第10話 あっ、カモネギ の巻

 ガタンと揺れて、ヒロキは目が覚めた。


 朝が早かったこともあり、無事に電車に乗って緊張が解けたことで、つい居眠りをしてしまったらしい。目の前には、いつの間にか大勢のスーツを着た大人達がつり革を持って立っていた。今、電車は停車している。先程の揺れは、どこかの駅に到着した時のもののようだ。扉が開いて何人かが降車したことで、窓の外に一瞬だけ駅名が見えた。


(……やばっ!)


 目的の駅だ。ヒロキは慌てて立ち上がり、すみません降ります!と叫びながら無理矢理に人をかき分け、どうにか扉が閉まる直前にプラットホームへと抜け出すことができた。


「あっぶ」


 危うく寝過ごすところだったと、ホッと胸を撫でおろす。


「……えっと、次は徒歩で御堂筋線の梅田駅に乗り換えか」


 改札を出たところで、リュックから取り出したメモ帳を確認する。そこには、いつか父の元を訪れる時のためにと学校のPCを使って調べておいた、道程の目印となる建物の情報が記されていた。


「まずは『マルビル』を目指して歩く、っと。てっぺんにクルクル回る電光掲示板があるから分かりやすい……はず」


 マルビル……正式名称『大阪マルビル』は円筒形の地上30階建てビルで、梅田のランドマークとして知られていた。そこに辿り着ければ、梅田駅も近いはずだ。


「えーと……どっちやろ?」


 目立つ形のビルだからすぐに見つかるだろうという目論見でマルビルを目印にしたのだが、どこを見渡してみても、普通の四角いビルだらけである。それはそうだ。なにしろマルビルができてから既に40年。その長い年月の間に、新しくできたより高さのあるビル群が梅田を埋め尽くしているのだから、どこにいても見えるわけではない。


「んー、まあ、梅田は梅田や。歩いてるうちに見えてくるやろ」


※ ※ ※


「………………」


 道筋を知らぬ者が、行くアテもなく歩けばどうなるか。それが分からない人間を方向音痴と呼ぶのだ。ヒロキがさまよい始めてから既に一時間以上が経過し、いよいよ本人にも「迷子」の自覚が芽生えていた。


(……さすがに、誰かに道を尋ねた方がええかな。でもなぁ)


 ヒロキは躊躇った。下手に大人に話しかけて、もし小学生が一人で繁華街を目指していることを怪しまれでもしたら厄介だ。尋ねる相手は慎重に選ばなければならない。


 目立たないように道の端っこを歩きながら通行人を観察する。真面目そうなスーツ姿のサラリーマンは却下。いかにも世話焼きそうなよく喋るオバちゃんもダメだ。……と、その時ヒロキの目に留まったのは。


(あっ、カモネギ)


 カモネギ……初代からずっと登場しているポケモン。その古ぼけたキーホルダーが、すれ違った若い女性のトートバッグに付いているのを見つけたのである。ヒロキは仲間意識から安全だと感じたのか、気付けば反射的に振り返り、「すみません!」と声をかけていた。


「ん? 何かね少年?」


 20歳くらいだろうか。ジーパンを穿き、ラフなシャツの上から厚めのジャンパーを着込み、被った野球帽の後ろからは長いポニーテールが伸びている。決してお洒落とは言い難い格好だったが、スラリと高い背丈にハッキリとした目鼻立ちがそれらをカバーし、不思議と格好良く見せていた。大阪で言うところの「シュッとしている」というやつである。


「あの、梅田駅に行きたくて……」


「あー、梅田? どこのかな?」


「えっ、どこの……って?」


「地下鉄の梅田、阪神電車の梅田、阪急電車の梅田、あとは東梅田に西梅田……」


「えっ、えっ」


 そう、ひとくちに梅田と言っても、その種類は多岐に渡る。それらが地下に広がる77,000平方メートルもの複雑怪奇な通路によって繋がっているため、油断すると地元民でもあっという間に迷ってしまうのである。人はこれを「梅田ダンジョン」と呼んだ。


「あの、えっと、御堂筋線の……」


「うん。それなら地下鉄だね。この先の信号を左に曲がって真っ直ぐ行くとマルビルが見えてくるから……」


※ ※ ※


「ありがとうございました!」


「うん。がんばりなよ、家出少年!」


 ポン、と軽くヒロキの肩を叩いてカモネギのお姉さんは去って行った。


「はいっ! …………えっ」


 ヒロキが驚いて振り返ると、お姉さんはニカッと笑ってこちらに大きく手を振っていた。


「……よし、まずはマルビル。そこから梅田駅や」


※ ※ ※


「なんや、電光掲示板なんか回ってへんやん」


 ようやく辿り着いたマルビルを見上げながら、ヒロキは呆れたように呟いた。噂に聞いた回転する電光掲示板は、施設の老朽化と、周囲に高層ビルが多く建設されたことでその役目を終え、2003年に撤去されていたのだ。どうやらヒロキは昔の記事を調べてしまっていたらしい。……となると、他の情報も怪しいものだ。


※ ※ ※


(……どこや、ここ)


 一時間後。案の定、梅田ダンジョンで途方に暮れるヒロキの姿があった。完全に迷った。何か目印を見つけようにも、目の前を行き交う人々のせいで何も見えないし、方角もよく分からなくなってきた。目的地は地下鉄だが、こうなると、さすがに一度地上に戻らないことには自分がどこにいるのか確認しようがない。ヒロキは当てずっぽうに近くの階段を昇った。


「うわあ……」


 出た先は、JR大阪駅のバスターミナル前。ヒロキが見上げた、ドーム状の天井を有する巨大な橋上駅舎は、ウメキタ再開発の目玉のひとつである。しかし残念ながら、ここはヒロキが目指す駅ではない。


「調べてきた大阪駅とちょっと形が違うなぁ……。でも、たぶん梅田駅には近づいてるはずや」


 なんとなく現在地を把握したヒロキは、向かうべき方角を定めて、再び魔の梅田ダンジョンへ潜……ろうとしたが。駅の柱に取り付けられた液晶ディスプレイに目が釘付けになった。


"ポケモンセンターオーサカ 大丸梅田店13F"


 事前に調べた情報によれば、大丸百貨店はこのJR大阪駅に隣接しているはず。それを思い出したヒロキが視線を動かすと、巨大なモンスターボールが描かれたポケモンセンターのロゴマークが目に入った。ちょうど開店直後の時間である。ヒロキは、思わずゴクリとつばを飲み込んだ。今日の目的はあくまでも父に会うことである。しかし、これはある意味ポケモンの旅でもある。偶然辿り着いたとはいえ、ここまで来たら立ち寄らない手はないだろう。足は自然にそちらへ向いた。


-つづく-

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