第24話 黄昏時の死神

「しかし、トラ君はどうしたんだろう。心配だなあ」


 私――黒川有季は、二人の男子なかまが消えていった方角を見つめていた。


「どうせくだらないことに決まってますよ」


「しかし、トラ君は思い詰めた目をしてたぞ」


「私は新山くんが真剣な顔をしていた方が気になります」


「どういうことだ?」


「バカが真面目になると、ろくな結果にならないということです」


 散々な台詞とともに、顔をしかめさせる。


「珪ちゃんは、あれでなかなか大した奴だよ」


「幼少の思い出とは脅威ですね。現実の認識に、こうも許容しがたいバイアスをかけるなんて」


「そりゃ言い過ぎだ」


「新山くんのスキルが類い希なことは認めます。ですが、彼自身が優秀とは言いがたいです」


「しかし、妖樹王を倒した実績がある」


「無能とは言ってませんよ。バカと言ってるだけで」


「……私は珪ちゃんを信じてるよ。子供の頃の珪ちゃんも、今の珪ちゃんもな」


 ――あんなバカ信じるんじゃ無かった。


 そう遠くない未来、私は、心底そう思う羽目になる。


「それはそうと、私はちょっとお花摘みに行ってきますね」


「ん? トイレットペーパーは持ったか?」


「そっちの花摘みじゃありません!」


 篠原が顔を赤面させる。


「セレイラの花を探してくると言ってるんです」


「ああ、そっち」


 セレイラの花とは、いわゆる換金アイテムと言う奴だ。


 トモロ平原の北端に生えていて、序盤の採取アイテムとしては、破格値で取引される。


「少しの間、新山くんの子守は任せましたわよ」


 篠原が、珪ちゃんたちとは逆方向に歩き去って行く。


「…………」


 ひとりぼっちになった私の心は、しばし散文的な思考に取りかかった。


(珪ちゃんたちがいなくなって大分経つ)


(大丈夫かな?)


(夕日がまぶしい)


(このトモロ平原のモンスターで、二人の脅威になるものはいない)


(穏やかな一日だ)


(……)


(……)


 いつしか思考は凪となり、風が肌の上を流れていく感覚だけが、意識上に残される。


 心地よいまどろみが、最後の知覚さえも霞ませていく。


「……」


「………」


「…………」


「うわああああっ!?」


 響き渡った悲鳴が、私の意識を現実に引き戻した。


              〇●〇


――時は少し遡る。


「!?」


「!!」


 固く抱き合っていた俺と虎太郎が、素早く身体を離す。


 俺たちは、風上に向かって戦闘態勢を取る。


「獣の匂い?」


「それと血の匂いだ」


 濃厚な臭気に、緩みきっていた俺たちの意識は、一気に引き締まる。


「ところで、このトモロ平原って、どんなモンスターが出るんだ?」


 俺が今さら尋ねる。


「妖樹王を倒した君を、どうこうできるモンスターはいない」


 ただ、若干面倒な相手が二種類いると、虎太郎はつづけた。


「一つは手槍蜂スピア・ビー。体長が60センチほどに大型化された蜂で、集団で出てこられると少し面倒くさい」


「もう一種は?」


岩盤犀ガンバンザイと言って、軽トラックほどの体躯を持つ、獰猛な獣――」


「もしかして、あれのことか?」


「そ、そうだ」


 俺たちの視線の先から、一匹の猛獣が姿を現す。


 全身を岩盤のような皮膚で固められ、サイの特徴を有したモンスター。


「が、頑丈そうだな……」


 あの表皮を穿つためには、トンネル掘削用のドリルが必要に感じられる。


「つうか、デカイ! さっき軽トラックとか言ってなかったか?」


「あ、あのサイズは僕もはじめて見る。まるで観光バスだ」


 堅牢な要塞を思わせる巨獣が、


「ブオオオオッ!?」


 今にも泣き出しそうな声を上げながら、ひた走っている。


 後ろ足に深手を負っていて、下半身で地面をこする様は、オットセイにも似ていた。


「一体これはどういう状況なんだ?」


「ぼ、僕にも何がなんだか?」


 ブブブブブブブッ!!


「な、なんだ?」


 一万匹のアブが舞うような羽音が、耳を打った。


「ブオッ!? ブオオオッ!!」


 岩盤犀が逃げ足を速める。


 遁走をつづける、大型の猛獣の背後から、


「「!??」」


 さらに大型のモンスターが姿を現した。


 第一印象は、空を飛ぶ尖塔。


 巨大構造物と見まごうばかりの、痩躯の巨大蜂が、空を舞う。


「で、でででかい。が、岩盤犀の二倍、三倍!?」


「な、なんだあれは。あんな化け物が、初心者向けのトモロ平原にいるはずがない」


 だが、全身から鋭利な棘を生やし、禍々しい警戒色に身を包んだ怪物は、確かに実存する。


 蜂の最大の武器である、下腹部の針は、太く幅広で、むしろ刃物を想像させた。


 例えるならば、ティラノサウルスの首専用のギロチン。


『パンパカパーン、おめでとうございます』


「「!?」」


 戦慄する俺たちに、軽やかな祝辞が送られた。


「だ、誰だ!?」


 周囲を見やるが、人の姿は無い。


「け、珪太。顔の横!」


「う、【ウィンドウ】が勝手に立ち上がっている?」


 声はそこからしていたようだ。


『………はーあ、面倒くさい。今のハイテンションな一声でだけで、今日一日分のカロリーを使っちゃった……』


「そ、その声は! あのやる気のないナビゲーター!」


 かつて背高亜人トール・ゴブリンに襲われた際、右も左も分からない俺に、不親切な案内をした奴に間違いない。


『あ! お前っ!!』


「な、なんだ!?」


『全回復スキルを獲得したチート使い。お前のせいで、こっちは大変なことになってるんだからね』


「お、俺のせいだって?」


『そうよ。あのスキルは本来プレーヤーに使わせるつもりなんて無かったの。あんなイカれた取得条件を満たす奴が、本当にいるだなんて!』


「お前たちのバグがそもそもの発端だろうが!」


『お前のせいで、うちのリーダーはもうオカンムリ。ゲームバランスが崩れるだの何だの。私と開発者に当たり散らすの。どうしてくれるのよ!』


「知るか!!」


「そ、それよりも、こ、この状況は一体度どういうことなんですか!?」


 巨大蜂と小窓を交互に見ながら、虎太郎が訊く。


「ああ、その説明をしないとね。……ふう、面倒くさい」


「早くしろ!」


『せっかちな人間ね。あんたらは隠しイベントに遭遇したのよ。おめでとさん』


「か、隠しイベントだと!?」


『そそ。名付けて『黄昏時たそがれどきの死神』。パチパチパチ。……ああ!? 拍手をしすぎて腕がつりそうだわ』


 ナビゲーターはやる気の無い声で、イベントの解説をはじめる。


 イベントの内容は、上級モンスター『死神蜂デスサイズ・ビー』の討伐。


 イベントの発生条件は3つ。


 レベル20以上のプレイヤーがパーティーにいること。


 パーティーのメンバーが3人以上であること。


 時間帯が黄昏時であること。


『発生条件が厳しくてねえ。普通レベル20にもなったら、この平原になんて近寄らないものだから。『せっかく、力作のモンスターを用意したのに』と開発者が嘆いていたのよ。これで、あの子の苦労も報われるわ。よかったよかった』


「ち、ちっとも良くない!」


『あ、ちなみにあのモンスターを倒すと、レアトロフィーが手に入るから頑張ってね』


「そんなものはいらん。さっさとイベントを中止してくれ」


『ああ、今日はたくさん仕事をして疲れたなあ。うーん、今晩はいい夢が見れそう…………』


「もしもし、もしもし!」


『すやすやすや』


 健やかな寝息を流していた小窓が、ブツンと閉鎖される。


「な、なんて役立たずなナビゲーターだ」


 ブブッ――


 上空を旋回していた死神蜂が、突如その羽ばたきを止めた。


 巨体は自然落下をはじめる。


「うわっ!?」


「わわっ!?」


 直下型地震のような揺れと共に、死神蜂の大刃が、地面に深く突き刺さる。


 その状態のまま、羽ばたきが再開された。


「ギギギギギッ!!」


 死神蜂の身体が前方に急加速すると、ギロチンが大地をえぐる。


 進路上にあるものは、低木も、草花も、自然岩も、例外なく両断される。


 死神蜂はまっすぐ、岩盤犀へと向かっていた。


 戦車砲にも抗しそうな強固な肉体が、いともたやすく両断された。


「オオッ―――――――」


 岩盤犀の断末魔が響き渡る。


「バチバチバチ」


 死神蜂が顎をかみ合わせて、勝利の詩を奏でた。


 そのまま、岩盤犀の亡骸を、一心不乱にむさぼり出した。


 その咀嚼音たるや、車両を圧壊するプレス機のごとしだ。


「い、今のうちに逃げよう」


 震える虎太郎が、耳元でささやく。


「そ、そ、そうだな」


 俺たちがそっと足を浮かせる。


 一歩退く。


「「!!?」」


 死神蜂が反応する。


 この怪物は、旅客機に匹敵する巨体を有しながらも、昆虫の繊細さを失ってはいなかった。


 複眼を構成する何十万の単眼に、俺の姿が一斉に映り込んだ。


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