第15話 樹上の作戦会議

「珪太。樹の上に昇って」


「なんでそんなことを!?」


 樹上を往けば、俺たちの逃げ足が遅くなるだけだ。


「敵の方がもっと遅くなる。なんせあの図体だ。足元の樹が障害物として機能してくれる」


「なるほど」


 わずかな差異であろうとも、猶予は長い方がいい。


「よっと」


 俺たちは樹上へと跳び上がり、枝から枝へと飛び移る。


「歩く樹と、燃える樹は、足場に選ばないようにね」


「分かってる。……それより、さっきの質問の答えを聴かせてくれ」


「? さっきの質問?」


「妖樹王が左利きという話だ!」


「ああ、なんだ。そんなことか。そりゃ、もちろん気づいていた」


 虎太郎は、「使用頻度と命中精度をかんがみれば、それは明白な事実だったじゃないか」とのたまう。


「だから、さっきの突撃、珪太は敵の右側から回り込んだんだろう」


「そうだ。可能な限り、少しでも安全な方法を選ぼうとした」


 利き手の逆を突いたこと然り、敵の死角に回り込もうとしたこと然り、密着して巨大枝を使わせないようにしたこと然りだ。


「いいことだよ。リスク回避ヘッジは生きるための知恵だから」


「だが、それだけ小細工を弄しても、結局は命がけになった。それがなんだ!? 虎太郎は俺に何をしろと言った」


「「敵に真正面から突っ込め」と提案した」


「どの口が言うか!」


 怒りの余り、危うく枝を踏み外すところだった。


「あ、危ない」


「いいか! さっきはあれだけ手練手管を弄して、それでもギリギリになった」


 もっとも目につきやすい視界中央を進んで、左右同時攻撃に身を晒すなぞ、論外も論外ではないか。


「これは特攻ですら無い。ただの自殺だ」


「しかし、珪太。僕らはもう土俵際なんだ」


「それは分かるよ。徳俵とくだわらに足がかろうじて引っかかっている状態さ」


「そこから起死回生のうっちゃりを狙うためには、安全は二の次にするしかない」


「その道理は分かる。俺だって命がけで事に当たる、覚悟はできている」


「なら――」


「だが、無駄死にだけはごめんだ。俺は自分の命をドブに捨てることはできない」


 自分自身にかけがえのない価値があると、思わない人間がいるだろうか?


「いやしかし――」


「だがだが――」


 俺たちはしばし平行線の議論をつづけた。


「フォォォ!」


 時折響く妖樹王の雄たけびは、確実に大きくなってきている。


「珪太。どうか僕を信じてくれ。僕も命がけでサポートをするから」


 虎太郎が真摯な目で訴えかけてくる。


「くっ……」


 その瞳が抱く、深い湖のような輝きに、俺はたまらず顔を背けた。


(本当のところ、俺はとっくに気づいているんだ)


 この荒井虎太郎と言う人物は、人間としても知性としても信頼できる。


 土壇場では人間の地が露出すると言うが、この男子の地金はピカピカだ。


(『通り魔』という最悪の出会い方をしたが、今なら余程の理由があったものと想像がつく)


 それでも、俺が頑強に抵抗をつづける理由は、ただ自分が怖いだけに過ぎない。


「……」


「……」


 静寂が、俺と虎太郎を包み込む。


 それはほんのひと時のこと。


「ゴフォォォ!!」


 独特の吠え声と、木々を踏み砕く轟音が、俺たちの鼓膜を打ちつけた。


 妖樹たちの残骸をまき上げ、妖樹王が、俺たちに迫りくる。


「くそ! 仕方がない。虎太郎のプランに乗ってやる」


 土壇場の土壇場で、俺はようやく覚悟を決めた。


「いいのかい?」


「このまま何も抵抗せずに死んだら、それこそ無駄死にだろうが」


 無気力な大人と言うのは、14歳の俺には、時には死よりも恐ろしく見えるのだ。


「分かった。……もし、君の身に万が一のことが起きたら、立案者として、僕は必ず責任をとるからね」


「そんなのいらん。余計な荷物まで背負わせるな。俺に何かあっても、精々長生きしろよ」


「それじゃ、僕の気が――」


「ほら来たぞ。早く配置に着け」


「くっ……、どうか君に武運を」


 そう言って虎太郎は、俺から離れていく。


 俺は脚を停め、急速接近する妖樹王を見た。


 接触までおよそ十秒。


「木、木、木……、太すぎず低すぎない。どこかに手ごろなものは――」


 辺りを見渡した俺は、のっぽな一本にアタリをつける。


「いやっ!」


 その頂上へと飛び乗った。


 勢いよく俺の体重を預けられた細木が、大きくたわむ。


 変形した幹の内部で運動エネルギーが蓄えられ、それは破断寸前で臨界に達し、俺の体重による負荷を上回った。


「!!!」


 幹が元の形に戻ろうとする復元力が、投石器の原理を再現する。


 俺の身体は、ナナメ上へと投射された。


 ぐんぐんと上昇をつづける。


 やがて、重力と上昇する力が釣り合って、放物線が頂点を描く。

 

 俺の身体は、今度は猛烈な勢いで降下をはじめた。


 着地予想地点、……いいや、着弾予測地点。そこには妖樹王の巨体がそびえたつ。


「いいひぃぃぃ!!」


 頭のネジを緩めた笑いを上げながら、俺は剣を下に向かって突き出した。


「フォフォフォ」


 妖樹王もまた笑った。


 目口めくちが、死神の鎌の湾曲を得て、そのうちには、底知れない闇色をたたえている。

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