうわよ?」

 怪訝顔に尋ねるイオンに、苦笑混じりでメイアンが答えた。

「……わかった。じゃあ、これで頼む」

 イオンが店主の手に何かを握らせた。ノーチェの所からだと何なのか良く見えない。

 メイアンの口から「ンま!」と感心と感嘆の混じった声が上がった。

「んふふ……思い切ったわね。いいわ、了解。楽しみに待っていて」

 手をこねながら、メイアンは店の奥まで入る。そして、巻き尺やらを持ってきた。

「――さて、お姉さん。ちょっと丈を測りたいのだけれど、良いかしら?」

「あ、ええ……」

 にっこり微笑んだ店主を前に、ノーチェはやや尻込みしながらも、辛うじて返事した。


 ノーチェは試着の小部屋で気乗りしないまま着替え、表へ出た。

「ンまっ!! 想像以上にステキ!!」

 彼女の姿を見た店主のメイアンが、何やら目を輝かせながら盛り上がった。

 しかし、ノーチェの方は気が気でなかった。

 試着の小部屋では薄暗くて「少し短くて薄いかな?」程度の感想だった。だが、表の明るい場所で、姿見の自分の姿を見てから、色々と問題があるのがわかった。

 羊毛のワンピースドレスと、絹の裾除け(ペティコート)。長袖の中衣(ブラウス)。これだけ見ると、女中(メイド)服だ。

 ただ、ワンピースの丈がとても短い。太腿の途中までだ。

 その代わりに、裾除け(ペティコート)が膝丈まである。裾に透かし編み(レース)をあしらっている愛らしい物だが、これがかなり薄手。なんと、靴下留め(ガーターベルト)が透けて見える。一応、下穿き(ショーツ)が見えないくらいにワンピースに丈があるので肝心な所は隠れているが、着ている意味がないほど透けている。

 上は上で、中衣(ブラウス)が薄手。腕の線や胸元がうっすら透けている。コルセットなども模様織りが大変豪華だが、腰回りを絞るから、胸をこれでもかと強調している。

 更にそこへ、肩紐と裾がふわふわひだ飾り(フリル)の白い綿の前掛け(ピナフォア)。可愛いが、子供っぽい。

「どう? 着た感じは?」

「少し、丈が短くて……。これは、若い娘向きではないのかな、と」

 当たり障りなく答えたが、百二十八歳のノーチェにとって、かなり年甲斐のない格好だ。

 こういうのは、六十や七十歳の、若い娘のすることだ。百二十八のすることではない。

「くふふ……大丈夫よ? 私たちの年なんて、人間には区別もへったくれもないからぁ」

 そう、店主に耳打ちされ、思い出す。そういえば人間にとってエルフの血族は全員若くしか見えない。もっとも、エルフ同士でも年齢を自己申告しなければ解らないが。

「それでぇ、イオン。彼女、どうかしらぁ?」

 二人がイオンの方を見た。彼はノーチェを見たまま固まっている。

「あ、あの、イオン? やっぱり、おかしいですか?」

「いや……おかしくない。いいと思う」

 イオンがやたらと平坦な喋り方で、ノーチェが小さく溜息する。

「やっぱり良くないですよね。あの、私、以前買って頂いた服で十分なので……」

「――あ、うん。そうだね……って、違う違う! にあってるにあってる!」

 突然、イオンが凄い剣幕で言い訳を始め、ノーチェがびっくりして瞬きする。

 何気ない表情で様子を伺っていた店主のメイアンが、堪えきれず吹き出した。

「くふふふ。目のやり場に困ってるんでしょ? それはもう、色々とね。くふふふ……」

 悪戯っぽくウインクした店主を、イオンが睨んだ。

「さて、お姉さん。気に入った? それとも、やめておく?」

 ノーチェはイオンの方を見た。彼女を直視しないように目を逸らしている。

 ――もしかして、照れてる? 

 百年以上男っ気なし。そもそも男にもてはやされた経験もなく、好かれる努力をする気も、とうの昔に萎えていたノーチェだったが、この時ばかりは気が変わった。

「あの、欲しいです。これ、お願いします」

 ノーチェが店主に向き合い、はっきりきっぱり言った。

「あら? 乗り気じゃないと思ったら、案外――でも、まぁ確かに」

 メイアンがイオンの方を見て、得心したように頷く。

 イオンは素面のつもりでいるようだが、腰が浮いていて、とにかく挙動不審だ。

「じゃあ、これはこれで決まりっと! さて、次のおすすめを……」

 手を捏ねながら店主のメイアンが並んでいる服を漁る。

 この一揃えだけだと思っていたノーチェが「え?」と声を上げた。

「んふ♪ 彼ってば、今日、すごく予算を盛っているのよ。これはよっぽどね。だから、ここは黙って受け取っておいてあげた方が、絶対にいいわ」

 店主のメイアンが再びノーチェに耳打ちする。彼女は一瞬だけイオンの方を見た。

 陳列してある、どう見てもイオンが着られない女物の服を、ひたすら眺めている。

 とにかく、今日の所はイオンの好意に甘えておこう。

 そう思ったノーチェは店主のメイアンに向かって「お願いします」といった。

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