第30話 黄昏時が終わる
「おおおおっ!」
ユウ君が、戦場のど真ん中めがけて猛進してくる。
「「「ギ、ギギッ!?」」」
放たれる
「ええい、何を恐れることがある。たかが女モンクの一人。今までのように囲んで片付けろ」
死神蜂が上空から檄を飛ばす。
「「「ギギギギ」」」
上官の命令に従い、手槍蜂どもが、手早く包囲円を形作った。
「いかん。このままじゃあ、ユウ君まで俺の二の舞だ」
あの全方位攻撃にさらされては、彼と言えどタダでは済むまい。
この時の俺は、本気でそんなことを思っていた。
手槍蜂の軍勢が、全ての方位から、雪崩を打ってユウ君に襲いかかる。だが――、
「ギィ!?」
「ギゲッ!?」
「ギギェエ!?」
ユウ君の間合いに入ったモンスター共は、瞬きの間に、死を与えられる。
彼の手元が閃いた、と思った瞬間には、手槍蜂の硬くて乾いた身体が、バラバラになっているのだ。
手槍のリーチとか、集団戦法とか、
そういった戦いの論理が、一つとして、ユウ君には通用しない。
「こ、これがユウ君の実力――」
思えば、若干二年生にして、不良の巣窟たる西中をしめているのが彼なのだ。
元々の身体能力はお墨付きである。
そこにパワー500%、スピード550%という恵まれた補正をかければ、この結果は当然なのかもしれない。
「お、俺が四苦八苦した相手をこうも簡単に……」
喜びを通り越して、俺は絶句していた。
攻防の間も、ユウ君の前進が停滞することは無い。
もうまもなく、死神蜂の真下にたどり着く。
「ええい、何だ! あの化け物は!?」
うろたえ声を上げ、死神蜂が高度を取ろうとする。
「いやいや、それにしてもありがとうございます」虎太郎が顔をにやけさせた。「時間稼ぎには、耳寄り情報の小出しが有効。ご教授いただいた方法は、さっそく役に立ちましたよ」
虎太郎の皮肉に、
「貴様っ!」
死神蜂が顔色を変える。
上昇速度が緩む。
「はあっ!」
ユウ君が大地を思い切り踏み切った。
そのあまりの衝撃に、土煙が巻き上がり、周囲の草花がちぎれ舞う。
キリンの首換算にして、4本分ほど上昇したユウ君の指先が、ぎりぎり敵下腹部に引っかかった。
「し、しまった」
死神蜂は身体を激しく揺すり、ユウ君を引き剥がそうとする。
だが、屈強な人差し指と中指からなるホールドは、ビクともしない。
「むんっ」
そのまま指先の力だけで、全身が強引に引き上げられる。両腕が、がっしりと死神蜂の下端をつかんだ。
「今行くぞ、トラ君」
全長20メートルを超える敵巨躯を、ユウ君がクライミングしだす。
死神蜂の全身には、生来の近接防御オプションであるトゲが密生しているが、それは
トゲの先端に、衣服と肌を裂かれることはあるが、ユウ君は気にも留めない。
「ええい、離れろ」
死神蜂が空中を激しく飛び回るも、ユウ君は振り落とせない。
「ならばせめて」
死神蜂が顎を大きく左右に開いた。
「う、うわわ」
せめて、虎太郎の命だけでも取ろうというのだ。
「ユ、ユウ君、虎太郎がヤバイ」
「分かってる!」
ユウ君が両手両足を縮こませる。
と思ったと同時に、「たあっ」、カエルの跳躍を思い起こさせる大ジャンプで、たちまちに虎太郎の傍らにつけた。
たちどころに、虎太郎を拘束していた巨腕を、力任せに全て引っこ抜く。
「ぎゃああああ」
死神蜂が激痛にもだえた。
「しっかりつかまってろ」
「うん、ユウキ君」
「……ユウキ君って誰のことだ?」
ユウ君が虎太郎を抱きかかえ、空中でもだえる死神蜂の身体から、ひとかたまりとなって飛び降りた。
着地の衝撃で、また大地が激しく揺れる。
「す、すごいぞ、ユウ君」
手槍蜂を必死にさばきながら、俺は賛辞を贈った。
「あっ?!? ユ、ユウキ君、それは」
狼狽した様子で、虎太郎がユウ君の身体の一部を指さす。
「ん、どうし――!?!」
朱色の武道着の胸部が、死神蜂体表のトゲで損傷し、瑞々しい膨らみが露わになっていたのだ。
「み、見るな見るな見るな!?」
ユウ君が大慌てで、襟巻きで胸元を隠す。
「み、見たか?」
赤い顔で虎太郎に訊く。
「しっかり見ました」
虎太郎が目を輝かせる。
「わ、忘れろ」
「忘れるなんてとてもできない。ああ、君はやっぱり僕の思ったとおりであってくれた。ユウキ君でなくて、ユキさんだったんだ」
虎太郎は感動に打ち震える。
「さ、さっきから本当に何の話をしてるんだ?」
「おのれおのれ、人間」
深手を負った死神蜂が、怨念のこもった目で、ユウ君をにらみつけていた。
「このような醜態が許されるわけも無い。私はあのお方に寵愛を受けた、特別な存在なのだ。それがこのような無様ををををっ!!」
憎悪の声をまき散らし、死神蜂が急降下で迫る。
岩をも裂く大刃が、正確にユウ君を狙い澄ましていた。
「面白い、やってみるか?」
それに真っ向勝負で応じようとするユウ君だったが、
「ここは僕に任せてくれ」
虎太郎が、ローブの内ポケットから、『双樹の杖』を取り出した。
「『マジック』のパラメータは、プレイヤーの精神状態に敏感に反応してしまうが、それは悪影響ばかりとは限らない。なるほど」
虎太郎が、短い杖にピンと天を衝かせた。
風が巻き起こる。
先ほど乱れ散った草花が、透明な流れを可視化する役割を果たしていた。
術者である虎太郎を中心に、何重ものらせん軌道を描き出されていく。
「す、すごい」
肉薄してきた手槍蜂を蹴飛ばしながら、俺は感嘆の息を吐いた。
虎太郎の生み出したらせん模様は、精緻な細工のように一部の狂いも見当たらない。
明らかに、妖樹王と戦ったときより、一段上のコントロールが発揮されている。
「風魔法【ウィンド】」
虎太郎が杖の先を振るう。
渦状になっていた風の線分が、ぴんと伸びきり、空に大きな弧を描く。
風の龍が、死神蜂へ襲いかかった。
「ちぃ」
攻撃動作をキャンセルし、死神蜂が巨体を
しかし、風より素早く飛べる生き物などいるはずもない。死神蜂は、程なくして、風に補足される。
「ぐ、ぐおお」
風は死神蜂の羽根に、何重にもまとわりついた。
「な、なるほど。空を飛ぶ生き物にとって、羽根は泣きどころだ」
虎太郎の風は、羽根の根元と先端で、巧みに速度差がつけられていた。
それが羽根にねじりの力を加え、軽量化のため薄く
「バカな、バカな、バカな」
空中での安定を失い、きりもみ状態になった死神蜂が、頭から墜ちてくる。
「後は私が」
ユウ君がその落下予測地点に滑り込んだ。
「【チャージ】」
と、唱えて、墜落してくる死神蜂めがけて跳び上がった。
ユウ君の【チャージ】は、攻撃力倍化の攻撃スキル。
「ギ、ギザ様、バンザーイ」
死神蜂の絶叫が上がる。
間髪入れずに、
「せええいぃ!」
ユウ君の回転蹴りが、敵脳天に打ち込まれた。
圧倒的な衝撃が、頭部のみならず、胸部、肩部、腹部へと伝播していく。
死神蜂の巨大な上半身が、発破をかけられたように四散した。
乾いた体片が、雨と降り注ぐ。
「ギィィィ!?」
「ギギッ!?」
ボスを失った手槍蜂たちは、一目散に逃げだすのだった。
静寂を取り戻したトモロ平原に、
「ぜえはあ、ぜえはあ」
ユウ君の苦しげな息の音だけが響き渡っていた。
あれだけの威力を誇るスキルである。代償となる体力は、並大抵ではないのだろう。
「すごかったよ、ユキさん」
虎太郎が彼に駆け寄る。
「トラ君もよくやったな」
ユウ君がハイタッチの仕草を取ると、虎太郎はおずおずとそれに応じた。
小気味よい音が弾ける。
「……」
俺はその様子から目を背け、死神蜂の亡骸を見つめた。
小さな破片から、原型をとどめた下腹部まで、一つ一つに目をとどめる。
……別に、命を奪った
やるかやられるかの状況だった。
もし、何かの歯車が一つでも狂っていれば、無残な亡骸を晒していたのはこちらだったろう。
(ただ……)
祖父母の火葬の時もそうだったが、死者を前にすると、いつも思うことがある。
(死んだ生き物は一体どこに行くのだろうか?)
誰しもが一度は考える疑問であろう。
もちろん、人間には及ぶべくもない問答だ。
ただ、死によって全てが無に帰すと考えてしまうと、どうにも生きるのが辛い。
極めて自分勝手な理由から、俺は、死神蜂の魂がここでは無いどこかに在り続けていることを、心から願った。
「はははは」
「ふふふふ」
ユウ君と虎太郎の笑い声が、俺の意識を現実に引き戻した。
「そうだ、こうしちゃいられない」
俺は二人に駆け寄る。
「おう、珪ちゃん。よく粘ったじゃ無いか。大したもの――」
パチン。
ユウ君の頬を、俺がひっぱたいた音である。
「……え?」
「け、珪太、何をいきなり」
「ユウ君、なぜだ、どうしてだ!」
こみ上げてくる怒りを、俺はこらえきれない。
「どうして豊胸手術なんかしたんだ!」
俺はユウ君の目をまっすぐ見て言う。
「…………は? え?」
「ユウ君が自分の性別に違和感を覚えているのは、小学生の頃から気づいていた。でも、俺たちはまだ14歳だぞ。身体にメスを入れるのは、早すぎやしないか?!」
「???」
「あ、あの、ユキさん。どうも珪太は、君のことを、その、男子だと思いこんでるらしくて」
「……は!?」
「虎太郎めったなことは言うな。思い込みなんかじゃない。ユウ君が男子だというのは、天地がひっくり返っても覆ることの無い、厳粛なる事実だ」
「…………」
ユウ君が頭を抱え込んで、しゃがみ込む。
日没後の冷たい風が、ただ俺たちの上を流れていった。
「なあ、珪ちゃん。一つだけ確認しておきたいんだが」
「なんなりと訊いてくれ」
「一体いつからだ。どの時点から私のことをそのように捉えていた?」
ユウ君の声に危険な震えが混じっていたことに、俺はちっとも気づかない。
「はじめて会ったときからに決まってるだろう。入学式で隣の席に座ったときからずっと、ユウ君はカッコイイ男の子だったじゃないか」
「……私、学校ではスカート履いてなかったっけ?」
「いわゆる女装男子と言う奴だろ。性の問題はデリケートだから、あえて触れないように気をつけてた」
「私が女子トイレを使っていることは、どう解釈していた? あと、学校のプールで女子の水着を着ていたことも」
「二小が特別に許可を出していたんだろう。いやあ、今思い返しても先進的な小学校だったよね。生徒の性の悩みに寄り添っていた。まったく素晴らしい」
「…………」
ニコリ。
ユウ君が不意に微笑んだ。それはそれは優しげに。
瞬間、俺の身体は、今日二度目の自動操縦に入っていた。
死神蜂と対峙していたときよりも、遙かに素早く、後ろに飛び退く。
空中で身体を反転させ、着地と同時に全速力で逃げを打つ。
「待て! この野郎!!」
鬼の咆吼を上げて、ユウ君が俺を追ってくる。
「ユ、ユウ君、どうした? もう戦いは終わったんだよ」
「やかましい。私の本当の戦いはここからはじまるんだ」
500%のパワーで握りしめられた拳が、岩の質感を放っていた。
「一体どうしたって言うんだ? あの優しかったユウ君が。はっ、まさか!?」
最近暇つぶしに読んだ、100円古書の知識が思い出される。
「いかん、それはいけないよ、ユウ君。成長期の俺たちの身体にホルモン注射は勧められない」
「今度は何だと!」
「ホルモン注射だよ。女性ホルモンを注射して、自分の身体を女子に近づけようとしているんだろ。それも直ちに中止すべきだ。ホルモンのバランスが崩れて、精神が不安定になっているんだ」
「~~~~~~っ!!」
ユウ君の速度がさらに増す。
「お、お、俺は君のためを思っているんだからね」
「黙れ、黙れ、黙れ。お前だけは、お前だけは許さんぞ」
鬼すら怯ませるような怒気の顔が、俺のすぐ背後に迫る。
燃えるような吐息が首筋を撫で――――
『――――あれ?』
いつしか、俺は見知らぬ地面に立っていた。
『こ、ここは一体どこだ? 俺はトモロ平原にいたはずじゃあ?』
荒涼とした景色の中に、一筋の川が流れる。
『ふふふふ、まさかこんなに早く再会が叶うとは』
川の向こう岸から、聞き覚えのある声がした。
『お、お前は、死神蜂のグエン!?』
『ははは、また会えたな。愚鈍な方の人間よ』
喜色満面のグエンが、誘うように俺を手招きしていた。
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