第4話 なんか買おうぜ の巻

「ここもや……」


 2013年10月12日(土)。この日、ヒロキはポケモン最新作を手に入れ、健太と拓海と一緒に心躍る冒険の第一歩を踏み出す……はずであった。しかし、彼がこのショッピングモールのゲーム売り場で目にしていたものはポケモンのパッケージではなく、「『ポケットモンスターX・Y』売り切れました」の無慈悲な貼り紙であった。これでもう三軒目。呆然とするヒロキの横を、同い年ぐらいの小学生男子がすり抜けてレジへと向かって行った。


「『ポケモンX』ください!」


 その手に握られた一枚の予約票と引き換えに手渡される『ポケモンX』。ヒロキは、ただその光景を無力に眺めるしかなかった。


「えらい人気なんやなぁ、ポケモンて。ヒロキ、また今度にしよか?」


「……もうちょっとだけ探したい」


 無いと分かると余計に手に入れたくなるのが人間というもの。諦めきれずに歯噛みするヒロキの前に、見知った二人が現れた。


「『ポケモンX』ください」


「ボクは『Y』で」


 と、店員に予約票を渡したのは健太と拓海である。ソフトを受け取った二人は、傍で立ち尽くすヒロキに気が付いて声をかけてきた。


「おっ、ヒロキもここで買うんか?」


 健太の無邪気な質問に、ヒロキはうつむき加減で答えた。


「予約してなかったから……。他の店にも売ってなくて……」


 その言葉でヒロキの窮状を察した健太は、拓海と顔を見合わせた。そして。


「なあヒロキ、エンゼルっていう店、知ってるか?」


 健太の質問にヒロキが訝しげな表情を見せると、すぐに拓海が補足した。


「ボクのお兄ちゃんが見つけた店やねん。ここからちょっと遠いんやけど、全然知られてない穴場で、どんな人気のあるゲームでも置いてあるねん。なぁ、健太くん」


「おう。オレも親父に車で一回連れてってもらったけど、あそこはすごいで! 絶対ポケモンも置いてあるって! 今から一緒に行ってみるか?」


 そんな凄い店が本当にあるのか? そう疑る気持ちもあったが、今はどんなに僅かな可能性にも賭けてみたいという思いが勝った。


「……なあ、行ってもええ?」


 母の表情を窺うと、眉間に少し皺を寄せているのが分かった。子供たちだけで遠くへ出かけさせるのも、ゲームソフト代という大金を持たせるのにも反対だという心情が透けて見える。しかし同時に、せっかく誘ってくれている友人たちの目の前で断りを入れるのも……そんな葛藤も見てとれた。


「なあ、お願い!」


「……ええよ。その代わり、晩御飯までには帰っといでや。それから、車には気ぃ付けるんやで」


 結局、こういう時はより意思の強い方が勝つものだ。


「おっしゃあ! ありがとう!」


 ヒロキは母から五千円札を受け取ると、自転車を取ってくるために慌てて自宅へと駆け出した。


「ここの入口で待ってるからなぁ!」


 健太がヒロキの背中に声をかけると、彼は走りながら、振り向かずに右手を振って応えた。


※ ※ ※


「お、来たで」


 健太は、モールの正面入口で待機する自分たちのところへ向かってくる自転車を見つけた。もちろんヒロキである。その速度から、かなり気が急いているのが分かった。


「お待たせ、ほな行こか!」


 ヒロキは自転車を止めると同時に少し左へと傾け、かろうじて地面に足を着いた。母が選んだその自転車は、実用性を重視して大きな前カゴが付いていたが、彼はそれがママチャリのように見えるのが嫌だった。しかし、24インチと少し大きめのサイズは、まだあと数年は乗り続けないといけない運命を示しており、ヒロキがサドルを目いっぱい上げているのは、少しでも早くこの自転車を卒業したいという意思の表れだった。一方で、拓海は似たようなママチャリ然とした自転車を特に気にせず愛用し、健太は青いマウンテンバイクに乗っていた。


「そんな急がんでも大丈夫やって~」


 ふたりはもうポケモンを手に入れているからそんなに余裕でいられるんだ、こうしている間にも売り切れるかもしれないんだぞ……とヒロキは心の中で叫んだが、自分のためにわざわざ案内を買って出てくれたわけだから、それは口にしなかった。


「よっしゃ、ついてこいよ!」


 言うと、健太は地面を蹴り、その勢いのまま立ち漕ぎで走り出した。慌てて拓海とヒロキが後に続くも、さすがマウンテンバイクは速い。二人も全力でペダルを回して後についていく。いつも安全運転を旨とする二人は、慣れない速度に少し恐怖を覚えた。


 モールの前は広い国道で、すぐ隣を猛スピードで自動車がすれ違っていく。普段の安全な通学路とは違う、危険な道。真正面から吹き付ける爽やかな秋風も相まって、ヒロキはなんだか息苦しい規律から解放されたような心地よさを感じていた。


「曲がるぞ~!」


 健太が後続に聞こえるように声を張り上げ、自転車を右へ傾けた。二人も後へ続く。国道から外れたその道をしばらく行くと、馴染みのない小学校が見えた。このまま進んだら、一人では帰れないかも……ヒロキはそんな不安を覚えた。小学生の行動範囲は大抵、通学圏内に収まるため、隣の校区へ侵入した途端、そこは見知らぬ土地になってしまう。


 知らない道。


 知らない商店街。


 知らない川。


 知らない公園。


 初めての景色が目の前を通り過ぎていく。


 行き先を知るのは、前を行く者だけ。


「まだ遠いん~?」


 先頭を走る健太に、ヒロキは我慢しきれずに尋ねた。随分と遠くまで来てしまったという不安もあったのだろう。すると、健太はスピードを落としてヒロキと並走を始めた。


「もうちょい……やと思うわ」


「えっ」


 その言葉に、心の奥底に隠れていた不安が一気に広がっていく。


「大丈夫やって! もうこのへんは見覚えある道やから!」


「うーん……ボク、お兄ちゃんにメールで訊いてみよかな」


「うん……」


 今は二人を信じるしかない。


 しかし。


 スピードを落としたまま、きょろきょろと辺りを見ながら進む三人だったが、二十分近く探してもそれらしい店の看板は一向に見つからない。徐々に口数が減り、徒労感が頭をもたげ始める。こういう時に、空気を読めるのが拓海だった。


「ちょっと、あそこで休憩せえへん?」


 指さしたのは、角地にあった一軒のコンビニ。三人は狭い駐車場の脇に自転車を並べて止めた。店内は弱めの冷房が効いていて、もう夏が終わったとはいえ、散々走り回って汗だくになっていたヒロキたちの肌には快適な室温だった。


「なんか買おうぜ」


 ヒロキはどきりとした。もちろん、買い食いは校則で禁止されている。しかし、ここは隣の校区。知り合いに見つかる心配はない。本当にいいのかな……そんな罪悪感は、すぐに高揚感に上書きされていった。自分の小遣いで、自分の判断で自由に物が買える……そう思うと、棚に並ぶ商品がいつもよりずっと魅力的に見えてくる。


「オレはこれとコーラ買うわ」


 明らかに慣れた様子でレジへ向かう健太の手には、スナック菓子とペットボトル。買い食いをしたことの無かったヒロキはそういう風に買うのか、と思いつつ、なんだかもったいなさも感じて、スナック菓子ではなく、長持ちする箱キャラメルを選んだ。


-つづく-

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