第14話 幻

「えぇーん。えぇーん」


 河川敷に、涙声が響き渡る。


 僕は新山珪太。小学一年生。


 通学路の河川敷を、逃げるように家へと進む。


「おーい、ケイちゃん!」


 僕を追いかけてくる、一人の少年がいた。


「ぐずっ、ユウ君」


「まーだ泣いているのか」


 黒川有季ゆうきくん。


 僕の一番のお友達。


「ほれ、筆箱は取り戻してきてやったぞ」


「あ、ありがとう、ぐずっ」


 僕は、落書きだらけのそれを、ランドセルにしまった。


「まったく、あのクズ共め。自己主張の苦手な奴には、何をしてもいいと思っていやがる」


「自己主張が苦手?」


「自分の意見を言うのが下手って意味だ」


「ごめんなさい」


「謝るな。ケイちゃんは何も悪くない。ケイちゃんの心がものすごく綺麗だってことは、私が一番知ってるんだからな」


「そんなことはないよ。僕はただの弱虫だ。自分の気持も満足に伝えられない」


――だから、いじめられても仕方がない。


「そんなことは絶対にない!!」


「ひ、ひぐっ」


「あいつらがケイちゃんを嫌いなのは、まあいい。好き嫌いなんて、個人個人の勝手だからな。だけども、それをいじめの理由にするような奴は、人間のクズだ!」


「あ、あうっ」


 この時のユウ君の顔は、いじめっ子の何倍も怖かった。


「だから、ケイちゃんが自分を嫌いになるのだけは止めてくれ。誰よりも優しいケイちゃんのことが、大好きな奴だっているんだからな。わ、私みたいに……」


 ユウ君の深い泉のような瞳に、べそをかいた僕が映りこんでいた。


 僕は、慌てて涙をぬぐう。


「わ、分かった。もう、けして言わない」


「よし」


 ユウ君が笑う。


 春のお日様が見劣りするくらい、まばゆい顔だった。


(あれ?)


 その笑顔に、奇妙な半透明のシルエットが重なった。


「どうした?」


「へ、変なものが見える……」


 不気味な木々がそびえる妖しの森の光景が、ユウ君の顔をスクリーンにしたみたいに映し出されていた。


 そこに一際巨大な怪樹がそびえ、そばに、人が一人倒れている。


 血みどろで横たわるその人物が、未来の自分だと、どうしてか僕にははっきり分かった。


『珪太! しっかりして!』


 ものすごく綺麗な男の人が、未来の僕に駆け寄る。


 その人が虎太郎くんと言うのも、なぜか分かる。


『がぼっ!ごぼっ……!』


 未来の僕は呼吸もままならない様子だ。


(僕は一体何を見ているんだろう?)


『大丈夫。大丈夫だ!』


 虎太郎くんが、未来の僕の顔を傾けて、気道を確保する。


 未来の僕が、大量の血反吐をはいた。


『ごほっ、ごほっ、……す、すぅぅぅ』


 中二の僕が大きく酸素を吸い込む。


 僕の目に映る、森のシルエットがどんどん鮮明になってきて、


「どうした? ケイちゃん?」


 反対にユウ君の姿がかすれていく――


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「珪太。僕が誰か分かるか!?」


 俺の耳元で、虎太郎が叫ぶ。


「ああ。お、お前の美人顔がはっきり見えるよ」


「うるさい! ……でも生きていてよかった」


「お、おかげさまで」


 俺が地面に激突する寸前、虎太郎が風でブレーキをかけてくれたからだ。


「こ、子供の頃の夢を見ていたよ。あれが走馬燈って奴か?」


(子供の頃の大親友。いつも俺を庇ってくれたユウ君。…………あれ? 黒川有季??)


「コフォォォォ!!」


 妖樹王は攻めの手を緩めない。


 間髪入れずに俺を仕留めにかかる。


「く、くそぉ」


 虎太郎が、俺を担いで逃げようとするが――


「ひ、必要ない」


「で、でも」


「三秒」


「え?」


「さ、三秒だけ時間を稼いでくれ。後は自分でどうにかする」


「?」


「頼む」


「わ、分かった」


 虎太郎が、俺を守るように、妖樹王と向かいあった。


「【ウインド】最大!」


 手にした杖をくるくると回す。


 その小さな回転運動が、大きな旋風を巻き起こす。


 荒れ狂う大渦が、妖樹王を呑み込んだ。


「フオォォ!?」


 風のスキルはパワー不足。


 虎太郎の自己申告通り、妖樹王に実害は見当たらない。


 しかし、まとわりつく風が、巧みに妖樹王を足止めする。


「ぜえ、ぜえ」


 俺は、震える手を胸元に当てる。


 今にも息が停まりそうだ。


「【リ……タ…………………………………………………………ナ】」


 かすれた声で、かろうじて詠唱をこなす。


 俺の傷ついた五体が、神秘的な光に包みこまれた。


 その傍らで、虎太郎が苦闘を続けてくれている。


「う、ううううう」


 旋風を起こしつづける虎太郎が、ゆっくりと地面に片膝をつく。


「も、もうダメ――」


 今にも尻餅をついてしまいそうである。


「助かったよ。おかげで九死に一生を得た」


 俺が背後から、虎太郎の身体を支えた。


「は? ……え?」


 傷一つない俺の姿を、虎太郎は呆然と見る。


「コオォォ!」


 渦を押し返した妖樹王が、俺たちに迫った。


「よっと」


 虎太郎を抱きかかえると、俺はすかさず逃げを打つ。


 逃走方向は、敵進行方向に対し、垂直。


 妖樹王の巨大すぎる体は、軌道変更ままならないし、ブレーキも容易ではない。


「フオォォォ!!」


 悔し気な吠え声を上げながら、自分で俺たちから離れていった。


 わずかな猶予を得た俺たちは、さらに相対距離を広げるべく、走り続けた。


「今のうちに何か作戦を立てないと」


 遺憾ながら、敵の足は俺たちより速い。


 インターバルは一分とないだろう。


「いやいや、平然と話されてもさあ……」


 虎太郎は、まだ目をしばたたかせている。


「ん?」


「さっきまで虫の息だったのに、一体どうやって?」


「ああ、それは――」


 俺は修復魔法のスキルについて簡単に説明する。


「シークレット・スキル! まさか実在していただなんて!?」


「ま、俺も、なんで入手できたのかは、よく分からないんだけどさ」


「どうしてそれを先に言ってくれなかったんだ!?」


 虎太郎の手が俺の首筋に伸びる。


「ぐ、ぐええ。そ、そんなに怒ることかよ」


「当たり前だろ! 自分たちのダメージを度外視できれば、やり様はいくらでもあったのに!」


 虎太郎はご立腹の様子である。


 だが今はそれをなだめている暇はない。


「コォォアァァァ!!」


 妖樹王の咆哮が、俺たちの背後から、また上がる。


 感知できるのはまだ音声だけだが、すぐにあの巨体が見えだすだろう。


「さ、作戦なら一つある。はあ、はあ」


 MP切れのせいか、時折、虎太郎は苦し気に息をする。


「時間稼ぎはもう難しいぞ」


「百も承知だ。事ここに至っては、僕たちだけで決着をつけるしかない」


「……そうかもしれん」


 場は極限まで煮詰まっている。


 こういう時に緩慢な一手を指しては、かえって自分の首を絞めかねない。


 覚悟の決め時と言えた。


「作戦はこうだ」


 俺に抱きかかえられたまま、虎太郎が手短に内容を告げる。


「……」


 正直、その言葉に、俺は失望を禁じ得なかった。


「一応訊いておきたい」


 俺はにらむように、腕の中の虎太郎を見た。


「どうぞ」


「妖樹王が左利きだってことに、虎太郎は気づいていたか?」


 と、俺は、重要な確認をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る