第14話 じゃあね の巻
「……ふーん、それで家出してお父さんとこに行くんだ」
夕食を終え、余ったポテチをテーブルの真ん中に置いて、ふたりで分け合いながらヒロキは今までのいきさつを話していた。
「うん、お父さんはゲーム好きやから、絶対に取り上げたりせえへんし」
「わかる~! うちもお母さんにしょっちゅうゲーム取り上げられてたよ~」
やはり、どこの家庭も母親はゲームが嫌いな生き物なのかと、ヒロキは妙な安心感を得た。けれど。
「でもね~、今になって考えてみたら、お母さんの気持ちもちょっと分かるなあ」
「……そうなん? どこが?」
「ゲームやってて怒られる時って、宿題やってなかったりとか、成績が下がった時とか、いつもうちが原因だったんだよね。だからお母さん、うちのこと心配してくれてたんだなあって」
「…………」
「それに一人で暮らしてみて分かったけど……自炊って本当に大変なんだよ~! お母さん、よく毎日あんなにいろんな料理作ってくれてたな~って思う!」
あれほどのジャンク料理を作ったらあいりなので、その言葉には妙な説得力がある。
「…………うん」
道に迷って、お金に困って、お腹が空いて、泊まるところが無かった……そんな大変な今日一日を思い出して、ヒロキは今まで当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったことを知った。生かされていたことを知った。
「…………」
「…………」
ふたりの間にしみじみと訪れた沈黙を破ったのは、ピィーという甲高い音だった。
「あっ! お風呂沸いた~! ねーヒロキ、どっち先に入る?」
「えっ? ……ええっ!?」
「はい時間切れ~! うちが一番風呂もーらいっ!」
と勝手に宣言したあいりは背を向けて歩きながら、上げた片足の先を手で摘んで、器用に靴下を脱ぎつつ風呂場に向かっていってしまった。
「あのっ……」
ヒロキのか細い声はとても風呂場までは届かなかった。しばらくすると、扉の向こうからお湯の流れる音と、エコーのかかった少し音痴な鼻歌が聞こえてきた。ひとり残されたヒロキは、ただただ12歳の男の子として、顔を赤く染めてその場に体育座りをするのみであった。
※ ※ ※
「は~! すっきりすっきり! お待たせ~お風呂空いたよ~」
ポニーテールを解いた、ウエーブがかった長い髪。昼間のラフな格好とは対称的な、ゆったりとしたピンク色のパジャマ。ゆらゆらと立ち昇る湯気。火照った頬に薄紅を乗せた、屈託のない笑顔。それに、いい匂いがした。
ヒロキは、なんだかずるいと思った。
「い、いい……。オレ、今日は風呂入らへんから」
「え~! ダメダメ絶対ダメだからね!」
「べっ、別にいいでしょ」
「だーめ! お風呂は毎日入らないと汚いよ~! だいたい、布団ひとつしかないんだから、ちゃんとキレイにしてくれないとうちが困るの~!」
「はあっ!?」
「はーい早く入って~、お湯が冷めちゃう~」
あいりは素早くヒロキの後ろに回り込むと、両手で背中を押して風呂場へと連行し、「ハイいってらっしゃい!」とさっさと扉を閉めてしまった。
「……どうしよう」
もはやどうしようもない。左手の洗面台……鏡の中に、困った自分の顔が映っていた。脇には、可愛らしいウサギ柄のプラスチック製コップに歯ブラシセットが置かれている。右手には、小さめの洗濯機と洗い物を入れておくカゴがあった。そこに、さっきあいりが脱いでいた靴下やらが見えて、ヒロキは思わず目を逸らした。
「…………」
覚悟を決めて、シャツに手をかける。ただでさえ、よその風呂場は緊張するというのに、まして彼女が入った後である。服を脱ぐのですら、なんだか気恥ずかしかった。
※ ※ ※
「おっ、さっぱりしたね~」
お風呂から上がったヒロキを、あいりが布団を敷きながら出迎えた。
「……うん、ありがと」
その顔が赤いのは、のぼせたのか、それとも照れくささなのか。
「ほいっ」
あいりが投げてよこした牛乳ビンを、ヒロキが空中でうまくキャッチした。コーヒー牛乳だ。同じものをもう一本、あいりも手に持っていた。
「お風呂上がりはコレでしょ~」
と、あいりは蓋を開けて一気に飲み干した。ヒロキも「だよね」と同じく一気飲みをした。本当はフルーツ牛乳の方が好きだったが、ここは背伸びをする場面だった。
「あっ、そういえば着替え無かったね……。あー、途中で買ってくればよかったなあ。ごめんね~」
「いや、大丈夫だからっ」
「そう?」
そんなことよりも、テーブルを片付けて部屋の真ん中に敷かれた布団の方がヒロキにはよほど気になった。本当に、一枚しかない。
「じゃー、ちょっと早いけどもう寝ちゃおっか。明日こそお父さんに会いに行かないといけないもんね!」
「あの……寝るって、そこで?」
「そう」
「布団、一枚しかないけど……」
「一人暮らしだもん」
「じゃあ俺、布団無しで寝……」
言い終わらないうちに、あいりはヒロキの袖をグイッと掴んで布団に引っ張りこんだ。
「いいかい少年、真冬とボロアパートの組み合わせを舐めたら死ぬぞ! 本当に!」
「……はい」
「よしっ、じゃあ電気消すね~」
※ ※ ※
「………………」
「………………」
「……もう寝た?」
小学生か!とヒロキは心の中でツッこみつつ「まだ」と答えた。やっぱり気恥ずかしいので、暗い天井を見つめながら言葉を交わす。
「そういえば、今日クリスマスだね~」
「うん」
「ヒロキ、プレゼント何もらったの?」
「……もらってない。いっつも、夜にケーキ食べる時に渡してもらうから」
「あっちゃー。こりゃ随分と悪いタイミングで家出したもんだ~」
「……そういうお姉さんは何かもらったの?」
「うち? うちはもう高校卒業したから誰もくれないよ……悲しいよ……」
「何か欲しいものあるの?」
「欲しいもの……欲しいものか~。うーん……強いて言うなら~」
「言うなら?」
「彼氏! うん、彼氏だな! ……だってさ~、昨日、梅田歩いてたらそこらじゅうカップルだらけで~もう居場所がなくって~。なんていうか、形だけでも取り繕いたい!みたいな~」
「お姉さん、彼氏いないんだ」
「いないよ~! もう~!」
「ふうん……」
ヒロキは布団を頭から被った。まったく、ただでさえ恥ずかしさで目が冴えているというのに、そんなことを聞かされたらもう、心臓の音がうるさくて眠れないじゃないか。
※ ※ ※
「ふあああ……」
翌朝。支度を整え、リュックを背負ったヒロキは、あいりのアパートの前で大きなあくびをした。
「どした? まだ眠い?」
「……ううん。大丈夫」
誰のせいで寝付けなかったと思っているのか。とはいえ、12月の早朝に吹く冷たい風を頬に浴びた途端、たちまち目は覚めてしまった。
「今日こそ、お父さんに会えるといいね」
「……うん」
「うちも一緒に行けたら良かったんだけど、今日は朝からバイトなんだ〜。ホンットにごめんね! 代わりに、はいコレ餞別」
と押し付けてきた箱は、長らく放置されて賞味期限の迫った例のカレールーであった。
「……なんで」
「いや、ウチにあるより、まだちゃんと料理してもらえる可能性ありそうだな〜って。……あっ、それじゃあもうひとつ! これもあげる!」
「えっ? これ……」
それは、あいりがバッグに着けていたカモネギのキーホルダーだった。驚いたヒロキは、キーホルダーとあいりの顔を交互に見た。
「うちも、子供の頃は毎日ポケモンと一緒に冒険してたんだ。ゲー厶の中だけじゃなくって、小学校でも、公園でも、原っぱでも。頭の中じゃ、いつもいつでも相棒のカモネギと一緒だったんだよ。……でも、いつの間にか冒険、やめちゃってた」
そう語るあいりの表情は、どこか寂しそうだった。ヒロキに出会ったことで、子供時代に置き忘れてきたものを思い出してしまったからだ。
「だからね! だから、うちの代わりにその子をまた冒険に連れて行ってくれたら嬉しいなって。……お願いしても、いいかな?」
ヒロキはリュックにそのキーホルダーを着けると、黙って頷いた。そして、照れ隠しの甘口カレーを可愛いなと思った。
「ありがとうね!」
「うん……」
一瞬、会話が途切れた。不自然な間。それは、その時が来たことを告げるものだった。
「……じゃあ、そろそろお別れだ」
「うん」
「お父さんとしっかり遊んでくるんだぞ!」
「うん」
「そしたら、ちゃんとお母さんのところに帰るんだぞ!」
「うん」
「ヒロキ」
「うん」
「うちも、楽しかったよ」
「……うん」
ヒロキは堪えた。堪えねばならなかった。何が何でもだ。なぜって、男の子だし、何よりあいりの前だからだ。そして、そんなやせ我慢ほど女の子はすぐに見抜いてしまうものだ。あいりは、優しい笑顔で言った。
「じゃあね、ヒロキ」
ヒロキは湧き上がってくるものを思い切り飲み込んで、喉を震わせながら息を吸って。
「じゃあね。…………あいりさん」
そして、男子は歩き出した。
-つづく-
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