第19話 有季と虎太郎
「そいつがウチの奴を襲った件を、はっきりさせにゃならん」
黒川さんが、顎をしゃくって、虎太郎を指し示す。
「い、いいじゃないですか! 今更そんなこと」
「ケジメは必要だ!」
あまりの迫力に、俺はすくみ上がる。
「きちんとピリオドを打たなかったトラブルは、いつ蒸し返されるともしれん。お互いのためにも、きちんとした決着が必要だ!」
「と、虎太郎に危害を加えようというなら、俺がだまっていませんよ」
俺は、手に刻印された『魔法戦士』のシンボルに触れかける。
「ぬ」
黒川さんも、『モンク』のシンボルに指を添えた。
一触即発の空気が、部屋を包み込む。
「いいよ、珪太。彼女とは僕がきちんと話すから」
その空気を、虎太郎の無感情な声が払った。
彼は、半身を起こしていた身体を、ベッドに腰かけさせる。
「で、でも」
「部外者はどいていろ!」
「わっ?」
俺の身体が、力づくで、どかされる。
虎太郎と黒川さんが、あと一歩で手の届く距離で対峙した。
「……」
「……」
見つめ合う両者の眼差しには、ともに無機的な冷たさがある。
「はじめまして、……じゃないな。確か、荒井虎太郎」
「へえ。僕みたいな一般人をご存じでしたか」
「当たり前だろう。お前は有名人だからな。
「む!」
虎太郎の眉間に深いしわが寄った。
「ふっ、怒ったか?」
「いいえ、ちっとも。本当のことですからね。いた仕方ない」
「ほう、殊勝なんだな」
「僕もあなたのことは知ってますよ。女ヤンキーとして、初めて西中のトップに立った黒川
虎太郎の口元に、嘲笑が浮かぶ。
「貴方も僕に負けないくらい有名人ですよ。色仕掛けで西中の頭に成り上がるだなんて、前代未聞の珍事ですからね」
黒川さんのこめかみに青いものが浮かんだ。
「……根も葉もない噂だ。そんな噂を信じるようでは、頭の程度が知れるぞ?」
「火のない所に煙は立たぬ、とも言いますよ」
二人の瞳が、悪意で黒々としてくる。
「う、うう」
張り詰めた緊張感に、俺は息をするのもやっとである。
「あ――――」
何かを言いかけて、
「!?」
黒川有季がいきなり前に出た。
驚くだけの俺と違い、
「そう来ると思った」
虎太郎は素早い対応を見せる。
ポケットから何かを取り出し、黒川さんに突き出す。
「む――」
彼女は、前に踏み出しかけた足を、静かに元の位置に降ろした。
「と、虎太郎。ナイフなんて物騒なものを持ち歩くな!」
先ほど心通わせた友の手には、似つかわしくない怜悧な輝きがあった。
「そりゃ無理な話さ。ナイフがいじめられっ子の相棒というのは、大昔からの決まり事だ」
「ちっ」
黒川さんの視線が、一瞬リビングの方に向く。
「おい!? ボディチェックをしなかったのか!」
「失礼な。きちんとしましたよ!」
リビングから篠原会長の声が返ってくる。
「ズボンにナイフが残ってたぞ!」
「知ってます。ナイフくらいアナタなら問題ないでしょ。拳銃ならまだしも」
「くそっ、チェックをお前に任せたのが間違いだった」
このやりとりの間、
「虎太郎。それを床に置け」
俺は虎太郎の説得を続けていたが、それは功を奏さない。
「お前、さっきいじめられっ子と言ったな?」
黒川さんが虎太郎の目をのぞき込んだ。
「……」
「お前をいじめたのは、中田と友平の二人だな」
虎太郎が顔を背けたのは、この上ない肯定表現である。
「そ、それって、虎太郎の風で大怪我した、あのヤンキー?」
不愉快な印象を残した二人組が、俺の脳裏に蘇った。
「そうだよ。僕はあの二人からいじめを受けていた」
「いじめだって。い、一体どんな目に……」
穏やかな虎太郎があれだけの凶行に及んだのだ。
その非道な内容は推し量るべきだろう。
「いいさ。本来は口にしたくも無いことだけど、特別に教えてあげるよ」
俺はつばを飲み込む。
残酷な言葉に耐えられるように、心構えをした。
「僕は女装をさせられた」
「………………え?」
「あれは先月開かれたミス西中というイベントでのことだった。催しを盛り上げるためという名目で、友平と中田の二人が、僕に女子の格好を強要したんだよ。あまつさえ、化粧まで!」
「……」
「ふふ、言葉もないか。無理もない」
「あの、その、……それだけかい」
「ん? もちろんそれだけだ。十分だろう?」
「たったそれだけの動機で、相手にあれだけの大けがを――」
「たったそれだけ、じゃない!!」
虎太郎のあまりの気迫に、俺は、
「向こうもそう思ってるだろうさ。軽いおふざけだってね。でもね、この顔がコンプレックスの僕にとっては、あの時間は悪夢にも等しいものだった。僕はあの二人を殺したとしても、一切謝罪の言葉を吐くことはない!!」
憎悪にたぎった瞳が、
「う……」
加害者と、被害者と、第三者。
この三者の認識はいつも食い違い、だからこそ、いじめはなくならない。
俺は、一時でも加害者の論理に染りかけた自分を、心から恥じた。
「ふう……」
黒川さんが、無造作に、虎太郎に歩み寄る。
「近づくな、刺すぞ!」
虎太郎の目が血走る。
「……」
制止の要求を、黒川さんは黙殺した。
「ち、近づくなって言ってるだろう!」
威嚇の動きで、虎太郎がナイフを突き出す。
「な!?」
俺は言葉を失う。
なんと、黒川さんが、ナイフの刃を手でわしづかみにしていた。
ぎゅう、と力が込められる。
手の内に血が
「な、なにをしてる!?」
虎太郎が慌ててナイフを引き抜こうとする。
「……」
黒川さんが握力を強め、それを拒む。
流血がさらに勢いを増す。
一種の綱引き状態がここに生まれた。
一方が持つのは、ナイフの柄で、もう一方は鋭利な刀身。
「な、何を考えて――」
「ふん!」
黒川さんが、気合声を発する。
ひときわ激しい出血が迸った。
同時に、ナイフの柄が虎太郎の手からすっぽ抜ける。
「あっ!?」
「……」
黒川さんがゆっくりと手を開く。
「う、うう……」
あまりに痛々しい傷口に、俺は思わず顔を背ける。
「うっ……」
虎太郎も罪の意識を隠しきれないようだ。
「さてと――」
ナイフを、無人の方角に放り捨てると、黒川さんが顔を虎太郎に肉薄させた。
目と目が、触れあいそうな距離である。
「あ、う……」
虎太郎は、見せつけられた苛烈な覚悟に、戦意喪失をしていた。
(な、なるほど。あのヤンキーの巣窟を、二年生で、しかも女子で、仕切るわけだ)
俺は黒川有季に敬意に近いものを抱いていた。
だが、感心ばかりもしてられない。
(このままでは、虎太郎がやられる。俺に、それを見過ごすつもりはない)
勝ち目が無いのは分かりきっているが、それでもやる。
黒川さんの身体から、かすかな起動のサインを見て取った。
「ああああっ!!」
なけなしの勇気を振り絞って、俺が突進をかける。
「荒井くん。本当にすまなかった」
次の瞬間、黒川さんの頭は深々と下げられていた。
「アンタの心痛はもっとものことだ。どうか私に、あの二人のしたことを謝らせてくれ」
「え?」
予想だにしなかった展開に、虎太郎は呆気にとられる。
「うわわわ!?」
彼女を不意打ちしようとしていた俺は、もっと慌てた。
勢いよく足を滑らせ、頭から本棚に激突する。
「ぎゃああ」
愛読している漫画とライトノベルが一斉に降り注ぐ。
「け、珪太。大丈夫か」
「ええい、やかましい奴だ。一人でいったい何をやってる。こっちは真剣なんだぞ」
「お、俺だって真面目にやってるんです」
ただいつも、本気が空回りするのが、問題なだけで。
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