第15話 こんなとこまで の巻

 一駅歩いて、ヒロキは再び梅田へと戻ってきた。


「この駅かぁ」


 辿り着いた場所は御堂筋線の梅田駅ではなく、そこから5分ほど歩いたところにある谷町線の東梅田駅であった。


「えっと、ここから隣の南森町駅で堺筋線に乗り換えて、恵美須町駅で降りる……っと」


 メモ帳を見ながら乗り換えを確認する。これは、あいりが考えてくれた新しいルートだった。いわく、御堂筋線を使うと徒歩の移動距離が長いため迷いやすく、堺筋線の動物園前駅が実質的な最寄り駅になる。しかし、治安のあまりよくない新世界のど真ん中に出てしまうため、一つ手前の恵美須町駅で降りるのがベスト、とのことだった。


「……俺よりよっぽど大阪人やん」


 フフッと笑って、到着した電車に乗り込んだ。今日こそ、父に会いに行く。


※ ※ ※


 恵美須町駅から地上に出ると、目の前の大通りを挟んで多くのPCショップが立ち並んでいた。大阪一の電気街・日本橋の南端。ここから更に南下すれば、父の住む新世界である。


 阪神高速の高架を見上げながら横断歩道を渡ると、圧迫感のある高層建築が姿を消して、視界いっぱいに青空が広がった。そして、その景色の中心を貫く頭でっかちなタワー……新世界のシンボル、通天閣が遠くに見えた。


「……!」


 ヒロキは、慌てて近くの自動販売機の裏側に身を隠した。直後、先程まで立っていた歩道を制服姿の警官ふたりが、大きな声で雑談をしながら通り過ぎていった。見ると、数十メートル先に旭日章の掲げられた分厚い門構え。大阪府警が管轄する大規模警察署のひとつ、浪速警察署だ。ここまで来て補導されるわけにはいかない。ヒロキは大通りを横断して、一つ離れた歩道から新世界の入口……通天閣本通へと侵入した。


 色褪せたネオン付きの門をくぐると、通天閣へ向かって真っ直ぐに商店街が伸びていた。大阪の商店街にしては珍しくアーケードが無く、道幅も広い。居酒屋に喫茶店、整骨院に個室ビデオ……小学生には縁のない店が立ち並ぶ。前方からふらふらと猫背の男性が歩いてくるのが見えた。その手には飲みかけのカップ酒。年齢はよくわからない。すれ違いざまに、じいっとこちらを睨みつけてきた。ヒロキは、肩身狭く小走りで商店街を駆け抜けた。


※ ※ ※


 店が途切れると、そこは通天閣の真下だった。


「うわあ……」


 高さは103メートルと東京タワーの3分の1しかないが、それでもヒロキの身長の70倍である。そんな巨大建築物を間近で見上げると、威圧感でなんだか身震いがする。


「えっと……」


 メモ帳を開き、あいりが手書きしてくれた地図を見る。父の住所まであと少しのはずだ。


「……あれ? どっちやろ……」


 地図のおかげでここまで迷わず辿り着けたヒロキであったが、ここへ来て急に方向感覚がおかしくなった。それには、ある理由があった。


 通天閣はパリのエッフェル塔をモデルに造られている。そのため、その足元も同様にシャンゼリゼ通りを模して、幾つもの道が放射状に伸びている。これがまた、ただでさえどちらが正面なのか分かり辛い通天閣のフォルムと相まって、初見の人間を惑わせるのだ。


「うーん……こっちかな」


 喉元すぎればなんとやら。梅田で迷った時のことをもう忘れて、また己の頼りない勘をアテにして歩き始めた。もっとも、この辺りの道はすぐ合流するようにできているので、よほど変な方角に進まない限りは行き倒れるようなことはないだろう。むしろ問題は、どの道を選ぶかにあった。


「…………」


 人気がない。いくら日中とはいえ、静かすぎる。無造作に停められた錆びた自転車。異常に安いコーヒーの自販機。シャッターの閉まったスナックの脇を抜けると、背の低いレトロな洋館が見えた。国際劇場……どうやら映画館のようだ。興味本位で覗いてみると、裸の女性が描かれた看板が目に入り、怖くなって足早に通り過ぎた。この裏道は、陽が落ちればまた違う顔を見せる。もし昨日、あいりの家に泊まらずここへ来ていたら、果たしてどうなっていたことか。


 なんとか本通りに戻ると、急に喧騒が激しくなった。三階まで届く派手な看板の串カツ屋、パチモンのシャツを堂々と売り出す下世話な服屋、歯の無い笑顔でスマートボールに興じる老人たち。新世界の中心……そこには、下町独特のむき出しの活気があった。


「こっちの道かな……」


 特徴的な店が増えたおかげでようやく地図を読み解くことができたヒロキは、メモに従って細い脇道に入っていった。押し寄せる大人たちの人混みを器用にくぐり抜けると、また商店街が現れた。狭い道幅に円形のアーケード。今度は、典型的な大阪の商店街だ。


「ジャンジャン横丁……ここや」


 父の手紙に書かれていた住所はこの中にある。わずかな緊張をもって足を踏み入れる。立ち並ぶ店は串カツ、焼き鳥、〇〇水産……それぞれ提供するものは違っても、昼間から地元の酒呑みたちが集まっているということだけは共通していた。そんな居酒屋のうちの一軒が、ヒロキが目指していた場所だった。


(お父さん……ここにおるの……?)


 入口には赤提灯が大量にぶら下げられ、無造作に置かれた黒板には「マグロ煮こごり」「白子」「はもちり」等、小学生には味も形も想像がつかない料理が書き殴られている。とても子供が入れる雰囲気ではない。ヒロキが躊躇いながら店の前をウロウロしていると、ガラリと引き戸が開いて上機嫌のおじさん2人が出てきた。中はどんなだろう……と身を乗り出したその時。


「おい、坊主。なんの用や」


 店内から声をかけてきたのは、レジに立っているガタイのいいおじさんだった。


「えっ、あの……」


「なんや、学校はどうした?」


「あ、あの……」


 ヒロキが答えに窮して後ずさると、追いかけるように相手もレジ裏から出てきた。広い肩幅を大きく揺らしながら、ヒロキをゆっくりと追い詰める。


「こんなとこ、子供一人で来るもんやないぞ。家族はどないした?」


「……あ、あの……」


「ちょっとハマやん! グイグイ行き過ぎや。その子、怖がってるやないの。それに今は冬休みやで。なあ、ボク」


 店の中から助け舟を出してくれたのは、常連らしきおばさんだった。


「ん? そうか? 悪かったな、坊主。で、ウチになんか用か?」


 ようやくまともな発言権を得たヒロキは、スウと息を整えた。


「あの……俺、中村ヒロキって言います。お父さんに会いに来ました」


 その自己紹介に、ハマやんと常連おばさんは不思議そうに顔を見合わせた。


「中村さん?」


「うちにはおらへんで」


 ヒロキは、あっ!と気付いて訂正した。


「あの、中村はお母さんの苗字で、お父さんは山本って言います」


 それを聞いた2人は、改めてヒロキの顔をじっくりと見て、「ああ!」「よう似てるわ」と、ようやく合点がいったようだった。


「もっさあん! おーい!」


 ハマやんが店の奥に向かって声を張り上げた。ワンテンポ置いて、反応があった。


「なんですのぉ。でっかい声でぇ」


 慣れ親しんだ……けれど、ひさしぶりに聞く声。のれんをくぐって厨房から出てきた父、山本大輔は、記憶よりも少しふくよかになっていた。


「お父さん……」


「……あ、ヒロキか? えっ、なんや。どないしたんや、こんなとこまで」


-つづく-

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