第一章・その2 エルフはかくありき

 

 普段通りの朝。イオンが仕事に出掛けた後、ノーチェはいつも通り、家事をする。

 しかし、まるで意気がなかった。それもそのはず。今、ノーチェは落ち込んでいた。

「歳、うっかり正直に言ってしまったわ……」

 イオンは何でも見抜いてしまうような、そんな目をしている。

 嘘を言っても結局は見抜かれそうな、そんな気がして、つい口を割ってしまった。

 ただのお世辞交じりの世間話だったろうに。完全に自爆だ。

「でも、どうせいつかは分かっちゃうわよね、歳」

 それでも、彼の様子からして、年齢を詐称しても別に構わなかった。

「言ってしまったものは、仕方ないけど……」

 ずーんと肩を落としながら、ノーチェは井戸で桶に水を汲む。

 ともかく、今のノーチェに魔力はないし、お金はないし、実家に帰る気もしない。

 おまけに百歳以上年上なんて、人間にとって既に死んで木乃伊になっているのに等しい。

「それは、本当にどこまでも女中扱いになるはずよね………………何もないわ」

 彼はノーチェに手を出す素振りを見せない。積極的に手を出されたら、それはそれで嫌だが、何もないのもどうかと。自分の容姿や魅力に問題があるのかと、彼女の方が心配になる。

「見た目? いえ、やっぱり年齢かしら歳かしらね? 正直に答えなければ、良かったわ…………そう、せめて六十歳くらいなら……」

 エルフなら、つやつやピチピチの、若々しい乙女の歳だ――そう考えて、少し経ってから、エルフなら乙女でも、人間基準ならおばあさんだと、ノーチェは気付いてうな垂れた。


 今、ノーチェは小屋の地下室の中に来ている。

 地下室は二つあり、一つは食料貯蔵庫だ。そしてもう一つの地下室はというと。

 ノーチェの目の前に魔具の数々が並んでいる。ここは魔具の保管庫だ。

 それらにカビが生えたりしないよう、ノーチェは雑巾できれいに拭いていた。

「冒険者でもしてたのかしら? 買うと高いでしょうに」

 魔鏡、魔水晶、魔望遠鏡、魔地図、魔羅針盤……あと色々。

 冒険をしていたら欲しくなる、そういった小道具が陳列している。

「案外、魔力酔いさえしない女中であれば、本当に誰でもよかったのかしら……」

 ここで保管してある物を見ていると、イオンが彼女を雇う時、「魔力酔いしない人が良い」と言った意味がよく分かる。ここの品々は魔力を帯びていて、様々な効果がある。が、帯びた魔力が強すぎて、耐性の無い者が使うと酔うし、下手したらぶっ倒れる。

 つまり、素人にはとても扱えない道具だ。他にも、面倒なことがたくさんある。

 だが、それらを含めても、冒険者で魔力を持つ者なら欲しい一品だ。

 ノーチェは保管庫に陳列されている魔具を、ざっと見渡す。

 魔地図と魔羅針盤は道なき道を進むのに便利だ。

 魔望遠鏡は百里先を見るため。

 魔水晶は遠い場所に居る仲間との連絡用。

 そして魔鏡は、姿を変えることも、姿を偽っている者の真実を暴き出すことも――

「きゃっきゃっ! まっくろくろエルフ〜」

 壁に掛けられた魔鏡の中から声が響いた。

「きゃっきゃっ! まっくろくろエルフ〜♪ くろーい♪ くろーい♪」

 ノーチェが鏡の前で何かを掴み取る仕草をすると、「ぎぁあ!?」と悲鳴が上がった。

「黒い、がどうかした?」

 掴んだ妖精を握り締めて、ノーチェが優しい笑顔で尋ねた。

「ご、ごめんなしゃい……姐しゃん……何でもないでしゅう……」

 ――とまぁ、魔具の魔力の源として潜んでいる妖精が、要らぬことを口走ったり、悪戯をしたりと、やたら面倒だ。特に見くびられると、際限なくからかって悪戯してくる。

 なので、宿っている妖精に対しては、強気で接していく必要がある。

 とはいえ、溜息が出る。魔力があった頃はこんな妖精にからかわれたりしなかった。

 魔具の保管庫を出て、ノーチェは雑巾を洗おうと、井戸端へと向かう。

「でも、気がありそうなのよね」

 ノーチェが気付くとすぐに目を逸らすが、イオンから視線を感じることが度々あった。

 顔と、それから胸を、チラチラと盗み見している。

 そして、挙動不審なことも度々。一応、ノーチェに魅力を感じているようには見える。

「そういう目で見ている、のに……」

 実は彼のことをそれほど嫌いでもないので、見られるのが嫌だというわけではない。

 でも、元奴隷としては、身請けしたわりに自分への扱いが、いま一つ納得がいかない。

「あの人。本当に女中扱いで、何もしないのよね」

 手押しポンプを軋ませ動かしながら、桶に水を汲み、ふと空を見上げた。

「……変な人」


 ◇ ◇ ◇


「やっぱり飯が旨いのは、いい」

 イオンは夕飯の後、食卓で一人、ニヤけながら呟いた。

 今、ノーチェは皿を洗っている。もちろん、今日も彼女の夕飯はおいしかった。

 イオンも一応、料理は出来る。野戦料理なら、彼にも自信がある。

 冒険仲間には好評だったし、良い感じに出来ていたと自負している。

 しかし、定住して落ち着くと「これはないよな……」になる。

「あれだな。野戦料理は旅の道中で食べるもんであって、家で食うもんじゃないな」

 野戦料理はとにかく粗野だ。味さえそこそこ良ければ、見栄えとか気にしない。

 というよりも、片付けを簡易に終わらすために、見栄えを気にしていられない。

 凝るのはせいぜい焼き加減や塩加減だ。その辺りしか凝りようがない。

「何と言っても美人が作る、繊細な料理! 至福だな。俺なら無理」

 実際に家事と仕事で毎日の生活に忙しく追われて女中を探していたのを思い出す。

 その状況で凝った料理を作る——無理だ。

「食後にお茶とか出されると、本当に癒やされる。もう、なくてはならない人だよ」

 そんな風に浮ついて、イオンはふと冷静になる。

「――ちょっと、浮かれ過ぎてるな」

 頭が悪いと自分で思うほどだ。イオンは少し反省をする。

「こんなんじゃ、女中辞めてどっか行った時、まずいだろ……」

 窓から井戸端で皿を洗っているノーチェを見ながら、自分を戒めるように呟いた。


 朝、起きるとノーチェが居なかった。

 今日は一日休みにするつもりで、イオンはゆっくり寝ていた。

 ふと目を覚まして起きてみると、彼女が居る気配がしない。

 テーブルの上に菊苦菜チコリーが添えられた塩漬け肉と、種なしパンがそっと置かれている。

 森に何か摘みにでも出かけたのかなと思ったが——妙に胸騒ぎがした。

 慌ててイオンはあちらこちらを見て回る。

 井戸端、地下の食料庫、炭焼き小屋、小屋の周りの森を見回した。

 居ない。

 もう一度、同じ場所を見て回る。

 居ない。

「出て行ったかな……」

 小屋の前に呆然と立ち尽くしながらイオンが呟く。

 勘違いかと思ったが、森の中にいる気配はない。

 イオンにはこの森に人が居れば、大体気配でわかる。

 でも、森の中にも、彼女の気配はなかった。ただ、魔獣たちの気配がするだけだ。

「——ま。いつ出て行ってもおかしくなかったけどな」

 なんともなかったように、イオンが嘯く。

 そう。こんな冴えない森の中の生活。いつ消えてもおかしくなかった。

 誰もが嫌がる不便な森で、与えられたお仕着せは、色褪せた古着。

 ここで働いていても、良い服が着られるわけじゃない。

 その上、雇い主のイオンは大して面白みがあるわけでもない。

 自分と一緒に居て楽しいかと聞けば——分からない。彼女に聞いたことがない。

 ノーチェを身請けした時の銀貨三枚は、最初の数日で元を取っている。大体あの銀貨三枚は、おかしな値段だった。あれではその辺で黄金を拾うようなものだ。実際、そうだった。

 ノーチェは、彼にとって転がり込んできた幸運そのものだ。

 それで、継続して女中をしてくれていたのは、彼女の好意と言っていいだろう。

 だから、多分、イオンは彼女の好意に甘えて、油断をしていたのだろう。

 その結果が、これだ。

「でも、出て行くならひとこと言ってくれたら、良かったのに」

 餞別くらい渡したのに。心の中で呟く。

 外で突っ立っていても仕方がないので、イオンは小屋の中に戻った。

 そして、食卓の椅子に一人座った。

 目の前に菊苦菜チコリーが添えられた塩漬け肉と、種なしパンが置かれている。

 居なくなる前にノーチェは律儀に朝食を用意してくれていた。

 ほんの少し、イオンの顔が綻ぶ。

 彼女が最後に作ってくれた朝食を、イオンはもそもそ食べ始めた。

「美味しい——」

 でも、味気ない。味気ない理由は分かるが、イオンは考えないようにした。

 とりあえず、おかずだけ平らげて、種なしパンは半分だけ残した。

 残り半分は昼に食べよう。何故そう思ったか分からないが、そうすることにした。

 食べ終わって、皿を洗って片付けて。イオンは居間の長椅子に寝転がった。

 今日は仕事がない。だから、ゆっくりする。

 見渡す小屋の中は普段通りなのに、なぜだかがらんとしている。

 食事していた時以上に、一人であることが、嫌というほど分かる。

「——寂しいな」

 元に戻っただけなのに、酷い落胆っぷりだ。

 それに気付いて、長椅子に寝転がって天井を見上げながら、イオンは苦笑いした。


 ◇ ◇ ◇


「――あら? 出かけるんですか?」

 イオンが落胆した気分を晴らしに出かけようと、小屋から出た時だった。

 突然、茂みの方から声が上がった。慌ててイオンは声がした方を振り向いた。

 そこにはノーチェが立っていた。それぞれの手にブリキのバケツと壺を持っている。

 バケツには、苔桃がどっさりと入っている。壺の中は何なのか分からない。

「ここの森、砂糖楓メープルが自生してるんですね。たっぷり採取出来ました」

 そう言いながら、ノーチェは壺を彼の方に見せた。

 イオンが壺を覗き込むと、中には樹液がなみなみ入っているのが見える。

 どうやらノーチェは、苔桃カウベリーを摘みつつ、仕込んだ壺を回収しに行っていたようだ。

砂糖楓メープルの樹液……苔桃……そっか。ああそうか……」

 彼女は森に、食材を調達しに行っていただけだった。

 イオンが安心と同時に気抜けして、がっくり肩を落とす。

「苔桃も結構な数を摘めましたし……いい収穫です」

 ノーチェは、壺の中身を眺めながら収穫の良さに満足そうな顔をした。

「でも、砂糖楓メープルと苔桃……なんで?」

 一応、イオンが尋ねると、「ああそれですね……」とノーチェが語り始めた。

「昨日、思い立ったんです。苔桃カウベリーのジャム」


 ——昨日の昼過ぎだった。

 ノーチェの仕事が一通り終わった時に、「そういえば」と、ふと思い出した。

「茶葉が切れたんだった」

 先日、イオンは「日用品をそろそろ買い出しに行きたい」と、そう言っていた。

「でも、今。塩も胡椒も小麦も石鹸も、在庫はちゃんとあるのよね。茶葉だけない」

 それだけ買いに行くのも、ノーチェにはもったいない気がした。

「そうだわ。いっそお茶を作ってしまいましょう。確かこの辺に、適した野草があったはず。あとは……何か、大切なことを忘れているような……えっと」

 目を瞑り、首を捻りながら、ノーチェが考え込む。

「……そうだわ。肉祭にくまつり

 ノーチェがぽん、と手を打つ。別に謝肉祭とかそういうことではない。

 これはイオンがあまりにも肉肉肉な材料ばかり入手してくるからだ。

 ノーチェには、日々の食事には常に肉ばかりが並んでいるような、そんな印象があった。

 もちろん、彼が猟師だから仕方ないし、男ならそれで構わないかもしれない。

「でも、肉ばかり並んでいると、うんざりするのよね」

 当然、イオン本人には言えない。なので、ノーチェなりに工夫をしていた。

 まず、森で採取可能な食材をノーチェは探し歩いた。

 香りや味の変化のために、麝香草タイム花薄荷オレガノ浅葱チャイブ行者葫アルパインリーキなど。自生の香草を摘んで料理に使った。目箒バジル西太葱ポロねぎがあるとなお良いが、残念ながら、この辺りでは見当たらない。

 でも、東方地域オリエンスの人が大好きな紫蘇シソニラは、たくさん自生していた。

「あの人、大蒜や葱みたいな味が、好きみたいね」

 葱の種類の野草は、イオンがとても喜んでいた。

 ノーチェも嫌いではない。何よりあの手の香草は男性に精力効果がある。

「……あの人、葱と大蒜はもっと食べた方が良いわね」

 小屋の裏で大蒜と玉葱でも栽培しようかと、ノーチェの頭に過ぎった。

 ではなくて。とにかく毎日肉ばかり。そんな印象だ。

 肉が嫌いというわけではない。エルフも弓矢でよく狩りをする。するんだが。

「だいぶ、辛いわ……」

 そう、ぼやいてから、はたとノーチェが気付く。

「そうだ。甘いものを作ろう」

 確かこの森で、砂糖楓の木を見た気がした。それと、苔桃とかも見かけた。

「思い立ったら善は急げよ」

 早速、樹液採取の壺を仕込みに出かけ、翌日、回収ついでに苔桃摘みをした。


 ◇ ◇ ◇


「あー、なるほど。苔桃と楓の蜜メープルシロップかー。あーそうかぁ」

「ジャムよりも、シロップ漬けにした方が良いですか?」

「え? あ、うん」

「意外にこの森は、北方地帯カスカジーニのものが自生してますね……どうしました?」

 ノーチェが怪訝な顔で尋ねた。イオンがぼけっとしていたせいだ。

「いやー。さすがエルフだなぁ、って……」

 一寸遅れて、イオンが返事をする——やばい。

 安心したら、今度はイオンの心中に、気恥ずかしさが沸いてきた。

 完全な早とちりで勘違いだ。一人で勝手に焦って哀愁に浸って凹んでいた。

 今のイオンの気分は、羞恥で一杯だ。彼女に気付かれたら、更なる羞恥で死ねる。

 なので、イオンは何気ない表情でいた――つもりだった。

「イオン。何だか、すごくおかしいですよ?」

 ノーチェが彼の顔を不審そうに眺めている。

 あーだめだ。やっぱり挙動不審さが滲み出ていて、変顔になっているようだ。

「あーうん。疲れてるかなー? 疲れすぎてあんまり眠れなかったかなー?」

「では、甘いものを食べた方がいいですね……それで、ジャムと砂糖煮コンポート、どちら?」

「あー。ジャムで、おねがいします……」

「今から煮詰めるけど、薪を多く使ってもいいですか?」

「そちらは、いくらでもどうぞ……」

 矢継ぎ早な質問に対して、イオンが適当に返答をする。

 ノーチェはそれで納得したようだ。軽く頷いて、小屋の中に入っていった。

「はぁ。良かった……」

 イオンの早とちりで自業自得だが、とにかく安心して胸を撫で下ろした。


 ノーチェが作ってくれた苔桃のジャムは美味かった。

 自生している苔桃が食べられると分かっていても、イオンは「酸っぱいから要らない」と断じていた。それを森のものだけでノーチェが美味しく調理した。

 これは、イオンにとって目から鱗だ。彼なら面倒なので絶対にやらない。

「こんなものがここで食べられるなんて思わなかった!」

「あの、私が食べたかっただけですから……」

 イオンの大絶賛に、ノーチェがそっぽを向いて呟いた。

「お茶を、どうぞ」

 ノーチェが素知らぬ顔をして、ずい、と、彼の前に茶碗を差し出してきた。

 イオンは出された茶を何気なく口にした――焙煎茶か? 飲んだことのない味だ。

菊苦菜チコリーの根を焙煎しました」

 彼が分かってないと察したのか、ノーチェがまるで人ごとのように説明をする。

 菊苦菜チコリーで茶が作れるのは彼でも知っていたが、面倒なのでわざわざやらなかった。

 ふと、朝食を思い出す。菊苦菜チコリーの葉が添えられていた。あの根か? 

 考え込んでいるイオンの横で、ノーチェが心配そうな表情で彼の顔を覗き込む。

「……口に、合わなかった?」

「いや、すごく美味しい」

 首を振ってイオンが答えた。ついさっきまで、彼女がどこかに行ってしまったと焦っていたから、余計にそう感じた。彼女の手ずから作ったお茶は安心する。

 イオンがほっと溜息を漏らすと「もう一杯いる?」とノーチェが尋ねてきた。

「うん、お願いする」

 残り半分を全て飲み干し、イオンは空になった茶碗をノーチェに差し出した。

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