第7話 街の裏側

「失礼しました。今の出来事は忘れてください」


 一通りわめき散らすと、大人の表情に戻った会長が、静かに着座する。


(い、いや。衝撃的すぎて忘れられませんって)


「退学届けは追って郵送します、必要事項はこちらで記入しておきますので、親御さんのサインを頂いて、速やかに提出してください」


「会長、待ってください! どうか、俺に弁明の機会を!」


「私はもう貴方と話したくないんです」


 会長が、椅子ごと、そっぼを向いた。


「あの時の俺は、ゲームの世界に入りたてで、右も左も分からなかったんです」


「新山くん、一つあなたのためになるお話をしてあげましょう。この世で一番他人ひとを苛立たせるもの。それは出来の悪い嘘です」


「か、会長~」


「お黙りなさい。あの奇顔岩の荒野が、ゲーム開始の町からどれだけ離れていると思っているの!」


「それはバグの所為せいなんです!」


「は? バグ?」


「あのやる気のないナビゲーターがそう言ったんです。俺がゲームをはじめたら、いきなりおかしな森の中から始まって、しかもあのデカイ怪物の顔をなぜか踏みつけにしていて」


「?」


「とにかく聴いてください!」


 俺の説明は、お世辞にも上手ではなかった。


 何しろ、自分でもよく分かっていないことを、他者に伝えようとしているのである。


 理路整然どころか、みちは混迷を極めた。


 唯一の救いは、話を聴くのが、あの天才・篠原瑠衣であったこと。


「なるほど、そういうバグですか。確かに、可能性としては、全くのゼロではありません」


 最良の聞き手である彼女は、俺の意図を、俺以上に汲み取ってくれた。


「ただ、それが本当のことだとしても、私が新山くんを許すかどうかは別問題です」


「ど、どうしてですか?」


「貴方の行為が一部不適切であったこと。それにより私の心身が深く傷ついたこと。この事実は少しも変わらないからです」


「ご、ご指摘ごもっとも。確かにあの時の俺は、命がけで助けてくださった会長に対して、仁義を欠いておりました。そのことは猛省しております」


 深々と首を垂れる。


「ふんだ。都合のいいことばっかり言って」


 頬を膨らませた会長からは、プンプン、という擬音が聞こえてきそうであった。


 ここで俺が一考する。


(感情に訴えてもまるでダメそうだな。となると――)


「あの、もう一つだけよろしいでしょうか?」


「新山くん。私は非常に忙しい身の上です。今日もある重要人物と面会しなくてはなりません。その人はロンドンの有名中学校の理事長をしておりまして、本校と提携を結ぶか否かの話し合いをする予定です。その学校との交換留学制度が実現すれば、本校の生徒たちがどれほど貴重な経験ができることかは、お分かりですね?」


「会長のご多忙、重々承知しています。ですがどうか、わずかばかりのお時間を」


「ふう。……五分、いや三分だけですよ」


 会長が机の上のタイマーを操作した。


「大丈夫です。一分とかかりません」


 俺が篠原会長のすぐ横に立つ。


「あの、あまり私に近づかないでもらえますか?」


「会長の言い分はこうですよね。心と脚に深い傷を負ったから、俺を罰しなければならないと」


「ええ、そうです」


「でしたら、身体の傷だけでも消えたら、俺への罰も幾分減りますよね」


「はい?」


 俺が左手を、そっと会長の包帯に近づける。


「ちょっと、貴方、何を!?」


「【リタナ】」


 俺が唱えると、あの神秘的な光が、彼女の太ももへと注がれる。


 光が自分の皮膚の下に浸み込んでいくのを、会長は、息を呑んで視ていた。


「はい、これでもう大丈夫」


「ん? んんん!?」


 会長が椅子から降りて、包帯の巻かれた左脚を動作させる。


「こ、これは!」


 動作にはなんら支障が見受けられない。


 会長が包帯を解くと、そこには傷跡一つ残っていなかった。


「如何でしょうか? これで一つ罪が消えました。できたら、俺への罰の重さも、ご一考していただけるとありがたいんですが」


「す、素晴らしい。とんでもなく見事です。新山くん」


 会長が、俺の手を握りしめた。


「これは確か修復魔法ですね。ゲーム世界に5つしかないと言われる極秘のシークレットスキル。まさか、それを修得した人が、私の前に現れるなんて」


「か、会長?」


「今日は記念すべき日です。新山くんという逸材と出会えただなんて」


「? ? ?」


 会長の変化が、あまりにも急激すぎて、俺の理解がついていかない。


(か、会長の心が雪解けしてくれたのはいいんだけど、春をすっ飛ばして、いきなり真夏になってしまったぞ)


 会長の俺を見る眼差しは、炎天下の日差しと大差ない。


 先ほどのタイマーが激しく音を立てるも、会長は素早くそれを止める。


「そうだ。にも貴方のことを紹介しないと」


 会長が、俺の手首を鷲掴わしづかみにする。


「ち、ちょっと」


 俺の身体は、強引に、生徒会長室から引っ張り出された。


「う、うわわ?」


 競技自転車に引きずられているような牽引力に、俺はなすすべない。


 会長は腕力においても、常人を凌駕した存在であった。


 会長が、会議室の扉を開く。


「佐崎さん! 副会長!」


 会議室では、パイプ椅子に腰かけて、生徒会役員たちが作業をつづけていた。


「どうされましたか? 会長」


「私は急用ができましたので、これにて下校します」


「ち、ちょっと待ってください。今日はロンドンから例の学校の理事長が来る予定になっていますが」


「また日を改めて、と伝えておいてください」


「は!? む、向こうはこのためだけに来日してくるんですよ」


「日本の名所のパンフレットでも渡しておきなさい。じゃあ、後はよしなに」


「か、会長! 会長~!!」


 慌てふためく役員たちを置き去りにして、会長はまた走り出した。


「か、か、会長! 一体俺をどこに連れていくつもりなんですか!?」


 引っ張られたまま俺が訊ねる。


 学校の玄関口はとっくの昔に過ぎ去り、今は好奇の眼差しに囲まれたまま、街の商店街をひた走っている。


赤梅あかうめに。そこに貴方を会わせたい人がいるんです」


「あ、赤梅って、町村市の西の外れですよね」


「はい。ですからバスを使います」


 商店街の端にあるバスターミナルに着くと、丁度『赤梅行』のバスが到着した。


 バス後部座席に、俺と会長が座る。


 下校時間のバスは、そこそこ混み合っていた。


「会長。その、俺と会わせたい人っていうのは一体?」


「私たちと同じく、あのゲームをプレイしてしまった人間の一人です。今は私のパートナーとして共に戦ってくれています」


「た、戦う!?」


「ええ、そうです。ゲームの中でも外でも、私をよく支えてくれています」


「中でも、外でも?」


「はい」


「いや、その……。中と言うのは分かるんですが、外と言うのは?」


「新山くん。実は今、この街は大変なことになっているのです」


「?」


「初心者の新山くんでもお気づきでしょうが、あのゲームは、プレイした人間に特殊な恩恵をもたらします」


「は、はい。ゲーム内で獲得したスキルが、現実でも使えました」


「それだけでは、ありません。さっき私が見せたように、装備品を現実に持ち出すこともできます。また、ジョブごとのパラメータ補正は現実にも適用されます」


「そ、それってとんでもないことじゃあないですか」


「はい、控えめに表現して、世界の危機です。唯一の救いは、この異常現象が今のところ、この街とその周辺でしか確認されていないことですが」


『赤梅行き~。赤梅行き~。お乗り間違えの無いように、お願いします~』


「人間の良心と言うものは、儚いものです。ゲームで大きな力を得てしまった人たちの多くは、その力を私利私欲のために使いはじめました。例えば、街で噂の怪盗団ファントムのように」


「フ、ファントム!?」


 俺の大声に、バス中の視線が集まる。


「す、すみません」


 俺が頭を下げると、視線がゆっくり離れていく。


「そうです。あのファントムも、ゲームで得た力を悪用している不逞の輩です」


 会長が小声で話しつづける。


「私たちはそのような連中に対抗する活動を日々続けてきましたが、いかんせん人材が不足しています」


 会長が俺の手を、両手で握りしめた。


「どうか、私たちに新山くんの力を貸してください。貴方の治癒能力があれば、まさに鬼に金棒なんです」


「う、ううう」


 どう考えても、断れるような話の流れではない。


(しくった。スキルを見せたのは失敗だったぞ。これは退学を選んでいた方が、遥かに簡単だった)


 全ては後の祭りである。


『次は坂下公園前。坂下公園前~。お降りのお客様は、バスが停車するまで、席を立たないようお願いいたします~』


 のどかなアナウンスを響かせながら、バスは赤梅へと進んでいく。


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