第16話 まだ持ってる? の巻

「座り。なんか菓子でも出してくるわ」


 連れられたのは居酒屋の2階にある小さな部屋。父・大輔はここに住み込みで働いていた。ヒロキが一人で父に会いに来たことを話すと、ハマやん(と何故か常連のおばさん)が、久しぶりの父子の再会やろ、と特別に大輔を早上がりさせてくれた。


「なんや、こんなんしかないけど食べや」


 大輔はテーブルに深めの大皿を置くと、チーズ鱈の袋を破いてザラザラと流し込んだ。


「うん、いただきます」


 おいしい。でも、正直言うとチョコレートか何か、甘いものが良かった。


「で、どないしたんや。連絡もせんと急に」


 大輔は、テーブルを挟んでどっしりとあぐらを掻いて尋ねた。


「うん……ちょっとお母さんとケンカしてもうて。いや、ケンカっていうのほどのことじゃなくて、それはもうええねんけど。それより……」


 ヒロキは、今まで抱えてきたものを……我慢してきたものをやっと吐き出した。


「俺、お父さんとゲームしたいねん!」


「……あー、ゲームか~。ゲームなあ」


 ヒロキの熱意に対して、大輔の反応は予想していたよりもずっと冷ややかだった。「待ってたで! おれもヒロキとゲームやりたかったんや!」ぐらいの前のめりな言葉を期待していたヒロキは、その温度差に胸がざわついた。


「あの……あのなっ! 俺、ポケモン始めてん!」


 湧き上がる不安を払拭するように、早口で次の言葉を紡ぐ。


「おっ! ほんまか!」


 今度こそ話に食いついてくれたと、安心したヒロキが続ける。


「で、これお土産!」


 ポケモンセンターで買ったヒトカゲの人形が付いたキーホルダーを手渡すと、父は「おお、懐かしいなヒトカゲ」と嬉しそうに受け取ってくれた。ヒロキは、この流れなら大丈夫だと思った。


「ほんでな! 俺、今ポケモンYやってるねん! お父さんはXとY、どっちやってんの?」


「うん……? ああ、新しいやつか。それなぁ、お父さんやってへんなぁ」


「えっ」


「あれやろ。立体に見えるゲーム機のやつ」


「うん……」


「あれな、まだ買うてへんねや。あれや……DSは持ってるねんで。ほら、脳トレとかやってたから」


「……うん」


 ニンテンドーDSを持っている……その言葉は、大輔にとっては「自分は新しいゲームのことを知っているぞ」というアピールの意味があった。しかし、ニンテンドー3DSの名前すら出てこなかったことで、逆にヒロキは父がずっと前にゲームをやめていることを理解してしまった。ヒロキは、取り出しかけていた3DSとポケモンYをそっとリュックに仕舞った。


「……なあ、お父さん」


 それでも諦めきれなかった。だから尋ねた。


「ゲームボーイアドバンス、まだ持ってる?」


※ ※ ※


「……おお~、これやこれや。よっしゃ! ほなやろか!」


 押し入れを十五分ほど漁ってどうにか見つけてきた白いゲームボーイアドバンスは、長年の汚れですっかり灰色になっていた。それでも電池を入れ替えて電源を入れると、当時のままに起動画面を映し出した。


「さすが任天堂のゲーム、頑丈やわ」


 と感心しつつ、大輔はひさしぶりに触るポケモンを懐かしんでいるようだった。押入れから一緒に出てきたワイヤレスアダプタを2人のゲームボーイアドバンスに繋ぎ、対戦の準備を始める。


「……で、どこ行ったらええんやったっけ?」


「ポケモンセンター」


「あー、そうそう。なんか思い出してきたぞ」


"2にんで つうしんを はじめます

Aボタン…けってい Bボタン…もどる"


"それでは へやへ どうぞ"


 対戦用の部屋に2人のポケモントレーナーが現れる。発売から九年が経った今、初めて使われる部屋。その年月は、親子の空白そのものだった。


「手加減せえへんぞ~」


「こっちこそ!」


"だいすけが

しょうぶを しかけてきた!"


"だいすけは

ヒロキを くりだした!"


"ゆけっ! ダイスケ!"


 フシギバナのダイスケと、リザードンのヒロキ。離れて暮らしていても親子で考えることは同じなのか。ふたりが初手で繰り出したのは、九年前に交換した、お互いの名前を付けたポケモンたちだった。


(相手は炎タイプのリザードン、こっちのフシギバナは相性の悪い草タイプや。……でも)


 ヒロキはあえてポケモンを交代せず「たたかう」を選択した。この戦いだけは逃げたくなかったのだ。


"ヒロキの

かえんほうしゃ!"


 先手を取ったのは大輔のリザードンだった。


"こうかは ばつぐんだ!"

"ダイスケは きあいのタスキで もちこたえた!"


 教わったことを、今ここで。


"ダイスケの

じしん!"


"こうかは ばつぐんだ!"


"ヒロキは たおれた!"


 炎タイプ対策にと、フシギバナに覚えさせていた効果抜群の地面技が見事に決まった。


(…………ああ、やっぱりそうなんや)


 勝ったヒロキは落胆した。いくら効果抜群の地面技とはいえ、草タイプが使ってもその本来の威力は引き出せない。もし父がきちんとリザードンを育成していたら、きっと一撃では倒せなかっただろう。つまり、予想していた通り……父はもうゲームをそこまでやりこんでいないのだ。その事実を改めて突きつけられたようで、ヒロキは寂しかった。


 その後の勝負は、もはや書き記す必要もなかった。


※ ※ ※


「はー、ヒロキ強いなぁお前~! びっくりしたわぁ」


「うん。和己兄ちゃんっていう人に教えてもらってん」


「そうかあ。一緒に遊ぶ友達がおってええなあ」


「お父さんはおらへんの? さっきのハマやんさん?とか」


「うーん……まあ、この辺の人らはあんまりゲームせえへんからなあ。一日働いた後はご飯食べてお酒飲んで、ほんで気ぃついたら朝になってて……」


 大輔は自嘲気味に笑った。


「……なんやろな。昔、ちっちゃいお前と一緒にゲームしてた頃が懐かしいわ」


 寂しかったのは父も同じだった。今のヒロキには、健太や拓海や和己がいる。彼らのおかげで、一度は諦めたポケモンだって楽しめるようになった。でも、あの時の父には自分しかいなかったのだ。ヒロキは、ゲームをやめた父を責める気にはなれなかった。


※ ※ ※


「お、もうこんな時間か」


 家のこと、学校のこと、友達のこと……楽しいことからくだらないことまで、離れていた時間を埋めるように話しこんでいると、あっという間に日が暮れ始めた。大輔はあぐらを解くと、「下からなんか賄いもろてくるわ」と立ち上がった。


「待って」


「ん?」


「晩ごはん、俺に作らして」


 そのヒロキの提案に大輔は目を丸くした。自炊なんて自分だって滅多にしない。息子が知らないところで大きく育っていることを感じ、嬉しく……そして少しだけ寂しかった。


「そうか。ほな、頼むわ」


※ ※ ※


「あ~、このでっかいジャガイモ。せやせや、うちのカレーて、こういうのやったなぁ」


「これくらい大きく切っといたら、二日目でもまだ溶けへんで形が残ってるねん」


 賄いの代わりに肉と野菜をもらってきて作ったのは、母から教わった中村家のカレーだった。ヒロキは、また父と食卓を囲んでこのカレーを食べる日が来るとは思っていなかった。


「で、ヒロキ」


「なに?」


 スプーンを口に運びながら返事をする。


「お前、なんでカレールーなんか持っててん?」


「そっ! それはっ……たまたま……」


「いや、まあええけど。……で、お前これからどうするんや? 冬休みの間、ここにおるんか?」


「……ん」


 カレー皿にスプーンを置いて……すっきりとした笑顔で答えた。


「あした、うちに帰るわ」


-つづく-

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