vsフルフュール(前)

 世界が再び雲に包まれる。蹴散らした暗雲は、魔神がいとも簡単に呼び寄せる。猛る雄叫び。


「はる。なぁに?」


 魔神の瞳孔が揺らぐ。すぐ真横を極限まで凝縮された拳圧が通り過ぎた。後ろに続く烈風を片手で弾く。暗雲は再び散った。


「おう、さっさと降りてこいよ。俺様は飛べねえんだ」


 飛びかかる黒獣が拳撃に弾け飛ぶ。ゆっくりと高度を下げる魔神が、ついにボアの視線に並んだ。


「あそぼ?」「遊ぼーぜ?」


 ボアの拳を魔神フルフュールが片手で弾く。肉と骨が砕けた。


「リロード、リペア⋯⋯ッ!」


 打ち負けたボアがバックステップ。再生していく腕を見て魔神少女の目が輝いた。


「それ、すごい。斬ってもいい?」


 爪が伸びた。再生したばかりの腕が肩から斬り飛ばされる。苦悶に転がるボアを、フルフュールは派手に蹴り飛ばす。


「リロードリロード――リペアッ!!」


 腹から真っ二つになったボアが再生する。上半身の方が再生していく光景に、魔神は興味深そうに顎を撫でた。


『あやか、動きがおかしい。なにかされているのかい?』


 あまりにも一方的。その光景に違和感を覚えたαが合成音声を発する。


「⋯⋯⋯⋯調子悪ぃ。気分が乗らない」

『えぇー、そこは頑張ってよ⋯⋯⋯⋯』


 だが、ここでαは疑問を抱くべきだった。あの化物少女があらぬ言葉を口にしていることに。

 フルフュールが有する魔の神格。その神格は周囲の環境や条件を朧とし、順転を拒む。即ちが善性を悪性へ、信頼を疑心へ、直射を曲射へ。欲望の情熱だけで惑星一つ敵に回した少女が、その最大の武器を鈍らせてしまっている。


「消す? 焼く? 齧る? 潰す? 千切る? なんでもいい、死ぬまえに、きめて」


 段々興味を失ったかのように魔神が投げやりになる。雑にけしかけた黒獣軍団がボアの抵抗を完封する。ボアが弱体化したのか、はたまた黒獣が強化されたのか。元々物量戦には不利な肉弾戦だ。数に押し込まれるのは道理である。


「なんだ、こんなものか」


 魔神が背を向けた。手足を噛み砕かれるボアが地面に転がされる。両手両足を振り回して対抗するが、魔法を使った抵抗で精一杯だ。


『卓越した感情エネルギー。僕らはソレに魅入られた。君のはその程度かい?』


黒獣に嬲られるボアを、αの無機質なモニターが見下ろした。元々この六つのモニターは、異形のボアによって神経回路外の感情を発現したイレギュラーである。その元凶張本人が魂の欲望を濁らせるのであれば、付随する価値を見出さない。


「リロード!!」


 返事は拳で返した。虚ろな瞳が敵を見据える。小さくなっていく背中と、再三立ちこめる暗雲。冷たいものが肌に落ちた。雪、そう知覚した直後。


「痛――――っ」


 ひょう。氷の塊が頭部に直撃した。傷口を再生して見えたのは、一面白面の雪景色。


「おいおい、マジかよ……」


 フルフュールから離れ、ボアはいつもの感性を取り戻していた。だが、近付けないことには攻撃できない。存在の根幹たる欲望の情念が揺るがされる。


「いや――――あったは」


 遠距離攻撃、というよりは範囲攻撃か。異形と称され、魔神と揶揄されたその真の力。双眸の六芒星に封印された真実を解き放つべきは、今しかない。黒獣軍団をぶっ飛ばしてボアが叫ぶ。


「α! 俺様の封印を解くぜッ!!」

『どうやって?』

「え? 解いてくれるんじゃないの?」

『解けたら100憶年も封印している意味ないでしょ』


 道理である。


「く……八方塞がりか………ッ!!」


 ボアが項垂れた。手は尽きたが足は動く。考えはないが、ボアはとりあえず突っ込んだ。


「リロード!! デッドデッドデストラクト!!」

「しつこい」


 魔神が振り向きざまに腕を振るう。さっきと同じように軽く弾かれ、背後の瓦礫が余波で消し飛んだ。

 だが。


「はり?」


 弾いた手がじんじん痺れる。真上に跳ね上がった自分の腕を見て、フルフュールが目を見開いた。


「あはは」

「リロードッ!!」


 二撃目。今度はボアの腕が肘から砕け散った。氷漬けになった自分の残骸にボアの顔が引き攣る。


「はり、はり、はり。もっと、もっと」

「リペアッ!!」


 雹がボアを叩く。氷漬けにされて粉砕された肉体を魔法で再生させる。心が、重く、圧し掛かる。


(雲を割ってもまた覆われる、殴り合いでも届かない………このまま魔力が尽きるまで嬲られる………………終わりだ、負ける………………痛い………………寒い………………………………いやだ)


 心が、魂が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。真性の魔神に相対するとは、こういうことだ。精神性を揺るがされる。気合とか、根性とか、そういう曖昧な原動力を霧散させる。

 反撃が止まったボアを、フルフュールは不思議そうに見つめた。壊れたサンドバックならそこら辺に転がっている。魔神少女は、魔神たりうる仲間を探していた。だから、その可能性を迂闊には砕けなかった。


「まだ?」

「――――あ、いや、もういいぜ」


 両手で顔を覆ったボアが立ち上がった。


「封印解除の方法を思いついたから」


 

 封印の六芒星は、女神アリスが直々に施した封印。当時の戦士たちが祈った奇跡の具現。100億年も続いた封印の残滓を、よりにもよって化物少女は小さな指で潰していた。

 眼球そのものを潰せば六芒星も消えるだろう、と。







 魔神フルフュールは仲間を探していた。

 その目的は、今ようやく果たされたと言ってよいだろう。胸がざわつくのを感じる。心がざわついている。こんな感覚は久しぶりだった。例えば、同じ魔神と死闘を経たような。魔の神格の存在脅威、それと同等の精神汚染。

 フルフュールは身体を震わせ、黒い泥を振り払った。

 屹立する黒い巨人。この漆黒の汚泥はあの巨人から湧き出ている。辺りを見回した。世界の色が消えている。天候どころではなく、空を欲望の黒で飲み込んだ。そんなモノクロ世界。


「みぃ、つけた」


 まさしく、魔神。

 広がる汚泥から灰色の少女が次々と湧き出てくる。終わりのあやか、かつてそう呼ばれた使い魔たち。黒獣軍団と泥臭いインファイトを繰り広げる光景は、どこか終末を想起させた。

 そして。


「α! 前が見えねえ!」


 無数の腕に抱かれながら巨人を従える少女。その両目の眼窩はぽっかりと空いて黒い涙が止まらない。


『視神経に接続する。ちょっと待ってね』

 

 大きく目を瞑り、開く。その両目には機械の眼球が嵌っていた。さっきから周囲をチョロチョロ回っていたモニターが凝縮したものである。


「おお! 見える! 見えるぞ! よく馴染む!」


 眼球を再生させることは造作もないが、それだと封印も一緒に再生されてしまう。だから代わりの目が必要だった。全てはただの思いつきだったが、結果がうまくいくのがこの少女だった。

 両手を掲げ、ボアが爆笑する。魔神も一緒に笑った。巻き込まれた一般人は泣いた。

 そして――――異邦の魔神たちが激突する。

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