第5話 まだ残ってたらええなあ の巻

「……はぁ~! ぐえっぷ!」


 コーラを一気に三分の一ほど流し込んだ健太が大きなげっぷをした。ヒロキと拓海も、それぞれ買った物をガサゴソと袋から取り出した。駐車場の車止めに腰かけて、しばしの休息をとる。


「おいヒロキ、ちゃんとゲーム代は残してるやろな!」


 買い食いで元気を取り戻した健太が、いたずらっぽく言った。


「これは別に持ってきた小遣いやから大丈夫やって。ほら」


 と、ズボンのポケットからしわくちゃになった五千円札を取り出して見せた。


「せやけど、どこにあるんやろうねぇ。エンゼル」


 拓海の言葉に、健太が無根拠な自身に満ちた笑顔を見せた。


「まぁ、この辺なんは間違いないわ。よっし、これ食ったらすぐ出発や」


 と、急いでスナック菓子を頬張る健太に、突然、大きな影が重なった。見上げると、30cmほどの頭上から鋭い男の眼が彼を見下ろしていた。それは、獲物を見つけた肉食動物の眼だった。


「キミら小学生やろ? 買い食いかァ。イカンなァ~」


 おそらく、中学生。後ろにも二人……すばやく左右へ別れてヒロキたちの逃げ道を無くした。


「そういう悪いことしたらアカンわなァ。そんなん見てもうたら、俺らとしては没収せなしゃあないわ」


「教育しとくか~」


 ヒロキたちを囲う輪が、じりじりと小さくなってくる。


 どうしよう……コンビニに駆け込む……自転車まで走る……いや、それまでに絶対に捕まる……ケータイで助けを呼ぶ……そんな隙がどこに……ヒロキたちは様々に頭を巡らせたが、どれも状況打破には繋がらない。その上。


「ところで、そっちのキミ」


 急に指さされ、ヒロキはドキリとした。嫌な予感……そういうものに限って的中する。


「さっき、お札持ってたよなァ」


 一気に心臓の鼓動が早まった。(見られた)(取られる)(お母さん)(まずい)(買い食い)(誕生日プレゼント)(怒られる)……色々な思いが一瞬で頭の中を駆け巡る。


「子供がそういう大金持ってたら危ないわな。預かったるから、はよ出しや」


 大きな手が、ヒロキのズボンのポケットへ伸びてくる。反射的に身をよじって避けようとすると、その手は彼の肩を強く掴んだ。


「いたい!」


「お前がさっさと出さへんからやろ」


 その手にさらに力が籠められ、ぐっと引き寄せられる。


「やめろや!」


 健太の叫びは当然のように無視され、虚しく響いた。


 数秒後。


 答えが突然、返って来た。


「せやぞ、やめとけやめとけ」


 単車のエンジン音と共に聞こえてきたその声にヒロキたちは驚いたが、もっと驚いたのは中学生たちである。振り向くと、ゴツいバイクに乗った、おそらく二十代の成人男性が眉間に皺を寄せている。いくら非行の道を選んだとはいえ、彼らもまだ大人には太刀打ちできない子供である。中学生たちは一瞬アイコンタクトをとると、たちまち三方に分かれて走り出した。


「あっ! おい! ……は~、引き際も慣れとんなぁ」


 エンジンを止めて単車から降りた青年は、逃げゆく中学生たちを見て呆れながら言った。


「お兄ちゃん!」


 拓海が青年に駆け寄った。彼の大学生の兄、和己である。


「おう。近くまで来る言うてメール送ってきたから、迎えに来たったで」


 話を聞くと、どうやら目的の店は和己が通う大学の近くにあるらしかった。いや、正確には順序が逆で、和己が大学の近くで発見した店だというのだ。


「しかし、お前らだけでようこんなとこまで来たな。この辺、ああいうヤツらもおるから、あんまり子供だけで遠出したらアカンぞ」


「うん。でも今日は急ぎで……」


 拓海が、ちらりとヒロキの方を見た。


「ああ、エンゼルやろ。あそこ、わっかりにくいからなぁ。連れてったるわ」


 派手なエンジン音が響き、和己を乗せたバイクがブルンと揺れた。


「あっ、ありがとうございます!」


 ヒロキは満面の笑みでお礼を言うと、急いで自転車のペダルに足をかけた。地獄のどん底から一気に引き上げられ、一息つくのも忘れていたが、脳内はいよいよ間近に迫ったポケモンのことでいっぱいになっていた。


※ ※ ※


「あれや」


 和己のバイクについていくこと、およそ五分。複雑に入り組んだ住宅街の中に、ひっそりとその店は佇んでいた。ありふれた民家の一階を店舗に改装した、築三十年はくだらない町の玩具屋。店頭に吊り下げられた控えめな看板には、変色したペンキで「おもちゃの店 エンゼル」と書かれていた。だが、そんなくたびれた様子にこそ、ヒロキはいかにもお宝の眠る穴場スポットらしさを感じて、ますます期待に胸膨らませるのであった。


「ヒロキ、行ってこいや」


 健太に背中を押され、ヒロキは緊張しながら自転車を降りた。


「あ、あるか聞いてくる!」


 ポケットに手を突っ込み、五千円札の感触を確かめる。いざ、店内へ。


「…………」


 一体いつの頃からあるのか、棚には十年以上前の物と思われるスーパー戦隊のDXロボット玩具から、少なくとも今年中に売れることはないであろうゲイラカイトに、すっかり色褪せた化粧箱に包まれたクマのぬいぐるみなど、年季を感じさせる商品が幾つも並んでいた。それはレジカウンターを兼ねるガラスケース内に収まったゲームソフト群も同様で、確かに3DSやWii Uといった最新ハードのゲームも並んではいるものの、同列にゲームキューブやゲームボーイアドバンスなど旧世代のゲームソフトが同じぐらい……いや、それ以上に陳列されていた。


「あのぉ……」


 ヒロキは、カウンターに両肘をついて新聞を読んでいる店主と思しき老人に、恐る恐る声を掛けた。老人は眠たげな瞳だけを動かしてヒロキの方を見た。


「ん、いらっしゃい。……見かけん顔やけど、最近、このへんに引っ越してきたんかな?」


 意外と温和な話し方に、少し安心する。


「いえ、友達に教えてもらって隣町から来ました……。それで、あの……ポケモン、まだありますか?」


「あ~……」


 店主は新聞を置くと、かがんで足元をごそごそと探り始めた。ガラスケースの向こう側に、その背中だけが見える。


「モンスターは、よう売れるからなあ……」


 ヒロキにとって、もどかしい時間が過ぎていく。ポケットの中で握った五千円札が湿り気を帯びていた。しばらくして、店主がカウンターの裏から顔を出した。


※ ※ ※


「まだ残ってたらええなあ」


「うん」


 健太と拓海は、店の外でヒロキが戻るのをソワソワしながら待っていた。


「さすがにポケモンやからな。なんぼエンゼルでも売り切れんのは早いと思うで。ちゅうか、うちの大学でもここへ買いに来る奴おるし、おれも昼休みに買うたし」


 ポケモンは第一作の発売から既に十七年が経過し、今では子供だけでなく大人も遊ぶ国民的ゲームへと成長していた。ヒロキのライバルは、もはや同級生だけではなくなっていたのだ。


「おっ、帰ってきたで!」


 待つこと数分。薄暗い店内から、ついにヒロキが姿を現した。そして。


「Y……! Yだけ残ってた……!」


 と、赤い伝説ポケモン・イベルタルが描かれたパッケージを高々と掲げた。


「よっしゃ!」


「はぁ~、よかった……」


 ヒロキは目を輝かせながらパッケージを見つめた。「3Dで描かれる迫力のバトル!」「世界中の友達と対戦・交換」……そこに書かれた惹句の数々に鼓動は高鳴り、いよいよ始まる新たな冒険へと胸を躍らせた。


-つづく-

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