第7話 ちょっとそこ座り の巻

「……ただいまぁ」


 つい、小声になった。時刻は午後七時過ぎ。ヒロキに明確な門限は課せられていなかったが、晩御飯の支度を手伝うため、母が帰宅する午後六時半頃には家にいなければならないというのが暗黙のルールだったからだ。


「おかえり」


 台所から聞こえてきた母の声は妙に低く、落ち着いてた。なんだか嫌な予感がした。いっそ、怒鳴ってくれた方がまだいい。


「ヒロキ、ちょっとそこ座り」


 静かな声の奥に、怒りの感情が潜んでいるのが分かる。ヒロキは暗い気持ちでダイニングの椅子に座った。


「あんた、友達と一緒に隣町で買い食いしてたんやって?」


「えっ」


「さっき、担任の岸田先生から電話があってな。先生の地元で、なんやガラの悪い中学生とか、バイクに乗った大人と一緒におるのを見かけたて。学校で問題になる前に、お母さんから注意しといてくださいて連絡あったんやけど……ほんまか?」


「ちがっ……あれは拓海のお兄ちゃんで……」


「ほな、買い食いは?」


「………………」

 

 すべてが事実ではないのと同様に、すべてが誤解でもなかったから、ヒロキはそれ以上何も言えなくなってしまった。


「お母さんは、あんたがどうしてもゲームが欲しいて言うから、隣町まで行ってもええて言うたんやで。せやのに、人の目が無くなったら買い食いまでしてもええの? それに、帰ってくるのもえらい遅かったやないの」


 矢継ぎ早に責め立てられても、負い目のあるヒロキは何も言い返せなかった。けれど、自分の言い分を伝える権利が与えられない理不尽さには納得ができなかった。母にとってみれば、片親が一人息子を過剰に心配するのも仕方のないことではあるのだが、その気持ちを小学生に推し量れというのもまた、難しいことであった。


「買ってきたゲーム、こっちに渡しなさい」


「えっ、なんで……」

 

「なんでやないでしょ」


「…………」


 渋々、ポケモンのカセットを渡したが、母の要求はそれだけに留まらなかった。


「本体も。今日からしばらく、ゲーム禁止やから」


「……しばらくって、いつまで?」


「あんたが反省するまでや」


 母の一存によって如何ようにも延長できる曖昧な期限。それは、一刻も早く続きを遊びたいヒロキにとっては死刑宣告にも等しかった。


※ ※ ※


「あぁ~あ! もうっ……!」


 食事を終えて子供部屋に戻ったヒロキは、勉強机に突っ伏して唸った。朝からずっと頭の中はポケモン一色だ。それなのに遊ぶことができない。こんなに辛いことがあるだろうか。ポケモンがしたい。どうしてもしたい。


「…………あっ」


 ヒロキはふと思い出し、脇のカラーボックスに目をやった。ゲームボーイアドバンス。そしてファイアレッド。古いゲームだ。しかし、ポケモンである。


(……返してもらえるまで、こっちで我慢か)


 もちろん、言い渡されたのが「ゲーム禁止」である以上、母に見つかるわけにはいかない。当分は、また布団の中で懐中電灯を照らしながらプレイすることになるだろう。それでも、ポケモンが遊べないよりはよっぽど良かった。


「はあ……。お父さんやったら、絶対いっしよに遊んでくれたのになあ……」


※ ※ ※


「やっぱ、そっちもかあ~」


 明くる日の教室。ヒロキは、同じく担任から連絡が来たらしい健太と拓海と一緒にため息をついていた。


「僕のところにも電話かかってきて、おかげで当分、ゲームは一日三十分だけやって」


「ま、うちはオレが買い食いしてるのなんか今更やし、特にお咎めなしやったわ」


「ええなあ、うちなんか完全にゲーム禁止やで……」


 ヒロキがこぼすと、二人から「うわあ……」と同情の声が漏れた。


「ほなお前、どうすんの」


「当分はコレ」


 と、ランドセルの口を開いて、筆箱の下に隠して持ち込んだゲームボーイアドバンスを見せた。


「まあ、しゃあないな」


「でも、一作目から遊ぶの、順序としてはええんとちゃいますか?」


 二人はそうやって慰めてくれたが、ヒロキは「なんでうちだけ」と、教育方針の違いによる不公平さにますます不満を募らせたのだった。


※ ※ ※


 その夜。


(よっし、ハナダジム制覇! ダイスケ、つっよ!)


 ヒロキは布団の中で小さく拳を握った。懐中電灯に照らされた画面の中で、獲得した二つ目のジムバッジが光る。水ポケモン使いの集まるハナダジムは、岩ポケモンたちのニビジムと同じく、草ポケモンのフシギダネとは相性がよく、すんなりとクリアーすることができた。


(よーし、次の町行くで!)


 いくら古いゲームとは言っても、そこは流石のポケモンである。あれだけグチグチ言っていたヒロキも、いざ遊び始めるとこの通り、すっかり夢中なのであった。


※ ※ ※


「……そんで、昨日やっとクリアしてん! ほんま、最後のチャンピオン戦ギリッギリやったわ~!」


 拓海の家。興奮しながらファイアレッドの武勇伝を語るヒロキに、健太と拓海は一度顔を見合わせてから、冷めた視線を向けた。


「いや、それはええねんけど、お前いつになったらY始められんねん」


「ゲーム禁止から三週間、もう11月やで。僕らもうすぐXYクリアしてしまうで」


 健太たちも初めは同情の目で見てくれていたが、ヒロキのためにXYのネタバレをしないように気を遣って会話をするのに、いい加減ストレスが溜まってきているようだった。


「そんなこと言われても……」


「オカンがゲーム隠すとこなんて大体決まっとるやろ。子供の手の届かんタンスの上とか」


「まあ……」


 実際、ヒロキは3DSとポケモンYの隠し場所を知っていた。母の寝室にある化粧箪笥、その最上段だ。手は届くものの、神経質に美しく積み重ねられた衣服の下敷きになっているため、少しでも動かせば探った痕跡が残ってしまうのは間違いなかった。


「お前ら来てたんか」


 大学から帰ってきた和己が、子供部屋の扉を開きつつ「よう」と手を振った。


-つづく-

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