第17話 命は歌う
そもそもの話をしよう。
なんで俺が、人間砲弾なんて、バカな役どころを与えられたのか?
『君が、もう一度妖樹王本体にたどり着くことは、至難の業だ。さっきのアレは二度とできるとは思わないでくれ』
樹上会議の折り、虎太郎が、かのような苦言を発した。
『悔しいが、認める。さっきのはあまりにも運の要素が大きすぎた』
それは認めざるを得ない。
『俺のジョブ『魔法戦士』は、いささかスピードに難があるしな』
『ついでに言えばパワーも不足だ。いかに太いとは言え、枝一本切り落とすのにあれだけの時間をかけるようでは論外。とても
『おい、悪口を続けるのはよせ』
俺の精神は、飼われたウサギのように繊細なんだ。
『二つ叱る場合は、間に三つ以上褒め言葉をクッションするように』
『スピードとパワー、この二つを同時に担保するには、方法は一つしかない』
『え? シカト?』
『それはズバリ空を飛ぶことだ』
『は?』
このようにして、令和の神風作戦は立案され、実行に移された。
重力加速度を利用することで、敵の迎撃をかわすスピードと、致命傷を与えられるだけのパワーを得る。
それは途中までは確かに上手くいったのだ。
(だが、最後の最後で、俺たちは下手を打った)
空中での安定を失った俺に、虎太郎は急ブレーキをかけ、結果肝心のパワーが削がれてしまう。
俺の刃は、後一歩、妖樹王の命まで届かなかった。
「この! このっ!!」
俺は、渾身の力で、眉間の剣を押し込もうとする。
しかし、剣はそれ以上ビクともしない。
ボウリングの球に、
「コフォォォォ!!」
すぐ真下の口から、湯気のような呼気が放たれる。
確認の必要もなく、妖樹王は怒り心頭であった。
傘を形成していた枝葉が解け、下降動作を行いだす。
鋭利な刃が、たちまち、俺の高さまで降りてくる。
「くそっ! 刺され! 刺され!!」
次はない。
俺たちはこの作戦に全財産をかけたのだ。
虎太郎のMP、俺の体力気力、全てを消費しつくした。
勝てない時は、
「ファフォフォ」
鋭い刃葉が、渦巻くように、俺に迫る。
「くそっ! くそっ! くそおおおっ!!」
さらに剣を握る手に力を込める。
手の皮膚は破れ、革製の柄に血がにじむ。
それでも、剣は動いてくれない。
キシキシキシ。
枝葉がきしむ音が、すぐ真後ろからした。
(死ぬ? ……俺が『死』ぬ!?)
唐突に理解した。
(さっきまでの俺は厳密には死の理解が浅かった。死と死の直前の苦痛を混同していた)
死とは、終わること。
死とは、消えること。
死とは誰の前からもいなくなること。
人間は絶対にそれから逃れられない。
「―――っ!」
筆舌に尽くしがたい恐ろしさが、全身をわななかせる。
宗教とか、科学とか、人類愛とか。
全てが無意味だと気づかされる。
どんな偉大な予言者も、この絶望からだけは、人間を救えない。
(救いようがないじゃないか)
ピリッ――
鋭利な葉が一枚、俺の耳にまで達し、小さな裂けめを入れる。
小さな痛みが、俺の中で巨大なスイッチを入れた。
「ああああああっ!! 死にたくないぃぃぃぃ!!!」
自身の骨さえも砕く勢いで、右拳が握りしめられる。
「があああっっ!!」
血色の拳を、無意識に、
――――
辺りを静寂が満たした。
「はあ、はあ、はあ」
荒い呼吸音だけが、爆音みたいに響く。
無数の刃葉は、俺の背中に届く寸前で、全て止まっていた。
そして、俺の打拳を受けた剣は、妖樹王の眉間に深々とめり込んでいる。
「はあ、はあ、はあ」
両手両足を幹に触れさせたまま、俺はゆっくりと、妖樹王の身体を滑り降りる。
着地と同時に、地面に横たわった。
妖樹王はもう動かない。
生暖かい風が、妖樹王の
「う、ううううう」
俺は身体を赤子のように丸める。
「生きてる。俺は助かったんだ。生き残った」
子供のように泣きじゃくった。
俺に近づく足音がした。
「と、虎太郎」
「……珪太」
端正な顔をびしょびしょに濡らした少年が、すぐ傍らにいる。
彼の目を見た。
(こいつもたった今、俺と同じ絶望に襲われていたか)
俺たちは、何も言わずに抱き合った。
「素晴らしい、虎太郎。俺たちは生きているんだ」
「ああ、珪太。生きているって、なんて素晴らしい」
これから先の人生に何がある?
きっと何もない。
つまらない学校生活、つまらない会社生活、つまらない結婚生活、つまらない老後。
俺たちは、きっと、何一つ成し遂げることはない。
世の中から戦争はなくならない。
貧困も、差別も。そもそも、地球にとって人間はガンでしかないだろう。
別にそれでいい。
「生きているって素晴らしいなあ、虎太郎」
「ああ、ああ。なんて世界は輝きに充ちているんだろう」
自分の心臓の鼓動が心地よい。息を吸って吐くことが、無上の喜びだ。そして、歓喜を分かち合える友がいることが、たまらなく尊い。
「人間は神に愛されているよ」
「まったくだ。僕たちは生まれてきて、ただそれだけでよかったんだ」
「ああ、そのことに世界中が気づいてくれれば、みんなが救われる」
生の歓びに浸った俺たちは、自分たちに注がれる、冷ややかな眼差しにまるで気づかない。
「これはどういうことかしら?」
篠原会長が言ったらしい。
「知らん。私に訊くな」
黒川有季が言ったらしい。
「やれやれ、死に物狂いでここまで駆けつけてくれば、どうして男二匹が抱き合ったまま、号泣しているんだ?」
「俺は幸せだ、虎太郎」
「珪太、僕も生まれてきて良かった」
「いつもそうなのよ。バカのすることに、私は著しく混乱させられる」
篠原会長は、深くため息をついたらしい。
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