第12話 わ~~~~~~~~ の巻

「うーん……」


 食べる場所には困らない……確かにそれは間違いではなかったが、問題は財布の中身であった。いくら大阪の物価が安いとは言ってもヒロキはまだ小学生である。百円を失くしただけでこの世の終わりを迎える金銭感覚にとって、外食をするのには相当な決断力が必要となる。まして先程、勢いに任せてお土産を買ったばかりとなれば、店選びも慎重になろうというものだ。


「ハンバーグセット……げっ、1,000円すんのこれ?」


「ラーメン850円……う~ん、家で作るのと何がちゃうんやろ」


 最初はどこか安くて美味しくて量があるところはないかと吟味していたが、時間が経って空きっ腹の限界が近づいてくると、その条件はすぐに緩和されていった。


「もう、とにかく安いとこやったら……どこでも……」


 そうして人混みの中を流されるようにフラフラと歩いているうちにも、空は橙色に染まりつつあった。頭上で電車が走る音がする。一体、ここはどこの高架下だろう。もはや食べる場所どころか、目指す駅の方角も分からなくなっていた。


「……おい」


 足元から、わずかに怒気の籠もった声。視線を下げると、白髪混じりの髭をたくわえた初老の男性が、寝転びながらヒロキを睨みつけていた。路上生活者。気づかないうちに、敷いてあったダンボールを踏みつけていた。


「あっ、ごめんなさい!」


 慌てて足をどけて、逃げるように脇道に駆け込んだ。……道の先から、なんだかいい匂いがした。見上げると看板がぶら下がっていた。「新梅田食道街」……ヒロキは吸い込まれるように中に入っていった。


(もうあかん、ここのどっかで食べよう……)


 新梅田食道街は、数多くの飲食店が軒を連ねる通りである。「食堂」ではなく「食道」なのは、細く入り組んだ通路に店が並んでいるからだと言われており、ファーストフード店から知る人ぞ知る名店、得体のしれない激安店まで、およそ100にものぼるそのラインナップは正にピンキリである。


「お好み焼き……あかん、予算オーバーや。洋食屋……やっぱり高い。帰りの電車賃考えたら無理や……」


 もはや選択の条件は価格のみ。むしろ、予算内の金額を探すだけというのは迷う余地が無い。ヒロキは、通路最奥の店でついに「280円」の値札を見つけた。


「立ち食い……かけそば……」


 恐る恐る店内を覗き込む。丸見えの厨房内では、一人のおじさんがせわしなくビニール袋を破いては、中の麺をボンと大きな鍋に放り込んでいる。客は意外に多いが、その大半が50代以上の男性だ。皆、無言で妙に白い蕎麦を音を立ててすすっている。


「……けほっ」


 ヒロキは、どこからか漂ってきた埃に咳き込んだ。食は命の営みそのものである。だが、その店からはまるで生気を感じることができなかった。


 しかし、安い。


 ヒロキは一瞬ためらったが、背に腹は変えられない。ズボンのポケットに入れた財布をギュッと握って、その店に足を踏み入れた。


「はい、いらっしゃいませ……」


 半分目をつむっているような店主が、覇気のない声を出してヒロキの方を向いた。しかし、そのとき既に彼の姿はそこには無かった。


※ ※ ※


「ちょっと少年! あんな店に入っちゃダメだよ!」


 見覚えのある、カモネギのキーホルダー。ヒロキの袖を引っ張って店から連れ出したのは、あのお姉さんだった。


「キミ、梅田駅に行ったんじゃなかったの?」


「……えっと、あの……また迷ってしもて」


「ええ~! そりゃ大変だ。で、梅田からどこに行くつもりだったの?」


「あの……ここへ行きたいんですけど。今から」


 そう言って父の住所が書かれた手紙を見せると、お姉さんは難しい顔をした。


「えぇ~……ここ、新世界のど真ん中じゃないのさ。今から……今から~?」


 お姉さんが難色を示したのには理由がある。今でこそ安全な観光地となった新世界だが、はじめからそうだったわけではなく、2015年頃から急増した中国人観光客による爆買いブームに対応するために必然的に観光地化したのであり、この年にはまだお世辞にも治安が良い場所とは言えなかったのだ。夜の新世界に子供ひとりだけで送り出すなんて、全身に餌を巻きつけてライオンの檻の中に蹴飛ばすようなものだよ、とお姉さんは思った。


「そこね、今から行くのはやめた方がいいよ~。怖いおっちゃんに食べられちゃうよ~。うん、明日にしよ。ね! ねっ!」


 お姉さんの言葉を聞いて、ヒロキもだんだん怖くなってきた。やっぱり明日にしようかな。しかし、そうしたくともできなかった。金銭的な理由はもちろん、子供をひとりで泊めてくれる宿が無い以上、この寒い夜を野宿で乗り越えなくてはいけないという問題もあった。


「……………………」


 うつむき、今にも泣き出しそうなヒロキの顔を見て、お姉さんはなんとなくだが彼の困窮した状況を察した。きっと、この少年には今晩泊まるアテが無いのだ。


「う~~~~~~~ん」


 お姉さんの頭の中で様々な思考がせわしなく駆け巡った。どっか泊めてあげられるところないかな〜。大学の友達、近くに誰も住んでないな~。うちのアパート、大家さんにバレなきゃ大丈夫かな……。そんなことして未成年者略取になんない? いや、ウチもギリ未成年だし合法では!? 合法、合法ってなんだ……。


「う~~~~~~~ん」


「あの……」


「わ~~~~~~~~」


「……わ?」


「~~~かった! 少年! 今日はうちに泊まりなさい!」


「え? ……ええっ!?」


-つづく-

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