第2話 評判

「先はあるまいよ」

 薬屋の婆様がそう呟いたのは、エルネストは忘れもしません、1630年の3月初めのことでした。ミラノの空は重苦しい色をした雪雲で閉じふさがっていました。

 妖婆然ようばぜんとしたその風貌ふうぼうと語り口から後に魔女裁判にかけられることになる婆様は、顔料の買い出しにおとずれたエルネストに釣銭を渡しながら嘆かわしげに首を振り、彼が勤める工房について次のように語りました。

「同業の連中はあきれてるよ。リカルド工房じゃ良い職人は育たない、絵の修行とは別の辛さがあって、人との関わりに疲れた若手が次から次に辞めていく、ってね」

「原因は明らかです」

「その原因を取り除かない限りは、言ったように先はないよ。じきに終わりの日が来る」

「それって、つまり……」

「職人が育たないってことは絵の質が落ちるってことさ。そのうち信用をなくしてパトロンに背を向けられる。あんな工房の、あんなくだらない連中に描ける絵なんてたかが知れてる、なんて陰で言われてね」

 まるで見てきたようにそう告げられて、エルネストは気候のせいばかりではない寒気さむけを覚えました。

「工房のために、僕は何をすべきでしょうか」

「一人で何とかできるなんて思っちゃいけないよ。でもって、皆でかかってもどうにもならないなら、もうあきらめて、いなくなるまで辛抱しんぼうするしかないさ。あとはそう、せめて何かを残すんだね」

「残す」

「工房の悪魔の悪魔っぷりを、悪しき例として、後進のためにさ。私がそう言っていたってリカルドの奴に伝えておきな」

 その日の夜、エルネストは、真っ赤に燃えながら地の底へ落ちて行く鉄の車輪のようなものを夢に見ました。

 やがて車輪は手足をばたつかせながら聞き苦しい言葉を吐き散らす悪魔の姿に変わりました。醜いその悪魔は、周りの人や物を手当たり次第に巻き込みながら、暗くて深い穴の底へと真っ逆さまに落ちて行くのでした。

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