第一章・その4 街へ出掛けよう
ノーチェがここへ来て、三ヶ月。すっかり秋になった。
いつも通りノーチェは、洗濯を済ませ掃除をする。自宅に隣接している物置、正確には売るための商品の倉庫をノーチェは掃除しようと、箒とはたきを持って中に入る。
すると、そこにはイオンがいて、倉庫の中の物を見ていた。
「魔兎、魔鹿の皮…――あ、ノーチェ。お疲れ様」
気付いたイオンが声を掛けた。どうやら森で得た物を確認しているようだった。
「魔猪の毛皮……ええっと」
在庫してある毛皮は普通の獣のものでなく、
彼の傍らに立っていたノーチェは荒くなめした魔獣の毛皮を感心したように見る
イオンは高く売れるものだけをしっかり狩ってきている。魔獣はいくら高く売れると言っても普通の猟師なら手強過ぎて狙わない。冒険者なら狩れる。彼ならではだ。
「一番、欲しがられるのは魔猪なんだよな……お金持ちの奥さんの櫛とか、上級騎士の馬の手入れのブラシとか。魔猪の毛が凄く人気なんだよな」
イオンが毛皮の状態を見ながら、そうノーチェに説明する。
ノーチェが掃除に使っているブラシも、彼が狩った魔猪の毛で出来ている。
使っても使っても、へたらない、毛が広がらない、よく汚れが落ちる。
「あと木炭……よし! 持っていくか」
どうやらイオンは売りに持っていくものを決めたようだ。
「では、私はお留守番ですね」
ノーチェが首をコキコキとしながら、彼が不在の間はどう過ごそうかと考えていた。
「いや、一緒に行こう」
「え?」
意外な言葉に、ノーチェが彼の顔をまじまじと覗き込む。
「こんな所に一人にしておくのもどうかと思うし。それに、ほら? 女の人って、何かと要るんでしょ、色々と。そういうのも出先で買った方が良いんじゃないのかな?」
どこか気を使った様子でイオンが言った。
そうは言われても……。正直、ノーチェは森の中のものでやっていけたりする。
衣類は今着ているもので満足しているし、いざとなれば自分で作れる。
自分で作れないのは、包丁や鋏などの金属類になるが、そういうのは既に家にある。
それに、あまりお金を使うのも勿体ないと、そう思ってしまう。でも、イオンの好意を無駄にしたくないという気持ちもあって、ノーチェは少し考え込んでしまった。
「えっと……何か不味いこと、言ったかな?」
よほど深刻な顔をしていたのか、イオンが心配そうに尋ねてきた。
「あ、いえ!? そんなことはないですっ!!」
ノーチェは慌てて取り繕うように手と首を振った。
「その……一緒に出掛けるというから、少し驚いて……」
「そっか。じゃあ、一緒に行こうよ? それに、ほら、なんていうか……」
イオンが困ったような顔をして口籠もった。
「なんていうか?」
ノーチェが首を傾げていると、意を決したようにイオンが口を開く。
「慰労だよ。骨休み。普段、手助けしてくれて凄く助かってるから。売れる物を売った後に、温泉地にでも行こう、かな、とか。それに、こないだの……えっと、お詫び……」
イオンは途中まで言いかけ、最後の方は尻つぼみになっていった。
「温泉地、ですか」
ノーチェが呆けたような顔をして復唱する。
「あー。ごめん――無理して一緒に来なくても、別に……」
イオンの声の調子がどんどん落ちていく。
詫びている、というのはノーチェには分かった。
しかし、こないだのお詫びは別に必要ない。お互いに謝罪合戦して終わった話だ。
なのに、どうしてそんなに気を使い、更に落ち込んでいるのか分からない。
あと、イオンが自分を温泉地へ連れて行こうと考えたことに驚いている。
でも温泉地か。そういえば、東方地域は温泉地が多い。
「あの、連れて行ってくれるのでしたら、是非……」
ノーチェはそう答えた。温泉は嫌いではなかった。むしろ、好きな方だ。
昔はノーチェも山奥に湧いた温泉などに入ったものだ。
彼女の答えに、驚いたような顔をしたイオンは、次の瞬間、凄く嬉しそうな顔をして……
それからすぐに、気まずそうな顔をする。何故そこで気まずそうな顔になるのか?
ノーチェはやはり首を傾げた。だが、わざわざ一緒に出掛けて、あまつさえ温泉に連れて行ってくれるということは、イオンには気がある……?
でもその割に、妙に距離を取りたがる。
――ますます謎だわ。
そんな彼の様子を箒とはたきを抱えたまま、ノーチェが首を傾げてじっと見ていた。
◇ ◇ ◇
次の日。イオンはこの森の最も近くの村の商工会で取り引きする毛皮や木炭を、麻縄で入念に梱包して、荷車に積み、蝋で撥水加工した帆布を被せてしっかり荷台に括り付けていた。
すぐ側で見ていたノーチェは、梱包作業の大変さに、「うーん」と唸る。
「その量なら、魔法仕掛けの袋に入れた方がよいのでは?」
「あー、それは駄目だよ。意外に知られてないけど、魔獣の毛皮って加工前に魔法の袋に入れると、帯びている魔力を袋に取られちゃって、商品価値がなくなるんだ」
そう言うと、ノーチェも「そういえば」と納得する。
「よし。荷造り終わり! じゃあ、そろそろ行こうか」
イオンがノーチェに声を掛ける。彼は普段着に外套を羽織った軽い旅装束だ。
ノーチェの方は、普段の格好に、木綿の
「この辺で見かけるのは、ダークエルフですよね……」
そう呟き、ノーチェは普段の
どうやら彼女は金髪とエルフらしい長い耳を隠すことにしたようだ。
確かにこの辺りは
だがハイエルフは居ない。いや、ハイエルフ自体、
なので、この辺りだと彼女のハイエルフ的な容貌は浮く。
だが彼女には、それ以外にも理由があるようだ。
ノーチェはハイエルフらしい金髪だが、そこに銀の髪が混じっている。つまり、ハイエルフとはわずかに容姿が異なっている。どうやら彼女はそれを気にしているようだ。
まぁ、隠してくれた方が、俺は助かるけどな。
イオンは自分の姿を隠したがるノーチェを気の毒に思いつつも、密かにそう思う。
この辺りだと細かいことは気にせず、長い耳に金髪とくればハイエルフが来たと騒ぐ。
そもそも最初にイオンが彼女を連れてこの森のすぐ側の村に立ち寄った時に、騒がれた。
正確にはイオンが冷やかされ、からかわれた。
これは森の奧で男一人寂しく暮らすイオンが、女連れで、しかもエルフだったからだ。
「みんな、本当、下世話な話が好きだよな」
「……? どうしたんですか?」
「あーいや!? 何でもないよ!!」
準備をするのを傍らで見守っていたノーチェに独り言を聞かれ、慌てて誤魔化す。
愛馬のウニコと馬車を革紐で繋ぎながら、イオンは肩を落として溜息を吐いた。
「じゃあ、行こうか」
イオンが御者台に飛び乗る。ノーチェもそろそろと乗り込んできた。
手綱を振り、取引先のある村へと出発した。
馬車は南に向かったゆっくり進んでいく。林道なので良く揺れるが、そこは仕方ない。
それにしても――ノーチェは前々からすごく気になっていることがあった。
この荷馬車を曳いている輓馬、どうなのかしら?
ノーチェは目の前で荷馬車を引き、てくてく歩くウニコを、じ〜っと見つめる。
一見すると、芦毛のすごく大きな馬だ。でも、わかる人にはわかる。
あまりにも大きくて筋骨隆々で、足は丸太のように太い。
普通の人が想像するような優美さからかけ離れているが、一応、
ちゃんと角も生えている――
「よく、こんな子を飼っていますね……
ノーチェが手綱を握っているイオンに尋ねた。
「ん? ああ、ウニコね。力持ちで良いだろ? 普通の奴の十倍くらい馬力があるんだ」
「いえ、そうじゃなくて。角は解毒剤。血は長寿薬に珍重されるから、狩られるでしょ?」
「それが、誰も一角獣って信じないんだよ……角なんか、俺の付けた悪趣味な飾りだとか言われちゃってさ。ちゃんと立派な一角獣なんだけど」
それは仕方ない。ここまで優美さから程遠いのでは、誰も一角獣とは思わないだろう。
「あなたの言うことをちゃんと聞いているというのも、驚きますよ……」
一角獣は獰猛だ。まず人の言うことを聞かない。処女の懐に抱かれると大人しくなると言われるが、あれは嘘だ。油断させておいて、いきなり角で突き刺してくる。
しかし、ウニコはちゃんとイオンの言うことを聞く。
普段は森の中で放し飼いだが、イオンが呼べば、ちゃんと来る。
「でもこいつとは三日三晩、喧嘩したんだよ。野営してた時に、俺の荷物踏み潰したからさ。まぁ最後は意気投合して、以降、一緒にいるわけだけど」
喧嘩の果てに、意気投合――あまりに男臭い話で、ノーチェは溜息する。
「でも、気付かれたら、狩られる可能性はあるんではないんですか?」
「いや、それは無理だ」
ノーチェの疑問に、イオンがはっきり否定する。
「こいつを狩るのは命懸けだよ。魔獣さえ普通に倒すから。まぁ、そこまで気の荒い奴じゃないからいいけど。単なるでかい馬だと勘違いしてくれた方が、こっちは助かる」
「よくそれで意気投合しましたね……」
ノーチェがやや呆れ気味にそう言うと、イオンがにっと笑った。
でも、目の前でのんびりと歩いているウニコを見ていると、確かにイオンと気が合うかもしれない、そんな風にノーチェは思った。
◇ ◇ ◇
イオンの森から少し行った場所。そこに最初の目的地、ノルドエストの村があった。
ノルドエストは
村の位置は東方地域の中でも相当な僻地であるにも関わらず、人が多く賑わっている。
それは、ここが北方地帯と東方地域とを繋ぐ街道の途中にあるからだ。
行商やドワーフ、ダークエルフなどがこの村に立ち寄るので、人が多く、活気がある。
イオンは村の商工会の前まで到着すると、ノーチェに荷馬車とウニコを任せた。
そして、馴染みの取り引き業者で、商工会の会長でもあるドンファの元へと行った。
「おう、イオンか。久しいなぁ〜」
ノルドエストの
「三ヶ月前に会っただろ……」
「いやあ、三ヶ月も会わなきゃ久しぶりだ。あー、様を付けた方が良いか? 様を?」
「要らない。というか止めてくれ」
イオンが少し困った様子で言うと、ドンファが快闊に笑った。
「様々だけどな! まぁ、だからこそ木こりや猟師じゃあもったいないと思うけどな」
「冒険者
「あー。で、どうだ?」
「……命懸けの下らない仕事が多い」
「うわははははは! 下らないか! ――で、取り引きは? ほう? 魔獣の毛皮か?」
「木炭も持ってきたよ」
「おお、そりゃいい! その炭な? 村の食堂に卸したら、客に好評だったらしくてなぁ」
「炭焼き窯を作ってくれた奴が優秀だった。俺は型通り丁重に仕事をしただけだ」
「謙遜すんな! どっちにしろ、いいもん持ってきてくれてると思うぜ――ん? 魔兎の毛皮があるな。豪商の
ドンファが算盤片手に、持ってきた毛皮や木炭を品定めして計算する。
それを見積もり用紙にカリカリ書き込み、書き終わった紙を指でピン! とはねた。
「こんなもんの金額でどうだ?」
イオンが見積書を見て怪訝な顔をした。
「金貨六枚……いいのか?」
「持ってきてもらった毛皮はかなり評判が良くてな? お前さんが思っている以上に高値で売れるんだぜ? 良い仕事をしている」
「そうか。ならいい」
取引終了で、互いに握手を交わし、イオンは支払い書と一緒に、金貨を貰った。
そして、イオンは手を振り、踵を返して扉の外へ出ようとした時だった。
「……なぁ、イオン。そのぉ……なんっちゅーか。こないだ連れてた女……」
突然、女のなんのと言われ、イオンは何のことなのか、さっぱりだ。
そういえば、ノーチェを連れて帰る途中、ここに寄った。そのことを思い出した。
「えっと……雇った女中だが?」
「え? 女中!? マジで女中!? 嫁じゃなかったのか!?」
「残念ながら女中。すごく女中。ほんっとうに女中。やっと雇えた」
酷く強調している自分が空しいが、実際そうだ。
「……そうかそうか。わかった。そういうことにしておこう」
商工会の親父は何か納得したように、うんうん頷く。
「そういうことでなくても女中だ……」
イオンはぼやき、勘違いしている親父をそのままに、重い足取りで部屋を出た。
イオンが取り引きの間、ノーチェは御者台で手持ち無沙汰で待っていた。
暇過ぎるので彼からもらった銅貨四枚で、近隣の農夫が露天売りしていた林檎を五つ買い、三つは輓馬をしていたウニコに譲って、ノーチェは一緒になって食べていた。
「――へぇ、そんな凄かったんかぁ?」
「そーそー。凄くご立派な格好。あれはもう、貴族様か何かで、坊主じゃないねぇ」
ノーチェと同じ露天で林檎を買っていた旅装束の行商の男だった。
林檎を囓りながら、遠方の土産話か噂話か、露天の農夫と立ち話をしていた。
「でもな? 中立地帯なはずのメディウムに、神殿作って司教座を置くとか、あそこの商工自治行政府に、真っ向から喧嘩を売っているようにしか見えないんだよ」
「自由交易都市メディウムか……」
ノーチェが売られていた奴隷商のあった街だ。
メディウムは自由な気風だが、奴隷商があるからといって治安が悪い街ではない。
元々、メディウムは
契約は信頼が大事、という有名な商人の格言通り、商売人同士、互いに騙し合い潰し合い、安定した継続的な商取引の支障を及ぼすような事態にならないよう、商取引から治安に至るまで、メディウムでは共和国制に限りなく近い高度な法で自治している。
一応、ノーチェを売っていたあの店も、ちゃんと街の法に基づいた『人材斡旋業』として正規に営業許可を得ていた。むしろ法を護っているからこそ、たちの悪い店だったが。
とにかくそういう街だが、ノーチェは行商の言った『神殿と司教座』というのが気になる。
「なに?
「そりゃ、司教座が『神のナントカに反する』とか言って商売の邪魔するからなぁ」
行商人が腕を組みながら農夫の疑問に答える。
そう。メディウムの自由な気風は、司教座のような神の権威とは、反りが合わない。
成り上がりと現世利益が常識の商人と、何かにつけて「神の権威だ」「神の意志に反する」とわめき立て、信仰で人を支配する司教座とでは、基本の考えが違う。
それに、メディウムでは元々商売の神様『
「商売の邪魔かぁ、そりゃ嫌だねぇ……」
「だろう? しかも、布施を脅しながら要求してきやがる。その内、西方地域みたく信仰税とかいって取るんじゃないのかって、メディウムの商工組合はピリピリだ」
信仰税か。
「まぁあれだ。ごり押しが酷くなるのは仕方ねぇ。何て言っても、相手は権威がある」
「権威ぃ? 偉い人なんかぁ?」
「
ノーチェの林檎を食べる手が止まる。
「あああ、うちとこの勇者様と同じかぁ」
「
「なんでぇ……ずいぶんとお盛んなこったなぁ」
農夫が行商の言葉を聞いて欠伸しながら呟く。
◇ ◇ ◇
「
林檎を食べる手を休めたまま、ノーチェが小さな声で呟く。
こんなところでそんなものの話を聞くとは思わなかった。
それに、自由交易都市メディウム。ノーチェがつい三ヶ月前までいた街だ。
あの街へ神殿を建てて、司教座を作ろうとしていたのが、西の英雄の仲間だった司教。
あれが、あの街に来ていた。ノーチェの背中が疼き、腹の底から悪寒がする。
何もかも失った嫌な思い出が蘇ってくる。失ったが故に、対抗するだけの力がない。
もし、あのまま、今でもあの街に居たら。彼に雇われるのが、少しでも遅れていたら。
「落ち着け――失っているからこそ、跡が追えない」
だから五年間、無事でいたともいう。
力を失い、簡単に奴隷商人の手に捕まりはしたが、奴らには捕まらず無事だった。
魔力を失って残り香ほどになった彼女の痕跡を辿れる者は、この世に二人しかいない。
東の勇者と、西の英雄だ。
彼らにはどんな魔力の痕跡でも辿れる天眼がある。その力で魔王を探し出す。
東の勇者に関しては、ノーチェはそれほど詳しくない。
だが、勇者が動くには、東方地域の
それに彼は、そう簡単に仕事を引き受けないと、以前、風の噂で聞いた。
西の英雄は、良くも悪くも
彼が
奴も同じだ。権威と地位がある。高い地位にいればいるほど身動きが取りにくい。
少し動くだけで、一般人の耳にまでその行動がわかる。
今の噂話にしたって、高い地位にいたからこそだ。
どっちにしろ、死んだものだと思ってくれていればいい。
――でもやはり、どこか拭いきれない不安がある。
「――ごめん、終わった。ずいぶん待たせかな?」
商品の取引が終わったイオンが、御者台で待つノーチェに声を掛けた。
十四時過ぎだ。今から移動して、ウニコの足なら十七時頃には目的の街へ行けるはず。
イオンが移動時間を頭で計算をしていると、ふと、ノーチェが食べかけの林檎を持っていることに気付いた。そういえば、彼女には銅貨を与えていた。
「ああ、林檎買ったんだ。そういえば今、ちょうど出始めのやつが……」
ノーチェが食べかけの林檎を持ったまま、俯いている。
「……ノーチェ、どうかした?」
声が聞こえていないのか、反応がない。
「ノーチェ?」
もう一度呼びかけるが反応がない。食べかけの林檎を持った手は震えている。
その手をイオンが上から握ると、急にノーチェが気付いて彼の方を振り向いた。
「あ……ごめんなさい。ぼうっとしてしまって」
「何かあった?」
慌てて握られていた手を退いたノーチェが、食べかけの林檎を弄くりながら目を逸らす。
「あの、ちょっと考えごとしていただけですから」
言い繕うように答える彼女は、元気がなく、顔色も良くない。
イオンはしばらく考えたが、それ以上事情を聞かず、馬車を曳くウニコの手綱を振った。
進む指示を得たウニコはそこからゆっくり動き出した。
――さっきのノーチェの変わり様は、何だ?
まるで何かに怯えていたようだった。奴隷商に掴まっていたのだから、何かあるだろうが、そこは何も聞いてない。これは、もしかしたら聞いた方がいいのかもしれない。
「……もし」
ふいにイオンから声を掛けられ、ノーチェが彼の方を向く。
「心配事があるのなら、話してくれない? もしかしたら俺が解決出来るかもしれない」
ノーチェが目を瞬かせた。
「一応、こう見えて、冒険者やっていたからね」
イオンは元気付けるように、努めて明るく言う。
ノーチェは、少し考える素振りをし、イオンの顔を覗き込む。
「あの……。もし、もしですよ? 私が西の英雄とかに嫌われている関係者だとして、です。そういうややこしくて手強いのが相手だったとしたら、あなたは、相手に出来ますか?」
少し驚いた。
西の英雄、なんて言葉が彼女の口から出てくるとは思わなかったからだ。
多分、例え話か何かだ。西の英雄は、東の勇者と同じく、動かないことで有名だ。
でも。
「なんとかしてみる……。俺、勇者だったからね!」
明るくはっきりと答えた。
イオンの酷過ぎる大言に、ノーチェが呆気に捕らわれ、ぽかんとしているのが、気配だけで分かる。彼女の例え話より無理があるし、嘘くさいことこの上ない。
暫くして、ノーチェが困ったように苦笑いした。
「いくら何でも、大げさ過ぎではないですか?」
「そのくらい盛っておかないと、頼ってくれないでしょ?」
イオンが言うと、再びノーチェが苦笑した——少し元気が戻ってきたようだ。
「私、冒険者の方に依頼するほど、お金を持ってませんから、良いですよ……」
苦笑いしながらも、寂しそうにノーチェが呟く。
「いいよ。生活助かってるから、無償で引き受けるよ」
気前よくいうと、ノーチェがひどく驚いた顔をした。
「……いえ。私の方が助かってますから」
呟きにイオンが視線だけ隣に向ける。ノーチェは僅かに微笑んで前を見つめていた。
「まぁ、気が向いたら遠慮なく依頼して。西の英雄でも何でも、どうにかするから」
更にイオンが大口を叩くと、隣のノーチェがクスクスと笑い出す。
完全に元気になったようだ——イオンは視線を前に向け、手綱を振る。
指示を受けたウニコが足を速め、荷馬車を先へと進ませた。
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