第6話 生徒会長・篠原瑠衣

 生徒会長・篠原しのはら瑠衣るい


 彼女が一年生にして生徒会長に抜擢されたのは、意外にも、有能さを見込まれてのことではない。


 むしろ無能さを当てこまれた、とも言えなくはなかった。


 今でも話題に上る、第八十六期入学式。


 篠原瑠衣と俺は、同じく新入生としてその式典に参加していた。


 新入生代表の挨拶のため、壇上へと昇っていく彼女。


 本来、月並みなご機嫌伺いに終始すべき場で、篠原瑠衣は、突然演説をおっぱじめる。


 この第三中学校の抱える諸問題を、斬新な切り口から考察し、合理的な解決方法を提案して見せた。


 そこまでなら、ハリキリ新入生として、名前を覚えられるだけで済む。


『これらは、本校だけの問題と言うよりは、日本全体の抱える病みともいうべきかもしれません。しかし、それは何ら言い訳にはなりません。問題を放置し、何ら有効な施策を打ち出せなかった皆様方には、心からの猛省を願う所存であります』


 ところが、彼女は、教員と上級生に対し、どきつい苦言まで呈したのである。


 もちろん、面子を潰された上級生たちが、仕返しを画策しないはずがない。


 篠原瑠衣の生徒会長就任が発表されたのは、まだ五月にもならない日のことであった。


 この人事は、生徒だけでできることではない。


 おそらくは、一部の教員も関係していたに違いない。


『あれだけ偉そうな演説をぶったんだ。だったら、この学校の抱える諸問題とやらを解決してごらんなさいよ。できるものならね』


 そんな悪意の呟きが、今にも聞こえてきそうだった。


『ねえ、ヤバいって。あんな馬鹿な挨拶するからだよ』


『今の内に謝りに行こう。私たちも一緒に頭下げてあげるからさ』


 新入生仲間の助言に、篠原瑠衣は耳を貸さなかった。


『どうしてわたくしが謝らなければならないの? 本当のことを言っただけじゃない』


 そう言って彼女は、謝罪を断固拒否した。


 この頃、一年生から三年生まで、誰もが同じ未来図を思い描いていた。


 ひと月と経たずに、篠原瑠衣が泣きを入れ、学校に居場所をなくした彼女が、よその学校に転校していくことになる光景を。


『次の学校では上手くやってほしいよね』


 同じ一年生からは、気の早い同情の声が、ちらほらと上がった。


 だが、その未来は現実のものとはならなかった。


 誰も気づいてはいなかったのだ。


 篠原瑠衣という人物の、破格のスペックと、危険性を。


 それから数日後、三中のグラウンドで、突如、大きな工事が開始された。


 野球部の悲願であった、ナイター用照明の設置のための工事だという。


 これは、長年学校に陳述しつづけるも、予算の都合上、延々棚上げにされてきた事案であった。


 それをあっさりと解決してしまったことは、一年生会長としては、破格の成果と言ってよい。


『へえ、なんだ。思ったよりやるじゃない』


『あの子、口だけじゃなかったんだ』


 これには、意地悪な先輩方からも、賞賛の声が上がった。


 これが青春映画だったら、ここからラストシーンまで駆け足で展開してくだろう。


 対立していた上級生と一年生会長が手を取り合い、よりよい学校の未来に向かって、共に歩みだす。


 そんな美しい結末が描かれるはずだ。


 だが、現実は青春映画ではない。


 物語は、誰も予想もしていなかった方向に加速していくことになる。


 翌日、臨時の全校集会にて、グラウンドの拡張工事が発表された。


 屋外部活動の数に対して、グラウンドの面積が小さすぎることは、これもまた、兼ねてから懸案事項であった。


 長年、頑なに学校側の説得に応じなかった地主だったが、篠原会長が出向くや否や、二束三文でグラウンド周辺の土地を手放したという。


 そのさらに翌日、今度は水泳部のプールが新設されることとなった。


 そのまたさらに翌日には、体育館の全面改修が決定される。


 さらにさらに翌日、最新鋭の設備を有した、新校舎の建造計画が発表された。


 全校生徒が絶句する。


 篠原瑠衣は、評論家でも、夢想家でもなかった。


 圧倒的な才覚を有した実務家だったのである。


 目まぐるしく進む学校改造は、俺たちに瞬きも許さない。


 大手予備校有名講師陣による不定期特別授業。


 思春期の生徒のためのカウンセラーの常駐。


 いじめ対策専門家を多数雇用。


 元海兵隊員の警備員としての雇用。


 本校教師の指導力向上及び教育倫理徹底のための定期講習の義務化。


 その他多数。


 ちなみにこれらの大改革の財源となったのは、篠原瑠衣が懇意にする、某多国籍企業トップからの多額の寄付金だという。


『…………』


 伝統ある第三中学校が、根底から作り変えられていくのを、上級生たちは呆然と見ているしかなかった。


 ただ、篠原会長の三中大改造は、全てのものから支持を受けていたわけではない。


 会長のやり口は極端きわまった。


 物事を白と黒にはっきりと分けて、黒と断じたものは徹底的に排除する。


 世の中の多くのモノは、白黒つかない灰色であるにも関わらずだ。


 例え何十年つづいた学校行事であろうが、彼女が『よろしくない』と判断すれば、それは廃止された。


 強引すぎるやり口に、あちこちでアレルギー反応が出た。


 だが、会長はそれを一顧だにしない。


『私は民意によって会長に選ばれました。なればこそ、妥協などということができるはずもありません。三中生の幸福こそが、この私の幸福なのです』


 天才による強権発動に、哀れ、凡人の集団は惨めに駆逐されていった。


 そして、現在。あの入学式から一年と三か月。


 市立第三中学校は都内の名門中学校ごとき繁栄を極めている。


 そして、その頂点に君臨するのが、篠原瑠衣会長であった。


 もはや彼女には、市の幹部さえ、口出しすることは叶わなくなっていた。


 生徒たちは彼女を、『最良の独裁者』と呼ぶ。


「うーん。独裁者に対して、最良もへったくれも無い気がするんだけどな。でも、確かに、篠原会長の手腕は天才的だ。能の無い先輩方が学校運営をするより、余程善政だとは言えるだろう。でも、会長の顔色を窺って学校生活を送るのは、一番大切な自由が、ないがしろにされているんじゃないか?」


 俺が何をしているかって?


 もちろん、一生懸命に現実逃避をしているのだ。


 会長ににらまれるということは、三中生にとっては半死にも等しい。


 真っすぐ現実を直視する勇気なんて、ある訳が無い。


「ううう」


 生徒会室の扉に向かって、指先を伸ばしては、また引っ込める。


 その繰り返し。


「ええい、くそ」


 ついに、勇気を振りしぼって、扉をノックすることができた。


「はい?」


 涼風のように、さわやかな声が返ってきた。


「に、二年C組の新山珪太です。篠原会長がお呼びと聞きまして」


「どうぞ。入ってください」


 穏やかにこちらを迎え入れる声に、一抹の希望を抱きながら、部屋に入った。


 生徒会室には、四人のメンバーが揃っていた。


 全員が、最高性能ハイエンドパソコンをあてがわれ、指先と眼球を高速で動かしている。


 篠原会長による大改革により、学校事務は煩雑を極めていた。


 それらを処理する彼らの事務能力は、そこらのブラック企業垂涎すいぜんであろう。


佐崎さざき副会長。暮井くれい会計。俵田たわらだ書記」


 例の優しげな声で、篠原会長が役員たちに声をかけた。


「すみませんが、ちょっと席を外してもらえるかしら?」


「分かりました。ではちょっと気分転換でもしてきます」


「ああ、待ってください。実はかなり時間がかかりそうなんです。申し訳ないんですが、別の部屋で作業を続けていてもらえますか」


「それでは、会議室を使うことにします。この時間は、確か予約が入っていなかったはずなので」


「よろしくお願いします」


 三人の役員は、ノートパソコンを手に、生徒会室を後にした。


(じ、じ、時間がかなりかかるだって?)


 俺はもう気が気でない。


(一体何をした。俺は本当に何をしたんだ?)


 ここに来るまで、何度も自問したが、答えは一向に見つからない。


 生徒会長が、扉の鍵を内側から締めると、緊張はさらに増す。


(おや?)


「篠原会長。その足はどうされたんですか?」


 会長は足を引きずりながら歩いていた。


 太ももに仰々ぎょうぎょうしく包帯が巻かれている。


「……」


 会長は、俺の問いに無視を決め込んだ。


「新山珪太くん」


 再び着座した篠原会長の口から、凍てつくような声が放たれた。


「は、はは、はい」


「私はあなたに罰を与えなければなりません。それもとびきりの厳罰を」


「!?!」


「このような結末に至ったこと、心から残念に思います」


「ち、ちょっと待ってください、会長」


「はい?」


「お、俺は何をしたんでしょうか」


「……」


「こ、心当たりが一切ないんです。俺には会長から罰を受けるようないわれはありません」


「ほほほほほ」


 冷笑する会長の背後に、俺はブリザードを幻視した。


「バカおっしゃらないで!」


 会長が、高級机を、激しく殴りつけた。


「この人道の敵。道徳に対する挑戦者め!」


「え? ええ!?」


「貴方の為した非道な所業、しかとこの目が見届けたのです!」


「???」


「私のこの足のケガが、何よりの証拠」


「あ、あの会長。失礼ながら、どこかお体の具合でも悪いんじゃあないでしょうか」


 東日本に分類される当県だが、今年の猛暑は、九州四国と遜色がなかった。


「貴方! 私の頭が暑さでおかしくなったと言いたいの!?」


「そ、そういう訳ではないんです。ただ、俺には怒られる理由が分からなくって」


「ふん。この期に及んでもおとぼけとは。全く見下げ果てたクズ野郎です」


「で、ですから~」


 会長が勢いよく立ち上がると、衝撃で、椅子が転げた。


「なら見せてあげましょう。貴方の人道に反旗を翻した、歴然たる証拠を!」


 会長が俺に左手のひらを向けた。


「!?」


 そこには、奇妙なマークが刻まれている。


 弓矢と輝く星々。

 

 俺は自分の手を見た。

 

 剣と光。


 デザインは異なるが、間違いなく同質のものである。


「ま、まさか、会長もあのゲームを!?」


 会長がそのシンボルマークを親指でこすった。


聖弓士せいきゅうし


 会長の身体を光が包み込む。


「うわ!?」


 光が収束し、会長の身体を覆う装備品へと変化した。


「あ、あああ――」


 弓矢を構えた、白装束の少女戦士。


 その顔は、瞳を保護する大型ゴーグルで覆われている。


「か、か、会長が、昨日俺を助けてくれた女子ひと?」


「その通りです」


 会長がゴーグルを外した。


「私は一生懸命頑張りました。巨大な怪物に命がけで立ち向かい、深手まで負いました」


 切れ長な目が、じろりと俺を見る。


「にも関わらず、貴方は私のことなど気にも留めずにいなくなりました。まるで用済みのゴミにでもするように、一瞥いちべつもなく」


「い、いや、その、それは……」


「言い訳なんて聞きたくありません。私は傷つきました。それはもう、あなたの砂漠の砂みたいな心では、想像もつかない程傷ついたんです。ううう、ひっぐ」


 会長が号泣しだす。


「えーん。あんなに頑張ってあげたのに。一言も褒めてもらえなかった」


 顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、泣きじゃくる会長を、俺は呆然と見つめることしかできなかった。

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