第10話 ピンチ
赤梅三丁目を、珍妙な一団が走り抜けていく。
「な、なんだ、あれは?」
「ハロウィン? ちょっと気が早すぎないかしら?」
「コスプレ! コスプレ!」
サラリーマンも、主婦も子供も、一様に目を丸くする。
「は、恥ずかしいです。会長」
その一団の一員である、俺が言う。
俺の出で立ちは、ゲーム内のジョブである、『魔法戦士』のものとなっていた。
「仕方がないでしょう。プレイヤーを相手取る以上、こちらもジョブを展開しなくては」
「そういうことだ。恥と命のどっちが大事だ?」
会長も黒川さんも、今はゲーム内の姿になっている。
ちなみに、黒川さんのジョブは『モンク』というらしい。
多くのゲームに登場する、格闘系の代表みたいなジョブだ。
中国風の武道着を身にまとい、肩や手首に金属製の防具を装着していた。
「はあああっ!」
もっとも軽装の黒川さんが、集団から頭一つ抜けた。
みるみる、先を走る、緑色の魔法使いに肉薄する。
「!!」
魔法使いが、杖を振った。
「うわああっ!?」
猛烈な逆風が吹き、黒川さんの身体が押し戻される。
「変幻自在の風。想像以上に厄介ですわね」
「相手のジョブは『
「ふ、風導師?」
「その名の通りに、風属性の魔法使いだ」
仮装集団の望まぬパレードは、延々と続いた。
その会場は、徐々に人気のない地区へと移っていく。
「さすがに向こうも恥ずかしいみたいですね」
俺が言う。
「いえ。誘い込まれた、と考えるべきかもしれません」
「その可能性は低いだろ?」
「しかし、多くの悪徳プレーヤーを潰してきた私たちは、その筋では有名なはずですから」
「だったら、真っ先に私か
「お二人に出会ったのは、あくまで偶然?」
「それがもっとも現実的な推論であることは認めます。しかし、何事にも用心は必要ですから」
「はいはい」
追いかけっこがはじまって、そろそろ一時間が経過する。
先を行く風導師の足取りは、今や明らかに怪しい。
「ぜえはあ、やっと、ぜえはあ、追いつきそうですね」
もっとも、金属鎧を装備した俺も、大分限界が近いが。
「!!」
風導師が、振り返って、杖を大きく一振りした。
横殴りの強風が、俺を襲う。
「う、うわっと!?」
あえなく横倒しになった俺は、
「きゃあ!」
会長を下敷きにして、
「うおっ!」
ドミノのように、黒川さんも巻き添えにする。
「な、何をやってるんだ、お前は!」
「す、すみません。はあはあ。鎧が重くって。ぜえぜえ」
その隙に、風導師が、最寄りの雑居ビルへと姿を消した。
起き上がった俺たちも、急ぎそのビルへ近づく。
「廃ビルみたいですね」
テナント募集の立看板は、長く風雨にさらされ、ボロボロである。
「だが、これで袋のネズミだ」
俺たちは、ワンフロアずつ丁寧に調査をする。
一階、二階、三階と、人の気配は全くない。
「残すは最上階か」
警戒感の糸を引き締めたまま、俺たちは最後のフロアも探索する。
「「「……」」」
やはり、そこにも人の姿はない。
「どうなってる!? 奴は確かにこのビルに逃げ込んだんだぞ」
「風を使って窓から飛び降りた、という線も一応考えられますが」
「音で私たちの誰かが必ず気づく」
「どこかに隠れているんじゃあ?」
「ここは何の設置物も無い廃ビルです。隠れられるようなスペースはありませんよ」
「で、ですよね。……ん?」
俺は、壁の亀裂の内側で、何か光ったのを目にした。
壁際に近づく。
「そんなところに隠れられる訳がないだろ」
「いや、ここに何かが――」
亀裂に手を突っ込む。
硬くて平べったい感触があった。
「スマホ? なんでこんなところに?」
それは、最新式とまではいかないが、新型と呼んで差し支えないモデルであった。
「「そうか! その手があったか!」」
二人が、喜色に染まった声を重ねる。
「え?」
「相手はなかなか頭の回転の速い人物ですわね」
「よくやったぞ。お前」
「こ、このスマホってどういう意味があるんですか?」
「このスマホはさっきの風導師が隠しておいたものです」
「え? そ、それじゃあ、肝心の本人は?」
「ここだ」
黒川さんがスマホを指さす。
「???」
俺には話の筋が皆目わからない。
「鈍い奴だな。いいか、私たちに追いかけまわされ、もう逃げられないと悟った奴は、一計を案じたんだ」
「一計?」
「ええ。私たちをここへと招き寄せ、
「そうして、私たちが諦めた頃合いを見計らって、再びここに戻って来るという算段だ」
「じ、じゃあ、今あの魔法使いはどこにいるんですか?」
「だから、ゲームの中だ」
ここまで言われれば、さすがに俺も得心が言った。
「な、なるほど。俺たちにしかできない裏技ですね」
スマホをどこかに目に着かないところに隠しておいて、自身はそこからゲームの世界に一時避難する。
追跡を断念し、俺たちがいなくなった後で、隠しておいたスマホから、現実世界に戻って来るという筋書きなのだ。
「頭のいい奴ですね」
「ですが、リスキーな作戦でもあります」
「だな。こうしてスマホを見つけられちまったら、もうどこにも逃げ場はない」
黒川さんがスマホをぶんぶんと振った。
「私たちは、ゲームに入った端末からしか、現実世界に戻ってこれませんから」
「なら、これで一件落着ですね」
俺がほっと息を吐く。
『ぎゃあああああ』
安堵の息を裂いて、大絶叫が響き渡った。
「ど、どこから!?」
「スマホからしましたよ!」
俺たちは画面をのぞき込んだ。
『うわっ、うぐっ、……わああああっ!!』
あの風導師が、何者かの襲撃を受ける様子が映し出されている。
「こ、これは一体?」
「クソ、運の無い奴め。ゲームの中でも何らかのモンスターに襲われてやがるな」
「画面が暗くて、状況がよく分かりません」
『た、助けてえええ!!』
「や、ヤバそうですよ」
「ちっ、助けにいかにゃあならないか」
「あら? 黒川さん、柄にもなくお優しいことで」
「目の前で人が死にかけているんだ。正義の味方でなくたって、普通手を差し伸べるだろうが!」
会長と黒川さんが、自身のスマホを取り出す。
「こいつが襲われている場所はどこだ」
「画面が暗くてよく分かりませんわね」
「!?」
一瞬、画面の端に、赤々と燃える樹木が映し出された。
「これは例の森じゃないですか? ほら、昨日会長が俺を助けてくれた荒野の、すぐ隣の」
「なるほど、『妖樹の森』ですか」
「『妖樹の森』だって、そりゃヤバいぞ」
黒川さんが眉をひそめた。
「妖樹の森はそんなに危険なところなんですか?」
「そうじゃない! まったく、お前は本当にプレイヤーなのか?」
「え?」
「黒川さん。彼は昨日ゲームをはじめたばかりの初心者なんです」
「何!? なんでそんな初心者を連れて来たんだ」
「色々とあるんですよ、……こほん」
会長が俺に手短に解説をしてくれた。
このゲームで一番危険なのは、深いダンジョンの奥深くでもなく、巨大モンスターのテリトリーでもない。
「それは、ゲームの再開地点だと言われています」
ゲームの中に入ったと同時に、突然モンスターと出くわして、不意を突かれるプレイヤーはかつて後を絶たなかったという。
「ですので、私たちは、モンスターの現れない地点でのみゲームを中断するようにしなくてはなりません。具体的には『はじまりの町・シエナ』ですね」
「な、なるほど」
「現在問題になっているのは、妖樹の森の所在地です。ここは『シエナ』から、どんなに急いでも一時間近くかかってしまいます」
『うわあああ!』
また、スマホから悲鳴が上がる。
その緊迫の声は、とうてい一時間の猶予を感じさせない。
「そうです!」
会長が叫んだ。
「な、なんだ、いきなり」
「新山くん。貴方は昨日、『奇顔岩の荒野』でゲームを終了しましたよね。それからゲームはしてませんよね」
「も、もちろんです」
「『奇顔岩の荒野』だって! そりゃ『妖樹の森』の隣じゃないか!」
黒川さんが、俺に強い目を寄せてくる。「……おい、お前!」
「な、なんでしょうか?」
「これから急いでゲームの中に入って、あの風導師を助けてやれ」
「ええ!? 俺一人で!? お、お二人は!」
「もちろん救助に向かう。だが、今篠原が言ったみたいに、到着まで時間がかかりすぎるんだ」
「私たちも全速力で急行します。私たちが着くまで、どうにか時間を稼いでください」
「そんな! とても無理です」
「無理でもやるんだ! 人の命がかかってるんだぞ!」
「無理を承知でお願いします」
好き勝手言って、二人はゲームの中に飛び込んでいった。
後にはスマホが二台残される。
「か、勘弁してくれよ、マジで」
俺は人に自慢できる優性なんてまるでない。
「俺はただの『ぼっち』なんだぞ!」
返って来る音は何らない。
「くそっ! いっそ逃げてしまうか?」
本気でそう思う。
まったく見ず知らずの人間を救うため、我が身を顧みずに火事場に飛び込むのは、俺の価値判断から言って、まともではない。
「消火活動を手伝うくらいはする。119だって連絡してやる。だが、赤の他人を助けるために、今にも崩れそうな家屋に飛び込むのは、それは勇敢じゃない!」
声高に演説をぶるが、やはり誰からの反応も得られない。
『うわあああっ!!』
ただ、風導師のスマホから、悲鳴がかき鳴らされるだけである。
「………………………………………………」
恐怖と苦痛に彩られたその声。
耳の奥を引っ掻いて、俺の心に突き刺さる様に鳴る。
「くそっ、くそっ、くそおおぉぉ!」
繰り返すが、俺は正義の味方ではない。
ただの小心者である。
自分の人生が一番大切なだけの小物だ。
「だけど、だからこそ――」
俺はスマホを取り出すと、検索サイトを介して、例のゲームサイトに飛ぶ。
『ゴッド アンド エビル』
あの忌まわしいゲームのタイトルが目に飛び込んできた。
「俺はここで逃げるわけにはいかない」
ここであの悲鳴を無視してしまったら、俺は一生後悔することになる。
例え一時の安息は得られても、残りの人生を、消し難い後悔と共にしなければならない。
「なんせ、俺は小心者だからな」
『GAME START』をタッチする。
廃墟ビル内装の輪郭が崩れ、そこに収められていた色が滅茶苦茶に混ざり合う。
「安楽な人生を送りたければ、今日は戦うしかない!」
やがて世界の輪郭が再構築され、殺伐とした荒野の形をとりはじめた。
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